罰ゲーム


「好きだ。俺と付き合って下さい」

 来たな、と思った。
 放課後の図書室、閲覧室の一番奥。
 先週テストが終わったばかりのせいもあって、僕以外の姿はない。
 ふっと影がさして、見上げたらそこにはクラスメイトの倉狩がいた。
 僕は眼鏡のブリッジを右手の人差指で軽く押し上げ、落ち着いて答えた。

「いいよ」

 倉狩は驚いたように目を見張った。
 そりゃそうだろう。
 まさか、僕がイエスと言うなんて、思ってなかったはずだ。
 だってこれは、『罰ゲーム』なのだから。


 ペンケースを忘れていたことに気付いて、僕は鞄を閲覧室に置いたまま教室に戻った。
 帰りのHRが終わって、もう30分近く経っていて、教室にはほとんど人が残っていなかった。
 開いていたドアから中に入ろうとした僕は、思わず足を止めた。

「あーっ、もう、マジウザイ。つかお前、ヤバイって。よし、決めた!」
「は? 何、決めたって?」
「このゲームに……ったら、お前、辻岡に告ってこい。決まり」
「は……ああっ!? 安国、おま、何言ってんの!?」
「ああ、それいいね。なんかもうイライラするし。決まり決まり!」
「じゃあカード配りまーす」
「ちょ、何勝手に!」
「2対1で、多数決で決まりました」
「異論は認められませんー」

 そこにいたのは、倉狩、安国、佐橋の3人。
 物好きにも教室に残って、彼らは何故かトランプをやっているようだった。
 それだけだったら、僕が教室に入るのにためらいはしなかっただろう。
 罰ゲームに告ってくる相手の『辻岡』が、僕でさえなかったら。
 僕はペンケースを取ってくるのを諦めて、気付かれないようにそっとその場を離れた。
 図書室に戻って、一度はそのまま帰ってしまおうかと思った。
 でも、止めた。
 僕が放課後に残って図書室にいることは、別に秘密でも何でもない。
 クラスメイトなら知っているヤツも多いだろう。
 図書室の常連はクラスで自分だけではないし。
 それなら、今日僕が図書室にいなくても、明日改めてくるかもしれない。
 それ以前に、勝敗によっては来ないかもしれない。
 不確定要素のために、僕は自分の都合を変えたくなかった。
 第一、癪だった。
 向こうはちょっとした、趣味の悪い罰ゲームのつもりなんだろう。
 だけど何故、それに僕が付き合わされなければならないんだ。
 腹が立つ。人のことを何だと思っているんだ。
 それなら僕だって、やってやろうじゃないか。
 動揺なんて欠片も見せずに、「うん」と言ってやろう。
 そして慌てふためく倉狩の顔を見て、笑ってやるんだ。
 

 ――――と、そういう予定のはず、だったんだけど。
 驚いて僕を見た倉狩が、次に口にした言葉は、僕の予想外のものだった。

「マジで! いいの!? うわ、ヤベー、どうしよう……すげー、嬉しい」

 は?
 今度は僕が目を丸くする番だった。
 あれ? 今の、僕の聞き間違い?
 嬉しいって、何が?

「あ、あの……」

 戸惑う僕をよそに、倉狩はさらに続けた。

「マジ、オッケーもらえるなんて思ってなかった……ありがとう、辻岡」

 気がついたら倉狩は隣の席に座ってて、ぽかんとする僕の手を握りしめていた。
 何これ、どういう展開……!?

「ちょ、待って、倉狩。これって、罰ゲームなんじゃ……」

 至近距離から見つめられて――顔近すぎっ!――わずかに身を引いて、僕は尋ねた。
 手を握りしめたまま、倉狩は不思議そうに目を瞬いた。

「罰ゲーム?」
「だって、さっき教室で。安国たちと話してただろ。トランプで負けたら、罰ゲームで僕に告ってこいって」
「え、嘘、聞いてたのか!? うわー、カッコ悪い……。罰ゲームなんかじゃねえよ。あれはそういうんじゃなくて……発破かけられたんだよ。俺が勝ったら、辻岡に告って来いって」

 勝ったら……。
 そう言えば、その辺はよく聞き取れなかったんだけど、会話の流れ的に「負けたら」だと思い込んでいた。
 あれ、それじゃ、罰ゲームじゃない……?
 倉狩は僕の手は離さずに、うつむいて視線を反らした。

「あいつら、俺が辻岡のこと好きって知ってるから。いつまでもうじうじ見てるだけくらいなら、さっさと告ってとっとと玉砕してこい、とか言われて、それで……」

 だんだん小さくなっていく言葉とは反比例するように、倉狩の顔が赤くなっていく。
 つられて、僕の顔までなんだか熱くなっていく。
 握られた手も、熱い。

「………嫌われてるんだと、思ってた」

 倉狩の手を見ながら、僕はぽつりとつぶやいた。
 ずっと、倉狩からは嫌われていると思ってた。
 だから、罰ゲームの対象に、僕がなったんだと思った。

「嫌ってなんかねえよ!」

 倉狩は勢いよく顔をあげると、叫んだ。
 手をぎゅっと強く握られる。

「痛い、手……」
「あ、ごめん」

 倉狩はそう言って力を緩め、でもやっぱり手は離さずに、逆に繋がった手を引き寄せた。
 その分、また、顔が近づく。
 僕はどぎまぎしながら、言った。

「で、でも、倉狩、いつも僕のこと睨むし、話しても無愛想だし……」

 安国たちとは気安げに話して、笑っているのに。
 僕と話す時は、なんかいつも怒ってるみたいだった。
 だからてっきり、嫌われてるんだろうと思ってた。

「そ、それは……辻岡の前だと、緊張してうまく、しゃべれなくて……。それに、睨んでたんじゃなくて、見てただけだ。俺、視力悪いし」
「目、悪いの? だったら、眼鏡か、コンタクトすればいいのに」
「眼鏡は持ってるけど、あんまかけたくない。あいつら、笑うし。インテリヤクザみてえとか言って……」
「インテリヤクザって……」

 眼鏡をかけた倉狩を、想像してみた。
 確かに、言い得て妙だ。
 どちらかと言うと精悍な顔立ちをしている倉狩が眼鏡をかけたら、僕なんかじゃ到底出せないような貫禄を醸しそうだ。
 でも……。

「カッコいいと思うよ、眼鏡かけた倉狩。見てみたいな、僕」

 きっと今より大人っぽくなって、いいと思う。

「そ、そうか……?」
「うん……」

 照れたように問われ、僕も照れながらうなずいた。
 そのまま、お互い黙って見つめ合う。
 静寂を破ったのは、図書委員の声だった。

「そろそろ閉めますので、そこの青春してる2人は退室してくださーい。あと、今日は他に誰もいませんでしたが、ここ、図書室なんで、私語は控えめにお願いしまーす」

 そうだった。
 あまりに静かだったから忘れていたけど、他に利用者はいなくても、図書委員は最初からずっといたんだよ!
 僕は急いで机の上の本を鞄の中にしまうと、席を立った。
 カウンターの前で、ぺこりと頭を下げた。

「すみません、以後、気をつけます……」

 後ろからついてきた倉狩は、図書委員に向かって人差し指を立てた。

「他言無用な、野村」
「その代わり今度何か奢れよー。つか、てっきり今夜は佐橋らと一緒に失恋宴会かと期待してたのに」
「おーまーえーなー!」
「ははっ、いいじゃん、オッケーだったんだから。あ、じゃあ今夜は告白成就宴会だな。お前の奢りで」
「誰がするか!」

 そうだった、野村もクラスは違うけど倉狩たちと仲いいんだった。
 事情を知ってるヤツが図書委員で、よかったのか悪かったのか……。
 野村は僕に向かってにこっと笑うと、親指を立てた。

「倉狩のこと、よろしくな、辻岡」
「あ……、うん」

 うなずくと、倉狩が隣で牙をむくように突っ込んだ。

「だから何でお前がそれを言う!」
「だって、トモダチじゃんー。ほら、いいから早く帰れよ。閉めらんないだろ」

 ほらほら、と追い立てられるように、僕たちは図書室を後にした。
 すっかり人気のなくなった廊下を、ふたり並んで歩く。
 閲覧室の椅子から立ち上がった時に一度離れた手は、再び繋がれていた。
 ちょっと恥ずかしいけど……誰もいないから、いいか。

「あのさ……もういっぺん、確認するけど。付き合って、くれるんだよな……?」

 不安そうな顔で、問われる。
 それはどう見ても、罰ゲームで口にしているようには見えなかった。

「うん……いいよ」

 本当はずっと、うらやましかったんだ。
 倉狩と楽しそうにしゃべってる、安国たちが。
 告白が罰ゲームだって思って、あんなに腹が立ったのは……悲しかったからだ。
 そこまで嫌われてるのかと思って、悔しくて、悲しかった。

「僕も、倉狩が好きだよ」

 言葉にしてようやく、僕は自分の気持ちを知った。
 僕も君に笑って……笑いかけて、欲しかったんだ。

「だから、嬉しい」

 言葉と共に、自然と笑みがこぼれた。
 倉狩はそんな僕を見て、かすかに目を見張って、それから、

「俺も……」

 初めて僕に、はにかむように、微笑んでくれた。


Fin.


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