はじめての夜〜古いものと新しい物・その後〜
まだ完全には片付け終わっていない共有スペースであるリビングで、潤は幼なじみ兼はとこの文近とそばを食べ終わって、ほっと一息ついた。
今時、引越しそばを三軒両隣りに配って回るわけではないのだが、まあ雰囲気ってヤツだ。
引越しですっかり埃っぽくなってしまったため、2人とも先にシャワーは浴びていた。
なのであとは、それぞれの部屋に入って寝るばかりだ。
今日はもう疲れてしまって、何かやろうという気も起こらない。
潤が使う部屋は、当然、文近が使う部屋より片付いていなかったが、とりあえずベッドと布団くらいは置いてあるので、眠るだけなら支障はない。
「ふみくん、今日はお疲れ様。おやすみ……」
なさい、と言って椅子から立ち上がる前に潤は文近に手をつかまれた。
「どこ行くんだよ、潤」
「どこって、自分の部屋に」
「なんで」
「もう寝るから」
不機嫌そうな文近の顔に、え、何? まだ寝ちゃダメだった!? と潤は慌てた。
片付け以外に、何かすることがあっただろうか……?
「あ、ごめん。そばの容器はちゃんとキッチンに持ってくから!」
テーブルの上に置きっぱなしにしたままだった。
これからは2人で暮らしていくのだから、こういうところもきちんとしないと。
潤はそばが入っていた器を持って、改めて立ちあがろうとして……。
「そう言うことじゃなくて。いや、自分の食ったそばの器は自分でキッチンに持っていって欲しいけど。俺が言いたいのはそう言うことじゃなく」
文近の手が、潤を椅子に引きもどした。
いらだったように、文近は頭をかく。
潤は店の名前が入ったそばの器をテーブルの上に戻して、きょとんとした。
「なんで俺らの2人暮らしが始まった最初の夜に、自分の部屋に行こうとするワケ」
「え、あの……」
だって自分のベッドは自分の部屋にあるわけで。
それのなにがいけないのだろう?
潤はますます首をかしげた。
文近はそんな潤を見て、はーっとため息をついた。
「……お前、何で俺のベッド、ダブルにしてるか、わかってる?」
「ふみくんは、大きいからでしょう?」
文近は、潤より身長が15センチも高く、185センチはある。
横幅はさほどなく、どちらかと言えばスレンダーな方だが、ベッドは大きい方がゆったりできていいだろう。
「本当にわかってないのな……」
文近はさらに深いため息をついた。
そして潤の頭をつかむと、がっと引きよせた。
目を合わせて、潤に言い聞かせるように口にする。
「あのな、潤と一緒に寝ようと思って、ダブルにしたの。俺は別に寝相悪くねえし、ひとりで寝るなら、別にシングルでもセミダブルでもよかったんだよ」
あ、そっか。
シングルもセミダブルもダブルも、縦の長さは変わらないんだっけ。
自分の部屋のシングルベッドと文近のダブルベッドの縦は変わりなかったのを潤は思い出した。
違うのは、横幅だ。
潤のベッドは派手に寝返りを打つと落っこちる危険がありそうだが、文近のベッドはごろんごろん転がっても、落っこちる危険は低そうだ。
……ひとりで寝る場合は。
「もしもーし。言ってる意味、わかってる?」
無言になった潤に、文近が苦笑しながら問いかける。
「あ、えっと……う、うん」
顔を赤らめて、潤はうなずく。
流石に、2人並んで仲良く眠るんだよね、とは潤だって思ってない。
小学生くらいの頃は、お互いの家に泊まった時、そうやって眠ったこともあったけど。
「大体、お前がヤだっつったんだろが。家ですんの」
「だ、だって、鍵かかんないし、ウチのお母さんとか、ふみくんのおばさんとかうっかり入ってきたら困るだろ!」
「親がいない時だってあっただろ」
「そ、それは……」
生まれた時からの思い出が詰まった場所で、生まれた時から知ってる相手と『そういうこと』をやるのは、なんだかすごく、抵抗があったのだ。
一度でもそんなことしちゃったら、もうその場所ではそのことしか考えられなくなりそうで怖かったと言うか……。
「……ま、潤が何考えてんのかは、大体わかってるからいいんだけど。今までずっと我慢して来たんだから、あと少しくらいなら辛抱出来たし」
「あの……ご、ごめんね、ふみくん」
生まれた時からの付き合いだが、お互いの気持ちを確認し合ってからは、実はまだ1年も経っていない。
頼りになる優しい、同い年なのにお兄さんのような幼なじみではとこが、自分の事をそういう意味で好きだなんて、潤は夢にも思ってなかった。
カッコ良くてモテるのに、どうして彼女がいないんだろうとはずっと不思議だったけど。
いつか文近に彼女が出来たら、それを想像すると悲しくて、胸がぎゅっと引き絞られるような気持ちになるけど、その時はちゃんと笑って祝福しよう、そう思っていた。
進路を決める頃になって、潤は今まで文近に頼りっぱなしだった自分を省みた。
大学生になったら、ちゃんとひとり立ちしなくちゃ……もう文近に迷惑はかけないように。
そう、文近に言ったら、何故か文近はすごく怒った。
『勝手に俺から離れて行こうとするな!』
『俺が潤を迷惑だなんて思うわけないだろ』
『ずっと潤が、お前だけが、好きなのに』
正直、すごく、すごくびっくりした。
なんで気付いてないんだよ、いつもお前を一番にしてきただろ、って怒られたけど、それはただ情けない自分を面倒見のいい幼なじみは放っておけないだけなのだと思っていた。
それを言ったら、俺はそんなお人よしじゃねえよ、って頭を小突かれた。
ちょっと痛かったけど……嬉しかった。
嬉しくて、ああ、自分も、文近のことがずっと『そういう意味』で好きだったんだって気付いた。
気付くの遅いんだよ、と文近にまた怒られたけど。
文近は、そんな途方もなく鈍い潤に付き合って、ずっと待っていてくれたのだ。
だから、文近が望むのなら、潤も応えたいと思う。
思ってるんだけど……。
「まだ何かあるのか? あっても、流石に聞けないぞ、今夜は」
潤の火照った頬を手のひらで包み込んで、文近は言った。
慌てて潤は、ゆるく首を振った。
「ちが……っ。そうじゃなくて! なんかすごい、ドキドキしてきちゃって。どうしよう。オレ、何もできないよ? ってか、オレ、何すればいいの……?」
文近と両想いになったのが嬉しくて、ずっとふわふわした気持ちでいた。
それだけで満足で、具体的なことはちっとも考えてなかった。
こんなことなら、前もって調べておくんだった……。
赤い顔であわあわしている潤を見て、文近はふっと笑った。
「潤は、何もしなくていいよ。俺が全部するから」
「そ、それでいいの……?」
「うん。お前にして欲しいことは、あとで俺がちゃんと教えるから……だから、な。行こう、俺の部屋……」
誘われて、素直に潤はうなずいた。
文近に手を引かれて、リビングを後にして、隣接する片方の部屋に入った。
ダブルベッドが存在感を主張する、文近の部屋に。
そしてその夜、2人は、おさ馴染み兼はとこ兼、恋人になった。
リビングのテーブルには、昼近くまで、2人分のそばの器が置きっぱなしになったままだった。
Fin.
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