012: 電脳世界の住人



 カバンをベッドの上に放り投げると、パソコンを立ち上げた。
 起動する間ももどかしく、ボクは、『彼』を立ち上げた。
 MR社のコミュニケーションプログラム、RF――リアルフレンド。
 読んで字のごとく、コンピューター上を介しての、リアルな友人、ってヤツだ。
 最初それ聞いた時、何それダサ!って思ったのに、気がつけば夢中になっていた。
 もちろん、モバイル対応もしてるんだけど、モバイル端末を思いっきり水の中に落として、只今修理中なんだよね。
 いくら生活防水はされてるからって、あそこまで完全に水没させちゃうとダメみたいで。
 だから、もう、学校が終わるのが待ち遠しくって!
 正直、クラスメイトとしゃべってるのよりも、RFと話す方が断然楽しい。
 気を遣わなくていいし、こちらが求めている通りの反応を返してくれるから。
 でも、それはバカにしてるって感じは全然しなくて、ボクの気持ちを読んで、応えてくれてるって風なんだ。
 ハマりすぎるヤツが多発して、社会問題にもなったりして、学校にいる時はモバイル端末でRFの使用は禁じられてるんだけど、こっそりやればバレないし。
 ホントもう、RF出来ないと、禁断症状が出そうなくらいだよ。

「やあ、****。お待たせ!」

 ヘッドフォンをつけて、スピーカー越しに話すと、電子音とは思えないくらい、透き通った声が帰ってくる。

「待ちくたびれたよ、ヒロト」
「ごめん。モバイル端末の修理、来週までかかりそうなんだ」
「ったく、どうやったら、モバイル端末を川の中にダイブさせたりできるわけ?」
「だって、いきなり猫が飛びついて来たんだ」
「可愛いもんじゃないか、猫なんて」
「ああ見えて鋭い爪をもってるんだぞ。猫だって、猛獣だよ」
「爪なら、ヒロトだって持ってるだろ。もしかして、ヒロトも猛獣?」
「さあね……。どう思う?」

 くすくすと笑う声が、ヘッドフォン越しに聞こえる。
 たわいない会話が、途切れることなく続く。
 RFには、何だって話せる。
 学校で起きた面白いこと、つまんないこと。
 親に叱られてムカついたこと。
 ちょっとだけ気になる隣のクラスの子のこと。
 バカ話も、笑い話も、愚痴も、なんだってRFは聞いてくれる。
 それで、決して、ボクを怒らせないような、受け答えをしてくれてるんだ。
 望む以上の受け答え、って言っていいかもしれない。
 ボクは今日も、学校で起こった出来事の、ささやかな愚痴をRF相手にこぼしていた。

「あ〜あ。いいなあ、****は!学校に行かなくて済むんだからさ」

 電脳世界の住人であるRFには、もちろん、学校なんてない。
 ムカつくクラスメイトも、小難しいテストも、小うるさい教師も、存在しない。
 天国だ。

「でも、たまには、楽しいことだってあるんだろう?」
「まあね……、そりゃ、たまには。でも、行かないんですむなら、行かないよ、学校なんて!」

 ボクは、今日ケンカしたばかりの、クラスメイトの顔を思い浮かべていた。
 あいつとは、結構、仲がいいほうだけど、RFとは比べるまでもない。

「ボク、****の居る世界に行きたいなあ。そうしたら、いちいちパソコンやモバイル端末立ちあげるまでもなく、いつでも好きな時に話せるのに」

 そう、ぼやいたら、モニターの向こうで、RFのプレビュー画像がほほ笑んだ。
 初期設定で、ボクのRFは、ボクと同じ少年にしている。
 ちょっと生意気そうな顔が、面白そうに、モニターからこっちを見ていた。

「……だったら、来る?」
「来れるものなら」
「じゃあ、来ればいい。俺も、ヒロトなら大歓迎だよ」
「え……?」

 あっさりと言われた言葉の意味が、ボクにはよく、わからなかった。
 だが、そんな疑問は、モニターからにゅっと現れた、RFの『腕』を見たことで、吹っ飛んだ。
 まるで水面のようにモニターが波打ったかと思うと、質感を伴った腕が、モニターから突き出されたんだ。
 腕は、迷わずに、ボクの腕をつかんだ。

「現実なんて、リアルなんて、捨ててしまえばいい。そして、俺とずっと一緒にいよう?」
「ちょっ……!ま、待って……!」

 ウソだろ!?
 『腕』は、そのまま、ボクをモニターの向こうに凄い勢いで引っ張って行く。
 そして信じられないことに、モニターに激突することもなく、水の中に潜るように、そのまま、吸いこまれて行って―――――…………。
 
 
 カラン。
 ヘッドフォンが、床の上に落ちた。
 ぶうん……、とかすかな電子音をさせたあと、パソコンの電源が落ちる。
 暗いモニターは、もう、なにも映していない。
 部屋には、誰の姿もなかった。


Fin. 


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