018: 真夏の雪



 つぎつぎと天から舞い落ちる白い花びらに、俺は目を見張った。
 いや、違う。
 あれは、花びらじゃなくて………。

「ウソだろ……! 雪!?」

 手のひらを上に向けると、ふわりと落ちてきたそれはあっけなく溶けて消えてしまう。
 これは花びらなんかじゃなくて、間違いなく、雪だ。

「そうだよ。オレ、約束通り、雪、降らせた。だから、レティも、約束、守って」

 振り向くとひょろりと背ばかり高い、年下の少年が俺をじっと見ていた。
 魔導士見習いのあかしである、白いローブの下から見えるシャツは、半袖だ。
 ズボンの丈も、ひざ下までしかない。
 風が吹いて、ひまわりがおじぎするように揺れ、その上にも雪が降り、積もることなく溶けていく。
 そう、今は―――夏、だった。

「約束って……?」

 戸惑うように俺が問うと、彼はちょっと眉をひそめた。

「忘れたのか? 夏に雪を降らせたら、俺のモノになってくれるって、レティ、言った」
「あ………」

 それを聞いて思い出した。
 うん、確かに、言ったな。
 ただしそれは、ヤツがあんまりしつこかったから、ほんの冗談のつもりで言ったのだ。
 天候を操る魔導はたいへん高度な技で、学院の生徒が簡単にできるようなものではない。
 しかも季節を無視してそれを行うなど、資格を持つ魔導士にだって容易ではない。
 ようするに体の良い、断りのつもりで約束したのだ。
 
 もしお前が夏に雪を降らせることができるんなら、お前のモノになってやってもいい―――。
 
 出来ないことを前提にしたものとして。
 だから俺は自分で言った言葉を、今、ラスに呼び出されて、ひまわり畑に降る雪を見せられるまですっかり忘れていたのだ。
 
 
 学院始まって以来、百年に一度と言われる天才、ラス。
 溢れる才能と引き換えなのか、彼はひどく人付き合いが苦手で、他の生徒らと親しく付き合おうとしない。
 ただし、俺はのぞく。
 二つ下の彼が学院に入学した時、彼の面倒をみたのがたまたま、俺だった。
 それだって講堂に案内したり、ちょっとした言葉をかけてやったりと、その程度のものだ。
 特別親しみを見せたわけでもないのに(もちろん、特別、無愛想に接したわけでもないが)、何故か、ラスは俺に懐いた。
 級友いわく俺は面倒見がいいそうだが、それだって、先輩としては当然のことをしたまでだ。
 学期が始まってからも、ひとりでいることが多いラスを見かけて気になって、こまめに話しかけたりはしたけれど。
 でもそれはアイツが特別だからなんじゃなくて、それがほかのヤツでも同じように気にかけたと思う。
 とにかく俺は、普通の事しかしていない。
 それにラスは話しかければ返事をするが、別段嬉しそうでもなかったし、どっちかというと反応も薄かった。
 まあ、俺はそういうの気にしないで話かけちゃう方なんだけど。
 だが聞くところによると、話しかけて返事をするだけでも、ラスに限って言えば特別なんだそうだ。
 俺はそれを聞いて、のけぞったね。
 他のヤツが話しかけても、まるで空気のように無視するらしい……。
 ヤツが無視しないのは、辛うじて教師くらいなのだという。
 容姿も同じ学年の生徒の中では背が高く大人びている事もあって、カッコいいのだが、冷たく見えるのだと言う。
 そりゃ、にこやかではないが、実際にしゃべってみると別に冷たいってことはないんだけどなあ……。
 ただひたすら、人付き合いが苦手なだけなのだ、ラスは。
 話しかけられてもどう答えていいのかわからなくて、黙っている内に相手が去ってしまうのだと言っていた。
 短くても、あいづちでもいいから、何かしゃべればいいんだよって言ってるんだけどなー。
 高度な魔導をいともあっさりとこなしてしまうのに、こういう基本的なことはどうしても苦手なのだそうだ。

「オレは、レティがいれば、いいから……」
「そういうわけにはいかねぇだろ。学年違うんだし」
「飛び級する……」
「ウチの学院は飛び級はやってません。それに、お前なら、すぐ俺なんか飛び越すだろ」
「…………」
「誰もお前の事、取って食いやしねえんだから。もっと気楽に話しかけてみろって」
「やだ………」
「しょうがねえなあ、ホントに」

 と言うような会話をこの春からいく度、繰り返した事だろう。
 あげくに、

「レティが、オレのモノになってくれたらいいんだ。そしたら、オレ、他に何にも要らない……」
「あのなあ……」
「ダメか?」
「あー……。そうだな、もしお前が夏に雪を降らせることができるんなら、お前のモノになってやってもいいぞ」
「わかった」
「おい、そうあっさりうなずくなよ、この一年坊主め!」

 入学したての一年生に、季節を無視した天候の魔導がホイホイ出来るもんかよ!
 ……と思って、あの時の話はそれで終わったつもりだった。
 どうやらラスにとっては、終わってはいなかったらしい。
 夏の空に浮かんだ白い雲からは、あとからあとから、雪が降り続いている。
 そのせいか暑さが和らいで、涼しい気がする。
 ひまわりに至っては、なんだか寒そうにも見える……。
 

「約束……」

 ラスは俺の目をじっと見て、俺の返事を待っている。
 冗談でもなんでも、約束してしまったのは事実だ。
 俺は小さくため息をつくと、うなずいた。

「わかったよ。お前のモノになってやる」

 そう答えると、ラスは目に見えて顔をほころばせた。
 そうやって笑うと、年相応の少年に見える。

「ただし、ひとつ、条件がある」

 俺はビシっと、指を一本立てた。
 ラスは顔をしかめて、抗議する。

「そんなの、ズルい」
「ズルくても、条件をのまなきゃ、約束はチャラだ。俺は先輩だからな。先輩命令ってヤツだ」
「…………何?」

 観念したのかラスは、その先を促した。
 俺はラスを見て、にっと笑うと条件を伝えた。

「俺以外の友達を作ること。そうだな、最低、3人かな」
「え……っ。無理」
「無理じゃねえ! 絶対、出来る! 夏に雪を降らせられるんだぞ、お前は。それに比べたら友達百人作る方が、よっぽど簡単なんだよ」
「夏に雪を降らせるほうが、簡単……」
「それはお前だけだ」

 ぴしりと指摘すると、ラスは不満げに口をとがらせた。
 そう言う風に拗ねると、今度はひどく子供っぽく見えてなんだか可愛い。
 こういう可愛い面があるのに、それを知ってるのが俺だけというのは、ちょっともったいないって思うんだ。

「そうだな。まずは、あいさつから始めたらいいんだ。教室入ったら、おはよう、って言うんだ」

 向かい合って、ラスの頬に手を伸ばす。
 不安そうな眼差しが、少し揺らいで俺を見ているのに気付いて、俺は力強く頷いてみせた。

「きっと、大丈夫だから。な?」
「………う、ん」

 ラスは頷きを返すと、俺の口の中に、返事を吹き込んだ。

「こら。それは、ちょっと、早いぞ」
「これは、契約……」

 キスが?
 まるで魔導の儀式のように言うラスの口調がおかしくて、俺はちょっと笑った。
 うん、でもまあ、それでも、いいかな。

「じゃあ、契約、成立だな」
「ん……」

 今度は俺から、キスをする。
 頬に触れる手にも、触れ合う唇の上にも、冷たい雪が落ちて、またたく間に溶けてゆく。
 ラスに百人友達ができますように。
 幻のように降る夏の雪の下でそう願いながら、この天才魔導士見習いの可愛い所を知っているのは、やっぱり当分、俺だけでいい。
 そんな矛盾したことを、俺はこっそり考えていた。


Fin. 


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