バッテリーSS(海音寺&瑞垣)

うつりにけりな

「補導されるんが、趣味なのか?」

 ガードレールに腰掛けて、制服のまま、煙を吐き出していた不届きな少年は、頭上から降って来た声に、顔を上げた。

「スリリングでしょ?」

 器用に端を口でくわえたまま、少年はニヤリと笑って、言った。
 

「仮にも、受験生が、脳に悪いようなことをするのは、止めた方がええんじゃないか、と思う」

 そう言って、塾のテキストが入った重そうなバッグを、持ちなおした少年は、ひょいと、口元から、それを――煙草を奪うと、足で火を消してから、再び拾って、自販機の横のゴミ箱に、投げた。

「海音寺キャプテンは、ホンマ、優等生じゃのー」

 一方、煙草を奪われた少年――瑞垣は、怒るでもなく、ただからかうような口調で言って、ぱちぱちと、拍手した。
 それを横目で眺め、だがそれについて何か言う事はしないで、海音寺は口を開いた。

「首尾は、どうだ?」

 ひょい、とガードレールから降りると、瑞垣はポケットから新たな煙草を出しながら、続けた。

「ぼちぼちやな。費用は、まあ、大体…。グラウンドは、決まりそうか?」
「ああ、監督と交渉してる」

 ライターで火をつける。
 くすんだ灰色の空の下で、それは意外なほどに、明るく見えた。
 冬の風に、白くて細い、細い煙がたなびく。

「ふぅん。おまえんトコの監督、マジでコドモノミカタなんて、してくれるんだな」

 変わってンな、と言葉とは裏腹に、瑞垣は、存外素直な微笑を見せた。
 海音寺は、その笑みと、口の端から空に流れる、白い煙を見るとも無く見て、呟いた。

「…おまえって、結構、可愛い性格、してるよな」

 脈絡のない――少なくとも、言われた方にとっては――言葉に、瑞垣は、思いきり、ぽかんとした。
 そして、我に返って、目のふちをうっすら、赤くした。

「いきなり、何、言うとるんじゃ、おまえは」
「何って…。そのまんま、じゃけど」
「ほーう。海音寺キャプテンは、会話の途中で、いきなり口説くんじゃな。キミの手口は、よぉ〜く、わかりましたよ」
「いや、そうじゃなくてな…」

 照れ隠しか、何時も以上に口が回る瑞垣に、気にした風も無く、海音寺は続けた。

「ポーズを作っとるわりには、見た目ほどひねくれとらんな、と思って」
「………そういう、こっぱずかしいこと、真顔で言うの、やめてくんない?」

 はあ、とワザとらしく溜息をついて、瑞垣は、いっそう強く、煙草を吸いこんだ。
 煙が目に染みて、涙が出そうになったのを、何とか堪えた。
 そんな彼を、海音寺は何だか楽しそうに、眺めた。

「やっぱ、あの、門脇と幼馴染みなだけ、ある」
「…なんじゃ、それ?」

 それをさらりと聞き逃せるほどには、大人ではなく、瑞垣は目を吊り上げた。
 しかし、海音寺は全く気に留めずに、というよりも、却って面白そうに、言った。

「俺だったら…ポーズつける余裕なんて、ないな。さっさと離れて……道であってもきっと、挨拶さえ、しない」
「またまた…優等生の海音寺くんらしくもない」

 ちゃかしたような言い方だったが、声のトーンは、僅かに苦かった。
 それが自分でもわかって、瑞垣は、チッ、と舌打ちした。
 これだから、この新田東の元キャプテンは、油断ならない。

「…でもきっと、あいつは、そんなの全然気付かないで、声かけてきそうだよな」


――久し振りじゃな。元気か?新しい学校、どうだ?
   俺の方は…流石に、練習がきつうてな。おまえは?部活には、入ったのか?


 海音寺に言われるまでもなく、簡単に想像が出きる。
 なんで違う学校にしたのかとか、たぶん考えもしないのではないか。
 ただ、進路が違っただけ。
 それだけ。
 あとは、何も変わらない。
 変わるはずがないと、思っているのではないか。

「花の色は移りにけりないたずらに…、じゃ」
「小野小町じゃな。ええと、我が身世にふるながめせし間に、じゃったっけ?」
「おお、流石、塾帰りの受験生」
「…素直じゃないけど、素直じゃな、瑞垣は」

 そう言って、くすりと微笑った海音寺を、瑞垣は何を言わずに、道路に突き飛ばしたい衝動にかられた。
 それをぐっと堪えて、ぼんやりと、思った。
 全く変わらない、なんてこと、あるはずがない。
 まだ、蕾すらついていない花だって、春が来れば咲き、そして散ってゆく。
 時が巡れば再び咲くが、それだって、まったく同じものではありえないのだ。
 そういうことを、きっと、あの、単純天才野球バカな、幼馴染みは、考えもしないだろう。
 いや、考えないからこそ―――今日まで、いられたのかもしれない。
 新田東の元クソキャプテンの言う、ポーズをつけて、だけど……。
 ふと、考え込むような顔をして俯いた瑞垣から、海音寺は目をそらした。
 十一月の冷たい風に揺れる、頼りない煙の行方を、目で追ったまま、言った。

「―――まあ、門脇は、気付いとらんじゃろうけどな。おまえの、そういうトコ」
「…爽やかなツラして、今日はやけに絡みますね、キャプテン?」
「可愛い後輩をかきまわしてくれた、礼じゃ。気にするな」

 しれっと言って、海音寺は、瑞垣のポケットから素早く煙草を箱ごとぬきとると、ごみ箱へ、投げた。
 綺麗な放物線を描いて、ガコン、と音がした。

「ああ!まだ入ってるんじゃぞ!?」
「そろそろ禁煙したら?」

 わめく瑞垣に、海音寺は、ははは、と笑いながら言って、再びバッグを抱えなおすと、じゃ、またな、と歩き出した。
 それ以上何か言うのもシャクで、黙ってその背中を見送りつつ、瑞垣はぼそりと呟いた。

「試合で、みとれよ、海音寺…」

 もちろん、その声が届く事はなかった。


Fin.