バッテリーSS(パラレル大人海音寺&瑞垣)
居酒屋とネクタイと僕。
「よぉ。こっちや、こっち」
まだ日中の暑さがしぶとく残った外から、喧騒に包まれているとは言え、クーラーのよく効いた店内に入った海音寺は、ネクタイのノットに指をかけてゆるめ、ほっと息をついた。
もうすでに、カウンター席で一杯ひっかけている男は、機嫌のいい顔で、こちらに手をぴらぴらと振っている。
隣の空いた席に座ると、やってきたバイトらしき店員の女の子に、ビール、と告げた。
「ははっ。とりあえずビール、か?お前もすっかりオッサンやな、海音寺」
「そういう瑞垣だって、飲んでるの、ビールだろ」
「そりゃそうじゃ。こんなとこ来て、ビール飲まんで、何飲むっちゅうんじゃ」
相変わらず、わけのわからん事を言う瑞垣をほっといて、出されたつき出しを食べる。
さっぱりとした和え物が、美味かった。
「な、何だ?」
気が付けば、瑞垣が、つき出しを食べる海音寺を、じっと見ていた。
戸惑ったように、海音寺が問うと、カウンターに行儀悪く片肘をついた瑞垣は、んー、と気の無い返事をよこした。
「べっつにー。ただ、海音寺クンも、立派なサラリーマンなのネェ」
「当たり前だろ。今更、なに言ってんだ」
ビールを猫のように、ちろりと赤い舌ですするように飲みながら、瑞垣は横目で海音寺を覗き込む。
赤、というよりも柔らかい、桃色の舌先に、思わず目が釘付けになって、海音寺は慌てて目を逸らした。
意味もなく、動悸が速くなった。
(……マズイな)
まだ、酒は入っていないのに。
「でもさー。今はほら、何て言うの?クールビズとかゆーヤツで。ネクタイ、締めんでも、いいんじゃねぇの?」
海音寺の緩んだネクタイを、瑞垣は猫の仔のように引っ張っている。
そんな、子供のような仕草が、同い年の20代の男のくせして、妙に、似合った。
「そうは言っても、サラリーマンたるもの、ネクタイ締めなきゃいけない場合もあるんだよ」
「ふーん。そんなモンなのかねぇ……」
そこで、ようやく、頼んだビールがきた。
適当にツマミも追加する。
「そうなの。ったく、お前もいい加減、定職に就けば?」
一心にから揚げをかじっていた瑞垣は、口の中をもごもご言わせながら、フンッ、と鼻で笑った。
ごくり、と飲み込んでから、わざとらしいしかめっ面を作る。
「俺はなー、お前らみたいに早々に結論出したりしないの。只今、模索中なわけ。わかるー?」
要するに、フリーターってことだろ、という言葉を、海音寺はビールと共に飲み込んだ。
(俺だって、別に今の仕事が結論だなんて、思ってないんだけどな……)
そんなの、海音寺たちの年齢で、すでに出ている方が稀だ。
だけど、やっぱりそれも口には出さない。
「別に、定職に就くのが結論でも無いだろ」
代わりに出たのは、無難で、あたりさわりのない言葉だった。
それに対する、瑞垣の答えが返ってくる前に、わぁっと歓声が起こった。
店の隅に置かれた、テレビの前の客たちからだった。
どうやら、プロ野球を中継しているらしい。
地元出身のバッターが、一発大きいのを打ったところで、酔客たちから、惜しみない拍手が沸き起こった。
思わずそちらに目をとられてから、隣の男を振り返る。
「……見たいんなら、あっちに行って見て来たら?」
そう、言った瑞垣の口調は淡々としていて、何を考えているのか慮るのは、難しかった。
「……いや、いいよ。お前は?」
「何で俺が見に行かなきゃなんねぇんだ」
テレビでは、ホームランを打った選手が、塁に帰ってくるところを、映し出していた。
「チームメイト、だろ」
「いつの話だよ」
つまらなさそうに、瑞垣は言った。
「何で、お前が、んな顔、すんだよ?」
どんな顔を、今、自分がしているのかなんて、鏡も無いのに海音寺に確認できるはずも無い。
だが、たぶんきっと、気まずい、やるせない、そんな顔だったのだろう。
瑞垣は、くすりと笑って、冷えたグラスを海音寺の顔に押し当てた。
「……っ!だから、やめろって、そーいう……、」
子供っぽいことは、と続ける前に、瑞垣は早口で、言った。
「それに、行くんだったら、球場に見に行くさ。チケット、送ってくるしな」
抗議の言葉を遮って言われた言葉に、海音寺は、文句の続きを忘れた。
「えっ?あいつ、わざわざ、チケット送ってくるのか?」
「そーですよー。何せ、チームメイト、ですから」
さっきの海音寺の言葉に、あてつけるように。
でも、その顔は、何か苦いものを無理矢理飲み込んだような、そんな顔だった。
だから、チームメイト全てに送っているわけじゃないだろ、という言葉は飲み込んだ。
「でもまー、行かないけどね」
サバサバと言って、瑞垣は再びグラスを傾ける。
(行かない?)
……行けない、じゃなくて?
思ったけど、もちろんそれも、聞かなかった。
聞かないこと、ばかりだ。
(いや、違うな)
聞かない、じゃなく、聞けない、だ。
どこまで踏み込んでいいのか、わからなかった。
この、ひょうひょうとしていながら、一定のラインより向こうには、決して他人を受け入れようとはしない、この男の、内面に。
もっと酒に酔っていれば、聞けたのかもしれない。
だが、残念ながら、海音寺は酒にはそこそこ強い方だった。
「じゃあ、俺にくれよ。どうせ行かないんだったら」
「ヤだね」
「何でだよ。行かないんだろ?」
「ネットで売るから」
(嘘つけ)
そんな白々しい嘘は、いくら海音寺にでも、わかる。
それはただ、この話はもう終わりだという、瑞垣のサインなのだ。
そのくらいのことがわかるくらいには、瑞垣との付き合いも、長い。
「お待たせしましたー」
場違いなくらい明るい声で、焼き鳥が運ばれてくる。
ふいに落ちそうになった沈黙を、かきけすような、絶妙のタイミングで。
「さっさと食えよ。食わないんだったら、俺が全部食っちまうぞ」
串を独り占めされる前に、慌ててかぶりつく。
向こうでは、陽気な野次が飛び交っている。
敵チームの攻撃なのだろう。
騒がしい、と言うよりも、これも一種の、居酒屋のBGMだ。
「じゃあ、しょうがないな。今度、チケットとって、見に行くかな」
瑞垣は、答えない。
「で、ないことないこと、瑞垣の現状をチクってやろう」
「会えるわけ、ないじゃろ」
「それはどうかな?」
ふふっと不敵に笑うと、瑞垣がうろん気な眼差しを向けてくる。
「お前が言うと、あながち冗談と思えんから、性質が悪ィな……」
どことなく、げっそりとした顔で言う瑞垣に、海音寺はニヤリと笑い返す。
そして、心の中だけで、こっそり付け加えた。
本当は、知ってるんだよ、と。
(お前が、俺を誘う理由なんて、アイツ絡みでしかないってな)
誰かさんの試合がある日に限って、飲みに誘ってくる瑞垣。
こういうところばっかりは、わかりやす過ぎる。
そんな風に、今でも気にかけているのなら、会いに行けばいいのに。
だが、それも言わない。
これは、言えないんじゃない、言わないのだ。
「……何、笑ってるんですかー、海音寺クン?」
「いや、別に?」
テレビの向こうで、バットを振ってる選手と、実は今でもメルアド交換しているなんてことも、もちろん、言わない。
チケット送ってる、なんて話は聞かなかったなあ、とよく冷えたビールを飲みながら、苦笑する。
「それより、もっと飲まないのか?俺、次は焼酎いきたいんだけど。瑞垣はどうする?」
「俺、日本酒。……ったく、年々、可愛げなくなるなあ、一希クンはー。いや、最初っから、そんなもん、なかったけどな」
「お前は、今も昔も、可愛いけどな」
「けっ」
舌打ちして、少しだけ残っていた、海音寺のビールのグラスを分捕って飲み干す瑞垣を、遠慮なく笑ってから、海音寺は追加注文をすべく、バイトの女の子を手招きした。
Fin.