校外マラソン
「次の体育、マラソンだって」
「げ! マジ? さいあく……」
女子のいなくなった教室でそう言ったら(ウチの学校は、女子にしかちゃんとした更衣室がないのだ)、ヤツは机の上に腕を伸ばしてぺったりと伏せた。
俺は体操服の入った袋で、ヤツの頭をぽんとひとつ叩いて、腕を引っ張る。
「なーにやってんだよ! ほら、早く着替えないと、間に合わないぞ」
「うえええ……。俺、次休むから、お前、俺の分まで走っといて」
くらげみたいに力のぬけた身体を、俺にひっぱられるに任せて、友は情けなくうめいた。
俺は手を離すと、ぺちんとヤツのデコを叩いた。
「ばーか。そういうのはな、サボリって言うんだ。サボリ、厳禁!」
「ちぇーっ……」
しぶしぶうなって、ヤツは立ちあがった。
ったく、図体は俺よりデカイくせに、マラソンぐらいでこんなにぐたぐた言いやがって。
ほんと、ガキだなあ。
「なんだよ。笑うなよ」
「や、笑ってないし。お前、それ、被害妄想」
そう言いながら、くすくすともれそうになる笑い声をこっそりのみこんで、学ランを脱いだ。
寒っ!
「あー、もう、まじ、カンベン……」
往生際悪く、つぶやきながら、ヤツも制服を脱ぎ始めた。
ぽんぽん、と勢いよく。
コイツ、ほんと、着替える時、ためらいないよなー。
いや、男同士着替えてて、はじらうっつのもヘンだけど。
「やーんっ! えっちぃ〜! なに、見てんのお?」
こっちを見て、気色悪い声で言う。
「ば、ばかっ! あほなこと言うな!!」
思わず焦って、叫び返してしまう。
さっきのお返し、とばかりに、ヤツはにやりと笑った。
くそう……!
「っていうか、お前それ、なんだよ!」
「なにって、これ? かわいいだろ」
指を指して言うと、なぜか得意げに返された。
真っ赤な色に、小さなキューピー人形がいっぱい散った模様の……
「や。ありえないから、それ」
「えー。なんでだよ、かわいーだろ? つかお前のが地味すぎ」
履き替えたばっかの、ジャージのズボンのゴムのとこに指をかけて、ヤツがのぞきこむ。
おいこら、どっちがえっちなんだよ!?
「ばかよせ、やめろ!!」
「いいじゃんいいじゃん、俺とお前の仲なんだし?」
「意味わかんない、離せ!」
「はいはい、わかりましたよー」
そう言って、ヤツは大人しく手を離すと、学校指定のジャージのズボンをはきだした。
無駄に派手なキューピー……柄のトランクスが、視界からようやく見えなくなる。
俺の紺無地のトランクスの方が、中2男子としてはフツーなんだよ、絶対!
「あーあ。何が楽しくて、グラウンドをぐるぐる回んなきゃなんねえんだよ……」
あっという間に着替えて、ぐちぐち言ってるヤツに、俺はジャージの上を着ながら言った。
「今日のマラソン、グラウンドじゃないよ。校外マラソン」
「え、まじか!?」
すぽん、と俺がジャージから頭を突き出すと、さっきとは打って変わってきらきらとした目が、そこにあった。
「んだよ、早く言えよ、そう言うことは!!」
そして、ばしばしと、俺の背中を叩く。
「って! 痛いって!」
身をよじって、その手から逃れると、今度は手首をがしっと掴まれた。
「そう言うことなら、早く行こうぜ!」
だからなんなの、その変わり身は。
さっきまでぶつくさ言ってたくせに。
「あのな、ガッコからちょっと離れたとこ、あのお屋敷みたいな家」
「うん」
「そこんちの犬な、こども産んだんだよ! 3匹!」
「え、ほんと?」
「ほんとほんと。だからさ、走りついでによってこうぜ。お前と一緒に見に行こうって思ってたんだ。ちょうどよかった」
「けどそこ、マラソンのコースとは外れてないか?」
「だーかーらー! 前半飛ばしてって、こっそり寄ってって、急いで戻ればいいじゃん」
そこだけ、俺の耳に顔を寄せて、こそこそっと言う。
うー、息がかかって、くすぐったい……!
「お前なあ……」
「な。いいじゃん。いや? だめ?」
自分の方が、犬っころみたいな顔して、俺を見る。
だからこういうときばっかり、つぶらな目をして俺を見るんじゃないっての。
「……わかったよ。ったく、しょうがないなあ」
「やった!」
ちょっと迷ったふりをして――でないとつけ上がるからな!――俺がうなずくと、ヤツは、はしゃいだ声をあげた。
手首をつかんでいた手をするりと離して、今度は手のひらをぎゅっと握った。
「じゃあ、行こうぜ! ほら、早く!!」
そして手を握ったまま、勢いよく教室のドアへと走った。
ったく、いつもながらに、現金なヤツ!
「わかったから! 手、ひっぱるな……!」
生まれたての子犬よりも元気で、騒がしいヤツは、まるで聞いちゃいない。
俺の手をしっかり握って、グラウンドに続く昇降口に向かって、廊下を走る。
つられて俺も、走らざるを得ない。まだマラソンじゃないっての!
ったく、このまま、学校の外まで走りだしそうな勢いだな。
どうやら、グラウンドでいったんヤツをストップさせるのは、俺の役目らしい。
おわり。
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