036: 定められた時間



「レティ様!レティ様……!?」

 執事の呼ぶ声を振り切って、レティは今日も、森の奥にひっそりと建つ屋敷を抜け出した。
 向かうのは、街中。
 ちょっとごみごみした通りにある、職人たちの店が連なる界隈だ。
 その一軒に、真っ直ぐ入っていく。
 かろん、とドアベルが軽やかな音を立て、いらっしゃいませ、と声と共に向けられた顔が、レティをちらりと見て、素っ気無く呟く。

「また来たのか」
「来たよ?だって、約束したじゃん」
「してない」
「そうだっけ?」

 店主の様子にはお構いなしで、レティは少し薄暗い店内の、粗末な椅子に腰掛けた。
 大きな木のテーブルには、作りかけのブローチや髪飾りなどが並んでいる。
 ここは、飾り職人の店だった。
 あまり高級なものではなく、若い娘が気軽に買えるような、そんなこまごましたものを作って、売っている。
 店には、職人兼店長の、セシルが一人、いるだけだ。
 元は祖父と二人でやっていたのだが、数年前に亡くなってからは一人でやっている。
 値段の安さの割には、緻密で繊細な飾りものを扱っているので、店はそれなりに流行っている。
 店長がとびきり無愛想でなかったら、もっと儲かるのに、というのはレティの弁だ。
 が、セシルは、自分ひとり養えればいいのだから、と気にした風もない。
 まあ、この店がいつも若い女の子で溢れるようになったら、それはそれでイヤなので、現状維持、でちょうどいいのかもしれない、とこっそり、レティは思っている。

「ねぇ、僕の作りかけの馬、どこ?」
「ああ、あのロバな。あるぞ」
「ロバじゃなくて、馬〜!」
「はいはい。馬ね、馬。ほら」

 セシルは、棚から小さな木彫りを取り出して、レティに渡した。
 いかにもつたないそれは、レティが只今製作中の、馬の置物だ。
 置物、とはいっても、掌に乗るくらいの、可愛い大きさだ。
 レティは、机の上の彫刻刀を手にすると、慎重に彫り始めた。
 木を削る、シュッ、シュッ、という音だけが、静かな店内に響く。
 セシルはそれを見て、やれやれ、とでも言いたげに息をひとつ吐くと、再び自分の作業に戻った。
 しばらく二人、言葉も無く作業に没頭した。

「出来た……!!」

 歓声が聞こえて、セシルはようやく自分の手を止めた。
 レティは嬉しそうに、出来上がったばかりの馬の木彫りを見ている。
 どちらかといえばころころとした体型のそれは、やはり馬と言うよりもロバに見えたが、本人は至って満足げなので、口にしないで置く。
 代わりに、別の言葉を口にする。
 
「まあ、初めてにしては、上手く出来たんじゃないか」
「ホント!?」
「ああ……まあ、な」

 あまりにもきらきらとした目で見詰められ、今更ただのお世辞だといえるはずも無く、セシルはあいまいに頷いた。
 だが、レティには幸いなことに、そんなセシルの様子は目に入っていないらしく、木彫りの馬を、嬉しげに撫で回した後、はい、と差し出した。

「セシルに、あげる。もらって」
「え……?いいのか」

 反射的に受け取ってしまった後、セシルは、木彫りの馬と、レティを交互に見た。
 これは、ここ最近、レティが一生懸命作っていたものだ。
 初めての作品でもあるし、出来上がった今、愛着もひとしおだろう。
 なのに、こうあっさり手放していいのか。
 そういう気持ちをこめて、問い返したのだが、レティはにっこり笑って頷いた。
 
「うん。だって、そのつもりで作ってたから」
「そうなのか……?」
「そうだよ。だって、セシル、用もないのに来るなって言ったじゃない。木彫りの馬は、口実」

 そんなこともわかってなかったの?
 と、言うように顔を見上げられて、セシルは苦笑した。
 そうだ、そういえば、そうだった。
 森のお屋敷に住む、貴族の少年が、ちょくちょく抜け出してはここにくるようになったのは、半年くらいだろうか。
 迷ってたどり着いたこの店で、何を気に入ったのかそれから何度も来るようになった。
 客でもなく、用事もないのに気軽に遊びに来るな、と言ったら、じゃあ弟子入りさせて、ときた。
 ふざけるな、と言って追い返すのは簡単だったが、小さな街の外れにある森の屋敷に、召使以外は家庭教師くらいしかいない環境で過ごしている少年に、わずかばかりの同情を覚えたのも確かだ。
 弟子入りなど問題外だが、自分の仕事の邪魔をしないなら、という条件で、彫刻刀の使い方を教え、木片に好きなものを彫らせることにした。
 すぐに飽きるだろう、と思っていたのだが、出来はどうあれ、完成までこぎつけた。
 あんなに熱心にやっていたのに、それが口実……?

「あ〜あ。わかってたけど、わかってたけど、やっぱり、ちょっとへこんじゃうな」

 レティは、困った顔をしているセシルを見て、ますます苦笑する。
 セシルの大きな掌の上では、とても小さく見える馬の木彫りを、ちょんと突くと、レティはうつむいて早口で告げた。

「僕、ここを離れるんだ。だから、それ、もらって。僕だと思って」
「そうなのか……?」
「ふふ。セシルったら、さっきから、そればっかり。……そうだよ。もうすっかり健康になっただろうって、父上が。だから、学校に行くんだ。寄宿学校」

 身体を壊して、療養の為に、地方の別宅にやってきたのだと言っていた。
 目の前の少年は、同じ年頃の少年の内では小さいほうだが、もうすっかり、健康を取り戻したようだった。
 この場所の、穏やかな気候がよかったのだろう。
 ここよりも北にある都心部は、寒さが厳しい。
 そういえば、ここに訪ねたばかりの頃のレティは、線が細く顔色も悪かった。
 店に顔を出すようになってから、体調もよくなり、顔色もよくなってきた。
 彼の父親が、学校に、と言うのも、だから、もっともなことなのだろう。
 だが……。
 
「急だな……」
「そうでもないよ。元々、そういう話だったし。ここにいられるのは、期間限定だったんだ」
「そうか」
「うん」
「……寂しく、なるな」
「………っ!」

 うつむいたままの、レティの肩が震えている。
 セシルは、木彫りの馬を机の上にそっと置くと、レティの頬に手をやった。
 濡れていた。
 
「……ちょっと待ってろ」

 棚の引き出しを、いくつか開けて、目的のものを探し出す。
 小さな木彫りのブローチを取り出した。
 精緻な彫刻で、花の意匠がほどこされていて、赤い小さな石がはめ込まれている。
 レティの手に、その花のブローチを握らせた。
 
「セシル……?」
「馬の木彫りの礼だ。もっていけ」
「でも……」
「………この花には『再会』、赤い石には、『忘れない』という意味がある」
「……っ!セ、シル……」
「ほら、だからもう、泣くな。これっきりじゃないんだから」
「う、うん……」

 目元をぬぐってやると、レティはようやく顔を上げて、泣き濡れた顔で、照れたように笑った。
 たぶん、自分は知っていたのだろう、とセシルは思った。
 レティが弟子になりたいと言ったことや、木彫りの馬を作り始めたことが、ただの口実に過ぎないのだということを。
 セシルは、レティに特に何かを教えたわけではない。
 基本的な道具の使い方を教えたが、それだけだ。
 自分の屋敷でやれ、と言って追い返すこともできた。
 それをしなかったのは、だからきっと、セシルも待っていたのだ。
 レティの訪れを。
 
「お前が来れないのなら、俺が会いに行ってもいい」
「えっ……」
「なんだ?迷惑か」

 器用に肩眉をあげて問うと、レティは慌てて、ぶんぶんと首を振った。

「ううん!すごく、嬉しい!でも、いいの……?」
「店の事か。別に構わん。俺一人の店だしな」
「そっか、そうなんだ。じゃあ、来て。待ってる」

 えへへ、と笑って、レティはきゅっとセシルにしがみついた。
 調子のいいやつだ、と思ったが、泣かれるよりはずっといい。
 セシルは、その細い身体を、壊れ物を扱うように、そっと、抱きしめた。


Fin.


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