美しく完成されたそこは、誰もが憧れる理想の場所に違いない。
意図したもの以外は、小石のひとつも存在しない、完璧に調和が取れた世界。
「でも、そういうのって、しょせん紛いものなんじゃねぇの?」
ちょん、とよく出来た水車小屋をつついて言ったミケに、お茶を運んでいたタロは、ああっ!と叫んで駆け寄った。
お盆の上の茶器が、かちゃかちゃ揺れて、危なっかしい。
「何するんだよ、ミケ!それって、作るのに、すごーくすごーく、時間がかかったんだからねっ!」
「そりゃそーだろうなあ。こんだけ緻密な箱庭。よく作るわ」
作業代の隅に、お盆を置くと、出来たばかりの箱庭をミケから遠ざけるように移動させる。
それは、一年近くかけて作られたものだった。
箱庭を覗き込むと、水車は流れる川の水でからからと回り、畑の麦は風にそよぎ、山は赤く色づいている。
まるで生きているかのようなそれは、実際のところ、本当に生きていた。
タロには到底、理解不明の、高度な魔法を掛けられて。
「仕方ないよ。僕しか、作れる人がいないんだから」
「だからって、お前はこんなこと、本当にしたいのか?」
「……それじゃ、聞くけど。僕はどうすればいいんだい?」
逆に問いかけられて、タロは返す言葉が見つからずに、黙ってお茶をすすった。
生きている箱庭は、生きている人間のためのものだった。
完成した箱庭に、随時、人が移り住んでいく。
むろん、限られた世界なので、移住できる人間も限られてくる。
荒廃した国土が復興するのを待てない人々の、シェルター的な役割を果たすもの、それが、ミケの作った箱庭だった。
限られた人間、つまり特権階級の者たちだけの箱庭。
移住するには、莫大な金が要る。
だが、その金が懐に入るのは、ミケにではない。
「取り分は、ほとんど魔法院なんだろ。貧乏くじじゃん」
「でも、断れないよ。僕を育ててくれたところだし、今だって所属している場所だから」
淡々と返すミケの様子に、ますます、かける言葉が見つからない。
本人が割り切ってやっていることを、部外者であるタロがどうこう言う事は出来ない。
ただ、やりきれない気がするだけで。
「ミケの作った箱庭は綺麗だ。こんな場所に、俺も住みたいと思う。だけど、やっぱり、俺の住む世界は、この場所以外ではありえないと思うよ。どうして、金持ち連中はそうじゃねぇんだろうな」
「ふふ……。タロなら、そういうと思ったよ」
「ミケは?ミケは、どうなんだ……?」
「僕?そうだね……」
出来たばかりの箱庭のふちを、いとおしそうに撫でながら、ミケは考え込むそぶりを見せた。
ミケの作る箱庭は、もう話にしか聞いたことが無い、のどかで穏やかな田園風景が多い。
自然に溢れた、優しい世界。
ミケ、そのものだとタロは思った。
そんな世界に暮らせるのなら、暮らしてみたい。
本当は、そう、思う。
「そうだね、僕も、箱庭には暮らせないよ。自分が作ったものだからとかそういうんじゃなくて。やっぱり、僕の世界はここ以外には、ありえないと思うから」
「ふうん、そっか……」
そう、答えるだろうなとは思ったけど、実際にその言葉を聞くと、ほっとした。
調和の取れた、美しい世界。
ミケの理想が詰め込まれた、優しい世界。
………どこにも存在しない、作られた世界。
「荒んで、汚れて、ちっとも綺麗じゃない世界でも。ぼくはこの世界が好きだよ。だって、ここには君がいる。君を作ったものがある。それは、僕の箱庭にはないから」
「だな。ミケ、お前だって、いない」
箱庭は美しい『世界』だけど、それだけだ。
どこまでも、静寂が続く世界。
外部から『何か』を持ち込んで、始めて音がする、そんな世界。
だったら、やっぱり、ここがいい。
美しくなくても、調和が取れていなくても。
ごちゃごちゃと、色々なものが胎動している、この世界が。
ミケを作り出した、ミケがいる、この世界が。
「それに、自分が作っておきながらなんだけど、最初から完成されたものってつまらないよね。出来上がったものは、後は壊れるだけだもの……」
「おいおい。いいのかよ、そんなこと言って」
「いいんだよ。僕はただ、これを作って、納めるだけ。これをどう使うのかまでは、僕の責任の範疇には含まれないから」
「いい加減だな〜」
「そんなもんだよ、雇われ魔術師なんて、しょせん」
にこっと笑って言ってるけど、もしかしたら、それはミケの、ささやかな意趣返しなのかもしれない。
仕事だと割り切ってはいても、それなりに、思うところは色々あるのだろうから。
「さて、箱庭作りも終わった事だし、出かけようか、タロ」
「だな。お前、ここんとここもりっきりで、ただでさえちっこいのに一回りちっこくなったもんな。なんか美味いもん食って、栄養つけないと」
「僕は別に小さくないよ。タロが大きすぎるだけだろ」
「んなことないって。ほら、この腰周り。細っこすぎだって」
「ひゃっ!ちょ、やめてよ、どこ触ってんだよ!」
くすぐったそうに逃げるミケを、タロは笑いながら追いかけた。
ぱたん、とドアの閉じられた部屋の中には、命あるものの気配はしない。
ただ、からからと、小さな水車が回る音が、聞こえるだけだった。
Fin.
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