019: 重複する意識



 雑踏で、肩がぶつかって、すれ違いざまに振りむいた。
 すみません、と謝って、通り過ぎる。
 ただそれだけの、よくあることのはずだった。
 だけど僕は、振りむいて、『彼』の顔を見たとたん、スーツの袖をしっかりとつかんでいた。
 なかば、無意識で。
 そして、怪訝そうな顔で僕を見つめる、そのサラリーマン風な男の前で、僕はボロボロと泣きだしていた。
 『彼』だ。
 本当に、『彼』が、いた―――――。


「はい。コーヒーでよかったかな? 微糖」
「す、すみません……あの、お金」

 人の顔を見ていきなり泣き出してしまった僕を、そのひとは、公園のベンチまでつれてきてくれた。
 そして自販機から缶コーヒーを買ってきて、僕に手渡してくれる。
 カバンから財布を取り出そうとした僕に、『彼』は、いいよ、俺も喉乾いてたからついで、と言った。
 僕は頭を下げて、カバンを元に戻した。

「当たり所が悪かった、とかじゃ、ないんだよね」
「はい……、あの、ほんと、すみません………」

 見ず知らずの学生が、いきなり袖をつかんできて、しかも泣きだされては、わけがわからないだろう。
 ふりほどいて、さっさと歩きだしてもおかしくないのに、こうやって、落ち着く場所まで連れてきてくれるなんて、やっぱり『彼』は、優しい人なんだな、と思った。
 僕は、左手で、乱暴に顔をこすった。
 条件反射のように、『彼』の顔を見てあふれだした涙は、ようやく止まっていた。
 人前で、こんなに大泣きするのなんて、幼稚園の頃以来じゃないか?
 自分でも、びっくりだ。

「それで、どうしたの? もしかして、俺、生き別れの兄の顔にでも、似てた?」

 冗談っぽく、そう言われて、僕は、『彼』の顔をまじまじと見つめた。

「え……? うそ、マジで!?」

 それを見て、本気にされてしまったらしい。
 僕は、慌てて首を振った。

「いえ、そうじゃ、ないんですけど……」

 生き別れの兄じゃないけど、ちょっとだけ、それに近いかもしれない。
 だけど、それは生き別れの兄、よりも、もっと、突拍子のないことだ。
 正直、口にしても、信じてもらえる自信はない。
 だけど、缶コーヒーまでおごってもらったのだ。
 このまま、何もしゃべらないわけにもいかないだろう。
 信じてもらえなくても、一応、説明はしてみよう。
 それがきっと、『あのひと』の、願いなのだろうから………。

「あの……。ユーチ、って人、ご存じじゃないですか? たぶん、僕と同じくらいの年だと思うんですが」
「ゆーち……?」

 驚いたような顔で、『彼』は、僕を見た。
 この反応は、どっちだ?

「知らなかったら……」
「いや……。知ってる。中学の時、仲の良かった友人だ。……というか、何故、その名前を、君が……」

 省略された言葉は、何故、その名前を君が知っているのか、だろう。
 僕は、缶コーヒーを一口飲んで、喉を湿らせてから、口を開いた。
 微糖、って言っても、結構甘いな、これ……。
 
「夢で、見たんです」
「は……?」

 僕の言葉に、『彼』は、まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔(って、どんな顔なのか、見たことないけど)を、した。
 そりゃ、そうだよな。
 僕が彼でも、「は?」って感じだもん。

「あの……、変な、話だと思うんですけど、僕は小さなころから、繰り返し同じ夢を見るんです。僕は、いつも、中学生か高校生くらいの男子で。仲のいい、友達がいて……。音は、聞こえないんです。サイレントムービーって言うのかな? そんな感じで……」

 もうすっかり、慣れ親しんで、まるでもうひとりの僕であるかのように、僕は、幼いころから、繰り返し、同じ少年が出てくる、夢を見ている。
 僕は、その夢の話を、彼に語った。

「夢自体は、別に他愛のないものなんです。男子学生が、学生生活を送ってるだけ、みたいな。とても楽しそうで。だから僕、小さなころから、早く学校に行きたいな、って思ってました。凄く仲のいい友達がいて、それがうらやましくて。夢の中の僕は、たぶん、ですけど、『ユーチ』って呼ばれてました。『彼』の口の動きで、そう思っただけだから、ホントは違うのかもしれませんが……」
「………それで?」

 僕の突拍子のない話を『彼』は遮ることなく、聞いてくれた。
 それに勇気づけられて、僕は続きを語った。

「ある日、理由はよくわからないんですけど、『ユーチ』は『彼』とケンカしてしまうんです。そして、『ユーチ』は、走って、行ってしまって………。それで、夢は、終わりです」
「…………」

 話を聞き終わった『彼』は、黙って、自分の手にしていた缶コーヒーを飲んだ。
 僕も、もう一口、缶コーヒーを飲む。
 そして、一番大事な事を、『彼』に告げた。

「その、夢の中で、『ユーチ』がケンカしてた相手が、あなたにそっくり、なんです」

 正確には、夢の中の『彼』が大人になって、スーツを着たら、こんな感じだろうな、というのが、目の前にいる、『彼』だった。
 今、目にしていても、信じられない。
 どうして、同じ夢を何度も見るんだろう、と不思議に思いはしても、その夢の人物が実在するかも、なんてことは考えたことはなかった。
 夜寝ている時に見る夢は、夢でしかなくて。
 きっと、小さいころ見た何かのテレビとか、誰かから聞いた話とかが、ごっちゃになって、夢を作りだしているんだろうと思っていた。
 音は聞こえないけど、その夢はあまりにもリアルで、夢の中で、もうひとりの僕が『ユーチ』として暮らしてるんじゃないか。
 そんな風に、現実と重なっているように感じた事もあった。
 だけどそれも、小学生くらいの頃までのことで。
 今はなじみのある、楽しくて―――胸の痛い、夢にしか過ぎないものだった。
 その、はずだったのに……。

「もし、本当に、『彼』がいて、会えたら………」

 まだ温かいコーヒーの缶を両手にもって、ベンチの傍らに立つ、『彼』を見上げた。

「伝えたいことが、あるんです」
「何………?」

 僕を見る、『彼』の目は、不思議と優しくて。
 うながされるように、僕は、続けた。

「ごめん、って。キライなんて言って、ごめん、って。ほんとは、嬉しかった。ありがとう、って……」

 僕には、夢の中の『彼ら』のケンカの理由は、わからない。
 だけど、『ユーチ』は、ずっと、謝りたかったんだ。
 どうしてだかわからないけど、それは叶わなくて。
 その叶わない想いが、これまたどうしてだかわからないけど、僕の夢の中に、繰り返し繰り返し現れた。
 夢だからどうしようもないって、ずっと思ってたけど、そうじゃなかったんだ。
 今、この時。
 この言葉を、『彼』にあやまたず伝えるために。
 僕は、何度も同じ夢を、見続けてきたんだろう。

「そうか………。ありがとう」

 だって、『彼』は、笑ってくれたから。
 どこか、痛いところを押さえるみたいな顔して。
 僕も、またこぼれそうになった嗚咽を、コーヒーを飲むことで、なんとか、ごまかして、笑い返した。


 自販機の横の屑かごに、飲み終わった缶を投げ入れた。
 カラン、と気持ちよく音が響いた。
 続けて、同じように、『彼』の缶も吸い込まれて行く。

「そろそろ、行こうか」
「はい」

 なんだかまだ名残惜しい気分だけど、いつまでもここにいるわけにもいかない。
 公園の出口まで、僕は『彼』と連れだって、歩いた。
 そして、右と左に分かれる前に、『彼』は、僕を見て、言った。

「そうだ。君、名前、なんていうの? 俺は、高良忠行。しがない会社員。今年で三十歳」
「あ……、僕は、相模、優一です。来月で、十六です」
「ゆーち」

 ぽつりと呟かれて、僕は『彼』を見上げた。

「え?」
「あいつと、おんなじ名前。祐一で、ゆーち」

 懐かしそうな目で、『彼』は、空を仰いだ。

「そっか……同じ名前なんですね。だから、なのかな……」
「同じ名前だから、ゆーちが、夢を見せたって? そうだな、そうかもしれないな」

 僕の頭を、わしゃわしゃっと軽く撫でて、『彼』は笑った。
 その笑顔に、僕は束の間、見とれた。
 それは、夢で何度も目にした、懐かしい笑顔だった。

「ん? どうした」
「いえ……あ、あの。れ、連絡先、教えてもらってもいいですか!?」

 って、何言ってんだ、僕は!
 これじゃ、ナンパみたいじゃないか。
 そう思って、内心慌てる僕を、『彼』、高良さんは、おかしそうに見ている。

「いいよ。男にナンパされたのは、はじめてだな」
「す、すみません……っ!」
「あやまるようなことじゃないだろ。ほら、ケータイ、出して。番号、交換しよう」
「はい!」

 スーツの内ポケットから、高良さんがケータイを出したので、僕も慌ててカバンからケータイを取りだした。
 赤外線で、番号を交換する。

「また、会ってくれますか? それで、『ユーチ』さんの話、聞かせてください」

 ケータイを仕舞ってから、僕が言うと、彼はケータイをスーツの内ポケットに収めながら言った。

「いいよ。いくらでも。だけど、それより、俺は、優一くん。君の話を聞きたいな」
「ぼ、僕の話……?」
「うん。で、俺の話も、聞いて欲しい。だって、せっかく、ゆーちが、引き合わせてくれたんだから、さ」
「は、はい………!」

 手を指し伸ばされて、僕は高良さんを見上げて――高良さんは、あとちょっとで170の僕より、10センチ以上は高かった――、それから、手を握り返した。
 夢の中では、何度も触れた事のある手は、思ったよりもずっと大きくて、温かかった。


Fin. 


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