023: 綺麗な



 至近距離から突き刺さるような視線を感じながら、俺は今日の予定を告げた。

「後は、遅くなるから直帰で。部長にはもうそう言ってあるから。……聞いてるのか?」
「聞いてますよ、もちろん。僕が先輩の言葉を聞き逃すはずないじゃないですか」

 一言一句、と続ける有里にいやそこまでは……という言葉はとりあえず飲み込む。
 いってらっしゃい、と声をかける事務の女の子に軽く手をあげてから、俺は有里と社を後にした。


 思ったよりスムーズに商談がまとまり、予定の時間より早く終わってしまった。
 それなら接待がてら飲みにでも、という流れにいつもならなるのだが、こちらはよくてもあちらに都合があって、それもナシ。
 社に戻ってもよかったが、たまにはこんな日があってもいいよなと、そのまま帰ることにした。
 俺は隣を歩く有里に声をかけた。

「家で飲むなら、ビールかなんか、買ってく? それともどっか寄ってくか」
「家がいいですね。そのままゆっくりできますし」
「じゃあビール買っていこう。せっかくだから、たまには本物のビールな」

 そんなわけで、スーパーに寄って帰って行くことになった。
 ついでに飯も家でちゃんと作ることにし、野菜や肉を物色する。
 買い物カゴを持つのは有里で、俺は値引きシールが貼られた国産和牛をカゴに突っ込む。
 今夜は、焼肉にビールだ。
 豆腐も買おう。
 俺、冷ややっこ好きなんだよな。
 あ、削り節も忘れないように買わなきゃ。
 そんな感じでどんどんカゴに食材を入れていく。
 次第に重くなっていくカゴを持った有里は、忠犬のように大人しく俺の後をついてくる。

「お前も、なんか欲しいもんあったら言えよ」

 ちょっと入れ過ぎたか、と申し訳なく思って振り返ってそう言うと、有里はにこにこしながら首を振った。

「いえ。俺は先輩が食べたい物を一緒に食べるんで、十分です」
「そうか……? 遠慮しなくていいんだぞ?」
「してませんって」

 食費は折半してるんだから、ちゃんとお前も自分の欲しい物を……と言おうとして、止めた。
 大体いつも、俺の好きなもんを美味そうに食ってるからなあ、有里。
 基本、好き嫌いってもんがないらしい。
 先輩の好きなものなら、何でも好きです、と言うのも別段、嘘ではないらしい。
 有里がそれでいいなら、俺も構わないけど。
 レジを済ませたら、買い物袋が3袋にもなってしまった。
 ううむ、ちょっと買いすぎたか……。
 今日、月初めの安売りだったんだよな。
 つい、マヨネーズとかまだ家にあるものも、切れた時の予備にと買ってしまった。
 それなりに重量感のあるそうな袋を3つ全部持って、有里が歩き出したのを、俺は慌てて追いかける。

「おい、俺も持つって!」

 袋を奪おうとすると、ひょいと交わされる。

「いいですよ。俺が持ちますから」
「でも、3つ全部はいくらなんでも重いだろう」
「平気です、このくらい」
「いや、だけど……」
「先輩が気になるって言うなら、じゃあ1個だけ」

 そう言って、当然のように一番軽いのを手渡された。

「……先輩?」
「1個だけなら、一番重いヤツでもいいんだぞ」
「先輩にそんなこと、させられるわけないでしょう。それに……」
「それに?」
「こんなことで、先輩に余計な体力使って欲しくないですから。今夜のために温存しておいてください」
「………!!」

 にっこり笑って告げられた言葉に、俺は絶句した。
 有里、お前こんなとこで何言ってんだよ……っ!?

「それじゃあ、早く帰りましょう。せっかく早く終わったのに、いつまでもこんなとこにいたら、帰るのが遅くなりますよ」

 人が反論できないのをいいことに、有里は涼しい顔で促してくる。
 俺は釈然としないながらもうなずいて、有里の隣に並んで、スーパーを出た。


 値引き品とは言え、やっぱり国産和牛は美味い。
 そして第三じゃないビールも美味い!
 1日の最後のビールはやっぱり最高だな……!
 缶からジョッキにわざわざ注いだビールを、俺は喉を鳴らして飲み終えた。
 あー、生き返る……。
 そんなささやかな幸せを噛みしめていると、やっぱり近くから視線を感じる。
 もうすっかり慣れたとはいえ、やっぱまだちょっと落ち着かないって言うか……。

「おい」
「はい。なんですか? 先輩」

 声をかけると、有里は俺をじっと見たまま答えた。

「いつも思ってんだけど、そして何度も言ってんだけど。お前、俺のこと、見過ぎ」

 そうなのだ。
 こいつは、『俺の顔、なんかついてる? 寝ぐせ直ってない?』と尋ねたくなるくらい、俺を凝視するのだ。
 最初の頃は何で俺をそんなガン見するのかわかんなくて、何かよっぽど嫌われてるのだろうか、と思ったくらいだ。

「先輩がいけないんですよ。先輩があんまり綺麗だから、気がついたら見つめちゃうんです」
「いやいやいや」

 これも何度も繰り返されたやり取りだけど、お前の美的感覚は明らかにおかしいから。
 綺麗って言うなら、有里の方がよっぽど綺麗で、男前だし。
 俺も別にブサイクではない……と思うけど、せいぜい頑張って中の上くらいじゃないかと思う。
 ずっと共学だったけど、女にもてた記憶もないし。
 そう言うと、それは女に見る目がないんです、と有里は断言する。
 まあその方が、僕には助かりますけどね、とかなんとか。
 それ絶対、『惚れた欲目』的な何かだと思うぞ……って自分で突っ込むのもアレだが。

「先輩が傍にいて、先輩を見ないでいることなんて、僕には不可能ですから」
「だからってお前、せめて取引先ではちったあ自重しろよ……」
「してますよ。もう、精一杯自重しました。じゃなきゃ、あいつが先輩の手を握った時点で殴ってますよ」

 それはなんか、気配を察知した、俺も。
 商談が無事にまとまって、これからよろしくお願いします、的な握手をした時。
 隣からこう、殺気に近い何かを……。
 ちらっと横を見ると、頬に笑顔を張りつけたまま、有里の目は笑ってなかった。
 取引相手は気づいてなかったからよかったようなものを……。

「いや、握手くらいで静かに殺気飛ばすって、おかしいからな……?」
「何言ってるんですか! 僕が先輩の手を握るまで、1年もかかったんですよ!? それをちょっと仕事上のやり取りがあるくらいで、先輩の手を握るとか、許されませんよ!!」

 有里は拳を握って力説する。マジだ……。

「手ぇ握るくらいで何もそこまで……。お前、もうそれ以上のこともしてるから、いいだろ」

 呆れて俺がそう言うと、有里は拗ねたように口をとがらせた。

「でも、昼間は手も握れないじゃないですか……」
「そりゃ、仕事中だから」
「じゃあ、外回りの途中なら、手を繋いでもいいですか」
「ダメに決まってるだろ」

 どんな営業なんだよ、それ。
 外回り中に、手を繋いで歩いてるサラリーマンって。
 普通に考えて、ねえよ。

「だったら先輩も、他の人と手を握ったりしないでくださいよ〜!」
「いや、だからな……」

 無茶を言うな、無茶を。
 握手なんて、円滑なコミュニケーションの一括だろう、ただの。
 つうかさあ……。

「有里、お前なんで、わざわざ俺と一緒の職場に来たんだよ。院まで進んでおきながら……」

 てっきり、有里はそのまま大学に残るのだと思っていた。
 教授も、おそらくそれを望んでいたんじゃないかと思う。
 なのに何をとちくるって、俺の勤めるとこに来たんだか。

「そんなの! 先輩といつも一緒にいたいからに決まってるじゃないですか!?」
「いや、いるだろう。すでに。一緒に暮らしてるんだし」

 俺と有里は、俺が大学3年の頃からずっと部屋をシェアして暮らしている。
 3年で寮を出る時に(寮は2年しか暮らせない決まりなのだ)安く住めるようにシェア相手を探していた時に見つけて、一緒に暮らすようになったので、かれこれ8年くらいか?
 学部は違うんだけど卒業した高校が同じで、それで高校の元クラスメイトから紹介してもらったのだ。
 恋人として付き合うようになったのは、有里が院に進んでからなので、4年ちょっとだけど。

「でも、俺が大学にいた頃は、働いてる先輩と全然生活ペース合わなくて、すれ違いでした!」
「けどさあ、まるっきり畑違いとまでは言わないけど、お前の専攻と違うじゃん、ウチ。就職するにしたってもっと他にあっただろ」
「先輩がいないならどこも同じです!」

 いや、全然違うよね……と突っ込みたかったがあまりの勢いに俺は口をつぐむ。
 本人が納得してるのならまあいいのかもしれないけど。
 職務態度だって真面目だし。
 や、でもやっぱもったいねえよなあ……。

「大体先輩は無防備に笑顔を振りまき過ぎです! こないだだって、手どころじゃなく肩に腕まわされて、引き寄せられてましたよね!?」
「あれは酒の席だし。っつか、お前が速攻で間に入って引き離しただろうが。あれもどうかと思うぞ……」

 別に女の子じゃねえし。
 それにあれも、この調子でがんばりたまえガハハハハみたいなノリだったし……。

「何言ってるんですか! 綺麗な先輩に触れていいのは、僕だけの特権ですっ!!」

 有里は真剣な顔で、論点のずれたことを力説する。
 これは……。

「お前、酔ってる?」
「酔ってません!!」

 酔ってるなこれは。
 顔にぜんっぜん出ないんだよなあこいつ……。
 あ、焼酎のパック、もう空じゃん。
 ビールも何本か飲んでたよな?

「わかった。俺もこれから気をつけるから。な?」

 なだめすかすようにそう言って、手のひらからコップをそっと取り上げる。
 ついでに、かすめるようにちゅっとキスをした。

「…………っ! 先輩は、ズルいです! そんなことされたら、僕は……、僕は…………っ!」
「ごめん。イヤだった?」
「イヤじゃないです! イヤじゃないからズルいんですよ〜っ!!」

 キッと俺を上目遣いで睨んで叫ぶと、手を伸ばして俺の頭を引き寄せて、食らいつかれた。
 アルコールに浸った舌が俺の口の中を舐めまわす。
 あー……、酔っぱらいそう。

「先輩は………」

 まだ唇が触れ合ったまま、口の中に直接吹きこむみたいに有里は呟く。

「ずっと綺麗で、綺麗な、僕だけの先輩でいてください………」

 有里……お前の中での俺のイメージって、一体どうなっているんだ?
 出会って8年、付き合って4年だけどいまだに謎だ。
 でも、まあ。

「うん。わかった……」

 お前がそう言うんなら、俺も頑張って綺麗でいてやるよ。
 どうすればいいのかイマイチわからんが、努力はしてみる、一応。
 好きだから。

「先輩、だいすき」
「うん、俺も」

 俺の心の声が聞こえたかのようなタイミングで言われた言葉に、うなずき返して。
 ぎゅうぎゅう抱きついてくる年下の恋人を、どうやってベッドまで運ぼうかと俺は頭を悩ませた。


Fin.


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