ありふれた言葉〜『073: 不思議な言葉』後日談〜


 もう夜遅いので、チャイムは鳴らさずに鍵を開けて家に入る。
 明かりがついたリビングをのぞくと、テーブルに突っ伏してひとみが寝ていた。
 
「こんなとこで寝てたら、風邪ひくぞ」

 肩をそっとゆすったら、ふにゃ、と面白可愛い声を出して目を開けた。
 まだ眠そうに眼をこすっている。

「兄貴……?」
「目ぇ覚めたか? ただいま」
「ん……、おかえりなさい」

 ふわっと、大学生にしてはあどけない表情で、俺を見て笑う。
 本人が意識していない時に見せるひとみの笑顔は、マジで食べちゃいたいくらいに可愛い。
 仕事であった嫌なことも、一日の疲れも、全部吹っ飛んでいく。
 吸い寄せられるように顔を近づけ、頬に手を添えてキスをした。
 軽くすませるつもりが、つい貪るように口づけてしまう。
 息のあがったひとみが、ドンドンと俺の胸を叩いた。

「ちょっ……、兄貴、しつこい!」

 顔を赤くして、ひとみが俺をにらむ。
 でも、唇は濡れて赤いし、瞳は潤んでるしで、ちっとも怖くない。
 むしろ、もっと、って感じ? まあ実行すると本気で拗ねるから、やらないけど。

「しょうがないだろ。飢えてんだよ。最近、仕事が忙しくて、全然ひとみといられないし」

 ひとみの大学入学にあわせて、俺たちは実家を出て、マンションで一緒に暮らし始めた。
 本当は俺が大学に入った時に家を出ようかと思いもしたのだが、それだとひとみと離れ離れになってしまう。
 だから、ひとみが高校を卒業するまで待ったのだ。
 家に帰ってもひとみがいない生活なんて想像もできないし、ひとみも俺がいなくなったら、寂しがるだろうから。
 俺が小学六年生の頃、修学旅行の一泊二日でいなかった時だって、ひとみは半ベソで、帰って来た時、俺にしがみついてたし。
 これを言うと、そんな小学生の時のことをいつまでも覚えておくなと怒られるのだが、あの時のひとみはそれはそれは可愛かった。
 しばらく、俺にべったりくっついて、どこに行くにも俺の後をついてきた。
 そんな俺のひとみを残して、家を出ていけるわけないだろう?
 俺が行くところには、必ずひとみもつれて行く。あの時、そう、決めたんだ。
 そして晴れて恋人同士になった今、俺はひとみ――俺の弟――と、一緒に暮らしている、というわけだ。

「ひとみも、俺とちっとも会えなくて、寂しかったんだろ?」
「べ、別に、オレは……。大学のレポートしてたら、遅くなって、ちょっと寝ちゃってただけだし!」

 言い訳するように早口で言ってるが、テーブルの上にはテキストも、レポート用紙も、筆記具も、何もない。
 ノートパソコンもないし、どう見ても大学のレポートをやっていたようには見えなかったが、あえて指摘しなかった。
 ひとみは寂しい時に寂しいと、素直に口に出せる性格ではないのだ。
 その代わり、態度で表わしてくるので何ら問題ないのだが、たまには言葉で言って欲しいと思ってしまう。
 俺に会えなくて、寂しかった、と。
 そうしたら、倍速で仕事して、速やかに帰ってくるのに―――実現可能かどうかは、置いておいて。

「それより、飯は? カレーでいいなら、オレの食った残りがまだ鍋に……」
「いや、残業前に軽く食ったから、飯はいいよ。風呂に入ろう」
「ごめん。湯船、空っぽなんだ。待ってて。今から、お湯、溜めてくる」
「それもいいから。お湯はシャワー使ってる間に溜めればいいんだし。風呂、入ろ」

 風呂場に向かうひとみの肩に腕をまわして、そのまま一緒について歩く。

「ひとみも、一緒に」

 にっこり笑ってつけ加えたら、ひとみは顔をしかめた。
 でもそれは、嫌だ、っていう意味じゃない。
 恥ずかしいけど、恥ずかしいと口にできない時の表情なのだ。
 だから俺は気にせずひとみと風呂場に直行する。
 脱衣所で俺が服を脱ぎ出すと、ひとみは観念したように自分も服を脱ぎ始めた。


 ボディーソープの泡を手のひらにたっぷりのせて体をなぞっていくと、くすぐったそうにひとみが身をよじった。

「んっ……、じ、自分の体洗えよっ、兄貴!」
「俺は後でいい」
「そうじゃなくて! オレは自分の体は自分で洗う、から……っ」

 わきの下をすくうように触ると、小さく体をふるわせた。
 ひとみは体毛が薄くて、どこを触ってもすべすべで気持ちいい。

「お兄ちゃんに遠慮するなって」

 わかっていて、俺はとぼけた返事をしながら、背中から抱きしめる格好で、腕を前にまわす。

「え、んりょ、なんか……っ、あっ………」

 ゆるい拘束は、振りほどこうと思えば簡単にできるはずだ。
 だけどひとみは抵抗なんてしない。たとえ口ではやめろ、と言ったとしても。
 無意識に背中を俺にあずけてきて、俺を見上げてくる。
 うるんだ瞳と、半開きになった唇。
 何も言わずとも、何を望んでいるのかなんて、すぐにわかった。

「んっ、ふ、あ……っ」

 唇を唇でふさぐと、甘い吐息がこぼれた。
 舌を絡ませながら、泡まみれの手をゆっくりと上から下に滑らしていく。
 ひとみの体がぴくんと揺れて、密着した俺の体に擦りつく。

「や、あたって……」

 思わずこぼれたと言ったひとみの言葉に、俺は耳元で囁いた。

「ね。挿れて、いい?」

 ひとみの体に、硬くなった俺自身を擦りつける。
 真っ赤になったひとみは、俺をにらみつけた。

「ダメって言っても、挿れるんだろ」
「それでも、ひとみに、いいって、言って欲しいんだよ」

 挿れてって。俺が欲しいって。俺がひとみを欲しがるのと同じくらい、ひとみも俺が欲しいんだって。
 ひとみの言葉で、ひとみの口から、聞きたいんだ。
 じっとひとみを見つめていたら、ひとみは赤い顔のまま、困ったように笑った。

「兄貴って、時々、こどもみたいだよな。やってることは、全然こどもじゃないけど……」

 顔を俺の肩に押しつけて、ひとみは小さな声で返事をした。
 挿れて、と。



「だからヤなんだよ……兄貴と風呂、入るの」

 湯船に一緒につかりながら、ひとみが恨めしげな声をあげた。
 マンションのユニットバスは、男二人が入るには少々狭く、必然的にぴったりくっついて浸かっている。
 俺の膝の上に、ひとみがのっている形だ。 

「すっごい、疲れた!」

 怒った口調の割には、腹に回した俺の手を弄ぶように握ったりなんかして、実は怒っていないのはすぐにわかる。
 だから俺は、後ろからひとみの頬にチュッとキスをして、言った。

「ごめん。無理させたな」
「別に……無理、じゃないけど……」

 こちらが素直に謝ると、とたんに居心地悪そうにするのが、ひとみの可愛いところだ。

「兄貴の方が、しんどくなかった? その、オレ、さっき結構、しがみついちゃったし、爪も立てちゃったかもだし……」

 しどろもどろになって言ってくるのが、もう本当にどうしようかってくらい、可愛い。
 生まれた時から知ってて、ずっと一緒にいるのにもかかわらず、ひとみは毎回可愛い一面を俺に披露してきて、俺を萌え死にさせそうとしてくる。どうしてくれよう。

「兄貴?」

 返事をしないでいたら、不安そうな声で尋ねられ、俺は堪らずぎゅっとひとみを抱きしめた。

「あ、兄貴、ちょ、苦し……っ!」
「あーもう! なんでお前はそんなに可愛いかな!?」
「なにそれ、意味わかんない!」

 お湯をバチャバチャさせて暴れるひとみを、腕の中に閉じ込めるように抱きしめる。

「ひとみ、大好きだよ」

 愛なのか、執着なのか。
 この気持ちが何なのか、今でも俺はよくわからない。
 実の弟に対して抱く感情としては、間違っているのかもしれない。それでも。

「大好きだよ、ひとみ」

 繰り返して言うと、ひとみは湯あたりのせいじゃなく赤い顔で、怒ったように、

「……知ってるよ、そんなの。だって、」

 オレも一緒だから、とぎゅっと俺に抱きつき返してきた。


Fin.

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