032: シルバークロス 番外編


甘い帰り道


 ほのかに甘い香りが、人気の少ない夜の住宅街にふわりと漂う。
 懐かしくて、お腹が空いてくる匂いだ。

「いらないって言ってもよかったんだぞ、それ」

 隣を歩く彼が、僕の持つ白いビニール袋を見て苦笑した。

「どうして? すごく美味しそうなのに」

 袋の中にはお土産にもらった、手作りのきんぴらごぼうが入っている。
 こぼれないようにきっちりタッパーに詰められてるんだけど、甘辛い匂いまでは密封できていない。
 いい匂いだけど、このまま電車に乗ったらやばいだろうか。
 この時間帯なら混んでないし、そんなに気にしなくても大丈夫だよね。

「早く食べたいな。酒のつまみに合いそうだよね」

 ビールがいいかな。それとも日本酒がいいかな。
 袋を揺らさないように抱え直して、呟いた声が弾んでいる。
 自分でもわかるくらいなんだから、当然彼にもバレバレだったようで不思議そうな顔をされた。

「お前、そんなにきんぴら好きだったっけ?」
「えっと……僕は元々和食の方が好きだから……」

 何故か言い訳めいた口調になってしまった。
 どちらかと言うと、和食の方が好きっていうのは本当。
 だけど僕が浮かれてるのは、それだけじゃなくて、張り詰めていた緊張の糸が切れた反動なんだと思う。
 さっきまで僕は、彼の実家にお邪魔していたから。
 彼の友人としてじゃなく、恋人として―――。

 
『俺がゲイなのは家族も知ってる。誰も気にしてないから』

 彼から事前に聞いてはいたものの、まさか本当に彼の家族に紹介されるとは思ってなかった。
 それに、僕にはその必要があるとは思えなかった。
 自分の息子がゲイであるのを知っているからって、はたしてその恋人にまで会いたいと思うだろうか。
 会わずにいる方が、お互いのためにはいいんじゃないだろうか。
 そう思うのは、僕が両親と絶縁とまではいかないが、疎遠になっているからだ。
 僕の両親も、僕がゲイであることを知っている。
 そのことを知ってから僕と両親の間には埋めがたい距離ができた。
 でも僕は大学在学中からずっと実家を離れて暮らしているので、今のところ問題はない。表面上は。
 実際に思う所はどうあれ、それで上手く行くなら余計な波風を立てたくない。
 そう思って僕はもうずいぶん長い事、実家に帰っていない。
 しかし、彼は違う。
 僕と違って、彼は家族と上手くいっている……その良好な関係に、ひびをいれるような真似をしたくない。
 だから、どんなに誘われても彼の実家に行くつもりはなかった。
 なのに結局、押し切られるように彼の実家を訪ねることになったのは、僕が行かないと自分も帰省しないと彼が言い張ったからだ。
 家族仲がいい彼の元には、メールや電話がちょくちょくかかってきていた。
 聞くつもりもなく聞こえてくる内容からすると、たまには家に帰って来いと言われているようで、僕は彼に帰省を勧めた。
 僕と付き合うようになって一年近くが経つが、その間彼が実家に帰っている様子はなかった。
 自分が家族と疎遠になっていたのでその辺りのことを失念していたが、気にかけてくれる家族がいるのなら顔くらい見せに行くべきだろう。
 なのに彼は、『一人で帰ってもつまらない、行くならお前も一緒じゃないと帰らない』と言って、半ば強引に連れてこられたのだ。
 それならせめて、恋人じゃなく友人として紹介して欲しいと言ったのに、彼はあっさりと僕を恋人だと家族に紹介した。
 どんな反応が返ってくるのかわからなくて、ぎこちなく頭を下げて挨拶した僕に、彼の家族(その時はお姉さんはいなかったけど、彼の両親とミニチュアダックスフントのチョコ)は、それこそ拍子抜けするくらいあっさりと僕を受け入れてくれた。
 まるで僕が、帰省してきたもう一人の家族であるかのように。
 もしかしたらそれは、何も特別なことじゃないのかもしれない。
 彼の家族は、誰であっても、ゲストをいつも家族のように温かく迎えているのかもしれない。
 それでも僕は、こっそり彼に『ほらな、ウチの家族は誰も気にしないって言っただろう?』と耳打ちされて、その場にへたりこみそうなくらい、ほっとした。
 彼の家にお邪魔したのはせいぜい1時間程度だったのだが、もう何を話したんだかよく覚えていない。
『いつでも遊びに来て下さいね。この子一人だと、ちっとも帰ってきやしないんだから。またひっぱってきてやって下さいね』
 おいとまする時、そう言って彼のお母さんからきんぴらの入った袋を手渡された。彼によく似た笑顔と共に。
 その後ろで、チョコを抱えた彼のお父さんも笑っていた。
 僕も笑い返したが、上手く笑えていたか自信がない。
 胸が詰まって、泣きそうになったから……。


 駅に向かって彼と並んで歩いている内に、涙の気配はすっかり遠くなっていた。
 その代わり、テンションが変に上がってきている。
 緊張して、ほっとして、泣きそうになって……浮かれている。
 自分でもおかしいと思うから、彼もおそらくそう思っているだろう。
 だけど、そんな僕の様子について彼は何も言わなかった。
 それどころか、彼は思ってもみなかったことを口にした。

「そんなに好きなら、俺が作ってやろうか。きんぴら」
「え! 作れるの!?」
「作ったことはない。でも、メールでレシピ送ってもらえれば、作れるだろ、たぶん」
「たぶんって……」

 その根拠は、一体どこから。
 たぶん、と言いながらやけに自信がある口調なのもおかしい。
 大体、彼が料理をしている所なんて、この一年、見たことないんだけど。

「コラ。何笑ってるんだよ」
「だって……包丁握ってるとこも見たことないのに。なんでそんなに自信満々なんだよ」
「目玉焼きなら作れるぞ」
「それ、包丁いらないよね」

 くすくす笑う僕からビニール袋を奪い取って、彼は澄まして答えた。

「だったら、俺は味付けを担当するさ。炒めて、味付けるのが俺。その前に、材料を切るのがお前」
「僕? うーん、僕も自分じゃカレーくらいしか作った事ないからなあ。きんぴらって、ごぼうを細く切るんだっけ? 出来るかな……」

 あれって、何て言う切り方なんだろう。
 なるべく自炊したいってのは建前で、時間がなくて外食や買ってきたもので済ませることが多い。
 そんな僕の料理の腕前は、彼のことをとやかくいえた義理ではない。

「だったら今度ウチに来た時に、作り方を教えてもらおうか。父さんに」
「え……!? このきんぴら、お母さんじゃなくて、お父さんが作ったものだったの!?」
「そうだよ。あれ、言ってなかった? ウチの父さん、料理が趣味なの。男の料理教室とやらに行ったら、はまったらしくってさ。だから、喜ぶぜ。お前がきんぴら気に入ったって言ったら」
「そうなんだ……凄い。息子は目玉焼きレベルなのに」
「目玉焼き馬鹿にすんなよ。固ゆでも半熟もマスターしてるんだからな」
「凄い凄い」
「うわー、心こもってない」

 拗ねたように言って、軽く肩をぶつけてくる。
 そのままくっついてきて、僕の指に彼の指が絡んでくる。
 この辺は、まだ彼の実家の近くなのに。
 もう遅い時間とはいえ、誰か知り合いに見られたらまずくないだろうか……。
 さり気なく手を離そうとしたら、逆にぎゅっと握られた。

「言っただろ。気にしてないから。大丈夫」
「でも……」

 それは、あくまで彼の家族についての話で……。
 言葉に出来ずにうつむいた僕の耳もとで、彼が囁く。

「一緒だって。俺は気にしない。だからお前も、気にするな」

 どんな顔をして、彼が言ったのかは見なかった。
 繋いだ手の温かさが痛いくらいに沁みて、また滲みそうになった涙を慌てて堪えなければならなくなったから。
 どうやら今日の僕はとことん情緒不安定らしい。
 
「きんぴらだけじゃ、つまみには足りないよな。何か買って帰るか」

 いつもと変わらない彼の声が尋ねてくるのに、僕はただ、うなずくことしかできなかった。


Fin.


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