「レティ様!レティ様……!?」
執事の呼ぶ声を振り切って、レティは今日も、森の奥にひっそりと建つ屋敷を抜け出した。
向かうのは、街中。
ちょっとごみごみした通りにある、職人たちの店が連なる界隈だ。
その一軒に、真っ直ぐ入っていく。
かろん、とドアベルが軽やかな音を立て、いらっしゃいませ、と声と共に向けられた顔が、レティをちらりと見て、素っ気無く呟く。
「また来たのか」
「来たよ?だって、約束したじゃん」
「してない」
「そうだっけ?」
店主の様子にはお構いなしで、レティは少し薄暗い店内の、粗末な椅子に腰掛けた。
大きな木のテーブルには、作りかけのブローチや髪飾りなどが並んでいる。
ここは、飾り職人の店だった。
あまり高級なものではなく、若い娘が気軽に買えるような、そんなこまごましたものを作って、売っている。
店には、職人兼店長の、セシルが一人、いるだけだ。
元は祖父と二人でやっていたのだが、数年前に亡くなってからは一人でやっている。
値段の安さの割には、緻密で繊細な飾りものを扱っているので、店はそれなりに流行っている。
店長がとびきり無愛想でなかったら、もっと儲かるのに、というのはレティの弁だ。
が、セシルは、自分ひとり養えればいいのだから、と気にした風もない。
まあ、この店がいつも若い女の子で溢れるようになったら、それはそれでイヤなので、現状維持、でちょうどいいのかもしれない、とこっそり、レティは思っている。
「ねぇ、僕の作りかけの馬、どこ?」
「ああ、あのロバな。あるぞ」
「ロバじゃなくて、馬〜!」
「はいはい。馬ね、馬。ほら」
セシルは、棚から小さな木彫りを取り出して、レティに渡した。
いかにもつたないそれは、レティが只今製作中の、馬の置物だ。
置物、とはいっても、掌に乗るくらいの、可愛い大きさだ。
レティは、机の上の彫刻刀を手にすると、慎重に彫り始めた。
木を削る、シュッ、シュッ、という音だけが、静かな店内に響く。
セシルはそれを見て、やれやれ、とでも言いたげに息をひとつ吐くと、再び自分の作業に戻った。
しばらく二人、言葉も無く作業に没頭した。
「出来た……!!」
歓声が聞こえて、セシルはようやく自分の手を止めた。
レティは嬉しそうに、出来上がったばかりの馬の木彫りを見ている。
どちらかといえばころころとした体型のそれは、やはり馬と言うよりもロバに見えたが、本人は至って満足げなので、口にしないで置く。
代わりに、別の言葉を口にする。
「まあ、初めてにしては、上手く出来たんじゃないか」
「ホント!?」
「ああ……まあ、な」
あまりにもきらきらとした目で見詰められ、今更ただのお世辞だといえるはずも無く、セシルはあいまいに頷いた。
だが、レティには幸いなことに、そんなセシルの様子は目に入っていないらしく、木彫りの馬を、嬉しげに撫で回した後、はい、と差し出した。
「セシルに、あげる。もらって」
「え……?いいのか」
反射的に受け取ってしまった後、セシルは、木彫りの馬と、レティを交互に見た。
これは、ここ最近、レティが一生懸命作っていたものだ。
初めての作品でもあるし、出来上がった今、愛着もひとしおだろう。
なのに、こうあっさり手放していいのか。
そういう気持ちをこめて、問い返したのだが、レティはにっこり笑って頷いた。
「うん。だって、そのつもりで作ってたから」
「そうなのか……?」
「そうだよ。だって、セシル、用もないのに来るなって言ったじゃない。木彫りの馬は、口実」
そんなこともわかってなかったの?
と、言うように顔を見上げられて、セシルは苦笑した。
そうだ、そういえば、そうだった。
森のお屋敷に住む、貴族の少年が、ちょくちょく抜け出してはここにくるようになったのは、半年くらいだろうか。
迷ってたどり着いたこの店で、何を気に入ったのかそれから何度も来るようになった。
客でもなく、用事もないのに気軽に遊びに来るな、と言ったら、じゃあ弟子入りさせて、ときた。
ふざけるな、と言って追い返すのは簡単だったが、小さな街の外れにある森の屋敷に、召使以外は家庭教師くらいしかいない環境で過ごしている少年に、わずかばかりの同情を覚えたのも確かだ。
弟子入りなど問題外だが、自分の仕事の邪魔をしないなら、という条件で、彫刻刀の使い方を教え、木片に好きなものを彫らせることにした。
すぐに飽きるだろう、と思っていたのだが、出来はどうあれ、完成までこぎつけた。
あんなに熱心にやっていたのに、それが口実……?
「あ〜あ。わかってたけど、わかってたけど、やっぱり、ちょっとへこんじゃうな」
レティは、困った顔をしているセシルを見て、ますます苦笑する。
セシルの大きな掌の上では、とても小さく見える馬の木彫りを、ちょんと突くと、レティはうつむいて早口で告げた。
「僕、ここを離れるんだ。だから、それ、もらって。僕だと思って」
「そうなのか……?」
「ふふ。セシルったら、さっきから、そればっかり。……そうだよ。もうすっかり健康になっただろうって、父上が。だから、学校に行くんだ。寄宿学校」
身体を壊して、療養の為に、地方の別宅にやってきたのだと言っていた。
目の前の少年は、同じ年頃の少年の内では小さいほうだが、もうすっかり、健康を取り戻したようだった。
この場所の、穏やかな気候がよかったのだろう。
ここよりも北にある都心部は、寒さが厳しい。
そういえば、ここに訪ねたばかりの頃のレティは、線が細く顔色も悪かった。
店に顔を出すようになってから、体調もよくなり、顔色もよくなってきた。
彼の父親が、学校に、と言うのも、だから、もっともなことなのだろう。
だが……。
「急だな……」
「そうでもないよ。元々、そういう話だったし。ここにいられるのは、期間限定だったんだ」
「そうか」
「うん」
「……寂しく、なるな」
「………っ!」
うつむいたままの、レティの肩が震えている。
セシルは、木彫りの馬を机の上にそっと置くと、レティの頬に手をやった。
濡れていた。
「……ちょっと待ってろ」
棚の引き出しを、いくつか開けて、目的のものを探し出す。
小さな木彫りのブローチを取り出した。
精緻な彫刻で、花の意匠がほどこされていて、赤い小さな石がはめ込まれている。
レティの手に、その花のブローチを握らせた。
「セシル……?」
「馬の木彫りの礼だ。もっていけ」
「でも……」
「………この花には『再会』、赤い石には、『忘れない』という意味がある」
「……っ!セ、シル……」
「ほら、だからもう、泣くな。これっきりじゃないんだから」
「う、うん……」
目元をぬぐってやると、レティはようやく顔を上げて、泣き濡れた顔で、照れたように笑った。
たぶん、自分は知っていたのだろう、とセシルは思った。
レティが弟子になりたいと言ったことや、木彫りの馬を作り始めたことが、ただの口実に過ぎないのだということを。
セシルは、レティに特に何かを教えたわけではない。
基本的な道具の使い方を教えたが、それだけだ。
自分の屋敷でやれ、と言って追い返すこともできた。
それをしなかったのは、だからきっと、セシルも待っていたのだ。
レティの訪れを。
「お前が来れないのなら、俺が会いに行ってもいい」
「えっ……」
「なんだ?迷惑か」
器用に肩眉をあげて問うと、レティは慌てて、ぶんぶんと首を振った。
「ううん!すごく、嬉しい!でも、いいの……?」
「店の事か。別に構わん。俺一人の店だしな」
「そっか、そうなんだ。じゃあ、来て。待ってる」
えへへ、と笑って、レティはきゅっとセシルにしがみついた。
調子のいいやつだ、と思ったが、泣かれるよりはずっといい。
セシルは、その細い身体を、壊れ物を扱うように、そっと、抱きしめた。
Fin.
Copyright(c) 2007 all rights reserved.