ラインの向こう側


「あれ? 佐々川、今日来られねーんじゃなかったの?」

 入口近くに座っていた元・同級生に小さく手をあげて、バイトのシフトが急に変わって暇が出来たからさ……なんて言いわけしながら俺は奥へと進んだ。
 そんなのは、もちろん嘘だ。バイトのシフトは元から入れてない。むしろ、何があっても今夜は休ませてもらいますって宣言してた。
 でも今夜の集まり――同窓会ってほどのもんじゃないけど、元高3のクラスのやつらとの飲み会には欠席の返事を出していた。
 俺、バイトで来れないから、って。そんな風に周りにも言っといてって、幹事の加持には言い含めておいた。
 加持はしょうがねえなあと苦笑しつつも、わかったよとうなずいてくれた。
 ちゃんと言っとくよ、特にアイツにはな、と。薄々どころか、何もかも察した顔で。
 だから、絶対来てるはずなんだ。
 広くもない、居酒屋の個室を見渡す。
 ―――いた。
 俺はまっすぐ、見つけた男、今夜一番会いたかった男の元へ、人をかきわけつつ向った。
 隣の位置をキープして――無理やり、隙間にもぐりこんで――俺は、彼に声をかけた。
 高校卒業してから、はじめて間近で見る、須藤公宏に。

「久しぶり。元気、してた?」
「……ああ、まあ、それなりに」

 ビールがなみなみと入ったグラスを傾けながら、須藤はそっけなく答えた。
 機嫌が悪いんじゃなくて、大体いつもこんな感じだった。
 懐かしいなと思ったら、なんでだか胸がぎゅっと、締め付けられたみたいに苦しくなった。

「俺、俺さ……」

 何か気のきいたことを言わなくちゃ。
 そう思うのに、上手い言葉が出てこない。おかしいな。高校のころは、バカみたいにどうでもいいこと、いっぱいしゃべってたはずなのに。
 どうやら、俺は緊張しているらしい。
 だって、すごく久しぶりなんだ。高校卒業してからだから、もうどれくらい経ったっけ?
 毎日のように会って、しゃべってたヤツと、会わなくなってから。
 俺、こいつと何しゃべってたんだっけ……?

「お前は変わらないな、佐々川」

 中途半端に言葉を途切れさせた俺をどう思ったのか、須藤の方から話しかけてくれた。
 俺はホッとして、須藤に笑いかけた。

「それって、ガキっぽいってこと? まさかまだ高校生に見えるとか言わないよな」
「制服着たら、まだ十分通用しそうなんじゃねえの」
「えー。なんだよ、それ。自分がちょっと大人っぽくなったからってさあ」
「そっちこそ、なんだよ。オレが老けたって言いたいのか?」
「違うよ。ビールのグラス持ってんのが様になって……ちょっとカッコイイなって思ったんだよ」

 おいおい、何言ってんだ、俺。
 って言った瞬間に思ったけど、一度口にした言葉は元には戻らない。
 それに、口にしたことは本当だ。
 少し物憂げな感じでビールを飲む横顔が、俺の知っていた高校生の須藤とは違って見えてドキドキした。
 これって、久しぶりに会ったからなんだろうか。
 からかうように、須藤がくすりと笑った。

「おだてても、なにもでないぞ」
「べ、べつにそんなつもりじゃ……」

 言い淀んだ俺を、須藤は笑いをひっこめた、真面目な顔でじっと見つめた。

「じゃあ、どういうつもり?」

 まさかさらに突っ込んで問われるとは思わず、俺はいつの間にかカラカラに乾いた口の中を潤したくて、手近にあったグラスをつかんで、一気にあおった。……ら、盛大にむせた。
 涙目でゲホゲホやってる俺を、須藤はしょうがないなって顔して、背中をさすってくれた。
 大きくて、あったかい手。
 高校の頃は、この手がよく俺の肩を軽くたたいたり、髪の毛をわしゃわしゃかきまわしたりしたんだっけ。
 思い出したら、甘ったるいチューハイにむせたからってだけじゃなくて、涙目になった。

「悪かったな。変なこと言って」

 俺がうつむいて何も言えないままでいると、須藤はあっさりと言って、背中から手を離した。
 そのまま気配が遠ざかったので、えっ……と思って顔をあげたら、須藤は立ち上がっていた。

「オレ、もう帰るわ」

 俺じゃなく、斜め向かいにいる幹事の加持に告げる。
 焼き鳥のクシを持ったまま、加持が顔をしかめた。

「おいおい、来たばっかだろ。しかもちょー久々、っつーか高校卒業後初参加の分際でもう帰るとは何事だ」
「いいだろ、加持があんましつけーから、いちおー顔見せはしたんだし。これでもオレ、忙しいのよ?」

 とか言って、彼女なんじゃねえのー? と、外野から声がかかる。
 だったらいいんだけどなと、苦笑して見せた。
 そうか、須藤、彼女いないんだ……と思って、俺は自分がその可能性を全く考えていなかったことに気付いた。
 気づいて、愕然とした。
 なんでだよ。なんで、そんな風に思ってたんだ? 俺。
 須藤は、他の誰かを好きになったりしないって。
 
 
 ――――俺以外を、好きになったりしないって………。
 
 
 自分の傲慢さに吐きそうになってる間に、須藤はさっさと立ち上がって、加持に会費を渡して出て行った。
 その背中を茫然と見送ってたら、わざとらしいくらい大きなため息をついて、加持が言った。

「佐々川の分はつけといてやるから、早く追いかけたら? 何のために俺にしつこく須藤を誘わせたんだよ」

 ほら、さっさと行け。加持が野良犬でも追っ払うようなしぐさで、手を振ってくる。
 ようやく金縛りが解けた俺は、あわてて立ち上がると、転びそうな勢いで、須藤の後を追いかけた。
 なにアイツら、ケンカでもしてんの? という誰かの声が背中から聞こえた。
 そうよ。俺、仲裁役買ってででやったの。タダで。親切でしょ? 
 加持がおどけて答えているのを耳にして、今度絶対加持になんかおごろう、と俺は誓った。


「ま、待って……!」

 もう行っちゃった後だったらどうしよう、と思ったけど、須藤はまだ居酒屋からさほど離れていない場所を歩いていた。
 立ち止まって、須藤がこっちを振り向く。

「何?」

 まっすぐ、こっちを見ている。
 何か、何か言わなくちゃ。
 焦るばかりで、言葉が見つからない。
 でも、何も言わなかったら、須藤は行ってしまう。
 そしてまた、俺の前から姿を消すんだ。ケータイの番号も変えて。新しい、連作先も教えてくれなくて。
 そんなの、もういやだ。
 早く、何かいうんだ。なんでもいいから、何か。

「お、俺、ずっとカッコいいって思ってたよ。さっきだけじゃなくて、高校の頃も!」

 うわーっ! 何いっちゃってんの俺!
 違うだろ、そうじゃないだろ!
 いや、カッコいいって思ってたのはホントだけど、今俺が言いたいのはそういうことじゃなくて!!
 呼び止めて、いきなりわけわからないことを言われた須藤は、一瞬きょとんとした顔をして、それからふっと笑った。

「……それは、どうも。ありがとう?」

 語尾が震えている。爆笑したいのこらえたら疑問形になっちゃったって感じ。
 はずい。今すぐ穴掘って埋まりたい。アスファルトだから、ドリルかなんかもってこないと無理だけど。
 思わず現実逃避しかけてたら、須藤がこっちに戻ってきた。

「知ってるよ。俺は佐々川の、カッコよくて、頼れる……自慢の友達、なんだろ」

 俺の前でぴたりと足を止めた。もう笑ってなかった。
 そばにいる、俺だけに聞こえるくらいの音量で、静かに言った。

「須藤って、いいヤツだよな。俺にはもったいないくらい、頼りになる、友達だよ、ホント」

 高校の頃、俺が須藤に言ったセリフを、そのまま繰り返した。
 どこか皮肉気にも見える、冷めた表情で。

「オレは佐々川を友達だなんて思ったこと、一度もなかったよ」

 はっきりと言葉にされて、俺は何を言えばいいのかどころか、どんな顔をすればいいのかもわからなかった。

「驚かないんだな。……そうだよな、佐々川も知ってたよな。知ってたから、釘をさすみたいに、オレのこと、いいヤツだ、友達だ、って繰り返したんだろう? オレに何も、言わせないために」

 違う、とは死んでも口にできなかった。
 だって、その通りだったから。
 須藤は高校に入ってからの一番の友人で、すごく気が合って。
 これから先も、ずっとその関係が続いて行くんだって、信じてて。
 壊したくなかった。
 踏み越えたくなかった。
 俺が気づかないフリをしてたら、ずっとこのまま、友達のままいられるって。
 怖かったんだ。
 友達というにはあまりに熱量のある視線を向けてくる男に、どこか痛いような、苦しいような目で、俺を見ている男に。
 どう接するのが正解なのか、俺にはわからなかった。

「オレは、佐々川が好きだったよ。友達としてじゃなくて、恋愛方面で」

 何も言えないでいる俺に、告白というには、あまりに淡々とした口ぶりで須藤は言った。
 しかも、好き『だった』って。過去形で。

「佐々川が好きだったから、佐々川が望んでたから、高校の頃は頑張って『友達』をやってたんだ。でも、もういいだろ? 進路も分かれたんだし、このまま、」
「やだよ!!」

 何か考えるより先に、言葉が出た。
 体が動いて、須藤の腕をつかんでいた。

「またなって言ったじゃん! 卒業式の後、須藤そう言ったよな。なのにケータイの番号変えて、連絡先も教えてくれなくて。高校のヤツらとの飲み会にも顔出さなくて。全然、またな、じゃねえじゃん。俺は……俺は、また会いたかった。高校卒業しても、進路違っても、また須藤と会って、しゃべりたかった……!!」

 避けられてるんだってわかった時、悲しかった。
 でもそれが須藤の望みなら、そうしたほうがいいんだと思った時もあった。
 高校卒業して、新しい環境になって。いつまでも、高校の頃のままの付き合いを続けるわけにはいかないんだって。
 頭ではわかっても、心が納得しなかった。
 会いたい。
 もう一度会って、そして――――。

「……それで、またオレに佐々川の友達を続けろっていうの?」

 静かな声が、俺に問いかける。
 返事を間違えたら、きっと須藤は俺の手を振り払って、そのまま立ち去ってしまうんだろう。
 そして、二度と俺の前に姿を現さない。
 そんな、気がした。

「………じゃ、なくていい」
「え……?」
「友達じゃなくていいから、俺のこと、切り捨てるなよ。俺のこと、過去形で言うな」
「佐々川、意味、わかってる?」

 問いかける声が、低い。
 心臓が急に走り出した後みたいに、ばくばくなりだして、息が苦しい。
 苦しくても、言わなくちゃ。今度こそ、ちゃんと。

「わかってる」

 友達のラインを踏み越えたら、何もかも変ってしまいそうで、怖かった。
 今だって、怖い。
 だけど、このまま、『高校時代の友人』として、思い出の中に置き去りにされてしまうほうが、ずっと怖かった。
 この気持ちは、ただの『友達』に抱えるものじゃない。
 俺はとっくに、踏み越えていたんだ。
 唐突に、そのことに気付いた。
 気づいてしまえば、なんで今まで気づかなかったんだろうって、不思議なくらいだった。

「……そう。だったら、オレのアパート、来る?」

 え! いきなり!?
 いや、そういう意味なのはわかってるけど、でもさっきの今で急展開すぎっていうか、心の準備ができてないっていうか……。

「たいして飲まないまま出てきちゃっただろ。オレのとこで飲みなおさないかって言いたかったんだけど」
「あ、そ、そう! そうだよな。飲み足りないよな? うん、行く」

 たぶん夜目にもわかるくらい、顔を赤くした俺に、須藤はちょっとだけ笑って、腕をつかんでいた俺の手を外し、そのまま手を握った。
 大きくて、あったかい、須藤の手。
 こんな風に手を握られたのは、初めてかもしれない。いいや、初めてだ。
 手をつないで、まだ夜ににぎわいが続く街を並んで歩く。
 人通りがあっても、手を離したいとは思わなかった。

「そのまま、泊っていっていいから」
「う、うん」
「そんな緊張しなくたって、いきなり襲ったりしないから」
「え、や、そういうつもりじゃ、」

 焦って否定しようとしたら、急に顔が近付いてきて、唇に唇が一瞬触れて、すぐに離れた。

「お、襲ってるだろ……!」
「こんなの、襲った内に入らないよ」

 どんなへ理屈だよ。
 抗議しようとして、須藤の顔を見上げて、やめた。
 今まで見たことないくらい、浮かれた顔してたから。
 俺が、須藤にこういう顔、させてるんだ。
 じわじわ喜びが胸にこみあげてきて、叫びだしたくなった。
 叫ぶ代わりに、須藤に言った。

「好きだよ」

 友達じゃなくて。
 そう続けようとしたのに、また顔が近付いてきたから、言えなかった。


Fin.

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