004: 僕がいる理由



「咲哉、咲哉、ねぇ、いるんだろう……?」

 気持ちよく、うつらうつらしていたのに、そのいかにも頼りなさげな声と、ゆさゆさと木を揺さぶる振動で、オレはすっかり、目が覚めてしまった。

「うるさいな。何だよ」
「あ、あのね、聞いて欲しい事があるんだ」

 ばさばさっと、羽を広げて、オレは気から飛び降りた。
 目の前に居るのは、水干姿の、いかにも気の弱そうな少年だ。
 そのくせ、鴉天狗のこのオレ様に、臆することなく話しかけてくるのだから、全く、おかしなヤツだ。

「何だぁ?また、背中にひき蛙でもいれられたのか」
「ち、違うよ!そうじゃなくて!僕、招待されたんだよ」
「誰に?」
「は、晴章さまの屋敷に……」
「へぇ、よかったじゃねぇか」

 晴章ってのは、確かここのところ、毎日のようにこいつの口から出ていた人間だ。
 左近少将とかだっけ。
 見たまんま、要領の悪いこいつ――ああそういえば名前言ってなかったっけ?こいつの名前は、貴之。名前だけは立派なんだけどなあ――が、陰陽寮の学生仲間からいじめられて、外でぐずぐず泣いてた所を、優しく声を掛けてくれたとかなんとか。
 ったく、その晴章ってやつも、大概、物好きだよな。
 麗しい姫とかならともかく、細っこい小童が泣いてたからって、いちいち構うなよ。
 と、まあ、オレなら思うんだけど。
 そいつは、どうやら違ったらしくて、声を掛けてくれた上に、持っていた手巾で、顔を拭いてくれたらしい。
 涙、じゃなくて、顔、なのは、まあ顔から出てくるもんみんな出てるような状態だったんだろうな。
 せめて、家につくまで我慢しろっての。
 ああ、すまん、また脱線した。
 あんまり、貴之がだらしないんで、つい。
 で、それから密かに左近少将晴章に憧れている、とまあそういうわけだ。
 
「よくないよ!ああ、僕、どうしたらいいんだろう……」

 貴之は、元から白い顔をますます白くさせて、手を握り合わせてオレをじっと見詰めている。
 いや、そんな、見詰められたって、オレ、どうしようもないんだけど。

「そもそも、何で、屋敷に招待されたんだ?」
「そ、それは、晴章様の館で、余興に、僕に射覆(せきふ)をして欲しいと……」
「ああ、箱の中に何入ってるのか当てるってヤツね」

 陰陽師がやってるのを、オレも見たことがある。
 ってか、こいつがやってんのも、見たことあるんだよね。
 こいつは、陰陽師のタマゴで、こんなんだけど、筋は中々悪くないらしい。
 
「そうだな。本職の陰陽師を呼ぶのは大げさだけど、見習いなら当たっても外れても、ご愛嬌。いい余興になるだろうな」
「そんな、他人事みたいに……!」
「いや、他人事だもん」

 はっきり言うと、貴之は泣きそうな顔になった。
 泣かれると面倒なので、オレは慌てて、言いつくろった。
 
「でも、まあ、憧れの君なんだろ、少将は。それを、堂々と会いにいけるんだから、めでたいだろ。別に失敗してもいいじゃん、まだ学生なんだし。気負いすぎ、気負いすぎ。気楽にいけよ」
「そ、そうは言っても……」
「そういや、何で貴之が選ばれたんだ?他にも学生はいるだろうに」
「そ、それは、僕の射覆の腕前がいいというのを、お聞きになったらしくて……。それで」
「へぇ、そりゃ、名誉なことじゃねぇか!はりきっていけよ!」

 もう、どっちなんだよ、と貴之は頬を膨らませた。
 お、顔色が戻ってきたな。
 こいつは、小心だが、イザって時は、意外と行動力があったりする。
 本番に強いっていうか。
 大体、人外の存在であるオレとフツーにしゃべれてるあたりからして、ただの気弱な小童じゃない。
 ちなみに、貴之との出会いは、オレが、うっかり油断して、犬に噛まれ、変化できずに鴉のまま倒れていたところを助けられたのが、始まりだ。
 鴉っていっても、結構デカイし、貴族の若様が拾って帰るようなもんじゃないだろう。
 死肉を漁る事もある鴉は、あまり好かれた存在でもないし。
 闇夜のように真っ黒な姿も、気味悪がられたりする。
 それなのに、ひき蛙を怖がるこいつは、なぜか鴉は平気らしくて、自分の館に連れ帰って、手当てをした。
 傷が治って、鴉天狗に戻った時も、驚きはしたものの、あっさり受け入れるし。
 あまりに気軽に話しかけてくるのがおかしくて、オレはそれから、山に帰らずに、この館で一番大きな木を棲家にして、留まっている。
 いつ帰ってもいいのだが、居なくなった後に、こいつが、またぞろくだらない悩みや、話をしにきてるんじゃないかと思うと、どうしてだか、帰れなくて。
 全く、鴉天狗相手にこれだけしゃべれるのに、何故、肝心の、人間相手にはしゃべれないんだか。
 おかしなヤツだ。
 でも、放っておけない。
 ……助けてもらった、恩もあるしな。

「いつも通りで、いけよ。大丈夫、お前、自分で思ってるより、ちゃんとやれるんだから。それを見せてやれよ、少将にもさ」
「う、うん……!僕、がんばるよ。そして、泣いてるだけじゃないってとこ、見せてくる!」

 オレと話して、ちょっとだけ、自信を取り戻したのか、決意をこめた目で、力強くうなずくと、ありがとう、と言って、戻っていった。

「やれやれ……」

 手間のかかる事だ。
 これだから、オレは、ここを離れられない、なんて、思ってしまうんじゃないか。
 ホントはあいつ、オレなんかがいなくても、ひとりでやっていけるんだと思う。
 ただ人よりほんの少し、自信がなくて、気が弱くて、涙腺がゆるいってだけで。
 化け物よりも、もっと魑魅魍魎が潜んでいる、貴族社会で、そんなんでやっていけるのかねぇ、と思う時もあるけれど。
 まあ、陰陽師は立身出世街道とは路線が違うし。
 本人もそんな欲はあまりないようだから、やっていけないこともないだろう。
 今、オレがここを飛び立って、山に帰ってしまったとしても。
 貴之は、数日べそべそと泣いて、それから、また元気になるだろう。
 落ち込んで、めそめそしている時も、意外と人の縁にめぐまれている貴之は、少将のような人物にめぐり合えるだろうと思えるし。
 だから、オレがここにいる理由は、あまりない。

「でも、まあ……」

 オレは、そう呟くと、ばさばさと羽ばたいて、気に入りの木の梢に戻って、寄りかかった。
 目を瞑ると、頬に爽やかな風が当たって気持ちよい。

「しばらくは、いてやるよ、貴之」

 せめて、お前が立派に、ひとり立ちするくらいまでは。
 根性ナシの、お前の、泣き言でも、弱みでも聞いてやるから。
 
「だから……」

 来たいなら、こればいい。
 相手してやるよ、ちゃんと、な。


Fin.


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