030: 箱庭



 美しく完成されたそこは、誰もが憧れる理想の場所に違いない。
 意図したもの以外は、小石のひとつも存在しない、完璧に調和が取れた世界。
 
「でも、そういうのって、しょせん紛いものなんじゃねぇの?」

 ちょん、とよく出来た水車小屋をつついて言ったミケに、お茶を運んでいたタロは、ああっ!と叫んで駆け寄った。
 お盆の上の茶器が、かちゃかちゃ揺れて、危なっかしい。
 
「何するんだよ、ミケ!それって、作るのに、すごーくすごーく、時間がかかったんだからねっ!」
「そりゃそーだろうなあ。こんだけ緻密な箱庭。よく作るわ」

 作業代の隅に、お盆を置くと、出来たばかりの箱庭をミケから遠ざけるように移動させる。
 それは、一年近くかけて作られたものだった。
 箱庭を覗き込むと、水車は流れる川の水でからからと回り、畑の麦は風にそよぎ、山は赤く色づいている。
 まるで生きているかのようなそれは、実際のところ、本当に生きていた。
 タロには到底、理解不明の、高度な魔法を掛けられて。
 
「仕方ないよ。僕しか、作れる人がいないんだから」
「だからって、お前はこんなこと、本当にしたいのか?」
「……それじゃ、聞くけど。僕はどうすればいいんだい?」

 逆に問いかけられて、タロは返す言葉が見つからずに、黙ってお茶をすすった。
 生きている箱庭は、生きている人間のためのものだった。
 完成した箱庭に、随時、人が移り住んでいく。
 むろん、限られた世界なので、移住できる人間も限られてくる。
 荒廃した国土が復興するのを待てない人々の、シェルター的な役割を果たすもの、それが、ミケの作った箱庭だった。
 限られた人間、つまり特権階級の者たちだけの箱庭。
 移住するには、莫大な金が要る。
 だが、その金が懐に入るのは、ミケにではない。
 
「取り分は、ほとんど魔法院なんだろ。貧乏くじじゃん」
「でも、断れないよ。僕を育ててくれたところだし、今だって所属している場所だから」

 淡々と返すミケの様子に、ますます、かける言葉が見つからない。
 本人が割り切ってやっていることを、部外者であるタロがどうこう言う事は出来ない。
 ただ、やりきれない気がするだけで。
 
「ミケの作った箱庭は綺麗だ。こんな場所に、俺も住みたいと思う。だけど、やっぱり、俺の住む世界は、この場所以外ではありえないと思うよ。どうして、金持ち連中はそうじゃねぇんだろうな」
「ふふ……。タロなら、そういうと思ったよ」
「ミケは?ミケは、どうなんだ……?」
「僕?そうだね……」

 出来たばかりの箱庭のふちを、いとおしそうに撫でながら、ミケは考え込むそぶりを見せた。
 ミケの作る箱庭は、もう話にしか聞いたことが無い、のどかで穏やかな田園風景が多い。
 自然に溢れた、優しい世界。
 ミケ、そのものだとタロは思った。
 そんな世界に暮らせるのなら、暮らしてみたい。
 本当は、そう、思う。
 
「そうだね、僕も、箱庭には暮らせないよ。自分が作ったものだからとかそういうんじゃなくて。やっぱり、僕の世界はここ以外には、ありえないと思うから」
「ふうん、そっか……」

 そう、答えるだろうなとは思ったけど、実際にその言葉を聞くと、ほっとした。
 調和の取れた、美しい世界。
 ミケの理想が詰め込まれた、優しい世界。
 ………どこにも存在しない、作られた世界。
 
「荒んで、汚れて、ちっとも綺麗じゃない世界でも。ぼくはこの世界が好きだよ。だって、ここには君がいる。君を作ったものがある。それは、僕の箱庭にはないから」
「だな。ミケ、お前だって、いない」

 箱庭は美しい『世界』だけど、それだけだ。
 どこまでも、静寂が続く世界。
 外部から『何か』を持ち込んで、始めて音がする、そんな世界。
 だったら、やっぱり、ここがいい。
 美しくなくても、調和が取れていなくても。
 ごちゃごちゃと、色々なものが胎動している、この世界が。
 ミケを作り出した、ミケがいる、この世界が。
 
「それに、自分が作っておきながらなんだけど、最初から完成されたものってつまらないよね。出来上がったものは、後は壊れるだけだもの……」
「おいおい。いいのかよ、そんなこと言って」
「いいんだよ。僕はただ、これを作って、納めるだけ。これをどう使うのかまでは、僕の責任の範疇には含まれないから」
「いい加減だな〜」
「そんなもんだよ、雇われ魔術師なんて、しょせん」

 にこっと笑って言ってるけど、もしかしたら、それはミケの、ささやかな意趣返しなのかもしれない。
 仕事だと割り切ってはいても、それなりに、思うところは色々あるのだろうから。
 
「さて、箱庭作りも終わった事だし、出かけようか、タロ」
「だな。お前、ここんとここもりっきりで、ただでさえちっこいのに一回りちっこくなったもんな。なんか美味いもん食って、栄養つけないと」
「僕は別に小さくないよ。タロが大きすぎるだけだろ」
「んなことないって。ほら、この腰周り。細っこすぎだって」
「ひゃっ!ちょ、やめてよ、どこ触ってんだよ!」

 くすぐったそうに逃げるミケを、タロは笑いながら追いかけた。
 ぱたん、とドアの閉じられた部屋の中には、命あるものの気配はしない。
 ただ、からからと、小さな水車が回る音が、聞こえるだけだった。


Fin. 


TOP


Copyright(c) 2007 all rights reserved.