「10年経ったから、引き出しを開けに行こう」
りっちゃんからそう言われた時、オレは最初、何の事だかわからなかった。
だって、10年前って言ったら、7歳だ。
小学1年生の頃のことなんて、そうすぐに、思い出せるもんじゃないだろ?
だが、りっちゃんは、オレが覚えてないことなんて、把握済みだったみたいで、さらに付け加えた。
「俺の、じいちゃんちだよ」
「りっちゃんのじいちゃんち……?」
りっちゃんのじいちゃんちは、オレとりっちゃんちから、子供の足で行ける距離にある。
純和風な家で、オレもよく、りっちゃんと一緒に遊びに行ってた。
もっとも、中学に上がった頃から、部活だ塾だで忙しくなってあまり行かなくなったけど。
りっちゃんのじいちゃんは、ホントの孫のりっちゃんだけじゃなく、その幼なじみのオレも、ホントの孫みたいに可愛がってくれた。
ぱっと見はちょっと厳めしいんだけど、実際は優しくて、オレたちが遊びに行くと、必ず手作りのお菓子をふるまってくれた。
じいちゃんの趣味は、見た目に反すること甚だしいのだが、お菓子作りなのだ。
「あー、じいちゃんの作るプリン、美味かったなあ……」
ほんのり焦げたカラメルソースがまた、美味くってさあ……。
と、俺が思い出に浸ってたら、りっちゃんが呆れたように、相変わらず食い意地が張ってるな正実(まさみ)は、と言われた。
ほっとけ。成長期なんだよ、オレは!!
「じいちゃんの部屋の文机に、ひとつだけ、鍵がかかる引き出しがあっただろう? 覚えてないか」
「ああ……言われてみれば。あったな」
思い出した。
りっちゃんのじいちゃんは読書家で、地元の歴史サークルみたいなところにも入っているから、書斎のような部屋があった。
日当たりが良くて、オレとりっちゃんは、よくその部屋で、じいちゃんに絵本を読んでもらったり、子供向けに噛み砕いて、戦国武将の話を聞かせてもらったりしたっけ。
本がいっぱいあるその部屋には、どっしりとした飴色の立派な文机があった。
筆記具とか、歴史サークルで使っているノートとか、新聞記事を切り抜いたスクラップブックとか。
引き出しにはそういうものが仕舞われていたんだけど、鍵のかかる引き出しがひとつだけあった。
だけどそこはいつも鍵なんかかかってなくて、入っている物だって他の引き出しと特に変わりなかった。
なんでこんなことを結構詳しく知っているのかと言うと、じいちゃんの机の引き出しを、開けたり閉めたりして遊んでたからだ。
主にオレが。りっちゃんは、ひとんちの物で勝手に遊んだりはしない。
りっちゃんのじいちゃんは、そんな躾のなってないオレを叱ったりはしなかった。
文机がめずらしくて、ぺたぺた触っているオレに、ただ、見終わったら、ちゃんと元のように戻しておくんだよ、と言っただけだ。
子供には難しくてさっぱりわからない本をひっぱりだしても、やっぱり同じように、読み終わったら元の場所に戻すんだよ、とだけ言って、好きなようにさせてくれた。
じいちゃんは、おやつもくれるし、優しいし、菩薩のような人だった。
むしろ、りっちゃんの方が口やかましいし、細かい。
その本はそっちじゃなくてこっちだったよとか、ノートはきちんとそろえていれなきゃ、とか。
おかしがポロポロこぼれてるよとか、口にカラメルソースがついてるよとか、シャツのすそがはみだしてるよ、とか。
ヘタしたら、ウチの母さんより口うるさい。
オレがしっかりすればいいだけ、っていうのはわかってるんだけどさあ……。
「あの引き出しの鍵をかけてみたいって、正実、じいちゃんに言っただろ」
「うん」
カギがあるのに、どうしてかけないの? って、じいちゃんに言った気がする。
それは鍵穴にも細かい蔓草の意匠が彫り込まれた、立派なものだったのだ。
普段は別の場所にしまってあった鍵も、オレが知っている素っ気ない鍵とは違って、鍵穴とおそろいの蔓草模様が持ち手のところに刻まれた、洒落たものだった。
オレは子供らしい好奇心と、無遠慮さで、その引き出しに鍵をかけてみたいと言ったのだ。
確かその時じいちゃんは、特に鍵をかけて仕舞うようなものがないからなあ、と答えた気がする。
そうしたら、りっちゃんが―――。
「あ。思い出した………」
「やっと、思い出したか。それが、今日なんだよ」
記憶力がずば抜けていいりっちゃんは、ゆっくりと頷いた。
10年前、引き出しに鍵をかけた。
ただそれだけでは面白くないので、引き出しの鍵は10年後に開けよう、という事になったのだ。
そして、引き出しの中には――――。
「おお。よく来たな、陸、まーちゃん」
久しぶりに見たりっちゃんのじいちゃんは、相変わらず元気そうだった。
こんにちは、おじゃまします、とまずは挨拶してから、オレは抗議した。
「じいちゃん、オレ、もう、高校生なんだから、まーちゃんはやめてよ!」
「いやあ、すまんすまん。まーちゃんは陸と違って、小さい頃から全然変わらんで、可愛いからなあ」
「陸が変わり過ぎなだけ! オレは普通! っていうか、オレこれでも、ちゃんと大きくなってるんだからね!?」
じいちゃんはさらに、すまんすまん、と言って笑った。
全然すまなさそうではない笑顔だ。
この10年間でりっちゃんはやたらすくすくと成長し、オレは見上げなければりっちゃんと目を合わすこともできない。
おまけに顔付きだって子供っぽさがなくなってきて、精悍って言うの? 男っぽい顔になっちゃってさ……。
いやでも、オレが特別童顔ってことはないと思うんだけどね!!
「じいちゃん、あの文机の引き出しを開けに来たんだ。鍵貸してくれない?」
「ああ、もう10年経ったのか……あっという間だなあ」
じいちゃんは感慨深そうにつぶやくと、俺の部屋で待っとけ、と言って鍵を取りに行った。
残されたオレたちはその言葉通りにじいちゃんの部屋へと向かった。
つれだって廊下を歩きながら、りっちゃんが不思議そうにオレに尋ねた。
「正美は俺のことはちゃん付けで呼んでるのに、なんで自分がまーちゃんって呼ばれるのは嫌なんだ?」
「りっちゃんはりっちゃんって呼ばれたって、ちゃんと高校生に見えるだろ。オレは違うのっ!」
「ああ、なるほど」
「そこであっさり納得されるのもすげえ屈辱……」
オレは顔をしかめて、じいちゃんの部屋に入った。
ここに入るのも、久しぶりだ。
まるで時が止まっていたかのように、昔のまんまだった。
「なんかさ、思ってたより、机がちっちゃく見える……。昔は、もっとデカくなかったか、これ?」
オレがそう言ってじいちゃんの文机を眺めていると、後から入ってきたりっちゃんは部屋の隅に重ねてあった座布団を2つひっぱってきて、1つをオレに勧めながら言った。
「そんだけ、俺たちが大きくなったってことだろう」
そっか、そうだよな。
机が、小さくなるわけないもんな。
頭でわかっていても、なんだか変な感じだった。
そんなことを考えている内に、じいちゃんが戻ってきて、りっちゃんに鍵を手渡した。
「後で、じいちゃんが作ったプリンをやるからな。今、冷蔵庫で冷やしてるから、30分くらい経ったら、居間においで」
「わかった。ありがとう」
「やったー!! ありがと、じいちゃん!」
じいちゃんのプリンも久々だ!
美味いんだよなあ、ホント。
ミルク濃厚、って感じで。
30分後のじいちゃん特製プリンに思いを馳せている内に、いつの間にかじいちゃんは部屋を出て行っていた。
ようやくそれに気付いたオレに、りっちゃんが呆れたように言った。
「プリンは逃げないから」
うっ……。
だってしょうがないじゃん、昼食ってから、何も食ってないんだからさあ……。
って、心の中だけで言い訳する。
りっちゃんはため息をひとつついてから、手に持った鍵をオレにかざして見せてから、開けるぞ、と言った。
オレはこっくりとうなずく。うわあ、なんかドキドキしてきた。
吸い込まれるように、鍵が引き出しの鍵穴に差し込まれていくのを、オレは息を詰めて見つめる。
鍵をゆっくりと右に回すと、カチリ、と思ったよりも軽く、澄んだ音がした。
鍵を引き抜いて机の上に置くと、りっちゃんはじれったくなるくらい丁寧に引き出しを開けた。
りっちゃんの手が、中に入っていたクッキーのひらべったい四角い缶を、そうっと取りだして畳の上に置く。
オレは待ちきれない思いで、缶の蓋を開けた。
「おお、懐かしい……!」
オレは思わず、歓声を上げた。
手にとったのは、当時オレが集めていた、市販のお菓子のオマケについていた、カード。
捨てたつもりはないのに、いつのまにかどっかに行っちゃったなあと思ってたんだけど、そうだよ、ここに入れといたんだった。
他にも、光にすかすとキラキラした虹色に見えるビー玉とか、河原でりっちゃんと一緒に拾った、ちょっとめずらしい形の小石とか。
どれもたわいもないものだけど、当時のオレには、大切な宝物たち……。
懐かしそうにそれらをひとつひとつ、手に取っているオレの横で、りっちゃんはそれらには目もくれずに、缶の底の方にあった、少し黄ばんだ封筒を取り出した。
封筒は、ふたつあった。
「はい、正実の分」
「何、これ……」
りっちゃんに手渡された封筒を見ると、表書きに、「平塚正実さまへ」と書いてあった。
裏を見ると、「加納陸より」と記されている。
「何って、この手紙がメインだろう。それだけじゃ缶がスカスカだからって、正実が色々入れただけで」
「そうだっけ……?」
よく覚えていない。
言われてみれば、10年後の自分たちにあてて手紙を出そう……とか、りっちゃんが言ってたような気がうっすらと………。
「あー、そういや、手紙を書いたっけ。じゃあ、りっちゃんが持ってるのは、オレが書いたヤツ?」
「そうだよ」
りっちゃんは、手にした自分宛ての封筒をオレに見せた。つまり、オレがりっちゃんに書いたヤツ。
きったないオレの字で――悲しい事に、今もあまり変わってない――、りっちゃんへ、と書いてある。
りっちゃんはフルネームで書いてるのに、なんでオレは普段呼びで書いてんだよ、10年前のオレ。
「じゃあ、読むか」
「あ、そうだな、うん」
あっさりとそう言って、りっちゃんは文机のかぎの掛かっていない引き出しを開けると、ペーパーナイフを取り出して封筒を開く。
ほら、とペーパーナイフを手渡されて、オレも中の手紙を破かないように気をつけながら、封筒を開けた。
ペーパーナイフを元の場所に戻し、そうっと、封筒から手紙を引き出す。
中には、白い便せんが1枚、入っていた。
ああ、そうだ。この封筒と便せんも、じいちゃんからもらったんだよ。
当時のことをぼんやりと思い出しながら、オレは10年前のりっちゃんが、10年後の、今のオレにあてた手紙を読みはじめた……。
『平塚正実さまへ
来年は、高校をそつぎょうするころですね。
ちゃんと、べんきょうしていますか?
まーちゃんは、いつもぎりぎりになるまで、しゅくだいをやらないで、泣きついてくるから、おれはしんぱいです。
いっしょの大学に行きたいけど、それはむりだろうから、せめて近くにある学校に行けるよう、今からべんきょうの方もわすれずに、がんばってください。
入学しけんまでじかんがあるからって、のんびりしてたらだめだよ。
わからないところがあったら、いつでも、おれがおしえるので、聞いてください。
大学生になったら、ふたりでアパートを借りて、いっしょにくらそうね。
そうしたら、まーちゃんは、ちこくしなくなると思います。
おれは今からお金をためて、いつかまーちゃんとずっと、いっしょにくらせるように、家をたてます。
だから、さいしょは、せまいアパートでも、がまんしてください。
2001年10月22日
加納陸より 』
「……って、なんじゃこりゃー!?」
読み終わって、思わずオレは叫んだ。
なんだなんだ、この人生設計は!? 聞いてないっつーの!!
それになんだよ、一緒の大学は無理とか、失礼だぞ、10年前のりっちゃん!
いや、りっちゃんと一緒の大学とか偏差値的にどう考えても不可能だけどさ……。
「どうした、正実」
「どうしたもこうしたもねーよ」
りっちゃんは、10年前のオレが書いた手紙から顔をあげて、尋ねた。
オレは10年前のりっちゃんが書いた手紙を、りっちゃんにつきつけた。
「10年前のりっちゃん、好き勝手言いすぎっ!」
りっちゃんは、オレから手紙を受け取って、それをさっと見ると、ふっと笑った。
「本当のことだろう? お前、8月31日になってから慌てるタイプだし」
「そうだけど、そう言うことじゃなくてだな……!」
「ところで正実は、自分が俺に何て書いたのか、覚えてるか?」
はぐらかすなと言おうとして、オレは固まった。
10年前に、オレがりっちゃんに、何て書いたか……?
「覚えてない」
「だろうな。俺は自分の書いたことは、大体覚えてたけどな」
「そんなの、覚えてる方が変わってんだよっ!」
「読むか?」
「いいの?」
「正実だって、俺に見せただろ」
「そりゃ、見せないと文句言えねえじゃん。……読む」
オレは、りっちゃんから手紙を受け取った。
10年前にオレが、りっちゃんにあてて書いた手紙。
なんて書いたのか、さっぱり覚えてない。
なんだか、読むのがちょっと怖いような……。
オレは恐る恐る手紙の文面に目を落とした。
『りっちゃんへ
10ねんごの、りっちゃん、おげんきですか。
10ねんごのりっちゃんに、てがみかけっていうけど、なにかけばいいの?
あっ、そうだ!
らいげつのえんそく、たのしみだね!
おべんとう、はんぶんこして、わけっこしようね。
すいとうに、かるぴすいれたいんだけど、だめかなあ。
こっそりいれたら、ばれないよね!
おやつは300えんまでって、せんせいがいってたけど、すくないよね、りっちゃん!
500えんまでにしてくれたらいいのに。
おやつも、はんぶんこしようね!
りっちゃんも、ひーろーかーどのはいったくっきーかってきてね!
そして、かーどは、おれにちょうだいね!
それから、ええと、もう、かくことおもいつかないや。
いっぱいかいたから、このくらいでいいかな。
りっちゃん、いつも、なかよくしてくれてありがとう。
10ねんごも、きっと、りっちゃんとおれはなかよしだよね。
でも、10ねんごは、もっといっぱい、なかよしだったらいいなっておもいます。
りっちゃんが、いちばん、だいすきです。
だから、りっちゃんのぶんの、ぷりんをたべても、おこらないでください。
10がつ22にち
ひらつかまさみ 』
「…………これは」
誰が書いたんだ? と思わずオレは突っ込みたくなった。
オレか? オレなのか!?
「10年後の俺に、9年11か月前の遠足への要望を書いてくるあたり、お前らしいな」
「それを言うな!」
「あと、熱烈な告白もありがとう」
「それも言うなーっ!!」
何かもう、何もかもが恥ずかしい。
このまま、引き出しの中に、永久に封印しておきたかったよ……。
両手で、耳をふさいで悶絶するオレを、りっちゃんはおもしろそうに見ていた。
くそう……!!
「そんなに恥ずかしがるなよ。9年11か月前の遠足でたって、ちゃんと弁当は半分こ、おやつも半分以上、正実にやっただろう」
「だから覚えてねーよ、そんなこと!!」
「俺は、覚えてるよ? 正実のことなら、なんだって」
そう言って、りっちゃんはオレの手を取って、耳から外した。
まつげが触れそうなくらい近くから、目を覗きこまれる……。
離れなきゃ、と思っているのに、何故か動けなかった。
「プリン、できたぞ〜」
じいちゃんの、のんびりした声が向こうから聞こえてきて、ふしぎな魔法は、ぱっと解けた。
オレはりっちゃんから目を反らすと、少し後ろに下がってから、立ちあがった。
「あ、ほら、プリン。食いに行こ、りっちゃん! ここ片付けんの、食ってからでもいいよな?」
「………ああ」
オレが早口で聞くと、りっちゃんはため息をひとつついて、うなずいた。
りっちゃんはふたつの手紙を机の上に置いて立ちあがると、オレの頭を、ぽんと軽く叩いた。
「俺の分のプリンも、食べるか?」
「いらないっ!」
即答すると、りっちゃんはこらえきれないように吹き出した。
つられて、オレも一緒に笑う。
なんだかなあ、もう……。
10年前も、10年後も、ちっとも変ってないんじゃないだろうか、オレたち。
……いや、10年前にお互いが、お互いに願ったことは、叶ってる……のかな?
「ほら、行くぞ。正実」
「うん」
りっちゃんはオレの手を取って、じいちゃんの部屋を出た。
居間からカラメルソースの、ほんのり焦げた甘い匂いが漂ってきていた。
Fin.
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