「さあ、これから、どこに行こうか」
さばさばしたキモチで、振り返ったオレを、サスラはいつもの困ったような微笑で見下ろす。
たまには、オレの方が見下ろしてみたいのに、気弱な、よく言えば穏やかな性質とは裏腹に、サスラは背だけは、ひょろりと高い。
最後に、一人だけ残った、俺の従者だった。
「どこがよろしいでしょうか。殿下の行きたいところであれば、どこでも」
そして、簡単に予想がつく、答えを返す。
オレは、腰に手を当てて、精一杯、サスラを見上げて告げた。
「殿下は、よせ。オレにはもう、国はないのだから」
亡国の王子。
そう言えば、響きだけは、何だかやたらカッコよく聞こえるが、何てことは無い。
国を追われ、行き場の無くなった、ただの敗残者だ。
いずれは国の跡継ぎに、と大事に大事に育てられたところで、その国がなくなってしまえば、もうそんな事は関係ない。
富、名誉、その他もろもろ。
それら全部、元から砂上の楼閣に過ぎなかったかのように、オレの手の中から、さらさらと零れ落ちてしまった。
そして残ったのは、十五歳という大人と呼ぶにはまだ早く、でももう子供とも呼べない、そんな中途半端な年齢の、オレ自身だ。
いや、そうじゃないな。
サスラがいる。
何もかもなくしたはずのオレに、たった一人、ついてきた、馬鹿な男が。
「では、何とお呼びすればよろしいのでしょう?」
サスラは、やっぱり、困ったように首を傾げる。
そんな事、自分で考えろ。
そう言ってやりたかったが、オレは親切だからな。
ちゃんと、答えてやるさ。
「まず、その敬語をやめろ。もうオレは、殿下なんかじゃなく、タダのガキなんだから。何と呼ぶかだって?そんなの、決まってる。オレの名前だ。他に何があるって言うんだ」
さあ、呼べ。
その口で。
『殿下』なんて、つまらない呼称じゃなくて、オレ一人を表す、オレ自身の名を。
「ローディル様……」
「様、は、いらん」
「え、ええと……、ロ、ローディル」
「よし、それでいい」
居心地悪そうに、呼びなれないオレの名を、サスラは口にした。
きっとまだ、名前で呼ぶなんて恐れ多い、とか思っているに違いない。
馬鹿なヤツだ。
「これから、敬語は一切禁止だからな。お前がオレのようなガキに丁寧な口をきいていたら、怪しまれるだろう。残党狩りが無いとは言えないからな」
「承りまし……、わ、わかりました」
すっかり身に付いた敬語を、使わないでいるのも、まだ難しいのだろう。
サスラは、舌を噛みそうなくらいに、もたもたとしゃべっている。
だが、これからのことを考えると、一刻も早く、慣れてもらわなければ困る。
「では、行くか、サスラ」
「は、はい……ローディル」
まだ、丁寧な口調で、それでもオレを殿下とは呼ばずに、サスラは答えた。
元々、下働きの人間にも、丁寧に話していたサスラだ。
このくらいは大目に見てやろう。
「そうだな、南に行こう。海を、見てみたい。船にも乗りたいな」
「船旅ですか。それはいいですね」
爽やかな、春の風が背中を押す。
顔を上げると、どこまでも青い空が続いている。
振り返れば、無残に崩れ落ちた、かつて、城と呼ばれた廃墟がまだ見えた。
だけど、もう、そんな事は関係ない。
こう思うのは、不謹慎なのかもしれない。
だが、オレは、むしろ今、喜んでいた。
富も名誉も、約束された確かな将来も。
そんなものは、どうでもよくて。
たとえ、先が見えなくても、今があって、明日がある。
そして隣には、サスラが居る。
散り散りに去っていった、他の多くのものと違って、たった一人、オレの傍に残った、途方もなく愚かな男が。
だから、オレは、それだけで、いい。
「港を目指すか。だが、船賃はいくらほどするのだろう」
「旅人としてではなく、水夫として雇ってもらうのはどうでしょう?」
「なるほど、そういう手もあるな」
意外と順応性が高いサスラが、楽しそうに笑った。
オレも、つられて笑みをこぼす。
風が、サスラの日に透ける薄い金色の、長い髪を揺らす。
この風は、どこから吹いてくるのだろうか。
オレと、サスラは海を目指して、歩き始めた。
Fin.
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