バッテリーSS(門脇&瑞垣)
Stand by……
息をするのよりも、自然な事だった。
目の前に飛んでくる球を、打つ。
タイミングがどうとか、スピードがどうとか。
そんなことは、問題じゃなかった。考えなくて、よかった。
ただ、あの白い球が、ここに来るから。
俺はそれを、打ち返すだけ。
真っ青な、高い高い空に向かって。
「いい当たりじゃのう、秀吾」
幼馴染みの、お天気の話しみたいな声を背中に、俺はマウンドに走り出す――。
『おまえはバッターや。姫さんとは、ちがう。』
教室のざわめきが、グラウンドの歓声に、ダブる。
心は自然と、あの球を、思い描く。
初めて、打てないかもしれない、と思った。
ボールはいつも、吸いつくように、バットに向かって飛んできたのに。
意識しないと、息が出来ない。
そんな、気分になった。
それなのに…。
「そんなん、アリかよ……」
あっさりと、くずれた。
やっぱり納得いかなくて、何故だ、と問う秀吾に、幼馴染みは、再び言った。
おまえは、バッターだから、と。
打つのは、一人で出も出きる。
来る球を、打ち返す。
塁に出てからや、塁にいる者のことを抜きにして考えれば、それは純粋に、『ひとり』の行為だ。
だが、投げるのは―――『ひとり』では、出来ない。
そんなこと、何年も野球をやっているのだ。わかっている。
わかっているが……。
「ああも、変わるもんなのか、修」
それでも、心の何処かでは、納得できずに、秀吾は幼馴染みの少年――俊二に、問わずに入られない。
「天才バッター門脇くんは、愛しの姫の不調が、そんなに気にいらんワケ?重傷やな、ホンマ」
「真面目に聞いてるんじゃ」
「俺だって、真面目、真面目、大真面目」
どう見ても、ふざけてるとしか見えない言い方で、でも顔は案外まじめに、俊二は答えた。
秀吾は、そんな彼に、怒るよりもすでに、なじんでいるので、苦笑して頭を掻いた。
「俺が、打席に入っても、顔色ひとつ、変えんかったのに」
「うわあ、すごい自信」
「だって、そうじゃろ?」
鼻白んだ俊二に、秀吾は、何でもないように、さらりと言った。
自慢そうにでもなく。
だからイヤなのだ、と俊二は思った。
嫌味じゃない天才なんて、始末に終えない、と。
「俺は、投げるより…打つ方が、好きじゃったから。
ピッチャーの気持ちなんて、わからんけど…」
「秀吾は、なんも考えんと、ぱかぱか打つのが、似合いじゃからな」
「まぜっかえすなよ」
「はいはい。秀吾はせっかちじゃの」
心のゆとりがたりません、と澄まして言う俊二の頭を、無言ではたく。
いってぇ、今ので俺の貴重な脳細胞が死んだ、と大げさにわめかれた。
無視して、秀吾は続けた。
「もし……俺が、ピッチャーだったら。俺も、原田みたいになること、あるんじゃろうか」
それは、ありえない仮定。
「さーなー。おまえと、姫さんは、タイプが違うからの」
それを、わかっているからか、俊二の返事は、素っ気無い。
だが、秀吾は気にした様子もなく、更に続けた。
「俺が、ピッチャーやったら、キャッチャーは、おまえやな、修。どう思う?」
「サイアク。」
間髪入れずに、顔を顰めた俊二に、秀吾は情けない顔をした。
「ひでえな。なんで、サイアクなんじゃ」
「サイアクもサイアク。史上最低や」
口元に、皮肉気な笑みを浮かべて、俊二はぽそりと呟いた。
「それじゃ、離れられなく、なるだろ……」
それは、思わず口にしてしまったけど、本当は語る気がなかった、そんな風に聞こえる、言葉だった。
だが、その辺の微妙なニュアンスは、秀吾には伝わらず、まずい事を言った、という顔をした俊二を、秀吾は心底不思議そうな顔で見つめた。
「なんで、離れんと、いかんのじゃ」
「……秀吾と、共倒れなんて、ごめんじゃ、って言うとるんじゃ」
「なんだよ、それ」
返って来た答えは、問うたものとは、微妙に意味が違うものだったが、ムッとした秀吾は、気付かなかった。
「誰かのせいで、くずれるおまえなんか、見たくねぇんだよ」
「ならねぇよ、そんなことに」
「ああ、そうだな。おまえは、姫さんとは、ちがう」
きっぱりと言った、幼馴染みの言葉が、今度はまっすぐ、心に届いた。
そうだ、俺は、原田とは、ちがう―――。
打てないかもしれない。
そう、思う事があったとしても。
くずれたりは、しない。
呼吸の仕方を、忘れそうになったら、思い出せばいい。
深呼吸して。
あの、空の高みまで、この手で白球を、飛ばしてやる。絶対。
「いい当たりじゃのう、秀吾」
そして背中では、ひねくれた幼馴染みの、いつもの声がするのだ――――――。
「おお、秀吾がつまらん話しするから、昼休みが終わる〜!おい、ノート、ノート!」
「部活やめて、時間あるじゃろ。ちゃんと自分でやれよ。受験生だろ?」
スポーツ推薦が当然のごとく決まっている割には、勉強の方も疎かにしないタチの秀吾が、人のノートをしっかりあてにしている不届きモノに、眉を顰めつつも、ノートを差し出した。
「おまえみたいな野球バカと違って、俺は色々忙しいんじゃ」
しかし、このくらいの小言で堪えるようなタイプでは決してない、幼馴染みは、秀吾からノートを奪うと、あと10分!と叫んで、部活で鍛えた腕で、一心に自分のノートにシャーペンを走らせるのだった。
Fin,