信じられない、とでも言いたげな顔ですね。
私が裏切るなど、露ほども考えなかった、とでも?
まさか、そんなはずはありますまい。
私に対する不穏な噂を、耳にした事が一度もない、とは流石におっしゃらないでしょう。
あり得ない、と一笑に付されていたのでしょうね。
馬鹿なお方だ。
どうして、貴方の忠実なる臣下の言葉をお信じにならなかったのですか。
さすれば、今、このような目にあわれることも、なかったでしょうに。
すべてはもう、遅すぎる。
貴方の命は、蝋燭に灯る炎よりもはかなく、吹き消されようとしているのだから。
ええ、そうです。
この私の手によって。
ああ、やはり、信じられない、否、信じたくありませんか。
むしろ私に言わせれば、この事態を微塵も想定しなかった、貴方が信じられませんよ。
だって、そうでしょう?
私は、貴方を、憎んでいた。
ずっと、ずっとね。
……何をそんなに、驚いているのです?
まかさ、本当に、知らなかったとでも?
鈍いにも、ほどがありますよ。
覚えていますか?
私が、初めて貴方に会った時の事を。
ええ、私はまだ、ほんの小さな子供だった。
わけがわからぬまま、先の領主さまに連れられ、貴方の前に引き出された。
母が死んだばかりで、途方に暮れていました。
祖父母はとうに亡く、選択肢はどこにもなかった。
初めて会った、小汚い子供だった私に、貴方は笑顔で手を差し伸べてくれましたね。
貴方の手は、白くて、なめらかで、いい匂いがしました。
そんな貴方に触れるのをためらっていると、貴方の方から、私の手を握ってくれました。
あの時、私は思ったのです。
貴方が、憎いと。
意味が分からない……そんな顔をしていますね。
貴方には、あの時の私の気持ちはわからないでしょう。
今となっては、私自身にさえ、あの時の私の気持ちはよくわからなくなってしまいました。
貴方は、頼りなげな子供に、優しく手を差し伸べてくれただけだ。
感謝されるならまだしも、憎まれる理由がない、と。
そうですね。
私も、そう思います。
何故貴方を、ああも憎く思ったのか。
私は、自分の汚れた手が、恥ずかしかったのかもしれません。
それとも、初めて触れられた優しい手に、戸惑っていたのかもしれません。
幼い私は、その感情にどう名前をつければいいのか分からなくて、それを憎しみに変換してしまったのでしょう。
ひねくれた子供だったのでしょうね、私は。
貴方は、いつも、優しかった。
その優しさに触れれば触れるほど、貴方が憎くてたまらなかった。
川遊びをしていて、びしょぬれになって、私が熱を出したことがありましたね。
その時も、貴方は、家の者に止められるのも構わずに、つきっきりで私の看病をして下さった。
そして、私の熱がすっかり下がったころに、疲れが出て、代わりに貴方が寝込んでしまいましたね。
花を摘んで持って行ったら、貴方はとても喜んでくださいました。
その辺に咲いている、ありふれた野の花にすぎなかったのに。
本当に、貴方は優しかった。
こんな私には、もったいないほどに。
………だからですよ。
だから、私は、貴方を、排除しなければならない、と思いました。
私の傍から。
私の見えるところから。
私の、見えない場所に。
そうしないと、私は壊れてしまう、と。
いえ、私は壊してしまう、と。
最初は、私が、ただ、出ていけばいいのだと思いました。
この城から、どこか、遠く離れた場所に。
そして、一生、貴方に会わなければいいのだと。
私は、言いましたよね。
ここを出たいと。
貴方は、反対されました。
何を遠慮しているのだ、と怒りさえしました。
あの時、その反対を押し切ってでも、ここを出ていくべきでした。
そうしなかったのは、たぶん、私は嬉しかったのです。
先の領主さま亡きあと、私がここにいていいと言ってくださるのは、貴方しかいなかった。
行き場がなくなる、というのは、恐ろしいものです。
母が死んで、途方に暮れていた私を、先の領主さまが見つけてくださった時は、本当にほっとしました。
お前はここにいていいのだと、私は言われたかったのです。
私は弱く、情けない人間です。
壊れてしまうとわかっていても、この生ぬるい安らぎを、手放すことができなかった。
手放すことができないから……、壊すしか、なかったのです。
この、私の手で。
私には、たえられませんでした。
貴方が、私以外の、家族を作ってしまうことが。
ええ、それは避けられない事です。
貴方は、この地の、領主なのですから。
この地を引き継ぐ新しい血が、必要なことは、私にもわかっています。
わかっていることと、納得ができるかは、違う問題です。
私には、どうしても、どうしても、納得できなかった。
貴方が、私以外の者に笑いかけて、手を差し伸べるところを、見たくなかった。
そうしたら、取るべき道は、一つしかなかったのですよ。
私は、話しに乗ることにしました。
貴方を亡き者にする、という恐ろしいたくらみごとです。
貴方の愛するこの地にも、民にも、私は何の興味もありません。
私が興味を持つのは、貴方だけです。
子供の頃からずっと、ずっと、憎んできた、貴方、ただ一人です。
だから、私は、貴方を殺さねばならない。
この手で。
私の手が、貴方の血で染まれば、私はようやく安心できるでしょう。
さあ、おしゃべりは、もうこのくらいにしてしまいましょう。
そろそろ、終わりにしなければ。
さようなら。
さようなら、兄上。
………………………。
「……………」
……………………兄、上?
今、なんと、おっしゃったのですか?
どうして、こんな時に、私に、微笑いかけてくださるのですか?
ああ、手が、赤い。
これは一体、何の色だ?
そうだ、これは花の色だ。
野に咲く、花の色。
枕辺に差し伸べたら、熱にうるんだ目を細めて、笑ってくださった。
「ありがとう。私は、お前が………、だよ」
また、積んでこなければ。
そして、枕辺に手向けよう。
そうしたら、今は閉じている目を、開けて、きっとまた、私に微笑んでくださるだろう――――。
Fin,
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