花びら散って
花の季節が終わったら、存在そのものを忘れられてしまう。
桜って、そんな花だと思う。
そこに在るのは知ってても、これって何の木だっけ、みたいな。
普段はすっかり忘れてるのに、春が来てつぼみが膨らみだすころに、ああそうだ桜だって思い出して、みんなに注目される。
花開くのを心待ちにされて、淡くピンクに霞んだたたずまいをうっとり眺められて、散った後はまた忘れられる。
毎年毎年、その繰り返し。
「つまり、薄情だなと言いたいわけ?」
教室の窓からほとんど葉桜になった校庭の桜を見下ろしつつ、そんな益体もないことをつらつらと、こっそりつぶやいていたら、背後からつっこまれた。
この声は、榛名だ。一年も二年も同じクラスで、三年でもまた一緒になった。
たぶん、今一番仲のいいクラスメイトだ。
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」
ぼくはまだ少し冷たい春の風をあびながら、振り向かずに答えた。
誰もいないと思ってたから、桜見ながら独り言なんてガラじゃないことやってたのに、うわあああ恥ずかしー!!
……なんて心の叫びは極力、声に出さないようにして。
「どっちだよ」
近づいてきて、榛名がぼくの頭にぽんと手を置く。
身長差があるせいか、やたら大きく感じられる手だ。ぼくの頭なんて、バスケットボールみたいに軽くつかまれそう。
実際、榛名バスケ部だし。持ちなれてるだろうし。
でも、ふしぎとイヤじゃない。なんでだ。
「こっちが薄情だろうとなかろうと、桜は春になったらやっぱり咲くんだよなあって。夏と秋と冬に存在を忘れられてても、そんなことちっとも気にしないで。来年の春も、おんなじように。そう思ったら、なんか、なんかさ……」
急に胸が詰まって、言葉が途切れる。
新学期が始まって間もない、放課後の教室。
部活もまだやってなくて、校庭も教室と同じくらい、閑散としてて。
桜の花びらはもうほとんど散って、代わりに緑の葉を繁らせていて。
それは去年も同じで、たぶん今年も同じで、きっと来年も同じ。
ただひとつ、違うのは――――。
「さびしく、なった? 来年はもう、この桜も見られないんだなって」
しれっとやってきて、人の心情を読まないでほしい。
ここで、はいそうです、なんて来月にようやく十五歳な思春期男子が言えるわけがない。自分で思春期って言うのもなんか寒いけど。
黙秘を貫くぼくに、榛名はちょっと笑った、気配がした。見てないけど、たぶん。
「おなじ桜は見られなくても、ちがう桜は見られるだろ。べつの場所で」
ぼくの頭に手を置いたまま、榛名が言う。
「また、いっしょに」
さらっと何気なく、さも当然って感じでつけくわえて。
なんなんだお前は。少女マンガのヒーローか?
寒い、寒すぎる。
思わず背中を震わせてると、頭の上の手がすべって耳にふれてきた。
「耳、赤い」
今度こそはっきりと笑う声が聞こえて、ぼくはその大きくてあたたかい手のひらを―――ほんの少し、名残惜しさを感じながら―――振り払った。
ついでに後ろを向いて、視線を上げてまだ笑ってる榛名をにらむ。
「うるさいっ!」
くそっ、花びらの散った桜を見ながら、ちょっと春らしくセンチメンタルな気分に浸ってただけなのに、台無しだ。
「だいたい、何しに来たんだよ。バスケ部も今日ないんだろ? さっさと帰れ」
「だって、降りてこないから」
「は?」
「部活ないし、一緒に帰ろうと思ってたのに、全然こないから、様子見に来た」
「……ああ、そう」
待たせて悪かったな、って言うのも変か。
別に一緒に帰る約束なんてしてないし。
「先生に用事頼まれて、その後忘れ物に気づいたから、教室に戻ってきた」
なので、事実だけを言った。
「窓、一箇所開いててさ、閉めようって思って。そしたら、窓の向こうの桜の若葉が目に映って、なんとなく、目が離せなくなって、こう……」
「詩人になっていたと」
「ち、ちがーうっ!!」
いや、違わないのかもしれないが、ここは否定しておかないと来月十五歳男子としては恥ずかしすぎる。
「別にいいんじゃねえの。おれだってそうだし」
あっさりうなずかれて、え、ってなった。
榛名も桜に目を奪われてたって? 満開の桜ならともかく、もう葉桜だそ?
……という疑問が顔に出ていたのだろう。
榛名は、桜じゃなくて、と言った。
「窓の外見てた、おまえ。物憂げっていうの? なんか儚そうな感じが、いつもとちがって、目ぇ離せないなーっつか、目離せなくて、しばらく見てた」
「見るなよ!!」
反射で突っ込む。恥ずかしい、どころの話ではない。
っていうか、本人目の前に、そういうこと言うか? フツー。
ぼくは窓をぴしゃりと閉めると(鍵もちゃんとかけた)、自分の席に戻ってカバンをつかむと、教室の出入り口のドアに突進した。
「そんなに恥ずかしがらなくても、いいのに」
笑いながら、榛名が長い手足をもてあますように、のんびりこっちに来る。
「耳、まだ赤い」
手を伸ばして、榛名がぼくの耳たぶにふれる。
今度は振り払わなかった。
「榛名が、変なことばっか、言うからだろ」
「そうかな」
「そうだよっ!!」
怒った振りで少し乱暴に言って、榛名を置いて早足に廊下を歩き出す。
ここでも身長差が物を言って、あっさり追いつかれたけど。
並んで階下の昇降口に向かいながら、ぼくはふと思い出して、桜についての豆知識を披露する。
「桜って、ああ、校庭にもある、一番よく目にするソメイヨシノな、あれって実はクローンだって、知ってた? だからみんな、いっせいに同じ時期に咲くんだって」
「そうなんだ。知らなかった」
「うん。ってことはさ、別の場所で見る、別の桜も、ここの桜と同じなんだ。そう思うと、なんかふしぎだよな」
「たとえ、そうでも」
そこで下駄箱についたので、上履きを外履きに替えながら、榛名が言った。
「今日見たのは、今日だけのものだ。ちがう日に見る、別のと同じじゃなくて」
トンっとつま先を地面について、榛名がこっちを見る。もう、笑ってなかった。
目的語を省略して言ったのは、わざとだろうか。
変だな。胸がざわざわする。
まだ、ぼくの耳は赤いのかな。
耳を両手で隠したい気持ちを、必死でおさえる。
「そうだな」
ぼくは極力何でもないようにうなずいて、靴を履き替え、校舎を出る。榛名とつれだって。
桜は誰に注目されなくたって、毎年春が来れば、同じように咲く。
別の場所にある、別の、でも同じ桜も。
だけど、今日見た桜は、今日だけの桜だ。昨日とも、明日ともちがう。
どこか落ち着かない、ざわついた胸の高鳴りも。
花びらが散って、花の季節が終わっても、きっと忘れたり、しない。
「帰り、どっか寄ってく?」
もういつもと変わらない顔で、榛名が言う。
拍子抜けしたような、でもホッとしたような。
落ち着かない気分を引きずったままぼくは答えた。
「無理。金ないし」
「じゃあ、おれんち来る? 格ゲーしよう」
「えー。ヤだ、榛名めっちゃ強いじゃん」
「手加減する」
「それもなんかムカつく……」
そんなことを言ってるうちに、すっかりいつもの調子に戻った。
風が吹いて、若葉のさわやかな匂いがふわりと鼻をくすぐる。
来年はもう、この校庭に咲く桜は見られない。
だけど別の場所で、ちがう、でも同じ桜を見るんだろう。
そのとき、隣には誰がいるんだろう。
「……どうした?」
急に黙りこんだぼくに、榛名が怪訝そうに問う。
来年もまた、こうやって一緒にいられるのかなって、思ったんだ。
―――なんてことを、当然口にできるわけもなく。
「格ゲーやっぱヤだ。別のがいい」
「わかった。じゃあ、ちがうのにしよう」
葉桜がそよぐ微かな音を背に、ぼくらは学校を後にした。
Fin.
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