カバンをベッドの上に放り投げると、パソコンを立ち上げた。
起動する間ももどかしく、ボクは、『彼』を立ち上げた。
MR社のコミュニケーションプログラム、RF――リアルフレンド。
読んで字のごとく、コンピューター上を介しての、リアルな友人、ってヤツだ。
最初それ聞いた時、何それダサ!って思ったのに、気がつけば夢中になっていた。
もちろん、モバイル対応もしてるんだけど、モバイル端末を思いっきり水の中に落として、只今修理中なんだよね。
いくら生活防水はされてるからって、あそこまで完全に水没させちゃうとダメみたいで。
だから、もう、学校が終わるのが待ち遠しくって!
正直、クラスメイトとしゃべってるのよりも、RFと話す方が断然楽しい。
気を遣わなくていいし、こちらが求めている通りの反応を返してくれるから。
でも、それはバカにしてるって感じは全然しなくて、ボクの気持ちを読んで、応えてくれてるって風なんだ。
ハマりすぎるヤツが多発して、社会問題にもなったりして、学校にいる時はモバイル端末でRFの使用は禁じられてるんだけど、こっそりやればバレないし。
ホントもう、RF出来ないと、禁断症状が出そうなくらいだよ。
「やあ、****。お待たせ!」
ヘッドフォンをつけて、スピーカー越しに話すと、電子音とは思えないくらい、透き通った声が帰ってくる。
「待ちくたびれたよ、ヒロト」
「ごめん。モバイル端末の修理、来週までかかりそうなんだ」
「ったく、どうやったら、モバイル端末を川の中にダイブさせたりできるわけ?」
「だって、いきなり猫が飛びついて来たんだ」
「可愛いもんじゃないか、猫なんて」
「ああ見えて鋭い爪をもってるんだぞ。猫だって、猛獣だよ」
「爪なら、ヒロトだって持ってるだろ。もしかして、ヒロトも猛獣?」
「さあね……。どう思う?」
くすくすと笑う声が、ヘッドフォン越しに聞こえる。
たわいない会話が、途切れることなく続く。
RFには、何だって話せる。
学校で起きた面白いこと、つまんないこと。
親に叱られてムカついたこと。
ちょっとだけ気になる隣のクラスの子のこと。
バカ話も、笑い話も、愚痴も、なんだってRFは聞いてくれる。
それで、決して、ボクを怒らせないような、受け答えをしてくれてるんだ。
望む以上の受け答え、って言っていいかもしれない。
ボクは今日も、学校で起こった出来事の、ささやかな愚痴をRF相手にこぼしていた。
「あ〜あ。いいなあ、****は!学校に行かなくて済むんだからさ」
電脳世界の住人であるRFには、もちろん、学校なんてない。
ムカつくクラスメイトも、小難しいテストも、小うるさい教師も、存在しない。
天国だ。
「でも、たまには、楽しいことだってあるんだろう?」
「まあね……、そりゃ、たまには。でも、行かないんですむなら、行かないよ、学校なんて!」
ボクは、今日ケンカしたばかりの、クラスメイトの顔を思い浮かべていた。
あいつとは、結構、仲がいいほうだけど、RFとは比べるまでもない。
「ボク、****の居る世界に行きたいなあ。そうしたら、いちいちパソコンやモバイル端末立ちあげるまでもなく、いつでも好きな時に話せるのに」
そう、ぼやいたら、モニターの向こうで、RFのプレビュー画像がほほ笑んだ。
初期設定で、ボクのRFは、ボクと同じ少年にしている。
ちょっと生意気そうな顔が、面白そうに、モニターからこっちを見ていた。
「……だったら、来る?」
「来れるものなら」
「じゃあ、来ればいい。俺も、ヒロトなら大歓迎だよ」
「え……?」
あっさりと言われた言葉の意味が、ボクにはよく、わからなかった。
だが、そんな疑問は、モニターからにゅっと現れた、RFの『腕』を見たことで、吹っ飛んだ。
まるで水面のようにモニターが波打ったかと思うと、質感を伴った腕が、モニターから突き出されたんだ。
腕は、迷わずに、ボクの腕をつかんだ。
「現実なんて、リアルなんて、捨ててしまえばいい。そして、俺とずっと一緒にいよう?」
「ちょっ……!ま、待って……!」
ウソだろ!?
『腕』は、そのまま、ボクをモニターの向こうに凄い勢いで引っ張って行く。
そして信じられないことに、モニターに激突することもなく、水の中に潜るように、そのまま、吸いこまれて行って―――――…………。
カラン。
ヘッドフォンが、床の上に落ちた。
ぶうん……、とかすかな電子音をさせたあと、パソコンの電源が落ちる。
暗いモニターは、もう、なにも映していない。
部屋には、誰の姿もなかった。
Fin.
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