押しかけ桃ちゃん〜『088: 唯一絶対の』その後〜
「はい、これ。着物。おじいさんのお古じゃ、小さかったでしょう?」
桃太郎はにっこり笑って、青鬼に新しい着物を差し出しました。
新しい、とは言っても、古着をほどいて仕立て直したものです。
おばあさんに教わって、桃太郎がひと針ひと針縫ったのでした。
「ありがとう。……桃太郎、その手は………?」
礼を言って着物を受け取った青鬼は、桃太郎の手に細かい傷があるのに気づきました。
桃太郎は急いで手をひっこめようとしましたが、青鬼に手をつかまれてしまいました。
目の前にかざされて、じっと見られて、桃太郎は顔を赤らめます。
「ケガ、してる……」
「た、たいしたことないんだ! その、ぼく、お裁縫はあんまりやったことなくて……。あ、でも、着物は大丈夫だよ? 血なんか、ついてないし」
慌てて桃太郎が言い訳するのに、青鬼は眉をひそめます。
「そんなの、どうでもいい……」
青鬼は、つかんだ桃太郎の指を口元に引き寄せると、そのままパクリとくわえました。
びっくりして固まる桃太郎をよそに、青鬼は口の中で桃太郎の指を丹念に舐めてしゃぶります。
熱くて大きな舌が、指をなぞる感触に、桃太郎は思わずひくりと震えました。
「………いたい?」
指をくわえたまま、唇の隙間から問う青鬼に、桃太郎は言葉もなく首を振りました。
「痛くは、ない、けど……」
背筋がざわりと泡立ちます。
青鬼はそんな桃太郎を見て、かすかに口元を緩め、
「なら、よかった」
そう言って、ようやく、桃太郎の指を口から離しました。
そして青鬼は唾液に濡れた桃太郎の指を、きれいな布で丁寧に拭きはじめました。
桃太郎はやっぱり黙ったまま、青鬼の武骨な、でも繊細に動く指をぼうっと見つめていました。
青鬼は優しく桃太郎の手をさすりながら、ぽつりと言いました。
「おれのために、むり、しないでくれ」
青鬼のその言葉に、桃太郎はハッとして顔をあげました。
「無理じゃないよ! ぼく、少しでも、君のために何かしたくて、それで……」
勢い込んで言ったものの、桃太郎の言葉は次第に小さくなっていきます。
うつむいて、こぼれた言葉は、頼りなく揺れていました。
「あの……もしかして、迷惑、だった? ぼくがここにきて、色々、するの……」
おじいさんとおばあさんの家は、あまり広くありません。
村に帰ってきた後、桃太郎以外は、それぞれに家を見つけ、暮らしだしました。
犬と雉と猿は、桃太郎の住むおじいさんとおばあさんの家の近くに。
青鬼は、村はずれの竹林の奥に小屋を建てて住むことにしました。
もっと近くにしなよ、と桃太郎がいくら言っても、青鬼はここがいいんだと言って譲りませんでした。
どんなに桃太郎たちが認めてくれていても、鬼の自分が村人たちにすぐに受け入れてもらえるとは思っていなかったのです。
その心配は確かに当たっていて、最初の頃は青鬼が村に暮らすことにいい顔をしない村人もいました。
だけど、今ではもう、青鬼が村に害をなす存在ではない事は、だれでも知っています。
それでも、青鬼は住処を移そうとはしませんでした。
「そんな事ない。桃太郎が来てくれるのは、とても、嬉しい」
「ほ、ホントに……?」
「ああ、本当だ」
顔をあげて、恐る恐る尋ねる桃太郎に、青鬼はしっかりとうなずきました。
それを見て、桃太郎は心からほっとしました。
「ねえ……だったら、どうして、村の中に越してこないの? もう、君を悪く思う村人はいないのに……」
そのほうがすぐに青鬼に会えていいのに、と桃太郎が思いながらそう言うと、青鬼はさっき離した桃太郎の指を再びつかんで、桃色の爪をぺろりと舐めて、答えました。
「村の中は……他人の目が、ウルサイ。牙や、佐助、羽丸も、しょっちゅう来るし……ふたりきりに、なれない」
桃太郎の手を頬に押し当てて、青鬼は目を細めました。
視線の先には、名前のように頬を色づかせた、桃太郎が映っています。
「桃太郎が、おれに会いに、ここまで来てくれる。おれのため、だけに」
それが、嬉しい。
残りの言葉を、青鬼は桃太郎の唇伝いにささやきます。
桃太郎の口の中は、ふしぎなことに、ほんのり甘く、桃のようにいい匂いがしました。
めでたしめでたし。
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