014: 記憶の狭間に



 フラッシュバックするように、思い出す光景がある。
 小さい自分が、誰かと手を繋いでいる
 締め付けられるような胸の痛み。
 それだけは覚えている。
 …だけど、相手の顔は、霞みがかって、はっきりとは見えない。


「…おい、おい、お前!大丈夫か?」

 朝食抜きなのが、いけなかったんだろう。
 最近忙しくて、残業続きで、寝不足でもあるし。
 疲労がピークに達しているのを気付かないフリをして、営業先へと向かう途中、いきなり目の前が真っ暗になった。
 立ちくらみ…貧血、ってヤツだ。
 子供の頃も、よくクラっときて倒れてて、女の子みたいでイヤだったんだけど、それも大人になって治ったと思ってたんだけど。
 あー、みっともないなあ…。

「だ…大丈夫、です…」

 道端の隅に急にしゃがみこんだ僕を、通りすがりの誰かが、心配そうに見つめている。
 そりゃ、急に倒れるみたいにへたり込まれたら、びっくりするよな。

「大丈夫には、見えないぞお前…顔色、真っ白だぞ」

 自分では見えないんだけど、相当ヤバイらしい。
 本人は、そこまで感じていないんだけどな。

「とにかく、どっかで休んだ方がいいぜ?せめてもう少し日陰の…あっちに、公園あっただろ。せめて、ベンチにでも座った方がいいんじゃないか」

 ホラ、と言って、男は、手を差し出した。
 ずいぶん親切な人だなあ…と、ぼんやりとした頭で思う。
 大丈夫です、自分で立てます、そう言おうとする前に、手を取られた。

「連れて行ってやるから」

 少し、ひんやりとして、大きい手のひら…。

「あ、あれ…?」

 記憶の狭間で、いつもはっきりしなかったモノが、カチリと音を立てて、嵌まった。


『――つれていってやるから』


 霞みがかって、見えなかった、顔…。
 目を上げると、それが、時を隔てて、今、そこに、あった。

「え…っ?何で、お前、泣いて…」

 しゃがみこんだかと思えば、今度は泣き出した僕に、男は、戸惑った顔をした。
 だけど、僕は構わずに、彼の名前を、呼んだ。

「何で俺の名前……え…、あ、嘘、お前……っ!」

 ようやく気付いて、彼は僕の名を呼んだ…十五年ぶりに。

「そうだよ、僕だよ。……連れて行ってくれるって、言ったクセに」
「それは……ごめん……約束、守れなくて……」

 あの頃の面影を残した、でもあの頃のままではない顔を、悲しそうに歪ませた彼に、僕はゆるく首を振った。

「…ううん。わかってる、わかってたから」

 遠くへ引越しが決まった彼に、行かないでと駄々をこねた。
 そしたら彼は、連れてってやる、と言った。
 どこまでも、どこまでも一緒に、連れて行ってあげる、と…。
 僕の手を引いて。
 半分、家出みたいに、僕を連れて行ってくれた。
 もちろん、すぐに連れ戻されてしまったけど…。
 連絡先を教えあう、なんて事まで考えが回らないくらい子供だった僕らは、あれから、それっきりになってしまっていた。
 …そして、日々の日常の中で、鮮烈だったはずの思い出も、薄れてしまっていた…今日、この時まで。


「じゃあ…今度こそ、ちゃんと、連れて行ってやるから。どこに行きたい?」

 思い出を飛び越えて、いきなり目の前に現れた彼は、僕の手をぎゅっと握って、笑った。
 大好きな、あの頃と変わらない、笑顔。

「それじゃ…、公園の、ベンチまで」

 気分の悪いのなんか、いつのまにか、気にならなくなっていた。
 というか、胸がドキドキして、苦しくなってきた。
 ……だって。
 フラッシュバックのように、一瞬しか見えなかった絵が、今、目の前で、確かに動き始めたのだから。


Fin.


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