016: 光を見る



 早坂昭光、彼は僕にとって光そのものだ。
 光ってのは、知っての通り、直接見てはいけない。
 あまりにもまぶしい光は、却って目をくらませてしまう。
 そしてまぶしい光は、目を瞑っていても、はっきりと感じることができる。
 それにほら、言うだろ?
 直射日光は、見てはいけません、って。
 だから僕は、早坂を決して、直視しない。
 左斜め後ろ、正確に言うと、後ろに4席、左に2席。
 その距離から、黒板を熱心に見ているふりを装って、こっそり眺めるのがベターなんだ。
 間違っても、至近距離から見てはいけない。
 見てはいけないって言うのに……。


 ペンケースの中をしばらく探ってから、消しゴムがないことに気づいたらしい。
 早坂は、こっちを見て、小声で僕に声をかけた。

「椛島、悪い。消しゴム、貸してくれない?」

 僕は、無言で、消しゴムを差し出す。

「ありがと」

 小声で礼を言うと、早坂はノートの書き損じを素早く消すと、消しゴムを返した。
 ヤバイ。
 どうしよう、この消しゴム、もう使えない。
 新しいのに取り替えて、これは家で大事に保管しようか。
 ああ、でも、まだ十分使える消しゴムが、急に新しいのに代わってたら、変だって思われるかも。
 いや、僕の消しゴムの新旧なんて、早坂は気にしないし、気付くわけ、ないよな……?
 消しゴムをペンケースの中に仕舞うわずかな間に、そんな取りとめもない思考が頭をうずまく。
 先日の席替えからこっち、ずっとこんな調子だから、授業の内容なんてちっとも頭に入っていない。
 この分だと、次のテストは確実にピンチだ。
 手だけは、機械的に動いて、板書をしてるけど、ホントにもう、それだけで精一杯って感じ……。
 たぶん僕は、ここ十年くらいの運を、先日使いきってしまったんだろう。
 じゃなきゃ、席替えで、早坂の隣になんて、なるわけがない。
 いや、待てよ。
 これは、幸運なんかじゃなく、不運なのかもしれない。
 だってそうだろ。
 授業の内容は少しも頭に入らないし、弁当だってどこに入ったかわからないくらいなんだぞ。
 ウチは、弁当の時も、基本的に席は動かさず、そのまま自分の席で食べることになっている。
 ということは、楽しいはずの弁当の時間にも、隣には、ずっと、早坂が座ってるってことで。
 そんな状態じゃ、母さんが僕の好物ばかり詰め込んでくれてる弁当の味だって、さっぱりだ。
 今日もまた、ノートだけは辛うじて取りました、という状態で、チャイムが鳴った。
 先生が教室を出ていくや否や、僕も席を立って、教室を出た。
 廊下で、小さく深呼吸をして、気を静める。
 授業中に、早坂に話しかけられるなんて。
 心臓が、持たない……。


 まぶしすぎる光のように直視できない早坂と、同じクラスになったのは、2年になった今年が初めてだけど、存在だけは去年から知っていた。
 とはいえ、もちろん、僕が、一方的に早坂を知ってたってだけで、向こうはおそらく、僕のことなんて知らないだろう。
 初めてしゃべったのだって、同じクラスになってからだし。
 去年の10月、委員会でたまたま遅くなった日に、グラウンドを走っているのを見たのが、僕が早坂を知った最初だ。
 早坂は、陸上部員だ。
 ウチの高校は、どっちかというと進学校で、部活は学業の妨げにならない程度……ぶっちゃけて言うと、あんまり活発じゃない。
 そんなわけで、陸上部も、そう目立った活躍は無く、その日まで僕は陸上部という存在そのものを気にかけたことは無かった。
 陸上競技に興味がある、とかじゃないしね、全然。
 見る方も、せいぜい球技、野球やサッカーをテレビで観戦するくらいのもんだし、部活にも入ってない。
 そんな、運動は体育の授業だけ、みたいな僕なのに、早坂が走っている姿に、不思議と目が引きつけられたんだ。
 別に、特別早く走ってたとか、フォームがきれいだったとか、そういうわけじゃない。(まあ、そもそもフォーム云々なんて、僕にわかるはずもないけどさ)
 こう言ういい方すると、笑われそうだけど。
 光って、見えたんだ。
 走ってる、早坂の姿が。
 夕日を赤く染めていたグラウンドは、早坂にも射していたけど、それだけじゃなくて。
 早坂自身が、内側から、光を発しているように、僕には見えた。
 同じペースで、同じフォームで。
 ただ、グラウンドを走っていただけなのに、僕は早坂から目が離せなかった。
 その時の僕は、早坂を早坂とまだ認識してなくて、確か隣のクラスのヤツ……くらいにしか意識してなかったんだけど。
 誰かを、もっと、見ていたい、と思ったのはその時が初めてだった。
 もしかして、それは一目ぼれなのかも、しれなかった。
 それから僕は、こっそりと、早坂を見るようになった。
 陸上部の練習のある日(学業優先なウチの高校の部活動は、毎日やってるとこの方がめずらしい)は、残ってひっそり見物するようにした。
 隣のクラスと合同で何かやる時(体育で、校外マラソンは隣クラスと合同だった)は、離れた場所から様子を眺めたりした。
 僕は、決して、近づかないように注意した。
 走っていない時も、早坂は、光って見えた。
 どうして今までは気付かなかったんだろうって感じだけど、一度気づいてしまってからは、その光は消えることはなくて。
 あの光は、たぶん、綺麗なだけじゃなくて、熱いんだ。
 だから僕は近づかない。
 少し離れた場所から、直視しないように、そうっと眺めた。
 ちょっと低くて、かすれた声は、もう少し近くで聞きたかったけど、我慢だ。
 1日1回、僕は早坂昭光という光が見られたら、それでよかった。
 それは、1日分の英気が得られた感じで、僕を温かく満たした。
 それで十分満足していたのに、2年になって、同じクラスになった。
 いつでもそれなりの距離で光が見られるようになって、そりゃ内心喜んだけど、ここまで近くでみたいなんて、思ってなかった!
 後ろに4席、左に2席。
 そのくらい離れた距離が、ベストポジションだったのに!


 もしかして、僕の命は今年で終わりなのかもしれない。
 竹ぼうきで裏庭の落ち葉を掃き集めながら、僕は半ば真剣に、思っていた。
 じゃなきゃ、たった2人しか担当しない、裏庭の掃除当番が、僕と早坂になるなんて、あるわけない。
 いや、掃除当番は席順で割り振られているんだから、なにも別に、不思議な事はない。
 だが、他にもっと、人数の多い、教室掃除とか職員室掃除とかあるだろ?
 席替えのタイミングで、割当人数の少ない裏庭に当たるとか、ありえない。
 ザッザッザ……。
 竹ぼうきが掃く音が、人通りの少ない裏庭で、やけに大きく聞こえる。
 裏庭の向こう、塀の外側は車道だが、この時間帯は車も少なく、まばらに木が植わっているだけのここは、人からも時間からも、ぽっかりと切り離された空間に思えた。
 そんな場所に、僕が早坂と2人きり……って、よそう!考えるのは。
 考えたら、余計に緊張しちゃうじゃないか。
 今だって、必死に、早坂の方を見ないように見ないように、気をつけて落ち葉だけを見て掃除に専念してるんだから。
 集中、集中だ。
 15分と言う掃除時間が、やけに長い。
 15分なんて嘘だろ?ホントは1時間あるんじゃないの?ってくらい。
 そうやって、掃除に今までの人生の中で最も集中していたもんだから、いつのまにか近づいていた早坂からふいに声をかけられた時は、比喩じゃなくて、心臓が止まるかと思った。

「なあ。椛島って、俺の事、キライだったりする?」

 ザッザッザ……。
 規則正しくほうきを動かしながら、なんでもないように問われたことは、もちろん僕にとってなんでもなくなんてなかった。
 ほうきを取り落としそうなくらい、衝撃の質問だった。

「えっ……、そっ……、な、なんで?」

 激しく動揺するあまり、口がうまく回らない。
 ほうきをぎゅっと握りしめていなければ、倒れてしまいそうな気分だった。

「ん〜。なんか、席、隣なのに、こっち見ないし。話しかけても妙に素っ気ないし。俺、心当たりないけど、椛島に嫌われるようなことしたのかなって。違う?」

 ほうきの柄に、頭を乗っけて、早坂はこっちを見ていた。
 あまりに至近距離すぎて、顔がちりちりする。熱くて。

「ち、違うっ!そ、そうじゃなくて、逆で……!」

 慌てふためくあまり、僕は自分が何を口走っているのか、自分でもよくわかってなかった。
 だが、早坂はそんな僕の言葉の意味を素早く捉えたらしく、更に問い返してきた。

「逆?ってことは、嫌いじゃなくて、好きってこと?」
「………っ!!」

 そ、そんなストレートに聞かれて、ハイソウデス、なんて返事するヤツいるのか!?
 もちろん僕は、ハイ、なんて答えられるほど心臓に毛は生えてなかった。
 酸欠の金魚みたいに、口をパクパクさせて、結局何も言えずに口を閉じた僕を、早坂はじっと見て、それからニッと笑った。

「ふうん。そっか。よかった、安心した」
「え……?」

 なんだか、予想外の感想?が返ってきて、僕は間抜けな声が漏れた。
 それを早坂は、問いかけと取ったのか、さらに続けて答えた。

「俺、ずっと、椛島に嫌われてるんじゃないかって、不安だったんだ」
「不安って……?」
「せっかく席隣になってさー、いっぱいしゃべれる、とか思ってたのに、椛島、妙にだんまりだし。相沢らとは結構喋ってるじゃん?別に、特別、大人しい、とかじゃないのに、俺には素っ気ないから。つまんないなって……」

 いっぱいしゃべれる?
 それって、誰が、誰と?
 ここには、僕と早坂しかいなくて、当然それは、僕と早坂の話に決まってるんだけど、そうなんだって思えなかった。
 ホントは誰か違う人のことを話してるんじゃないのか?
 だってそれは、あまりにも僕に都合が良すぎるじゃないか……。

「……椛島?」

 黙り込んでしまった僕を、早坂は心配そうに見ている。
 何か、言わなくては。
 そう思うんだけど、何をどういえばいいのか、言葉がみつからない。

「なんで……」

 僕は、何とか言葉を思い出すと、つばを飲み込んで、早坂に尋ねた。

「なんで、早坂は、僕と、その……、しゃべりたい、とか、思うんだ?」

 あと少しで2学期も終わろうという、今まで、僕らは特に親しくもなく、ただ同じ教室にいるだけ、って感じのクラスメートで。
 僕はそれで満足してたし、早坂は僕のことなんて気にもしてないって、思ってた。
 早坂は、僕から目をそらすと、ほうきの柄から頭を下して、早口で言った。

「なんでってそりゃ、椛島が気になるから。本当はもっと早く色々しゃべってみたかったのに、タイミングつかめないままもう11月だ。せっかく席隣になったんだから、このチャンスを逃す手はないだろ?」
「チャンス……」
「だよっ!お前だって俺のこと、気にしてただろ?なんか視線、感じてたし」
「うっ、えっ、あ、あの、ごめん!」

 しどろもどろになってとっさに謝ると、謝るなよバカ、と言われて、腕をつかまれた。

「見てた、よな……?」
「う……、うん」

 この期に及んでしらを切っても無駄な抵抗、という気がしたので、僕は観念してうなずいた。
 うなずいたが、猛烈に恥ずかしい。
 バレてないって思ってたのに、しっかりバレてたなんて!

「見られてるのはなんとなくわかってたんだけど、俺が見るともうこっち見てないし。どういう意味で見てるのかまではわかんねえし。もしかしたら、思いっきしガン飛ばして睨んでんのかもしれねえじゃん?……だから、いっぺんちゃんと聞いときたかったんだ。どういう意味で、俺を見てんの?って。ねえ、どういう意味……?」
「そ、それは……っ、さっき、ほとんど答えたような気がするんだけど……」
「ちゃんと、もう1回、はっきり聞かせてよ」

 ズルイ。
 本人目の前にして、はっきり言え、とか。
 そんな尋問しないで欲しい。
 ただでさえ、さっきからものすごい至近距離で見てて、というか見られてて、なんかもう、まぶしいを通り過ぎて、焦げつきそうなのにっ!

「ねえ?」

 いつのまにか両腕をつかまれていて、竹ぼうきは地面に落ちていた。
 まぶしくて目がつぶれる。
 だから、そんな近くから僕を見ないでくれ!
 つかまれている腕が、熱い。
 ヤバイ。
 もうダメだ。

「す……」
「す?」

 焦げる。
 消し炭になる。

「うわっ、ちょ、椛島……っ!?」

 色々限界に達した僕は腕をつかまれたまま、身体の力が抜けてその場にへたり込みそうになった。
 慌てた早坂に支えられて、何とか地面に激突することだけは免れたのだった……。


 ペンケースの中をしばらく探ってから、蛍光ペンがないことに気づいたらしい。
 早坂は、こっちを見て、小声で僕に声をかけた。

「蛍光ペン貸して?」
「……ハイ」
「ありがと」

 早坂は先生が強調した教科書の箇所をマーカーしてから、ペンを僕に返す。 
 僕がペンを受け取っても、何故か早坂はペンから手を離さない。
 不思議に思って隣を見ると、ほんのすぐ近くから、こっちを見ている目と、目が合った。
 のぞきこむように微笑まれて、僕は急いで目をそらした。
 教科書を熱心に読む、フリをする。
 小さく笑う気配が、ペン越しに伝わってきた。


 早坂昭光、彼は僕にとって光そのものだ。
 光ってのは、知っての通り、直接見てはいけない。
 だけど光の方が僕を見ていたら、どうしようもない。
 光に見られたら、目を瞑っていたって、その存在を感じないでいることなんて、できないのだから。
 
 
Fin.


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