バッテリーSS(青波&巧)

窓際

 まだ薄暗い、早朝。
 空気はしんとして冷たい。
 春とは言え、まだまだ朝は肌寒い。
 目が覚めた青波は、自室の窓によって、カーテンをそっと開く。
 と、同時に、玄関のドアが開く音がした。
 の、巧が、トレーニングウェア姿で出てきたのだ。
 彼は毎朝、走りこみをしている。
 それは、いつから始まったのかも、すでによくわからない、彼の習慣だった。
 そして、それを、時々、目が覚めた青波が、窓際から見送るのも。
 カラカラ、と小さな音を立てて、窓を開ける。
 そっと、青波は身を乗り出した。

「お兄ちゃん、いってらっしゃい」 

 青波のかける声は、いつも、あたりをはばかるような小さな声だが、それでもちゃんと、兄に届いて、巧は、上を向く。

「ばか、寝てろ」

 言われる言葉も、いつも同じだ。
 自分は、身体が弱いから。
 母親から、風邪を引かないようにいつも言われている。
 兄も、言葉にはしなくても、同じ様に思っているのだろう。
 自分は、病弱な弟だと…。
 それが、青波は少し、悔しい。
 だから、青波は笑って、言う。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん」

 巧は、それ以上、なにも言わず、黙って背を向けて、走り出す。
 青波は、その背中を見送るのが好きだった。
 兄を思い出す時、青波は決まって、走っている時の、後姿を思う。
 まっすぐ、前を見て、どこまでも、駆けてゆく。
 あんな風に走れたら、どんな気持ちがするのだろう。
 しなやかな身体が、どんどん小さくなっていくのを、青波はじっと見つめる。

「いいなぁ…」

 知らず、こぼれた呟きは、羨望だろうか?
 太陽が、地上を照らし、温める前の、街の風景。
 それは、巧の目には、どう映っているのだろうか。
 一緒に走りたい、と言ったら、兄はどう答えるだろうか。
 止めておけ、と素っ気無く、言われるのだろうか、それとも…?

「ううん。いつか、きっと……」

 お兄ちゃんと一緒に、走ってく。
 言葉には出さずに、そう思った。
 徐々に明るくなってゆく街の風景を、兄の隣りで、走りながら見るのだ。
 それはきっと、胸の中が、すーっとするくらい、清々しいだろう。
 考えるだけで、わくわくする。
 いつまでも、窓際から、見送っているだけの存在でいたくない。

「どこまでも、いっしょに行くんだ…!」

 消えてゆく後姿の隣りに、もうひとつ、新しい影が加わった。
 最近、巧は、部活仲間で、バッテリーの相棒の、豪と一緒に走っているらしい。
 加わった人影を、青波は目を細めて見送った。
 二人は、ぴったりと合った息で、走ってゆく。


 今は、無理でも。
 近い将来、必ず。
 兄の隣りの、もう一人の伴走者になる。
 出来ない事なんか、きっと、ない。

 青波は、窓を閉めて、ベッドに戻りながら、やがて来る未来に、思いを馳せた。
 後姿を見送らずに済む日を。
 後姿ではなく、横顔を、見つめる日々を……。

「待っててね、お兄ちゃん…!!」


Fin.