恋チョコ。


 ガラガラの図書室でため息をついたら、意外と大きく響いて、僕は思わず口に手を当てた。
 机の上で頬杖をついて、取りだした薄くて長方形の、赤い箱を睨む。
 なんでこんなの、買っちゃったかなあ……。

 ―――あなたの想いは、きっと届く。
 
 別に、スーパーのチョコ売り場のあおり文句につられたわけじゃ、ないんだけど。
 気がついたら、レジに持って行っていた。
 いっそ、自分で食べても、いいんだけど、さ……。
 壁に掛けられていた、時計をちらっと見る。
 もう、そろそろだ。
 僕は席を立つと、広げていた本を書棚に戻して、図書室を後にした。


「あれ? 今、帰り?」

 校門に向かって歩いていたら、後ろから、声をかけられた。
 そのことに、僕は、ちょっとほっとして、立ち止った。
 どうしようかって、迷ったんだ。
 いっそ部室のある棟の近くまで、行こうかって。
 でも、なんでわざわざ、迎えに来たのかって、言われたらって……。
 そこまでの、勇気と言うか覚悟は、もてなかったから。
 ここですれ違った時は、潔く、自分で食べてしまえばいい。
 図書室で、時間まで潰しておいたくせに、土壇場になって、僕は賭けに出たのだった。

「ああ、うん」
「そっかー。俺も今、部活、終わったとこ。一緒に帰ろうぜ」
「うん」

 そんな僕の思惑なんて、もちろん、彼が気付くはずもなく、屈託なく誘われて、肩を並べて歩き出した。
 隣を歩く彼を、そっと、うかがう。
 僕より、5センチくらい高いところにある顔は、いつもと変わらず、楽しそうだ。
 これなら……今なら、いけるかも。
 たぶん、きっと、彼なら、何でもない事のように、笑って、受け取ってくれる。
 そう思うのに、僕の意思とは関わりなく、心臓はバクバクといいはじめて、手が震えそうになる。
 こんな、いかにも緊張してます、ってんじゃ、絶対、変に思われる。
 普通に、普通に……。
 そう、呪文のように唱えながら。

「……やる」

 勢い余って、ずい、と突きだされたそれに、彼は目を丸くした。
 赤い紙でラッピングされた箱と、僕の顔を、交互に眺めている。

「アリガトウ」

 彼は、何故か片言のように礼を言うと、受け取って、

「……で?」

 と、尋ねた。
 心底、不思議そうな顔をしている。
 僕は、何でもない顔を装う事に失敗して、つい不機嫌そうにも聞こえる声で、

「チョコレートだよ」

 と、答えた。
 すると、彼は、ああ、わかった、という顔をした。
 そこで僕は、よせばいいのに、

「言っとくけど、別に、深い意味はないからな!」

 と、念押ししてしまって、

「深い意味って?」

 と、問い返されてしまった。
 ほんと、僕は馬鹿だ……。
 彼は、僕が何か言い訳する前に、ぽんっと手を打った。

「バレンタインか」

 そして納得したように、

「ああ、それで、チョコか」

 と、うなずいている。
 さすがに、今日がバレンタインデーなことは、イベントごとに疎い彼でも、覚えていたらしい。
 まあ、今日は一日、学校中、浮かれてたから。
 大袋入りのチョコを、クラスのほぼ全員の男子に配ってた女子もいたし。
 とりあえず僕は、チョコレートを渡す、という、今日一日の懸念事項を無事遂行で来て、ホッとしていた。
 なので、何やら考え事をしている彼を置いて、さっさと歩きだした。

「おーい! 待てってば……!」

 彼は慌てて、僕の後を追いかけた。
 僕は彼の声に立ち止ると、彼が横に並ぶのを待って、再び歩き出した。

「チョコ、ありがとうな」

 彼は改めて、礼を言った。
 僕はどういう顔をしていいのか分からなくて、ふいっと顔を反らした。
 そして、自分でもどこか言い訳がましいと思いながらも、つけたした。

「……ついでだ。今の時期は、チョコがたくさん売ってるから。自分用に買って、余ったヤツだ」
「そうか、でも、ありがと。俺、甘いの好きだから、嬉しいよ」
「そうか」
「うん」
「………」
「………」

 会話が、途切れる。
 いつもはそんなに気にならない沈黙が重たいのは、何故だろう。
 慣れない事なんか、するんじゃなかったかな……。

「ホントに、ついでだからな!」
「……、う、うん」

 だから思わず、言わなくてもいい事を言ってしまう。
 ヤバイ。
 もしかして、引かれた?

「ほら、最近は、友チョコ、とか言って。友達にチョコやったりするだろ」
「ああ、そういや、女子がお互いで交換してたっけ」

 焦って、何か言わなくちゃと思って、思いついた事を言うと、彼はあっさっりとうなずいた。

「だから……そういうんで………別に、意味は………っ」
 
 そこでやめとけばいいのに、沈黙が怖くて、言わなくてもいい言葉を重ねてしまう。
 ああもう、なんか、顔まで、熱くなってきた……、どうしよう。
  
「ああ、これも、友チョコってやつか」
「そうだよっ!」

 完全にテンパってる僕の事をどう思ってるのか、彼はいつもと変わらないように気楽に会話を続けてくる。

「でも、ごめん。俺、お返しの友チョコ、持ってないや」
「いいよ、そんなの」
「あ、じゃあ、ホワイトデーに、友チョコ……じゃないよな、友クッキー? 友キャンディー? やるから」
「だから、いいって、別に」
「えー、んんー、それじゃ、さ」

 彼は、手にしたままだったチョコレートの包みを開けると、パキンとふたつに割った。

「じゃあさ、はんぶんこにしたから、一緒に食おうぜ」

 そして、半分を、僕に渡した。
 彼は残りの半分を、一口かじって、にこっと笑う。

「あま〜い。美味いよ?」
「……そりゃ、メーカー品のチョコだからな」

 受け取った半分のチョコを、僕も一口かじる。

「……甘いな」
「俺たちの友情の甘さだな!」

 彼は、僕を見て、嬉しそうに笑った。
 僕はその笑顔に、ちょっと見惚れて、慌てて顔を反らした。

「ばーか……」

 友情なんかじゃないんだよ、ばか。
 だけどもちろん、そんなこと、口にできるわけはなくて。
 僕は火照りそうになる顔が、冷たい2月の風で、早く冷めますように、と思っていた。


Happy Sweet Valentine Day !!

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