026: 側にいて



「また振られたんだって?」
「またとか言うな、馬鹿」
「ああそう。じゃあ、俺はこれで、」
「ちょっと待てこの馬鹿。お前は失恋したばかりの可哀想な友人の愚痴さえ聞かないつもりなのか。なんて薄情なヤツなんだ」
「あのなあ……」
「つべこべぬかすな、さっさと来い」
「わかった。わかったから、シャツ引っ張るな。伸びる」

 同じアパートに帰る途中、辛気臭い顔して歩いているトモに声を掛けたのが運の尽き。
 ユキはずるずると、そのままトモの部屋に引きずり込まれた。
 両手一杯に抱えたビニール袋から取り出された発泡酒や缶チューハイをどんどん開けて、つまみもないのにぐいぐい呑むので、酔いの回りはもうすでにMAXだ。
 ぐてぐてに酔っ払いつつも座った目つきで、トモはカレシとの出会いからラブラブ蜜月、そして別れに至るまでをこんこんと語る。語り倒す。
 ちなみにこれは、付き合いだした当初と、付き合いが楽しくて堪らなかった当時にもすでに(無理矢理)聞かされているで、正直なところ、別れの場面だけ語ってくれればそれでオッケーなのだが、この弾丸トークに口を挟めるだろうか、いや、挟めない(反語)。
 この一連の儀式に、アパートが同じで、中学高校に続いて大学学部まで同じと言う理由で付き合わなければならないという理屈はないはずだ。
 はずだが、そんな言い分はもちろん、トモには通用しない。
 通用しなくても、何のかんのと、ブッち切ることも、出来なくはない。
 ユキがそれをしないのは、やはりそれはそれで、それなりの事情があるからだ。
 なので、今回もレモンチューハイを呑みながら、トモの話を右耳から左耳に流す感じで聴いている。
 
「どうしてこんなんになっちゃたんだろ。俺たち、結構、上手い事行ってたんだぜ」
「うん」
「今度こそ、上手くいくって」
「うん」
「カラダの相性も割りとよかったしさあ」
「………」
「なのにアイツ浮気しやがってさ。すっげムカツク。俺そーいうの許せないんだよね!1回だけだからとか、本気じゃなくて浮気だからとか。わけわかんね」
「うん」
「あと、自分が浮気しやがったくせに、俺が悪いみたく言うんだぜ!?『お前だって別に本気じゃないんだからいいだろー』とか。ナニソレ!俺はいつでも本気だっての!」
「うん」
「ちょっとお前、さっきから、『うん』しか言ってねーけど、ちゃんと聞いてんのか!?」
「聞いてるって」
「じゃあ、今まで俺が何話したのか、ちょっと言ってみ?」
「トモが惚れっぽくて、その割には男運なくって、ロクデナシと付き合って、そしてまた振られたってことだろ」
「何だよそれっ!全然ちが〜うっ!」
「要約すると、そういうことだろ」
「要約するな!」

 人の恋路を何だと思っているんだ、とトモはぶうぶう言いながら、発泡酒をぐいぐいあおる。
 何も胃に入れないのはマズイだろう、とユキはその辺を漁って、ポテトチップスをみつけてきて、開ける。
 しばらく、ぱりぱりとポテトチップスをむさぼり食う音が、辺りに響いた。
 ポテトチップの塩がついた指をトモがぺろりと舐めるのを、ユキはぼんやりと眺め、あの指を舐めたい、と思う。
 いきなり舐めたら、トモはどういう反応をするだろうか。
 怒るだろうか、慌てるだろうか。
 トモの指は、男の割には細くて、白い。
 キレイな指だ。
 あの指は、男の身体をどんな風に辿るのだろうか。
 桜色の爪に背中をひっかかれるのは、どんな感触なのだろうか。
 ロクデナシのナントカ君は、それを知っている。
 トモと知り合って8年も経つ、ユキが知らないことを。

「……お前、何見てるんだよ」
「別に」

 いつの間にか、ガン見していたらしい。
 トモが、ちょっと怒ったような、戸惑ったような、酔いだけでない、赤い顔してこっちを睨む。
 ほんのり染まった、あの桜色の頬に触りたい。
 
「ヤバイ、酔った」

 水みたいにトモが呑むのにつられて、相当呑んでしまったらしい。
 ふと見ると、辺りは空き缶ばかりだ。
 
「酔ってんの?お前、顔に出ないからわかんない」
「うん、酔ってる。だから、帰る」

 そう言って、ユキは立ち上がった。
 隣の、自分の部屋に、帰ろうとした。
 
「やだ。帰んなよ」
「やだって……なあ」

 またシャツをひっぱられて、トモはすとん、と座った。
 はああ、と大きなため息をひとつ吐き出す。
 
「お前、わかってんの」
「わかるって、何を……」

 この期に及んでしらを切ろうとするトモに焦れて、ユキは手っ取り早く、口を塞いだ。
 言葉を捜すのが面倒だったからだ。
 
「んっ……ちょ、や、めろよ……!!」

 どん、と突き飛ばされ、ユキは抵抗せずにあっさり離れた。
 首まで赤くしたトモが睨んでいるが、気にしない。
 そろそろ、潮時かもしれない、と思ったから。
 トモダチの顔で、失恋話を聞いてやるのも。

「帰るなって言うのは、こういうことだろ」
「な、何だよ、それ……」
「いい加減、観念して、俺にしとけば」
「なっ……!!」

 何か反論しようとして、結局出来ずに、トモはうつむいた。
 フローリングの床に、何かを探すように視線をさまよわせ、トモはぽつりと呟いた。

「俺はなあ、そういうのヤなんだよっ……」
「そういうのって?」
「幸せの青い鳥は近くにいました、みたいなのっ!」

 キッと顔を上げて、叫ぶ。
 迫力は、まるでない。
 ここまで往生際が悪いのも、いっそ清々しいくらいだと、ユキは感心した。
 
「ダメなの?」
「だ……、ダメじゃ、ないけど……」
「けど?」
「い、今更じゃねぇ?お、俺と、お前、なんて」

 中学から数えて8年目の付き合いで、お互い、馬鹿なところも、恥ずかしいところもいっぱい、見てきている。忘れて欲しい事もあるし、忘れたくない事もある。今になって、関係を変えるのは、まあ、確かに、今更、なのかもしれない。
 でも。
 
「ここいらで、変えてみるのもいいんじゃないの」
「えっ……?」
「トモダチとしてもお買い得だけど、コイビトとしてもお買い得よ?俺。……だから、傍にいてよ」
「………っ!」
「ねぇ、返事は?」
「お、お前が……っ!」
「俺が?」
「……お前が、そこまで言うんなら、仕方ないな。傍にいてやる」

 素直じゃないなあ。
 と、ユキは思ったが、もちろんそんなこと口にはしない。
 代わりに、新しく缶を開ける。
 
「じゃあ、乾杯しよう。俺とトモの、新しい門出に」
「何だよそれ」
「まあまあ。今夜は泊まって行くから」
「!そんなこと、頼んでないぞ!」
「まあまあ」

 かつん、と缶をぶつけて半分くらい、一気に呑む。
 さっきまでと、何も変わらない。
 でも、確実に変わったものもある。
 さっきからずっと顔を赤くしているトモの、白い指。
 触れると、冷たくて、ひんやりする。
 温めるように、ユキが握ると、そっと、握り返してきた。
 想像だけじゃない、その感触を、掌以外で感じるのも、きっと、もうすぐ。


Fin.


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