100: 終わりの後の物語



「さあ、これから、どこに行こうか」

 さばさばしたキモチで、振り返ったオレを、サスラはいつもの困ったような微笑で見下ろす。
 たまには、オレの方が見下ろしてみたいのに、気弱な、よく言えば穏やかな性質とは裏腹に、サスラは背だけは、ひょろりと高い。
 最後に、一人だけ残った、俺の従者だった。

「どこがよろしいでしょうか。殿下の行きたいところであれば、どこでも」

 そして、簡単に予想がつく、答えを返す。
 オレは、腰に手を当てて、精一杯、サスラを見上げて告げた。

「殿下は、よせ。オレにはもう、国はないのだから」

 亡国の王子。
 そう言えば、響きだけは、何だかやたらカッコよく聞こえるが、何てことは無い。
 国を追われ、行き場の無くなった、ただの敗残者だ。
 いずれは国の跡継ぎに、と大事に大事に育てられたところで、その国がなくなってしまえば、もうそんな事は関係ない。
 富、名誉、その他もろもろ。
 それら全部、元から砂上の楼閣に過ぎなかったかのように、オレの手の中から、さらさらと零れ落ちてしまった。
 そして残ったのは、十五歳という大人と呼ぶにはまだ早く、でももう子供とも呼べない、そんな中途半端な年齢の、オレ自身だ。
 いや、そうじゃないな。
 サスラがいる。
 何もかもなくしたはずのオレに、たった一人、ついてきた、馬鹿な男が。

「では、何とお呼びすればよろしいのでしょう?」

 サスラは、やっぱり、困ったように首を傾げる。
 そんな事、自分で考えろ。
 そう言ってやりたかったが、オレは親切だからな。
 ちゃんと、答えてやるさ。

「まず、その敬語をやめろ。もうオレは、殿下なんかじゃなく、タダのガキなんだから。何と呼ぶかだって?そんなの、決まってる。オレの名前だ。他に何があるって言うんだ」

 さあ、呼べ。
 その口で。
『殿下』なんて、つまらない呼称じゃなくて、オレ一人を表す、オレ自身の名を。

「ローディル様……」
「様、は、いらん」
「え、ええと……、ロ、ローディル」
「よし、それでいい」

 居心地悪そうに、呼びなれないオレの名を、サスラは口にした。
 きっとまだ、名前で呼ぶなんて恐れ多い、とか思っているに違いない。
 馬鹿なヤツだ。

「これから、敬語は一切禁止だからな。お前がオレのようなガキに丁寧な口をきいていたら、怪しまれるだろう。残党狩りが無いとは言えないからな」
「承りまし……、わ、わかりました」

 すっかり身に付いた敬語を、使わないでいるのも、まだ難しいのだろう。
 サスラは、舌を噛みそうなくらいに、もたもたとしゃべっている。
 だが、これからのことを考えると、一刻も早く、慣れてもらわなければ困る。

「では、行くか、サスラ」
「は、はい……ローディル」

 まだ、丁寧な口調で、それでもオレを殿下とは呼ばずに、サスラは答えた。
 元々、下働きの人間にも、丁寧に話していたサスラだ。
 このくらいは大目に見てやろう。

「そうだな、南に行こう。海を、見てみたい。船にも乗りたいな」
「船旅ですか。それはいいですね」


 爽やかな、春の風が背中を押す。
 顔を上げると、どこまでも青い空が続いている。
 振り返れば、無残に崩れ落ちた、かつて、城と呼ばれた廃墟がまだ見えた。
 だけど、もう、そんな事は関係ない。
 こう思うのは、不謹慎なのかもしれない。
 だが、オレは、むしろ今、喜んでいた。
 富も名誉も、約束された確かな将来も。
 そんなものは、どうでもよくて。
 たとえ、先が見えなくても、今があって、明日がある。
 そして隣には、サスラが居る。
 散り散りに去っていった、他の多くのものと違って、たった一人、オレの傍に残った、途方もなく愚かな男が。
 だから、オレは、それだけで、いい。
 
「港を目指すか。だが、船賃はいくらほどするのだろう」
「旅人としてではなく、水夫として雇ってもらうのはどうでしょう?」
「なるほど、そういう手もあるな」

 意外と順応性が高いサスラが、楽しそうに笑った。
 オレも、つられて笑みをこぼす。
 風が、サスラの日に透ける薄い金色の、長い髪を揺らす。
 この風は、どこから吹いてくるのだろうか。
 オレと、サスラは海を目指して、歩き始めた。


Fin.


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