夏祭りの約束
「ねえ、君、ひとりなの? だったら、僕と一緒に見てまわらない?」
知らない声に呼びかけられて、ぼくは振り返った。
そこには、ぼくとよく似た年頃の、ぼくとよく似た紺色の浴衣を着た、見なれない少年が立っていた。
夏祭りは、近所に住む幼なじみの俊介と行くはずだった。
近所のお宮で行われる小さな夏祭りに、俊介と行くのは、夏の恒例行事だった。
それなのに俊介のバカは、季節外れの風邪なんか引いて、今年は一緒に行けなくなってしまった。
この辺に年の近い友人は俊介だけだし、わざわざ他の、学校の友人を誘ってまで行くような祭りでもない。
だから、今年はパスしてもよかったんだけど、俊介のヤツが、『見舞いに、りんご飴を買ってきて』と言うものだから、ぼくはひとりで夏祭りに行く羽目になってしまった。
ちょっと行って、お参りして、焼きそばでも食べて、俊介に頼まれたりんご飴を買って、帰ってくるだけ。
そのつもりだったから、もちろん、普段着の、Tシャツとハーフパンツあたりで行くつもりだった。
なのに、お母さんが、『せっかく夏まつりに行くのなら、これを着て行きなさい』と、タンスの奥から紺色の浴衣を取り出してきた。
そんなのめんどくさいし、ひとりで行くのに浴衣何て着て行くのは、変にはりきりすぎてるみたいで、嫌だって言ったんだけど、いつものようにお母さんは、そんなぼくの意見なんてお構いなしで、浴衣を着つけてしまった。
その紺色の浴衣は、ぼくにぴったりだった。
でも、そんな浴衣は、今まで見たことがない。『お父さんの?』と聞いてみたら、お母さんは、違うと言った。
じゃあ誰のだろう、と思ったんだけど、『早くいかないと、遅くなるわよ』とお母さんにせかされて、それ以上は聞かずに、ぼくは家を出た。
お母さんは、浴衣に合わせて、どこからか下駄まで出してくれた。
たしかに、浴衣にスニーカーじゃ、様にならないけど、履きなれない下駄は、ちょっと歩きにくい。
カラン、コロン、と歩くたびに音が鳴るのは、面白かったけど。
普段、ほとんど人気のないその小さなお宮には、人がいっぱいいた。
……って言っても、ほとんどが子供で、大人はその付きそい、みたいな感じだ。
たぶん、あと数年したら、ぼくも俊介も、小さい頃はとても楽しみにしていたこの夏祭りに、行かなくなるんだろうな。
いや、俊介は、りんご飴だのベビーカステラだののために、案外、大人になってからも、来るかもしれない。
そしてまずまちがいなく、ぼくはそれに付き合わされるのだろう。
ひとりできても、つまらない、と思っていた夏祭りは、実際に来てみれば、ひとりでもそれなりには楽しめた。
にぎやかな雰囲気の中を歩いているだけでも、心は浮き立つものだ。
………隣に、だれもいないのは、やっぱり、ほんの少し、さびしかったけれども。
声をかけられたのは、ぼくがそんなことを思っていた時だった。
だから、ぼくは、そいつがぼくの心を読んだのかと思って、びっくりした。
「ナンパ?」
なので、ちょっと気まずくなって、ぼくはわざとそんな、的外れなことを言った。
するとそいつは、あっさりと頷いた。
「うん。そんなもの……かな。ダメ?」
「ダメって……」
悪びれずに問い返されて、ぼくは戸惑った。
なんだ、コイツ? あぶないヤツか!?
思いっきり、うろんげな眼差しを向けてしまった。
「今日、一緒に祭りに行くはずだった友達が、夏風邪をひいて寝込んじゃったんだ。それで、僕ひとりで来たんだけど、ひとりで見てまわっても、つまらなくてさ」
だけど彼は、そんなぼくの、ちょっとヒキ気味の態度には頓着せずに、声をかけてきた理由をあっさりと言った。
「へえ……。おんなじだ、ぼくと。ぼくも、本当は幼なじみと一緒にくるハズだったんだけど、あのバカ、今頃風邪なんか引いてさ。だから、来ないつもりだったのに、見舞いにりんご飴買ってこいとか言われて、仕方なく」
さっきまであぶないヤツ扱いしていてなんだけど、急に親近感がわいてきた。
「はは。奇遇だね。僕もそうだよ。見舞いには、金魚を釣ってきて、って言われた」
こんな小さなお祭りに、同じ理由で、ひとりで来ているヤツがいるなんて。
面白い偶然もあったものだ、と思ったぼくは、誘われるまま、彼と一緒に祭りを見て回ることにした。
「見ない顔だけど、この辺の子?」
ここは都会と違って、ほとんどの子が、地元の学校に行く。
その学校は、統廃合されて1つになった学校だから、結構広範囲から通ってくることになる。
だから、同じ年頃のヤツなら、大体顔と名前が一致するんだけど、そいつは、ぼくの知らない顔だった。
「……いいや。僕は、親戚の家に遊びに来てるんだ」
なんだ。
やっぱり、この辺の子じゃないのか。
「じゃあ、その祭りに一緒に来るハズだった子も、親戚の子?」
「いや、彼は地元の子。親戚の家に遊びに来るようになって、仲良くなったんだ」
彼は、そう言って、嬉しそうに笑った。
きっと、すごく仲がいいんだろうな。
その子の代わりに、金魚を釣ってくる約束をするくらいには。
「そいつとは、休みの時くらいにしか会えないから……。ああでも、文通、してるんだよ」
「へえ、文通……」
いまどき、文通ってめずらしいなあ。
もしかして、ケータイもってないのかな?
家が厳しいとか、家の方針とかで、ケータイもってないヤツって、たまにいるもんな。
「あ。射的、やってる。僕、結構、得意なんだ。やらない?」
「うーん。ぼくはあんまり……」
「そうなの? じゃあ、君の分までやってあげる」
彼は射的屋に駆けよると、おじさんに小銭を渡して、銃を受け取った。
構えて、引き金を引く。
パン、と小気味いい音がして、標的の景品が倒れた。
おお、すごい。
得意って言うだけは、あるな。
「はい。あげる」
「え、いいよ」
「いいって。好きだろ、うさぎ」
彼は、にっこり笑って、景品のうさぎのぬいぐるみを、ぼくに向かって突きだした。
そりゃ、うさぎは好きだけど……。
「ぼくは、うさぎは好きだけど、別にうさぎのぬいぐるみが好きってわけじゃ……」
「あれ? そうなの。まあ、いいじゃない。似合うよ」
「うさぎのぬいぐるみが似合うって言われても、あんまり嬉しくない」
「あははは……」
顔をしかめるぼくに、彼は笑って、うさぎのぬいぐるみを押し付けてきた。
まあ、いいか。
この祭りに、クラスの連中が来てるわけじゃないしな。
それに、よく見ると、このうさぎのぬいぐるみ、結構かわいいし。
あれ?
でもどうして、ぼくがうさぎを好きなこと、知ってたんだろう……?
「ほら、あっちにりんご飴が売ってるよ!」
不思議に思ったが、先に歩きだした彼がそう言ってぼくを呼んだので、結局そのことは尋ねなかった。
まあ、うさぎをキライ、って言う人間の方が少ないしな。
俊介だって、ぼくの家に来るときには、ぼくが飼っているうさぎのために、キャベツの切れっぱしや、たんぽぽの葉っぱを摘んで持ってくるくらいだからな。
ぼくへの土産なんて、持ってきたためしはないのに。
そのくらい、うさぎってのは、誰にとっても、かわいいものだからな……。
「あとは、金魚を釣っていけば、おしまいだな」
「うん」
あれから、俊介への土産のりんご飴を買い、焼きそばを食べ、わたがしを食べ、かき氷を食べた。
ここに来た当初の予想とは違い、ぼくは夏祭りを十分に満喫していた。
やっぱり、ひとりより、ふたりなのが、よかったんだろう。
それに、彼とは今日はじめて会ったのに、ふしぎなくらい、気があった。
まるで、昔からの友達みたいに……。
約束の日に風邪ひいちゃうような、まのぬけた友達がいるっていう、共通点があるからかな?
子供があふれていた境内も、時間が遅くなってきたため、少しずつ、ひとけが減ってきていた。
金魚釣りは、一番奥まったところにあった。
「おじさん、1回分、お願い」
「あいよ」
「君は?」
「いや、ぼくはいい」
「あはは、射的だけじゃなくて、金魚釣りも、苦手」
「……そうだよ」
癪だけど、事実なのだからしょうがない。
ぼくがやっても、すぐに紙がやぶれてしまって、小銭を無駄にするだけだ。
俊介は、こういうの、ぼくと違って、割と得意なんだけどなあ……。
小銭を払って、金魚を釣るための、ホイを受け取った彼は、おわんを片手に、金魚を釣り始めた。
「あ……! 逃げられた!」
「うん。でも今の、惜しかったな」
一度はたしかにホイに乗った金魚は、おわんに入れる直前に、つるりと逃げてしまった。
だけどまだ、紙は破れていない。
「今度は、慎重に……。えいっ!」
素早くホイを動かして金魚をすくうと、おわんに放り込んだ。
隣で見守っていたぼくは、思わず歓声をあげた。
「やった!」
「あと、もう一匹……。とうっ!」
赤い金魚の隣に、もう一匹、黒い金魚が踊り込んだ。
「ほう、坊主。中々、上手いもんじゃないか」
おじさんが、感心したように声をあげた。
それに彼は、ちょっと笑ってから、またホイを動かした。
……が、あえなく、3匹目をすくう前に、紙が破れてしまった。
「残念だったな。でも、筋は悪くなかったぞ」
そう言って、おじさんは、2匹の金魚を、ビニール袋に入れて、紐でしばって彼に渡した。
透明な袋の中で、2匹の金魚が、くるくると泳いでいる。
ぼくらは、おじさんに手を振って、その場を後にした。
「さて、そろそろ、帰るか」
りんご飴が、ちゃんと右手にあるのを確認してから、ぼくは言った。(反対の手には、うさぎのういぐるみがある)
「そうだね……」
彼は、金魚の入ったビニール袋を目の高さに持ち上げて、眺めながら頷いた。
はしゃぎ疲れてしまったのか、幼稚園児くらいの子どもが、父親の背中に負ぶわれて気持ち良さそうに眠っている。
他のひとたちも、ぼちぼち、帰路につき始めているようだ。
ぼくらも、その人波に乗って、歩き出した。
お宮の入口の、鳥居のところに来て、彼は立ち止った。
「ねえ。お願いがあるんだけど、いいかな」
「いいけど、何……」
「これ」
彼は、2匹の金魚の入ったビニール袋を、ぼくに向けてから、続けた。
「これを、宮木に渡して欲しいんだ。約束の金魚。遅くなって、ゴメン、って」
「え、宮木? お前の友達って、宮木だったの!?」
宮木ってのは、俊介の名字だ。
この辺で、ぼくらくらいの年の宮木って言ったら、俊介しかいない。
「本当は、自分で渡したかったんだけど。ごめんね、もう、時間がないんだ」
彼は、すまなさそうにそう言うと、りんご飴を握っていた手に、金魚のビニール袋の紐を持たせると、走って行った。
「えっ!? おい、待てよ……っ!」
急いで叫んだが、彼の背中は、祭りから帰って行く人波にまぎれて、すぐに見えなくなってしまった。
りんご飴と、うさぎのぬいぐるみと、金魚の入ったビニール袋を持ったぼくは、追いかけることも出来ずに、ただその場に立ちつくしていた。
翌日。
頼まれたからには仕方ない、というか、元々りんご飴を持って見舞いに行く予定だったので、ぼくは、りんご飴と金魚を持って、俊介の家に行った。
「お邪魔します」
「やあ、深幸くん。久しぶりだね」
「あ、こんにちは、亮介兄ちゃん」
俊介の家に行くと、すでに家を出て県外で働いている、俊介の年の離れた兄弟の、亮介兄ちゃんが、リビングから顔を出した。
続けて、俊介の顔がのぞく。
「よう、深幸」
「俊介。寝てなくていいのか?」
「いつまでも寝てられるかよ。それより、りんご飴は?」
「ったく、現金なヤツだな。ほら」
「サンキュー」
俊介は、ほくほくした顔でりんご飴を受け取ると、さっそく食べ始めた。
あんな毒々しい色のりんご、よく食べる気になるなあ……とぼくは思うのだが、俊介いわく、そこがいいのだと言う。
「それと、頼まれた金魚も」
「金魚? 何それ」
りんご飴から口を離して、俊介は首をかしげた。
「何って、ほら……あっ!」
「何だよ?」
「名前聞くの忘れた……」
「だから、何の話」
「いや、何って、俊介、お前、ぼくくらいの年の……名前聞き忘れちゃったんだけど、男に、金魚釣り、頼んだんだろ」
「ええー? いや、頼んでないけど」
俊介は、ますます不思議そうに首をかしげる。
どうなってるんだ?
うかつにも、彼の名前は聞き忘れたけど、宮木に渡して欲しい、ってのはちゃんと聞いたぞ。
「ホントに知らないのか? ぼく、昨夜、ぼくと同じ理由……、風邪引いて寝込んだ友人と一緒に来るはずだった、て言う、ぼくと同い年くらいのヤツと祭りを見てまわったんだけど。そんで、そいつが、宮木に金魚を渡して欲しいって。約束の金魚。遅くなってゴメン、って」
「ぜんっぜん、知らない。名前、聞き間違えたんじゃないのか?」
「そうなのかな……」
はっきり、宮木、って言ったと思うんだけどなあ……。
その時、キッチンで冷たいお茶を3人分、ガラスのコップに注いでお盆で運んでいた、亮介兄ちゃんがリビングに戻ってきた。
お盆を、テーブルに置いてから、言った。
「それ……。たぶん、俺のことだ」
「えっ?」
ぼくは、おどろいて、亮介兄ちゃんを見た。
「あいつ……。バカだなあ。そんなこと、気にしなくて良かったのに」
亮介兄ちゃんは、金魚を見て、一瞬、なんだか泣きそうな顔で、笑った。
「……でも、ありがとう、深幸くん」
亮介兄ちゃんは、僕に礼を言って、金魚を受け取った。
目の高さまで金魚を持ち上げて、大事そうに見つめる。
結局お茶は飲まないまま、亮介兄ちゃんはそのままリビングを出て行った。
「……亮介兄ちゃんも、風邪、引いてたのか?」
「いや。ぴんぴんしてたよ」
「ふうん……」
一体、どういうことだろう?
昨夜の彼は、どう見てもぼくと変わらない年だった。
亮介兄ちゃんの友人と言うには、年が離れすぎていると思うんだけど……。
「なあ、それよりさあ、知ってるか? 2組の小林! ウチのクラスの三河とこないだ出来たショッピングモールでデートしたの、見たヤツがいるって!」
「ええっ! マジかよ!」
「マジマジ!」
だけど、俊介がすぐに、衝撃的な話題を振ってきたので、その時感じたささやかな疑問はすぐにどこかに行ってしまった。
ぼくには年の離れた従兄がいて、あの紺色の浴衣は、若くして事故死したその従兄の形見だと聞いたのは、その夏の終わりのころだった。
その従兄は、昨年亡くなった、同居していた祖母に会いに、ぼくの家によく遊びに来ていたそうだ。
従兄が会いたかったのは、きっと、祖母だけではなかったんだろう――――。
終わり。
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