バッテリーSS(門脇&瑞垣)

ターニングポイント

「そういや、海音寺は元気にしてるみてえじゃな」
「あ?何で、お前が知ってんだよ。連絡取り合ってんのか」
「いや、そうじゃなくて……、いや、なんでもない」
「んだよ、言いかけて途中でやめんな、秀吾」
「だから、なんでもねぇって!」

(この慌てよう……口止めされてんな)

 とりあえず、バッド振ってる間は、見逃してやるか。
 俊二は、それ以上は追及せずに、幼なじみの練習を見守った。
 一回来るようになったら、あれだけ足が遠のいていたのが嘘の様に、瑞垣俊二はまた、秀吾の家に来るようになった。
 秀吾のオカンが来い来い、うるさいからってのも、少しはあるが。
 今更こだわるのもアホくせぇし、どうせ暇だし、というのもある。

(いや、俺は断じて、暇なんかじゃねぇけどな。おベンキョーだって大変だし?)

 野球は、中学で足を洗った。
 だから、野球部のない高校を選んだ。
 そのことに対して、何の不満もないし、後悔もない。
 ―――はず、だった………。

(いや、そうだ。別に後悔なんかしてないさ。今だって。なあ?)

『コーチ、引き受けてくれるな』

 何を言ってるんだ。
 俺は、野球から足を洗ったんだよ、すっぱりと。
 ボールもバッドもミットも、グラウンドの向こうに広がる青くて高い空も、9回裏で同点に追いついた時の高揚感も、そんなもんとは全く無縁の、青春を送るって決めてるんだよ。
 どうして、どいつもこいつも、野球野球ってうるせぇんだ。
 世の中、野球以外にも、楽しい事はいっぱいあるんだぜ?
 馬鹿みてぇに白球を追いかける、それ以外の楽しみが、そりゃもう、山のように。

「お前、今、フォーム崩れたぞ。ぶれてる、上半身」
「おお、そうか。ありがとな。流石、俊じゃ」

 しゃべりながらも素振りの腕を止めない秀吾が、礼を言って、すぐさまフォームを直す。
 少し指摘しただけで、秀吾のフォームは綺麗になった。
 ここにボールが飛んできたら、どこまでもまっすぐに飛んでいきそうな、バッティングフォームだ。
 幻の球が、飛んでいく様が見える気さえ、する。

「それで、俊。どうだったんじゃ」
「は?何だよ、いきなり」
「決まっとるじゃろ、城野たちだよ」
「………さあな」

 引き受けるにしろ、断るにしろ、行かないわけにはいかなかった。
 電話で済ましたいところだったが、身についた体育会系気質は、それで済ますのをよしとはしなかった。

(……いや、そうじゃねぇな)

 見てみたかったのだ。
 今の、横手を。
 俊たちが卒業して、新しくなった野球部を。
 ぐらついているというバッテリーに、軽く活でもいれてやるか。
 そんな風に思って。
 自分はそういうキャラではないつもりだけど、これも一応、先輩としての勤めだから、なんて。

(それも、嘘だな)

 野球なんて、もう関係ない。
 きっぱりすっぱり、卒業した。
 そう、思っていた。

(なのに、何でだ……?)

 捨てようと思っても、追いかけてくる。
 追いついて、問いかけるのだ。
 本当に、それでいいのかと。
 
「城野たち、喜んだじゃろうな。お前が来て」
「まぁな。人気者じゃからな、俺は」
「そうそう、元キャプテンの俺より、人気者じゃからな、俊は」

 ぶん、とひときわ大きな音を立てて振ったバッドを、止めて、秀吾がこっちを見た。
 ムカつくくらいに、あけっぴろげな、笑顔だった。

「ポカリ、飲むか?」
「飲む」

 水滴を浮かべた缶を投げてよこすと、片手でキャッチして、秀吾はごくごくとポカリを飲む。
 それを見ながら、俊二はさらりと言った。

「……で。情報源は、香夏か」
「な、なんの話じゃ!?」

(動揺しすぎ……)

 秀吾は、ポカリをむせそうになっていた。
 思わず笑いそうになったのを、堪える。
 でも、追及の手は緩めない。

「海音寺クンの近況ですよ。我が妹は、相変わらず海音寺クンと仲良くしとるみたいじゃねぇ?」
「さ、さあ。それは、俺には何とも……」
「お前、それで隠せてるって思ってんのか?」
「思ってない……。ったく、わかってんなら、いちいち聞くなよ、俊!」

 秀吾は、情けない目で、俊二を見ている。
 それを見て、俊二は秀吾をつつくのは止め、はああ、と溜め息をついた。
 
(ったく、香夏のヤツ……。なんだってあんなヤツと)

「兄貴としては、心配なんか?」
「そりゃそうじゃ。愚妹といえども、家族じゃからなあ」
「いいやつじゃねぇか、海音寺」
「馬鹿言え。新田東野球部出身のヤツに、ろくなやつがいるもんかよ」
「お前、それすっげー偏見……」
「何を言う。事実だろ」

 とはいえ、口で言うほど、その通りに思ってるわけではない。
 だが、何となく面白くないのも、事実だ。

「俺はいいと思うけどなー。ゆくゆくは海音寺が弟ってのも」
「ばっ……!何言ってんだ、秀吾!先走りすぎ、ってか、縁起でもねぇ!」
「そうか?いいと思うけどな、海音寺が弟」
「繰り返すなっ!海音寺が弟なんて……弟なんて……」
「どうした?俊」
「いや……。そうだな。それもいいかもな。うん、面白いかもしれん」
「あー。やっぱ問題あるか。俊が兄貴なんぞになる、海音寺の災難を考えると、あれじゃな」
「なんだと?俺が兄貴になるなんて、素晴らしいじゃねぇか!」
「俺だったらゴメンじゃけどなー」
「当たり前じゃ。俺だって、秀吾が弟なんてごめんだよ」
「ハハ。だな。兄でも弟でもなく、俊は俊だもんな」
「んだよ、それ……」
「じゃ、俺練習再開するわ。俊は?」
「俺はそろそろ帰る。じゃーな」
「ああ。また来いよ」


 ぴらぴら手を振って、俊二は秀吾の家を後にした。
 再開された素振りの音を背中に聞きながら。
 兄でも弟でもなく。
 さっき、秀吾が口にした言葉が、ふと蘇る。

『俊は俊だもんな』

 何でもないことのように、さらりと。
 
「言ってくれるじゃねぇか……」

 野球をやってても、やってなくても。
 そんなことは一言も言われてないのに、そうも言われたような、気がした。
 だが、たぶん、秀吾は知っているのだろう。
 もやもやと、俊二の胸の奥につかえて、わだかまっているものを。

『俊は?』

 お前は、野球をしないのかと。

「なんで、俺の周りは野球馬鹿ばっかなんだろうなー」

 携帯を、無造作に引っ張り出す。
 呼び出し音が何度かなった後、繋がった。
 大きく息を吸い込んで、吐き出す。


「監督ですか。俺です。瑞垣です。コーチの件ですが―――」


Fin.