タイムリミット〜『073: 不思議な言葉』前日談〜


 夜10時。
 遠慮がちに俺の部屋のドアがノックされた。
 どうぞ、と声をかけると、ドアがうすく開いて、弟が顔をのぞかせた。

「兄貴、今、いい?」

 おくびょうなウサギのような姿に、俺は思わずくすっと笑ってから、いいよと答えた。
 弟はドアの隙間からさっと入ってくると、すぐさまドアを閉めた。
 それなのに、後ろ手にドアノブをつかんだまま、こっちにこようとしない。

「えっと、あの……」

 口の中でもごもごと言ってるだけで、用件が出てこない。
 もっとも、何を言いたいのか予想はついてるのだが、顔をうっすら染めてもじもじしている様子が大変可愛いのでしばらく堪能することにした。言ってみれば、ここからがすでに前戯って感じだろうか。
 しかしこのままだと、永遠に進みそうにないので、俺から口を開く。

「……したく、なったんだろ? いいよ。してあげるから、おいで」

 手招きすると、おくびょうなウサギはようやくこっちにやってきた。


 半分虚脱した弟を抱えたまま、俺はティッシュで手を拭いて丸めると、くずかごに放り投げた。
 綺麗な放物線を描いて、弟のもので汚れたそれは、くずかごの中に吸い込まれていった。
 見るともなしにそれを眺めていた弟は、振り返って、ぽつりと言った。

「……なあ、オレも、その……しようか?」

 目元をうっすら赤く染めて言う弟は、めちゃくちゃ可愛くて、そのまま押し倒したくなったが、ぐっとこらえて俺は首を振った。

「いいって。ひとみはそんなこと気にしなくていいから」
「でも……、いつも、オレがしてもらうばっかりだし。兄貴みたいにはできないかもしれないけど、オレだって……」

 抜いてもらうのがいつも自分ばかりなのを、さすがに気にしているのだろう。
 だが、「兄弟だったら、こんなこと普通」と言いくるめて、ひとみの自慰を積極的に手伝ってるのは俺の勝手、というか楽しみなんだし、それをひとみにもさせるのは、いくら俺でも良心が咎める。
 そりゃ、してもらえるものならしてもらいたいが、そんなことになったら、絶対それだけではすまない自信がある。危険だ。

「いいんだよ。兄が弟の面倒みるのは、当たり前なんだから」

 まあこんなことまで面倒みる兄は、俺くらいだろうけど、という言葉はもちろん心の中だけで呟く。
 わしゃわしゃっと柔らかい髪をかきまぜると、弟はやめろよ! と口では怒りながら顔は笑って、体をそらした。

「ほら。終わったんだから、とっとと自分の部屋に帰れ。高校生らしく、明日の予習でもしてから寝るんだな」
「えー。やだよ、テスト前でもないのに」
「そう言ってると、テスト前に泣く羽目になるぞ」
「その時は、兄貴が教えてよ」
「甘えるな、馬鹿」
「ちぇっ。兄貴のケチ!」

 他愛無い会話のやり取りの後、来たときとは違ってすっきりした顔で弟は部屋を出て行った。
 おやすみなさい、と俺に小さく手を振って。
 手をあげてそれにこたえて、ドアがパタンと閉まったのを確認してから、俺はベッドにばたりと倒れた。

「そろそろ、限界だな………」

 思う存分弟に触りたくて、適当なことを言って、今の状況に持ち込んだわけだが、それも3年も経てばいいかげん次のステップに進みたいと思うのは、無理ないと思う。
 思うが、だからって、どうやって次に進めばいいのか、今のところさっぱり見当がつかない。
 自慰を手伝うのは兄弟だからでごまかせても、さすがにセックスにもちこむのは兄弟だからじゃごまかされないだろう。
 そもそも、今の状況だって、ごまかされてくれているのが奇跡みたいなものだ。
 早々にばれて、何か言ってくるものと思っていたのに、3年経ってもその気配がないのは、どうかと思わなくもない。
 兄の言うことを素直に信じる可愛い弟なのは大変結構だが、こんなにだまされやすくて大丈夫だろうかと心配だ。
 心配だから、ひとみにはずっと、俺がついていてやらなくてはならない。
 ずっとそばで見守って、可愛がっていきたい。
 他の誰よりも、何よりも、好きだから。
 この気持ちが、ただの家族に向けるものとは違うと気付いたのは、いったいいつだったろうか。
 自分でもヤバイと思って、彼女を作ったこともある。
 でもなんか違って、もしかして女じゃ駄目なんだろうかと、男と付き合ったこともある。
 それでもやっぱり駄目だった。
 弟じゃない。
 ひとみじゃ、ない。
 そう思ってしまうのだ。
 それをわかって、それ以上付き合うこともできなくて、結局誰とも長続きしなかった。
 だから俺はもう、腹をくくっている。
 俺は弟しか、ひとみしか、好きになれないのだと。恋愛的な意味で。

「あ〜、やりてー……」

 心からの願望が、ため息とともに口からついて出る。
 オレもしようかとひとみが言った時、めまいがしそうだった。
 俺がひとみに触りたいと思うように、ひとみも俺を望んでいてくれてるんだと。
 そうじゃない。そういう意味で、ひとみは言ったんじゃない。
 わかっていても、心が震えるのは止められなかった。
 今みたいな、口先三寸で持ち込んだ関係じゃなくて、互いに望む形で、互いに触れたい。
 恋人のように触れたいんだと言ったら、弟はどうするだろうか。
 俺を拒絶する?

「………死ぬな」

 ひとみに嫌われたら、生きていけない。
 どうしてこんなに実の弟が欲しいんだろうと、自分でも怖くなるが、この気持ちを止めることなんてできない。
 だったら、今のままでもいいか……そうも、思うけど。

「いや、やっぱり、駄目だ」

 今のままでいて、ひとみが、いつか、俺以外の誰かと付き合うことになったりしたら。
 想像だけで、目の奥が真っ赤に染まっていく。
 腕の中で、ひとみがどんなふうにとろけて、艶めいた声を出すのか、俺はもう知っているのに、他の誰かもそれを知ることになるなんて、堪えられない。

「なんとか、しないとな……」

 俺が思うように弟が俺のことを好きじゃなくても。
 俺はもう弟を手放せない。
 だったら――――。

「俺のことを、好きにさせるまでだな」

 口に出して、決意する。
 本人の自覚は薄いが、すでに相当のブラコンであることは事実なのだから、それを恋愛方向に持っていかせればいいだけだ。
 なんだかんだで、弟は俺の言うことは素直にきいてしまうタチなのだ。
 お前も俺を好きなんだと、言い含めれば、おそらくそういう風に思うようになる、はず。
 ならないのなら、させてみせる。
 なんたって、同じ家に住んでいるのだから、機会はいくらだってある。
 覚悟しとけよ、ひとみ――――。


 弟との関係を次に進めるべく、決意を新たにした俺だったが、作戦を立てる間もなく、この後、機会はあっさりと転がり込んできた。
 3年間の――重ねて言うが、今までバレなかったのが奇跡だ――嘘がバレて怒った弟に、何の言い訳もごまかしもせずに、そのまま本音を告げると、ひとみは戸惑った様子を見せたが、結局は俺を受け入れた。俺が望む最高の形で。

「なんか騙された気がする……」

 不服そうにつぶやく弟に、俺はついばむように口づけた。

「いいんだよ、それで。ひとみを騙していいのは、俺だけなんだから」

 だからずっと、騙されてろよ―――そう続けたら、なんだよそれ、と俺の可愛い弟は、困ったような顔で笑った。


Fin.

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