「なんだ、これ?」
ほとんど物置と化している、社会化準備室の片隅で、僕はホコリにまみれた小さな木製の小箱を見つけた。
棚の奥に、ぽつんと置かれていたのだ。
さっき授業で使ったばかりの地図帳を、適当に立てかけ、僕はその小箱を手に取った。
年月の経過と共に薄れたのだろうが、よく見ると、凝った意匠がこらしてある。
植物のつるに……これは何だろう、花びらなのかな?
表面をなでると、厚く積もったほこりがあたりに舞い散る。
そして何気なく――箱を開けた。
「やっと出られたぁ〜っ!!」
僕は反射的に、箱を閉めた。
そして、何事もなかったかのように、元の場所に戻そうとしたのだが、あいにく、出来なかった。
「ちょ!ちょっとちょっと!なんで閉めるのさ!開けて開けて!」
あまり考えたくなかったのだが、その声は明らかに、箱の中から聞こえてきた。
正直言って、僕は幽霊とか七不思議だとか、そういう類のものを信じる方ではない。
他人がそれを信じるのは勝手だと思うが、僕は全く興味がない。
早々に高校も推薦で決まって、のんびりと残りの中学生活を惜しみつつ送っているのに、何だかよくわからないことに巻き込まれるのは、はなはだ不本意だ。
なかったことにしよう。
と、コンマ1秒ほどで判断したのに、不可解な声が、箱からひっきりなしに聞こえてくる。
無視して出て行くことも十分可能ではあったのだが、その声があまりに哀れっぽかったので、つい仏心が出てしまい――得てしてこういうものは、必ず後で悔やむことになるのだが――、仕方なく、また箱を開いた。
「ふう……。まったく、ひどいよ!なんで開けてすぐ閉めちゃうの?せめて確認ぐらいしようよ、ねえ!?」
箱の中にあったのは、うっすら青く発光している、握りこぶしを一回り小さくした程度の、石だった。
そしてその石の上にちょこんと座っているのは……小さな人形だった。
話しているのは、どうやらその人形らしい。
「……どういう仕組みなんだ?」
僕はその小さな人形、青いシャツにズボンを着た、男の子の人形を指先でつまみあげた。
どこかに、電池でも入っているんだろうか。
「ちょっ!やめてよ!何するんだよぅ!?」
人形は、わめいて、ばたばたと小さな手足を振り回している。
本当に、よく出来た人形だ。
「起動スイッチはどこだ?」
「そんなもの、ないよっ!」
「……ない?」
電池もないのに動くなんてありえない。
それとも、僕が知らないだけで、電池以外に人形を稼動させることが出来る動力源があるのだろうか。
「いっとくけど、僕は人形でもロボットでもないからね!妖精だよ、妖精!」
「………」
小さな腕を腰に当てて、ぷんぷんと怒る自称妖精。
おかしいな……。
そんなわけのわからない幻覚を見てしまうほど、疲れてはいないはずなんだけど。
自分じゃ気付いてなかっただけとか?
じゃなかったら、夢でも見てるとか。
と、僕が思ったことを察知したのかどうかはわからないけど、自称妖精はさらに続けた。
「夢でも幻覚でもないから!もう、目の前にある見たままのことを信じようよ!そしてボクを助けてよ!」
「……前半部分はわかったけど、後半部分は繋がらないと思うんだけど」
まあ、いいや。
僕は幽霊も七不思議も信じてないけど、目の前で現実――なのか?――に起こっていることを、頑なに否定するほどにはガチガチの石頭ではないつもりだ。
動力源が分からない人形が、自分を妖精だと主張するのなら、そういうことにしておこう。
「何言ってんの!後半部分が大事なんじゃない!」
「そうなの?」
何だか、ずいぶんマイペースな妖精だな。
僕は、やや迫力に気圧されながら、問い返した。
「そうだよ!ボクの帽子を見つけて欲しいんだ!」
「帽子?」
「そう!帽子!ホラ、ここ見てよ。欠けてるでしょ?」
妖精が指差した、青い石の一部分は、確かに欠けていた。
よく見ないと、わからないくらい微かなものだったけど。
「ボクの帽子、風に飛ばされちゃったんだよ!ボクの素敵な青い帽子!」
妖精は、頭を両手で押さえて、嘆く。
おそらく、その欠けた部分というのは、妖精の帽子?に該当する部分なのだろう。
「別に帽子くらい、なくてもいいんじゃないの」
シャツとかズボンがなくて、裸だっていうんならわかるけど。
帽子なんて、最近じゃ、おしゃれでかぶっている人がたまにいるくらいで、あまり見かけないアイテムだ。
石の欠けだって、ほんの僅かなものだ。
「何言ってるの!帽子をかぶっていない妖精なんて!」
信じられない!とばかりに、妖精はわめく。
なんだかよくわからないけど、妖精界では、帽子は必須アイテムのようだ。
「ねぇ、探してくれるよね?お礼はするからさ」
「なんで自分で探さないの?」
当然の疑問を呈すると、妖精は、うっと詰まった。
「帽子がないと、ボクの力は半減するんだ。だから、この箱の中で休んでいたんだけど、そうしたら、今度は出られなくなっちゃって……」
なるほど、帽子が必須アイテムなワケだ。
妖精のパワーアイテムなんだな。
そして、自分で入った箱から出られなくなるなんて、結構間抜けな妖精だ。
「ねえねえ、いいでしょう?探してよ!」
「うーん、僕、めんどうごとは嫌いなんだよね」
「そんなつれないこと、言わないで!お礼もちゃんとするから!」
「お礼って、何?」
「君の願いを、1つだけ叶えてあげる。あっ、でも、世のことわりを大きく変えるようなことは出来ないよ」
「たとえば、どんなことが出来ないの?」
「死人を生き返らせたり、何もないところから何かを取り出したり、何かを別のものにかえたり、ボクの帽子に関すること以外で、時間を行き来したりすることさ」
「じゃあ、出来ることは?」
「欲しいと思っているものが、手に入るチャンスが増えたり、逢いたいと思っている人に、逢えるチャンスが増えたりするよ」
「チャンスが増えるって……あいまいだな」
「でも、可能性が増すってことだよ?ずいぶん違うよ!」
「だけどなあ……。別に今、欲しいものも逢いたい人もいないんだよね」
「ええ〜っ!そんなあ〜!!」
受験生としては、合格祈願の1つでもしたいところなんだけど、それ、推薦でもう決まってるし。
合格祝いに、パソコンも買ってもらったばかりだし。
大学受験は……まだ先のことすぎて、志望大学も決まってないし。
宝くじかって、1億当てるとか?
うーん、ピンとこないなあ……。
「じゃ、じゃあさ、妖精助けだと思って!ねえ、いいでしょう?」
向こうはパワーアイテムの帽子を取り戻すために必死だ。
叶えてほしい願いも特にない僕にとっては、メリットもないことだけど、忙しいわけでもないし、たまには気まぐれを起こしてみるのも、悪くないかもしれない。
めんどうごとは、嫌いなんだけど、まあ、たまになら。
「わかった。いいよ。手伝う。何をすればいいんだ?」
「やった!ありがとうありがとう!帽子のある場所は、わかってるんだ!君はただ、それを取ってくればいいだけだよ」
「場所が分かっているのに、取りに行かなかったの?」
「だから、今のボクじゃ、取りにいけないんだよ」
帽子の力は、それほどこの妖精にとっては重大なものらしい。
「それじゃ、帽子のある場所に、飛ぶね」
「飛ぶ?」
「そう、帽子はこの時間帯にないんだ」
「え、もしかして、タイムスリップするのか!?」
「うーん、厳密には、ちょっと違うんだけど、似たようなものだね。じゃあ、行くよ!」
そんな話し聞いてないんですけど!
と、僕が抗議する間もなく、青い石がパーッとひときわ強く輝くと、ぐらりと意識が揺れた―――。
「……何も変わってないじゃないか」
そこはさっきと同じ、社会化準備室だった。
「場所はね。でも時間帯は違う。さっきより、十年、遡ったんだ」
「つまり、十年前の世界ってこと?」
「そう」
うーん、全く、実感がわかない。
ってか、十年くらいじゃ、この社会化準備室が劇的に変化してる、なんてことありえないもんな。
僕の手には、相変わらず蓋の開いた小箱があり、よく見ないとわからないほどの欠けがある青い石と、その上に座った妖精がいる。
「で、これから、何をすれば……」
妖精に、帽子探索について、聞こうとした、その時。
社会化準備室のドアが、ガラリと開いた。
「ああ、誰か居たんだ?あのさ、世界地図の、地図帳って、どこ?」
今の僕と、全く同じ制服を着た男子が――十年くらいじゃ、制服も変わってないらしい――、気さくに話しかけてきた。
僕は、さっき地図帳を立てかけた場所を見る。
あった。
十年前から、地図帳の置き場所も変わっていなかったらしい。
こういうの、十年一日って言うんだっけ?
「ああ、そこね。サンキュ」
僕は何も言わなかったけど、視線の行方でわかったらしい。
彼は、すたすたと歩み寄って、地図帳を手にした。
「ところで、それ、何?」
そして、地図帳を持ったまま、僕に近づいて、手元を覗き込んだ。
隠すべきか、差し出すべきか判断を下す前に、彼はさっと妖精をつまみあげた。
「人形?よく出来てるな。お前の?……なワケないか。準備室の備品?ってのも変だな。家庭科室ならともかく」
「わあ……っ!何するんだよ!何でみんなしてボクを摘み上げるのさ!」
「わわっ!しゃべった!?」
驚いて、彼は妖精を放した。
ぽすん、と音がして、妖精は再び石の上に着地した。
「もうっ!ホント、失礼しちゃう!」
妖精は、ぷんぷん怒っている。
地図帳を持った彼は、目を丸くして、妖精を凝視していた。
「これ、何?」
「えーと……、妖精?」
言ってて、ちょっとだけ、しまった、と思った。
男子中学生の口から出る単語としては、あまりにもメルヘンだ。
おかしな奴だと思われただろう。
「へー!妖精!すげぇな!いるんだ、ホントに!」
「えっ!信じたの?」
「何?ウソなの?」
「いや、ホントだけど……」
本当らしい(?)けど、こんなにあっさり信じる奴もめずらしいんじゃないだろうか。
それとも、十年前の中学生は、僕よりももっと純真だったのだろうか。
「ちょっとそこ!二人で仲良くしないでよ!ボクの帽子探すんでしょ!」
「別に仲良くしてるわけじゃ……」
ってか、頼む立場の癖に、態度が大きな妖精だなあ。
まあ、このくらいで怒ったりしないけどさ。
「帽子?って何?」
「ああ、帽子ね。この妖精、大事な帽子を無くしたらしいんだ。成り行き上、それを探す手伝いをすることになって……」
「面白そうだな、それ!俺も手伝うぜ!」
「わーい!ホント!?助かるよ〜!あっ、でも、願いは1つしか叶えられないから、君の分の願いは聞けないんだけど、それでもいい?」
「願い?」
「あ、それ、こっちの彼に譲ってくれて構わないよ。元々僕に願い事、ないし」
あっさりとその権利を放置すると、妖精と、十年前の生徒(いや、僕が未来の生徒ってことになるのか?)は、そろって、驚いた顔をした。
「いいの?そんな簡単に!?願いが叶うんだよ!?」
妖精が声を上げると、彼も同じく声を上げた。
「え、何、願い叶えてくれるの!?」
あまりにも期待に満ち満ちた顔だったので、親切な僕は、ちゃんと補足した。
「うん、でも、あんまり大したことはできないらしいよ。なんでも、チャンスが増えるとか、そのくらいで」
「ちょっと!その言い方ひどくない!?チャンスが増えるだけでも、その辺の神頼みよりよっぽど確実なんだからね!」
「そうなのか……。うん、でも、それでもいいや。俺、受験生だし。高校合格祈願しようっと」
やっぱり、受験生が考えることは、十年前でも特に変わらないらしい。
「ホントにいいの……その、お前は?」
「うん。僕、推薦でもう決まってるから」
「へー。どこ?」
「私立S学院」
「この辺じゃ一番の進学校じゃん!頭いいんだ、お前」
「まあね」
「って、謙遜ナシかよ」
「こういうのって、大した事ないよ、とか言う方が却って嫌味じゃない?」
「確かに、そうだな」
「でしょ。それに、S学に推薦してもらえるくらいには、努力もしたから」
「うーん、そーいうこと、さらっと言えるのもすごいなー、お前」
「お前じゃなくて、宮井和久、ね」
「俺は、三枝正巳。3年2組。そういや宮井って、何組?見たことない顔だけど」
「僕は3組だけど……見たことないのは当然だよ。この妖精いわく、ここって十年前の世界らしいし」
「え!宮井って、未来人!?」
「そういわれると、何だか宇宙人みたいで嫌だなあ……。僕から言わせると、君が過去人なんだよ」
何となく自己紹介と、現状説明を三枝にしていたら、妖精が石の上をぴょんぴょん飛び跳ねて、再び抗議の声を張り上げた。
「だから、二人で盛り上がらないでってば!!」
そうだ。ここには、目的があって、来たんだった。
「わかってるよ。帽子探しだろ?ちゃんと覚えてるよ」
「ホントに〜!?」
疑わしそうな目で、妖精に睨まれる。
なんだよ、ちょっと過去人としゃべってたからってそんな怒らなくてもいいだろ。
「よし!じゃあ、さっそく帽子探し、しようぜ!」
三枝はそんな妖精の様子には頓着せずに、さっそく帽子探しへの意欲満々だ。
それを見て、妖精も気を取り直したらしい。
小さく、こほん、とセキをする仕草をすると、おもむろに切り出した。
「帽子の気配は、もう掴んでるんだ。外に連れてってくれないかな」
そう言われて、僕が小箱を持ち、校舎の外に出た。
今の時間は、どうやら昼休みだったらしい。
校庭でサッカーやバレーをして遊ぶ生徒たちがちらほらといる。
僕らは、妖精の指示に従って、後者がよく見渡せる、校庭の隅に移動した。
「ホラ、見える?あそこだよ。ボクの帽子!」
「なんだ。探さずとも、場所わかってるんじゃないか」
だったら、何も僕らが手伝わなくても……と、妖精の指差した場所を見た。
「って、どこ?」
「もうっ!わかんない?あの、時計の文字盤の、12時の数字の、1の上の方だよ!」
「あ〜、なんか、ちょっと青っぽい気がする……」
僕よりも目がいいらしい三枝が、目を細めて、校舎の真ん中、屋上付近にある時計を指差した。
最初はよくわからなかったが、よーく見ると、なるほど、日の光に反射して、何かがキラッと、青く輝いているのが確認できた。
「なんでまた、あんなところに……」
「風に飛ばされたんだよっ!」
「そんな大事なものだったら、あごひもでもつけて、ちゃんと顔に固定しとけば」
「やだよ!そんな、みっともない!」
帽子をなくして力をなくすほうが、よっぽどみっともないと思うんだけど……というのは、可哀想なので口にはしないであげた。
「うーん、どうやって取りにいけばいいんだろう」
あれじゃ、どこかの教室の窓から手を伸ばして、というわけにもいくまい。
「やっぱ、屋上から降りてくしかないんじゃねぇ?」
さらっと、なんでもないように三枝が言う。
「言うのは簡単だけど……。どうやって降りていくんだ?」
「それは、命綱して、屋上から降りてくんだよ」
確かに、考えられる現実的な方法としては、そのくらいだろう。
だが、そんな事をしたら、確実に、誰かに見られて、通報される。
「屋上からロープでぶら下がって?その瞬間に、騒がれておしまいなんじゃないの」
「そりゃ、今実行すればな。夜中にこっそりやればいい」
「夜中に学校に忍び込むのか?」
「いや、忍び込むんじゃなくて、夜まで学校に潜んでいよう。そっちの方が、確実だろ」
「で、夜になって、屋上からロープで降りる、と……」
「そうそう」
出来なくはないだろう。
僕の通う中学は、普通の公立校で、警備が特別厳重、というものではない。
外から入ってこられないよう施錠はしっかりしているだろうが、中に赤外線センサーがあるとか、そういうものはないし。十年前の警備状況だって、たぶん似たり寄ったりだ。
暗くなるまで、校内で身を潜めて、それから屋上に上がる事は、十分に可能だろう。
「よしっ!じゃあ、そういうことで、決まりなっ!俺、午後の授業あるからいくわ。放課後、さっきの社会科準備室で待ち合わせな。ロープとか、たぶん体育用具室にあると思うから、適当に使えそうなもん、持ってきといて!」
そう言うと、三枝は校舎に向かって走っていった。
「言うほど上手くいくのかなあ……」
「何弱気なこと言ってるの!上手くいかせるんだよっ!!」
拳を振り上げて力説する妖精の声を聞きながら、僕は校舎の時計の文字盤にひっかかった帽子を取るために必要なアイテムを準備すべく、これも十年前も変わらない位置に存在した、体育用具室へと向かったのだった。
そして、放課後―――。
宣言どおり、三枝は社会化準備室に現れた。
電気をつけたら、潜んでいる事がバレるため、段々暗くなっていく部屋の隅に座り込み、僕たちは決行の時を待っていた。
一応、外に声が漏れ聞こえないように、ひそひそ声で会話する。
「ロープと、軍手と……、何故か懐中電灯もあったから、持ってきたよ。他、何かいるものあったかな」
「いや、そんくらいでいいんじゃねぇ?」
「で、どっちが降りるの?」
「俺が降りるよ。宮井は、手すりに縛りつけたロープ、しっかり握っといてくれ」
「うん、わかった」
ちょっとだけ、ほっとした。
実は、お前が降りるんだろ、と言われるだろうか、とドキドキしていたのだ。
この帽子探索ミッションを元々、請け負っているのは彼じゃなくて、僕のほうだし。
運動神経が特別鈍いわけじゃないけど、ずばぬけていいわけでもない。
おまけに、目立っちゃいけないから、懐中電灯はあっても、おおっぴらに照らすわけにもいかないだろう。
そんな中、時計の文字盤まで降りていくのは、流石に不安だったのだ。
「でも、大丈夫?」
とはいえ、危険な作業を押し付けてしまうことになるのだったら、フェアじゃない。
じゃんけんとか、くじ引きで決まったら、僕だって、覚悟をつけて帽子を拾ってくるつもりだ。
「大丈夫。俺、けっこー、体育得意なほうだから。夜目もきくほうだし」
「そう?じゃあ、お願いするね。ちゃんと、ロープ、持ってるから」
「ああ、任せた!周りの見張りも頼むぜ」
「うん、わかった」
とりあえずの、役割分担を決めると、沈黙が降りた。
小声とは言え、あまりべらべらしゃべっているのもマズイだろうし……。
十年前からすでに黄ばんでいるカーテン越しに、差し込んでいた光も消えて、あたりはしだいに、暗闇に包まれていく。
どのくらい、待てばいいのだろうか。
校舎には、もう人の気配はなくなったのだろうか。
少なくともここの周囲は、しーんとしてるみたいだけど……。
「もうそろそろいいかな……」
「もうちょっと、待った方がよくねぇ?」
「そうだね。屋上からぶらさがるんだから、完全に人がいなくならないとマズイよね」
この中学は、町の中央からちょっと外れた、小高い丘の上にある。
だから、夜になれば、周囲に人はいなくなるので、万一にも見られる可能性は、ないだろう。
それまで、じっと待つのが得策だ。
まだ、ぐずぐず残ってる、部活の奴らがいるかもしれないしね。
「そういや、家に連絡しなくていいの?親、心配するんじゃない」
僕は連絡しようがないからいいとして、三枝はそういうわけにもいかないんじゃないかな。
息子がいつまでたっても帰ってこなかったら、問題だ。
「へーき。今夜俺ひとりだから。かーさん夜勤で、父さんはいないし」
「そ、そう……」
「なんだよ。そんな、しまった、みたいな顔、すんなよ」
うっ。
暗いのに、よく見えたな。
夜目がきく、と言っていたのは、本当らしい。
「別にめずらしい話でもないだろ」
「うん、まあ、そう、だね」
確かにそうなのかもしれないけど、だからって、全く気にしないでいられるのかというと、そうもいかず……。
こういうときこそ、あのマイペースな妖精の出番だ、と思って、足元においていた小箱を見ると、妖精は寝ていた。
寝るなよ!
お前の頼みで僕らはこんなとこに潜んでるんだぞ!?
「お前って、いいやつだな」
「そんなことないよ……」
そんな僕の、微妙に居たたまれない心境など気づいた風もなく、三枝はのんびりと、思っても見なかったことを言った。
どこをどうしたら、今の会話の流れで、僕がいいやつになるんだろう?
「んー。でもさ、こういう話するとさ、大体二択なわけよ。『大変ねー』ってゆーのか、『うらやましいー』ってのか」
「そうなの……?」
「うん。まあ、母子家庭だから、家のことしなくちゃいけないときもあって、そういうのははたから見ると大変なのかもしんないけど、小さい頃からだから、もうなれてるし。親が夜いなくて、ウルサイこと言われないのがうらやましーって言われると、そうかもしんないけど。でも夜に言われないってだけなんだよな、それ」
「はは、そりゃそうだ」
「だろ?だからさー、宮井みたく、ただうなずいてくれるだけの方が気楽。しまった、みたいな顔はしなくていいけど」
「うん……」
思わず、謝りの言葉が口を出そうになったけど、ここで謝られるのもきっと三枝は嫌なんだろう、と思って、ただうなずくにとどめた。
それは正解だったようで、かすかに、笑う気配がした。よく、見えなかったけど。
「そういや、三枝は、どこの高校にいきたいの?願い事、合格祈願にするんだろ」
なんとなく、話しを終わらせたくなくて、尋ねてみる。
「県立の南かな……。でもホントは、宮井と同じ、S学に行きたいんだけど」
「だったら、受けたら……、」
いいじゃないか、といいそうになって、口をつぐんだ。
S学は、私立だ。
もしかして、学費の関係があるのかもしれない。
「そうなんだよなー。運よく受かっても、私立は金かかるしなー」
僕が言いかけたことに気付いたらしく、三枝はさらりと続きを口にした。
特に気にしているようなところはなかったので、ほっとする。
「……それこそ、その妖精に願ったらいいんじゃないの?」
「そうか、それもそうだな」
「うん。それに、奨学金とかもあるし」
「奨学金……ああ、そういうのもあるな」
「って、考えなかったの?」
「思いつかなかった」
真っ先に考えそうなことだと思うんだけど。
三枝って、案外、ぬけてる?
「さっ!もう暗くなったよね!ボクの帽子!帽子!」
しっかり眠っていた妖精は、目を覚ましてあたりが暗くなっているのを知ると、さっそく騒ぎ出した。
ホント、マイペースな奴だな。
妖精って、そういうもんなのか?
「そうだな。そろそろ、行くか」
「だね」
僕らは、すっかり闇に沈んだ社会化準備室のドアを開け、廊下の窓から差し込む、町の光を頼りに、屋上へと向かった。
屋上は、本来、生徒の立ち入りを禁止されている。
だが、その割には、屋上へと続くドアの鍵は壊れていた。
それも、十年前も同じだったようだ。
春がまだ遠いこの季節、吹きさらしの屋上は、思った以上に強い風が吹いていて、寒かった。
「この辺かな……」
時計の、ちょうど真上の部分に当たる、屋上の手すりに、体育用具室からもってきたロープをきつく縛り付けた。
反対側を、三枝の腰に縛り付けた。
ロープを何度か引っ張ってみる。うん、強度も問題なさそうだ。
屋上の手すりから時計を覗き込むと、文字盤の12の1の数字の上が、はっきりと青く光っていた。
よくわからないけど、あれが帽子?なんだろう。
「じゃ、行ってくる」
三枝は、気負う様子もなく軽く言うと、屋上の手すりを乗り越えて、降りていった。
「き、気をつけろよ……」
手すりに縛ったロープの端を握り締めて、声を掛けた。
一応懐中電灯を持ってきていたが、照らす必要もないくらいに、青い帽子……というか、見た目は石の欠片は、存在を主張していた。
危なげなく、三枝は時計に向かって降りていく。
でっぱりとかないのに、器用なもんだ。ヤモリみたいだ……。
と、さり気なく、感心しながら失礼なことを思っていたら、突風が吹いた。
「うわっ!」
三枝の命綱であるロープが、大きく揺れる。
僕は慌てて、しっかりとロープを握りなおした。
大丈夫、ロープはほどけてない。
すぐに体勢を立て直した三枝は、慎重に、丸い時計に降り立つと、文字盤に手を伸ばした。
青い光が、時計から離れていく。
「回収成功!ロープ、引っ張ってくれないか」
「了解!」
ポケットにしまったらしく、青い光が消えると、辺りはまた暗闇に包まれた。
でも、町からの明かりと、運よく満月だったため、何も見えない、ということはなかった。
器用に壁を登ってくる三枝を手伝うべく、僕は少しずつ、ロープをひっぱっていった。
こうして、うっかりものの妖精の帽子は、無事、取り戻された。
「ホントに、本当〜に、ありがとう、君たち!」
再び、なんとなく社会化準備室に戻った僕らは、成功を喜び合った。
めんどうなことはごめんだ、と思っていたけど、こんなに感謝されたのなら、まあやってよかったんだろう。
青い石の欠片は、妖精の手に戻ると、たちまち青い帽子に変わった。
ホントに、あれ、帽子だったんだ……。
妖精は、青い石の上で、喜びのタップダンスを踊っている。
取り戻した帽子をかぶった妖精は、頭の上に帽子がある以外は、さっきと変わった風には全然見えなかったけど。
「それじゃ、願い事を叶えるね」
にこにこと、妖精が言うのに、三枝は僕をちらりと見て、確認した。
「本当にいいのか?俺の願い事をきいてもらって。一つしか、叶えてくれないんだろ」
「もちろん。だって、実際に帽子をとってきたのは、三枝だろ」
「でも、先に妖精を助けることにしたのは、お前だし……」
「その僕がいいって言ってるんだから、いいんだよ」
「わかった。それじゃあ……」
三枝はニヤっと笑って、願いを口にした。
その声は、ちゃんと僕の耳に届いたはずなのに、何故かよく聞こえない。
何て言ったのか、聞こうとしたら、ここに来たときと同じように、急に青い光が弾けた。
ぐにゃりと視界が揺れ、一瞬、何も見えなくなった―――。
気がつくと、僕は社会化準備室で、一人で、立っていた。
手の中には、あの小箱があったが、中は空っぽだった。
カーテン越しに、光が差し込み、ホコリが舞うのが見える。
僕がここに地図帳を戻しに来た時と、おそらく時間は変わっていないようだ。
「………夢?」
に、しては、ずいぶんリアルな白昼夢だ。
それに、妖精が出てきて、十年前の世界で、妖精の帽子を探すなんて、中学生男子が見る夢としてはメルヘン過ぎる。
「うーん……」
わからない。
僕は幽霊とか七不思議だとか、そういう類のものを信じる方ではない。
だけど、目の前で起こったことを、頑なに否定するほど、ガチガチの石頭でもないつもりだ。
僕の手の中には、年月を感じさせる、木で出来た、空っぽの小箱がある。
妖精も、青く光る不思議な石も、入っていない。
つまり、無事帽子を取り戻した妖精は、晴れて、どこか好きなところに行ってしまった―――、そういうことなのだろう、たぶん。
数ヵ月後。
中学を卒業した僕は、推薦で決まった私立S学院に無事入学を果たした。
真新しい制服は、まだ身体に馴染んでいなくて、ネクタイがちょっときつい。
入学式が済み、教室に入ったが、周りは知らない顔ばかり。
それは他の奴も同じことで、だから僕らは、ざわつきながらも、どこか借りてきた猫のようだった。
教室の前のドアが、がらりと開いた。
僕らが1年間世話になる、担任が入ってくる……。
「………っ!?」
思わず、ガタリと音を立てて、僕は席を立っていた。
「どうした?宮井和久。まだ立たなくていいぞ」
僕は、すとんと席についた。
怪訝そうに、周りのクラスメイトが、僕を見ているのに気付いていたけど、そんなこと、構っていられないくらいに、驚いていた。
だって、にやり、と笑って言った、担任のその顔は―――。
「今年1年間、君たちのクラスを担任する、三枝正巳だ。よろしく」
あの時よく聞き取れなかったと思っていた、彼の願い事が、ふいに僕の耳に響いた。
『宮井和久と、一緒に学校生活を送りたい』
妖精は、確かに、願いを叶えてくれた。
ずいぶん、変化球な、叶え方だったけど。
Fin.
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