気をつけて。
12時を過ぎれば、魔法は、泡沫の夢のように、覚めてしまうから。
だから、それまでには、きっと帰ってくるんだよ。
そう、君の大好きな、大好きな、お家にね……。
お城の従者が差し出した、ガラスの靴は、シンデレラの足にぴったりと収まりました。
シンデレラは、困ったなあ、と思いました。
(どうしよう……。魔法使いは、12時を過ぎたら魔法はとけて無くなっちゃうって言ったのに。ガラスの靴の片方だけ、消えないなんて)
先日、お城では盛大な舞踏会が行われました。
それはお姫さまの、お婿さまを探すための舞踏会でした。
国内はもちろん、国外からもたくさんの貴族や、王族たちが招かれました。
シンデレラの家からも、2人のお兄さまが出かけていきました。
シンデレラのお母さまが、新しいお父さまと再婚した時に出来た、お兄さまたちです。
お母さまは悲しいことに、数年前に亡くなってしまいましたが、シンデレラはお兄さまたちの弟として、留まっていました。
シンデレラは、お兄さまたちのお世話をしながら、暮らしています。
当然、舞踏会には出席できません。
ですが、シンデレラは、どうしても、舞踏会に行きたかったのです。
だから、お兄さまたちが舞踏会に出かけて行った後、ほうきを抱えて、ため息をついていた時。
魔法使いが現れて、舞踏会用の夜会服と、ガラスの靴と、かぼちゃの馬車を用意してくれて。
舞踏会に行っておいで、とささやかれて。
逆らうことなんて、できませんでした。
それが、12時で消えてしまう、儚く、危うい魔法だと知っていても……。
「おめでとうございます! お姫さまの探していた方は、あなただったのですね! さあ、ご一緒にお城に……」
お城から来たお使いの従者はそう言うと、満面の笑顔で、シンデレラの手を取ろうとしました。
シンデレラは、失礼だとは知りつつも、素早く後ろに下がって、急いで言いました。
「申し訳ありません! 無理です! あの、その……っ、僕、一緒には、行けません……」
ガラスの靴を急いで脱いで、シンデレラは困ったようにうつむきました。
2番目のお兄さまが、シンデレラの肩を抱え込むように腕を回して引き寄せて、従者を睨みつけました。
「そうだ。こいつは、どこにも、やらない! たとえ、城だろうと!」
「兄さま……」
シンデレラは、ほっとしたように息をついて、2番目のお兄さまを見上げました。
目が合って、2番目のお兄さまは、シンデレラを安心させるように、笑ってみせると、うなずきました。
「そう申されても……。この靴にぴたりと合う若者を見つけてこい、というのが姫さまの命令で……」
「そんなの、そちらの勝手な都合でしょう」
お城の従者が、困り果てた様子を見せても、2番目のお兄さまは、強気に言い放ちました。
臆する様子は、まったくありません。
てっきり喜ばれるに違いないと思っていた従者は、予想外の対応に直面して、首をかしげて、シンデレラに尋ねました。
「あのう……。それでは、何故、舞踏会に参加されたのですか?」
舞踏会は、お姫さまの、お婿さま探しのために開催されたものです。
だから、参加する者は、皆、お姫さまと結婚したい、そう思っているはず……。
そう、従者は思っていました。
実際には、国をあげての一代行事である舞踏会に、王さまやお姫さまの顔を立てるためにも、主だった貴族は参加せざるを得なかったのですが。
シンデレラのお兄さまたちも、お姫さまと結婚したいからというわけではなく、逃れられない社交のひとつとして、舞踏会に出席したのでした。
ですが、建て前としては、お姫さまの結婚相手を探すためのものです。
招待されていないシンデレラがこっそりと舞踏会に出かけたのだとしたら、お姫さまと結婚したいから、と従者が思うのも無理は無いでしょう。
従者のその言葉に、そこにいた皆の視線が、シンデレラに集まりました。
「そ、それは、ええと………」
シンデレラは、2番目のお兄さまの腕に中で、もじもじと身をよじらせました。
ちらっとお兄さまを見上げましたが、お兄さまは、何も言いません。
もしかして、シンデレラが黙って舞踏会に行ったことを、怒っているのかもしれません。
向こうにいる1番目のお兄さまは、どこか面白そうに事の成り行きを見守っていて、さっきから何も口出ししません。
シンデレラは、しばらく黙っていましたが、意を決して口を開きました。
「あの、見たかったんです……」
「何を、でございましょう?」
従者が促します。
シンデレラは、恥ずかしそうに、先を続けました。
「兄さまが、ダンスしてるところを、ひと目、見たかったんです………」
そう言ってから、シンデレラは消え入りそうな気持ちになって、うつむきました。
2番目のお兄さまが、シンデレラの言葉に、驚いたように身じろぎました。
「シンデレラ………?」
そして、問いかけるように、シンデレラの、名前を呼びました。
「僕が仕立てた夜会服を着て、お城で踊っている兄さまを、見たくて。あの、ごめんなさい、僕、お留守番してろって言われたのに……」
小さくなってシンデレラが言うのに、2番目のお兄さまは、馬鹿だな、と笑って言いました。
「俺が踊っているところが見たいのなら、いくらでも、お前の前で踊って見せたのに」
「お城には、すごく大きなシャンデリアがあるって、聞いたから……。兄さまが、キラキラした光りの下で、ダンスしてるところが見たかったんです。今度の兄さまの夜会服、光沢のある生地で作ったんです。蝋燭の光が当たると、より輝きが増すようにって。兄さまの髪と、瞳の色と同じ、深い藍色で……」
シンデレラは、うっとりとした顔で、答えました。
「ああ。お前、あの服、頑張って作ってたもんな」
「はい……!」
「で? お前が見たかったのは、服の仕上がりだけか? シンデレラ」
2番目のお兄さまは、シンデレラの頬をちょんとつつきました。
シンデレラは、くすぐったそうに笑って、顔を赤らめました。
「……いいえ。一番見たかったのは、兄さまです」
「そうか」
ふたりは、吸い寄せられるように顔を合わせると、微笑みをかわしました。
そこで、少し離れた場所で、今まで黙っていた1番目のお兄さまが、ようやく口を開きました。
「……というわけで、ウチの末の弟はどこにも行かないから、大変申し訳ありませんが、お引き取り願えないでしょうか」
「そのようで、ございますね」
お城の従者は、すでに諦めたように、ため息をこぼしました。
1番目のお兄さまは、苦笑して続けました。
「まあ、末の弟が行くって言っても、上の弟が全力で阻止するから、どのみち無理なのですが」
「はあ……。わかりました。こればかりは、仕方ないようですね」
シンデレラの肩に回されていたお兄さまの腕は、いつの間にか、向かい合うように、背中に回されています。
シンデレラの目は、まっすぐに2番目のお兄さまを見つめ、お兄さまは、そんなシンデレラを、優しい顔で見つめていました。
そんな様子を目の前にしてしまえば、お城の従者も、それ以上強く、お城へご一緒に、とは言えなかったのです。
「そう言ってもらえれば、助かります。……ところで、お姫さまは、どこで末の弟を見初められたのでしょう?」
「控え目に壁の隅でたたずんでいるところが、すずらんの花の精のようで、声をかけたら逃げられてしまった、と……」
「ああ、本当に、末の弟は、上の弟を見るためだけに、舞踏会に忍び込んだようですね」
まったく、しようのない弟で、とこぼす1番目のお兄さまに、お城の従者は小さく首を振って、言いました。
「すずらんの花は、お城よりも、居心地のいい庭を持っているのだと……そう申せば、きっと姫さまも、わかってくださるでしょう」
「ありがとうございます。……おそらく、お城に植えかえられたら、すずらんは枯れてしまうし、すずらんを愛している者も、嘆き悲しみますから。それはやはり、あれたちの兄として、あまりに忍びない」
「ええ。だから、このガラスの靴の片方は、あの舞踏会の夜に消えてしまうはずだった、夢のかけらとして、姫さまにお渡しいたしますよ……」
そう言って、お城の従者は、屈みこんで、片方だけのガラスの靴を拾い上げて、箱の中に大事に仕舞ったのでした。
Fin.
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