つぎつぎと天から舞い落ちる白い花びらに、俺は目を見張った。
いや、違う。
あれは、花びらじゃなくて………。
「ウソだろ……! 雪!?」
手のひらを上に向けると、ふわりと落ちてきたそれはあっけなく溶けて消えてしまう。
これは花びらなんかじゃなくて、間違いなく、雪だ。
「そうだよ。オレ、約束通り、雪、降らせた。だから、レティも、約束、守って」
振り向くとひょろりと背ばかり高い、年下の少年が俺をじっと見ていた。
魔導士見習いのあかしである、白いローブの下から見えるシャツは、半袖だ。
ズボンの丈も、ひざ下までしかない。
風が吹いて、ひまわりがおじぎするように揺れ、その上にも雪が降り、積もることなく溶けていく。
そう、今は―――夏、だった。
「約束って……?」
戸惑うように俺が問うと、彼はちょっと眉をひそめた。
「忘れたのか? 夏に雪を降らせたら、俺のモノになってくれるって、レティ、言った」
「あ………」
それを聞いて思い出した。
うん、確かに、言ったな。
ただしそれは、ヤツがあんまりしつこかったから、ほんの冗談のつもりで言ったのだ。
天候を操る魔導はたいへん高度な技で、学院の生徒が簡単にできるようなものではない。
しかも季節を無視してそれを行うなど、資格を持つ魔導士にだって容易ではない。
ようするに体の良い、断りのつもりで約束したのだ。
もしお前が夏に雪を降らせることができるんなら、お前のモノになってやってもいい―――。
出来ないことを前提にしたものとして。
だから俺は自分で言った言葉を、今、ラスに呼び出されて、ひまわり畑に降る雪を見せられるまですっかり忘れていたのだ。
学院始まって以来、百年に一度と言われる天才、ラス。
溢れる才能と引き換えなのか、彼はひどく人付き合いが苦手で、他の生徒らと親しく付き合おうとしない。
ただし、俺はのぞく。
二つ下の彼が学院に入学した時、彼の面倒をみたのがたまたま、俺だった。
それだって講堂に案内したり、ちょっとした言葉をかけてやったりと、その程度のものだ。
特別親しみを見せたわけでもないのに(もちろん、特別、無愛想に接したわけでもないが)、何故か、ラスは俺に懐いた。
級友いわく俺は面倒見がいいそうだが、それだって、先輩としては当然のことをしたまでだ。
学期が始まってからも、ひとりでいることが多いラスを見かけて気になって、こまめに話しかけたりはしたけれど。
でもそれはアイツが特別だからなんじゃなくて、それがほかのヤツでも同じように気にかけたと思う。
とにかく俺は、普通の事しかしていない。
それにラスは話しかければ返事をするが、別段嬉しそうでもなかったし、どっちかというと反応も薄かった。
まあ、俺はそういうの気にしないで話かけちゃう方なんだけど。
だが聞くところによると、話しかけて返事をするだけでも、ラスに限って言えば特別なんだそうだ。
俺はそれを聞いて、のけぞったね。
他のヤツが話しかけても、まるで空気のように無視するらしい……。
ヤツが無視しないのは、辛うじて教師くらいなのだという。
容姿も同じ学年の生徒の中では背が高く大人びている事もあって、カッコいいのだが、冷たく見えるのだと言う。
そりゃ、にこやかではないが、実際にしゃべってみると別に冷たいってことはないんだけどなあ……。
ただひたすら、人付き合いが苦手なだけなのだ、ラスは。
話しかけられてもどう答えていいのかわからなくて、黙っている内に相手が去ってしまうのだと言っていた。
短くても、あいづちでもいいから、何かしゃべればいいんだよって言ってるんだけどなー。
高度な魔導をいともあっさりとこなしてしまうのに、こういう基本的なことはどうしても苦手なのだそうだ。
「オレは、レティがいれば、いいから……」
「そういうわけにはいかねぇだろ。学年違うんだし」
「飛び級する……」
「ウチの学院は飛び級はやってません。それに、お前なら、すぐ俺なんか飛び越すだろ」
「…………」
「誰もお前の事、取って食いやしねえんだから。もっと気楽に話しかけてみろって」
「やだ………」
「しょうがねえなあ、ホントに」
と言うような会話をこの春からいく度、繰り返した事だろう。
あげくに、
「レティが、オレのモノになってくれたらいいんだ。そしたら、オレ、他に何にも要らない……」
「あのなあ……」
「ダメか?」
「あー……。そうだな、もしお前が夏に雪を降らせることができるんなら、お前のモノになってやってもいいぞ」
「わかった」
「おい、そうあっさりうなずくなよ、この一年坊主め!」
入学したての一年生に、季節を無視した天候の魔導がホイホイ出来るもんかよ!
……と思って、あの時の話はそれで終わったつもりだった。
どうやらラスにとっては、終わってはいなかったらしい。
夏の空に浮かんだ白い雲からは、あとからあとから、雪が降り続いている。
そのせいか暑さが和らいで、涼しい気がする。
ひまわりに至っては、なんだか寒そうにも見える……。
「約束……」
ラスは俺の目をじっと見て、俺の返事を待っている。
冗談でもなんでも、約束してしまったのは事実だ。
俺は小さくため息をつくと、うなずいた。
「わかったよ。お前のモノになってやる」
そう答えると、ラスは目に見えて顔をほころばせた。
そうやって笑うと、年相応の少年に見える。
「ただし、ひとつ、条件がある」
俺はビシっと、指を一本立てた。
ラスは顔をしかめて、抗議する。
「そんなの、ズルい」
「ズルくても、条件をのまなきゃ、約束はチャラだ。俺は先輩だからな。先輩命令ってヤツだ」
「…………何?」
観念したのかラスは、その先を促した。
俺はラスを見て、にっと笑うと条件を伝えた。
「俺以外の友達を作ること。そうだな、最低、3人かな」
「え……っ。無理」
「無理じゃねえ! 絶対、出来る! 夏に雪を降らせられるんだぞ、お前は。それに比べたら友達百人作る方が、よっぽど簡単なんだよ」
「夏に雪を降らせるほうが、簡単……」
「それはお前だけだ」
ぴしりと指摘すると、ラスは不満げに口をとがらせた。
そう言う風に拗ねると、今度はひどく子供っぽく見えてなんだか可愛い。
こういう可愛い面があるのに、それを知ってるのが俺だけというのは、ちょっともったいないって思うんだ。
「そうだな。まずは、あいさつから始めたらいいんだ。教室入ったら、おはよう、って言うんだ」
向かい合って、ラスの頬に手を伸ばす。
不安そうな眼差しが、少し揺らいで俺を見ているのに気付いて、俺は力強く頷いてみせた。
「きっと、大丈夫だから。な?」
「………う、ん」
ラスは頷きを返すと、俺の口の中に、返事を吹き込んだ。
「こら。それは、ちょっと、早いぞ」
「これは、契約……」
キスが?
まるで魔導の儀式のように言うラスの口調がおかしくて、俺はちょっと笑った。
うん、でもまあ、それでも、いいかな。
「じゃあ、契約、成立だな」
「ん……」
今度は俺から、キスをする。
頬に触れる手にも、触れ合う唇の上にも、冷たい雪が落ちて、またたく間に溶けてゆく。
ラスに百人友達ができますように。
幻のように降る夏の雪の下でそう願いながら、この天才魔導士見習いの可愛い所を知っているのは、やっぱり当分、俺だけでいい。
そんな矛盾したことを、俺はこっそり考えていた。
Fin.
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