ジャック・オ・ランタンと歪な奇跡


「笑えない冗談言ってんじゃねーって」

 茶化すように言った後、なにをしゃべったのかよく覚えていない。
 クラスの噂話とか、見たい映画の話とか、たぶんそんなことだ。
 だって、これが最後になるんて思ってなかったから――――。
 
 

 郊外の大型店舗に客足を取られシャッター通りと化していた駅前東商店街は、少しでも活気を取り戻そうと、ここ最近ちょくちょくイベントめいたものをやっている。
 10月下旬に行われるハロウィンウィークもそのひとつだ。
 商店街のあちこちに、わかりやすくソレっぽいカボチャやオバケの飾りつけがされ、いつもより多少華やいだ雰囲気を醸し出している。
 ハロウィンウィーク開催中に商店街で買い物をすると、カボチャのイラストが入ったくじ付きのキャンディがもらえ、ハロウィン当日の10月31日に抽選が行われ、景品がもらえる。
 と言っても、もらえるのは海外旅行だの液晶テレビだのそんな豪華商品はなく、一等賞品は商店街唯一の和菓子屋が用意した栗ようかんだ。
 ちなみに駅前東商店街には洋菓子店はない。昔はあったが、高齢の店主が店を畳んでからは、菓子屋は和菓子屋一軒のみになった。(その代わり、パン屋がささやかにケーキも売っている)
 なんで栗ようかんなんだと思わなくもないが、本家ハロウィンだってアイルランドからアメリカに伝播した時にカブがカボチャになったってどっかで聞いたし、だったらそれが栗になったって問題ないのだろう。まあ実際のところは、単純に和菓子屋の名物が栗ようかんだからってだけなんだろうけど。
 そんなわけで俺は10月最終日の今日、駅前東商店街にハロウィン仕様なカボチャランタンのイラストとくじの番号が包みに描かれたキャンディを手にやって来ていた。
 一昨日、特売のトイレットペーパーを母親に頼まれて買いにきた時にキャンディをもらったのだ。
 せっかくなので当落くらいは確認しておこうか、というわけで。
 栗ようかんも、まあ大好物ってわけじゃないけど嫌いでもないし、高校一年生帰宅部の俺はどうせ暇だ。
 暇だと、考えたくもないことをいつまでも考えてしまいそうになる。だから、ちょっとした気分転換も兼ねていた。
 商店街の一角に設けられたスペースで、抽選は行われていた。
 ベニヤっぽい板に、当選番号の書かれた白い紙が貼られている。周囲にはこれでもかとカボチャのイラストがちりばめられていた。
 賞品はカボチャじゃなくて栗なんだから栗の絵もついでに描いとけばいいのに、なんてことを考えながら俺はキャンディの包み紙を確認してから、ベニヤ板を見上げた。

「えーと、番号は……」

 その時。
 急に突風が吹いて、俺が手にしていたキャンディが飛んでいった。
 勢いよく投げ飛ばしでもしたかのように、商店街のわき道に吸い込まれていく。

「おい、ちょっ、待てっ!!」

 思わず叫ぶも、キャンディが俺の言うことを聞いてくれるはずもない。
 俺は舌打ちして、キャンディの後を追いかけた。


 商店街には何度も来たことがあるが、このわき道を通ったことはそういえばなかった。
 周囲はいかにも店の裏側といった感じでそっけなく、人通りもない。細い路地が、ゆるく蛇行しながら続いている。
 そして驚くことに、キャンディはまだ飛び続けていた。上昇気流にでも乗ってんのか、あれ!?
 せき立てるように強い風が吹きつけて、背中を押されて俺もいつもの倍くらいのスピードで走ってる気がする。
 オレンジ色の小さな鳥のように飛んでいくキャンディを見上げて走り続けるうちに、いつのまにか俺は路地を通り抜けていた。

「あれ……?」

 目を離していたつもりはないのに、空飛ぶキャンディを見失ってしまった。
 それに、場所もおかしい。
 商店街のわき道を通り抜けたはずなのに、出てきた、この道は……。
 きょろきょろと、あたりを見渡す。
 そうだ、間違いない。
 ここは、俺の通う高校に通じる通りだ。
 商店街とは全然方向が違う。
 そもそも、高校と商店街は、駅3つぶんは離れている。
 商店街は俺の家の最寄り駅にあって、高校はそこから駅3つ先で、町の中心部寄りだ。
 いくら風に押されていつになく速く走ったからって、そこまでの距離を激走してない、はず。

「どうなってるんだ……」

 おかしな現象に首をかしげつつ、俺はとりあえず、高校から駅へと向かう道を歩き出した。
 来た道を戻ればよかったのかもしれないが、なんとなくためらわれたのだ。
 財布に定期は入れてるし、駅に着けば、電車に乗って家には帰れる。
 キャンディはあきらめた。
 というか、あの勢いよく飛んでいったものは、本当に俺の持ってたキャンディだったのか、今となっては疑わしい。
 実はわき道に入ってすぐの場所に転がってて、俺が追いかけたのは違うものだったのかも。
 だって、キャンディが風に乗ってあんなに飛んでいくわけないもんな、うん。
 つらつらそんなことを考えながら、俺は通いなれた道を歩いた。
 どうして駅3つ分ワープしてんのかっていうのは、ひとまず置いておく。
 考えてもどうしようもないことを、深く考えるのは性に合わないのだ。
 以前、何かの話でそう言ったら、幸せなヤツだなって、あいつに笑われたけど……。
 今、あいつがここにいたら、なんて言うだろう。
 歩きなれたこの通りを一人で歩くことにもう慣れたつもりだったけど、右肩が涼しくて落ち着かない。
 やっぱり、全然、慣れてなんかいないのだ。
 同じクラス、同じ帰宅部、同じ中学出身の、あいつといつも歩いたこの道。
 二人で歩いたこの道を、俺が一人で歩くようになったのは、一か月前から。
 最後にあいつと一緒に歩いた日のことを、俺はぼんやりと思い出していた……。



「お前さあ、もうちょっとこう、にこやかにできねーの?」
「いきなり何の話だ」

 いつものように、学校から帰る道で。
 右隣を並んで歩く俺より頭一つ高い位置にあるあいつの顔を見上げて言うと、怪訝な顔をされた。
 脈絡なさすぎなのは、自分でも認める。

「んー。今日さ、掃除ん時、同じ当番の女子に、カッコいいけどなんか怖いって言われてたぞ、お前。眼光鋭いっての? 目つき悪いってーか。だからホラ、普段からもうちょいにこやかに、笑ったらいいんじゃないかなって」
「おかしくもないのに、笑えるわけないだろ」
「えー、でも、俺といる時は、たまに笑うじゃん。笑ったらお前、雰囲気柔らかくなるし……女子に怖がられなくなるぞ?」
「別にそんなの、どうでもいい」

 本当にどうでもよさそうな、そっけない返事だ。
 確かにこいつはクラスの女子にどう思われようと、そういうことを気にするタイプじゃない。
 だが、俺は俺の友人が誤解されてるのが、なんだかちょっと嫌だったのだ。
 こいつは全然怖くないし、むしろすっげーいいヤツだ。
 だから、せめてもう少し笑顔を見せたら、友人の評判がよくなるんじゃないかと思ったのだ。
 大きなお世話だとは自分でも思うけどさ。

「だいたい、オレは好きでもない奴に振りまく笑顔なんて持ち合わせてない」

 きっぱりと言われて、俺は不覚にもドキッとした。
 いやいやいやいや。
 なんでそこでドキッとするんだ、俺。
 俺はわざと軽い調子で突っ込んだ。

「何言ってんだよ。それじゃ、俺のこと、好きって言ってるみたいだぞ」

 俺はここで、バーカとか、そんなんじゃねーよとか、そういう答えが返ってくるものだと、思っていた。
 じゃなきゃ、俺が相当自意識過剰みたいだろ。
 笑って流して、この話はそれで終わり。
 そうなると、思ってた。
 なのに。

「……そう聞こえるんなら、そうなんじゃねーの」

 返って来たのは、俺の予想とはだいぶ違った言葉だった。
 こっちを見るあいつの顔は全然笑ってなんかなくて、掃除の時に女子が言ってた以上に、怖い顔だった。
 怖いくらいに、真剣な、顔。

「笑えない冗談言ってんじゃねーって。本気にしたらどーすんだよ。ははっ。あ、そうだ。この話、知ってる? こないだ、担任がさ……」

 顔をそらして、茶化すように言った。
 そして自分でも不自然なくらい、急に話をそらした。
 俺は考えてもどうしようもないことを、深く考えるのは性に合わないのだ……。



 なんで俺、あの時、ちゃんと考えなかったんだろう。
 あの時と同じ道を一人で歩きながら、後から悔むから後悔って言うんだよなと苦いため息をついた。
 苦くて、苦くて、吐きそうになる。
 もし、あれが最後になるって、わかってたら。
 そしたら、俺はもっと、ちゃんと、考えて、違う風に答えていただろうか。
 あの後、あいつは事故にあって、意識不明のまま病院に入院している。
 いつものように一緒に帰って、またなって、家の近くで別れた。
 あれが最後になるなんて、思ってもなかった。
 知ってたら、知ってたら、俺は………。
 
 

「……どうしたんだ? 急に黙り込んで」

 隣から不意に耳になじんだ声がふってきて、俺は驚いて顔をあげた。
 右隣、いつもの位置に、あいつが立っていた。

「え……な、なんで……」

 病室で、今も眠っているはずの男が、当たり前のようにそこにいる。
 思わずその腕をつかんだ。すり抜けたりしない。ほんとに、俺の隣にいる。

「おい、マジでどうしたんだ? つか、泣いてる……?」

 言われて初めて、自分が泣いてるのに気づいた。
 自覚したら、ぼたぼたと涙があふれ出てきた。
 こんな往来で泣くなんてみっともないって思うのに止められない。

「な、泣くだろ、そりゃ。お前、起きて、しゃべってんだもん。俺、お前にずっと、謝りたかった……。笑えない冗談言ってんじゃねーって、言ったこと。ごめん、あれ、嘘。冗談だって、そう言わないと、俺……、俺、ほんとは嬉しいって思って。おかしいじゃん。おおまえ相手にそんなこと思うの。笑えない冗談は、俺の方だって……」

 涙は止まらないし、言ってることは支離滅裂だし、最悪だ。
 だけど、今、言っておかないと。
 これが夢でも、実態のある幻でも、なんでもいい。
 眠ったままのあいつじゃなく、起きて、動いて、こっちを見ているあいつに、自分がちゃんと考えたことを、ごまかさずに伝えたい。
 おかしなヤツだって、笑われたって、構わないから。

「なあ。それってさ……」

 笑わずに、あいつは俺の顔を手のひらでぬぐった。
 そのまま、包み込むように頬に手を添えた。

「おまえもオレが、好きってことなんじゃねーの」

 顔を固定されて、目をまっすぐに見つめられる。
 急に、心臓が全速力した時みたいに、走り出す。

「そ……、そう、なの?」

 口から洩れたのは、あまりに間の抜けた一言だった。
 だが、目の前の男は、真面目な顔でうなずいた。

「そうだったら、オレが嬉しいっていう」

 願望かよ、って突っ込む余裕なんてなかった。
 いや、それより、嬉しいって言われて、じわじわ顔が熱くなってきた。ヤバイ。どうしよう。

「だったら……、それでいいや」

 他に言いようがあるだろうという気がしなくもなかったが、なんかもういっぱいいっぱいで、なんて言っていいのかわからない。
 そんな俺の様子を知ってか知らないでか、あいつはただ一言、そうか、と言って、ふわりと笑った。
 俺といる時にだけよく見せる、あの、柔らかい微笑を―――。



「番号、あったのか?」

 隣から、ひょいと手が伸びてきて、俺が握りしめていたキャンディを奪って行った。
 はっとして顔を上げると、あいつがキャンディの包みに描かれた数字とベニヤ板に貼られた当選番号を見比べていた。
 俺はいつの間にか、商店街のハロウィンウィーク抽選スペースに突っ立っていた。

「外れだな。残念賞はポケットティッシュだって……おい、どうした、目ぇ開けたまま、寝てんじゃないだろうな」

 怪訝そうな顔で問うあいつに、俺はなんと答えていいのかわからなかった。
 俺はいつから、夢を見ていたんだろうか。
 キャンディが、風に飛ばされたと思ったときから?
 それとも、あいつが事故にあった日から?
 いや、あいつがここにいるってことは、あいつが事故にあったことも、夢……?
 俺は思い切り自分の頬をつねってみた。

「………いひゃい」

 痛い。すごく痛い。リアルに痛覚を感じる夢が存在するんじゃない限り、どうやらこれは現実らしい。
 ついでに隣の男の腕を掴んでみた。ちゃんと掴める。すり抜けたり、しない。
 あれ? じゃあ、さっきの白昼夢だって……。

「どうしたんだ? なんか目も赤いし。大丈夫か?」

 顔を至近距離からのぞきこまれて、俺は慌てて腕を離して、一歩下がって首を振った。

「ぜ、全然平気だから! それよか、お前のほうこそ……大丈夫なんだよな? その、入院とか、してない……よな?」
「入院? なんでオレが」

 意味がわからない。
 そう言いたげな表情で返されて、俺はほっとして、不覚にもまた泣きそうになった。
 一度離したあいつの腕をまた掴んで引き寄せ、肩に顔をうずめた。

「俺、すっげー変な夢見ちゃって……。もうお前と二度と話せなくなるんじゃないかって。すっげー怖かった。お前、勝手に俺の前からいなくなったりすんなよ、ばか……」

 抑えていても涙声になって、顔を上げられない。
 あいつは黙って、わけがわからないであろう俺の話を聞くと、ゆっくりと俺を引き剥がした。
 それから改めて俺の肩に腕を回すと、歩き出した。

「おまえがどんな夢を見たのかは知らないが、ここじゃまずい。くわしいことは、オレんちで聞くから」

 だから、泣くな。
 耳元でささやかれて、俺は唇をかみしめて、うなずいた。



「……おまえ、ひとを勝手に殺すなよ」
「おい、縁起でもないこと言うな! 死んでない! 意識不明なだけだ!」

 場所を移って、あいつの家、あいつの部屋で。
 俺はさっき俺が見た白昼夢……と言うよりも、体験した出来事を語って聞かせた。
 その感想が、今の一言だ。
 まあ、他人の夢の中で自分が重体に陥ってるなんて、気分のいい話じゃないだろうけど。
 でもあれは、ただの夢と言い切るには、あまりにリアルだった。
 病室で眠り続けるあいつの顔を、はっきりと思い出す事ができる。
 できるからこそ、今、何の問題もなさそうな様子で、ここにあいつがいる事実に、泣きそうになってくる。

「夢じゃ、ないのかもしれないな」

 荒唐無稽な俺の話を馬鹿にするでもなく、あいつは思案気な様子でぽつりとつぶやいた。

「パラレルワールドって、聞いたことないか? 並行世界って奴。今オレたちがいるこの世界と、同じだけど少しずつ違う世界が他にもあるんだ。そこでは、本当にオレは、事故にあって意識不明の重体で、病院のベッドで眠り続けているのかもしれない」

 普段のあいつらしくない、これまたSF映画のような説を披露する。
 だが、今の俺はそれを一笑に付すことはできなかった。

「……それがマジだとしたら、俺は事故にあったお前がいた世界にいたってことにならないか? なのに、キャンディ追っかけてる内に、お前が無事な、事故なんてなかった世界に来たってことに……」

 今でも、もうひとつの別の世界とやらで、あいつは眠り続けているのだろうか。
 その姿を、俺じゃない俺は、死にたくなるような後悔を抱えたまま、見つめているのだろうか――――。
 そんな妄想に囚われて、背筋がぞっとした。

「心配しなくても、別の世界の不運な俺も、じきに目を覚ますさ」

 うつむいて黙り込んだ俺に、何故かあいつは自信たっぷりに断言した。
 その根拠はどこから来てるんだと尋ねる前に、ふっと笑ってこう続けた。

「おまえに泣くほど好かれて、心配されてるってわかったら、いつまでも眠ってなんかいられない」

 俺は何か言い返そうとしたが、それより早く、目元ににじんだ涙をぺろりと舐められた。
 驚いて顔を引いたら、追いかけるように素早くキスされた。
 確かに……いつまでも眠ったままじゃ、こんなことはできないな。
 さっきまで感じていた恐れが泡のように溶けていき、俺は不思議に納得すると、目を閉じた。
 
 
 部屋の隅に転がったキャンディのカボチャがニヤリと笑ったが、キスに夢中な二人が気づくことはなかった。


Fin.

戻る