ラーメン or カレー〜『蒼』ちょっとあと〜


「はー。染み渡る……」

 ずずっとラーメンをすすりながらこぼれた言葉に、俺はぷっと吹き出した。
 目ざとくそれに気づいた斉藤がこっちをじろりとにらんだ。

「なんだよ。なんかおかしいかよ、坂口」

 睨んだ目が、まだ赤く充血している。
 目ぇ溶けるんじゃないかってくらい泣いてたから、無理ないか。

「いや。ラーメンって、染みるもんなのかな、と思って」

 斉藤と坂口で名前順な俺たちは、今週の週番だ。
 週番のお仕事を終えた後、一緒にラーメン屋に来ていた。
 張り詰めたものが一気に切れたように泣きじゃくった斉藤が、ようやく泣き終えた後、

『ラーメン食いたい……』

 と、呟いたからだ。
 思いっきり泣くと、結構体力消耗するからな。
 腹だって空こうと言うものだ。

「染みるだろ。このこってりとしたスープ!」

 そう言って、斉藤は美味そうに豚骨ラーメンのスープをすすった。
 なんか、ちょっと意外。
 斉藤ってもっとこう、塩とか、あっさり系が好きそうな感じなのに。
 それが豚骨ラーメン、しかも大盛り。

「……なんだよ。まだ、何かあるのか?」

 じっと見つめていたら、目じゃなくて目元をうっすら赤くしてまた睨まれた。
 それがちょっと可愛くて、なので、つい、言ってしまった。

「水でもなく、ポカリでもなく、ラーメンで水分補給するのな、斉藤って」
「なっ……! い、いいだろ、別に! ラーメンは飲みものでもあるんだよっ!」

 斉藤はそう力説すると、どんぶりを両手で抱えて、言葉通りごくごくとスープを飲んだ。
 顔に見合わず豪快だなあ。

「うん。確かに、ラーメンは飲みものでもあるな。今日から認識を改めるよ」

 俺は、神妙にうなずいた。
 斉藤は綺麗に空っぽになったどんぶりを、コトリとテーブルに置くと、俺を見て、顔をしかめた。

「それより坂口……。なんでお前、ラーメン屋に来て、カレー食ってんだよ」

 俺はスプーンでじゃがいもがごろごろ入ったカレーをすくって食べながら、答えた。

「俺、ラーメンよりカレーの方が好きだもん」
「ラーメン屋に来たんなら、ラーメン食えよ、ラーメンを!!」
「でも、メニューにカレーあるし」
「あっても、ラーメン屋でカレーはないだろ」
「けっこーイケるよ? ラーメン屋のカレーも」
「そういう問題じゃなくてだなあ……」
「一口食べてみなって。ほらほら」

 そう言って、カレーをすくったスプーンを斉藤に向けて差し出してみた。
 食べないだろうな、と思ったのに斉藤は口を開けて、スプーンをくわえた。

「………結構、美味いな」
「だろ?」

 何でもないようにうなずいたけど、空になったスプーンを見て、何故かちょっとドキドキした。

「いやでも、やっぱラーメン屋ではラーメンだ」
「強情だなあ」

 野菜カレー(とはメニューにはないけど、肉が見当たらない)の残りを食べる俺に、斉藤はまだ納得がいかなそうだった。
 結構、こだわるタイプ?
 斉藤は、更に続けた。

「じゃあお前、寿司屋にカレーあったら、カレー食うのか?」
「そりゃもちろん」
「さすがに、寿司だよな」
「カレーに決まってるでしょ」

 空になった皿にスプーンを置いて、手を合わせる。
 ごちそうさま。

「坂口、お前……」

 斉藤が、呆れた顔で俺を見ている。

「どんだけカレー好きなんだよ」

 それを語ると、ラーメン屋の閉店までかかってしまうので、俺は逆に斉藤に尋ねた。

「じゃあ聞くけど。斉藤は、寿司屋にラーメンあっても、ラーメンは食わないの?」
「………そりゃ、寿司食うに決まってるだろ」
「今、ちょっと迷った」

 突っ込むと、斉藤は顔を赤くして反論した。

「迷ってない! 寿司屋では寿司、ラーメン屋ではラーメンだ!」

 何も、そこまでムキにならなくてもいいのに。
 でも……。

「何、笑ってんだよ、坂口」
「いや……」

 元気になって、よかったなと。
 無理して笑うのを見るくらいだったら、ムキになって怒ってるのを見る方が、ずっといい。
 そう思ったんだよ、斉藤。

「寿司屋のカレーって、やっぱ魚が入ってるのかなって。マグロとか」

 コップの水を一口飲んで、俺はニヤッと笑って斉藤を見た。

「……ねえだろ。つか、もったいなさすぎ。どんなネタもカレー味かよ」
「そりゃ、カレーだからね。当然」
「お前……ほんっと、カレー、好きすぎだろ!」

 こらえきれないように、斉藤は吹き出した。
 目じりには涙まで浮かんでいる。

「ばっか、もう、やめろよ。せっかくラーメンで水分補給したのに……」

 ツボにでも入ったのか、斉藤は苦しそうに腹を抱えて笑っている。
 俺は手を伸ばして、斉藤の目元を親指で拭った。
 斉藤は驚いたように、俺を見つめた。

「じゃあ今度は、俺と一緒に寿司食べに行こう? カレーがないか調べに」
「……回ってるヤツじゃないと、無理なんだけど。金銭的に」

 斉藤は照れたように目を伏せたが、俺の指を振り払いはしなかった。

「いいよ、回転寿司でも」
「カレーは回ってこないだろ、カレーは。つか、それならフツーにカレー食いたいし」

 濡れた目元が、親指下でほんのりと温かい。
 名残惜しい気持ちで、俺はそっと指を離した。

「カレー屋なら、安くて美味いとこ知ってるよ」
「なら、次はそこだな」
「うん」

 当たり前のように、次の約束を交わす。
 ウサギのような赤い目で笑う斉藤にうなずきながら、俺は確信した。
 たぶんきっと、その次も。
 週番が終わった来週の、そのまた先もこんな風に、続いていくんだって。


Fin.


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