046: 先のない想い



「好きだ」

 そこはいつもの居酒屋で、先輩と差し向かいで飲んでいる時のことだった。
 先輩とは会社のじゃなくて、大学の先輩だ。
 学部は違ったけどサークルが同じで、僕は先輩に誰よりも懐いていたし、先輩も僕を可愛がってくれた。
 それは先輩が大学を卒業し、それぞれが別の道を歩み始めてからも変わらなかった。
 今も、時間さえあえばこうやって、ふたりで飲みに行ったりしている。
 互いの近況を報告したり、会社の愚痴をこぼしたり、共通の知人の話題で盛り上がったり。
 普段一緒にいないからこそ、話題はいくらでもあった。
 今夜もそんな風に、飲みながらたわいもない話をしているところで―――突然言われた、言葉。
 僕は芋焼酎の水割りを飲みながら、ぽかんと先輩を見つめて言った。

「……焼酎が?」

 先輩は、日本酒派だと思ってたんだけど。

「馬鹿。ちがうよ」

 グラスの底に残っていた日本酒を飲みほしてから、先輩は続けた。

「お前が好きだって、言ってんの」

 コトリ、と先輩がグラスを置く音がやけに響いて聞こえた。
 周囲のざわめきが、一瞬遠のく。
 先輩が、僕を見ていた。

「僕、は………」

 何か言わなくちゃ、と思った。
 でも、何を?

「………帰ります」

 財布を取り出して、千円札を数枚テーブルの上に置く。
 立ちあがって、つっかけるように靴をはいた。

「おい……!」

 先輩の声を振り切って、僕はほとんど駆けだすような勢いで居酒屋を後にした。
 頭が、混乱していた。
 
 
 ビルの隙間に取り残されたような小さな公園には、時間が時間のせいもあって僕以外誰もいなかった。
 ブランコを立ち乗りして思い切り漕ぐと、頬に冷たい風が突き刺さるようだった。
 それが僕を少しだけ、冷静にさせた。
 さっき先輩が言った言葉の意味を、改めて考えてみる。
 普通にとらえると、あれは告白のそれなのだろう。
 だけど僕は、どうしても、そうだとは思えなかった。
 だって………。

「何で、今さら……」

 先輩と出会って、もう8年は経つ。
 その間僕らはずっと、いい先輩後輩の関係だった。
 そしてそれは、これからもずっと変わりなく、続くはずだった。
 先輩に彼女がいた時もそうだったし、この先、先輩が結婚した時もそうなる……はずなんだ。
 なんなら、一番親しい大学時代の後輩として、スピーチしたっていいくらいだ。
 先輩に子供が出来た時は笑っておめでとうを言って、『よかったですね、先輩に似なくて』と言うんだ。
 そう決めているんだ。
 なのにどうして、先輩は今頃、あんなことを言うんだよ……!?

「見つけた……っ!」

 先輩が肩でぜいぜいと息をしながら、公園の入り口で膝に手をついていた。
 街灯が、先輩をほのかに照らしていたが、その表情までは見えなかった。
 先輩はゆっくりとブランコに近づいて、僕の隣に座った。

「なんで逃げるんだよ。俺の告白はスルーか」

 漕ぐのを止めて見下ろすと、どこか恨めしそうな顔の先輩と目があった。
 ブランコのチェーンを、ぎゅっと握った。

「酔っぱらいの戯言でしょう」
「だったら、逃げることないだろ」
「絡み酒は遠慮したいので」
「酔ってねえよ。俺があのくらいで酔ったりしないって、お前、知ってるだろ」
「…………」

 先輩はザルを通り越して、ワクだ。
 先輩を酔いつぶそうなんて思ったら、樽ごと酒を持ってこないと無理だろう。
 そしてそんな先輩の呑みっぷりに最後まで付き合えるのは、サークルでは僕くらいしかいない。
 それが縁で親しくなったくらいだ。
 サークルでは、先輩と僕の肝臓はいつかフォアグラになるだろうともっぱらの評判(?)だ。

「本気にするわけないでしょう? そんな、酒の席のついでみたいに言われて……」
「んなこと言ったって、俺とお前が会うのって、ほとんど酒の席じゃねえか」
「それにしたって、居酒屋はないですよ、居酒屋は」
「何お前。シチュエーションとかこだわる方なのか?」
「そう言うワケじゃないですけど……。唐突すぎですよ、先輩。雑談の途中にいきなり告白って」
「いきなりじゃねえよ。杉下の結婚の話しただろ」
「はあ……」

 それが、どう、唐突な告白と繋がるって言うんだろう?
 錆び付いた鉄の匂いが、鼻についた。
 ブランコの匂いだ。

「でさ、あー、もう俺らもそんな年なんだよなーって思って。思ったら、お前に告っとかなきゃって」

 息が、止まりそうだった。
 
「……結婚するのは杉下であって、僕じゃないですよ」

 胸の奥から絞り出すように、声を出した。
 そうしなきゃ、声が震えそうだったから。

「そんなの、わかってるよ」

 ブランコから立ちあがった先輩は、僕の目の前に立った。

「でも、そう思っちまったんだから、しょうがないだろ」

 先輩の手が、僕の方に伸びる。
 ブランコのチェーンごと引き寄せられて、手をつかまれた。
 ガチャン、と耳障りな音を立てて、ブランコが揺れた。

「先輩は、ズルいです」

 いつか結婚するのは、僕じゃなくて先輩のはずだ。
 その日が来たら、笑っておめでとうって言うって、決めてるんだ。

「いいよ、ズルくて」

 なのに先輩は、あっさりと言う。
 人の決意なんて、全然知らないくせに。
 誰よりも幸せになって欲しいって思ってるのに。

「だからそんな、泣きそうな顔するなよ……好きだよ」

 先輩は背伸びして、僕の目の下を舐めた。
 びっくりして、また小さくブランコが揺れた。

「な、泣いてません……っ!」

 怒って言ったら、至近距離で先輩がニヤリと笑った。
 こつん、と額をあわせて。

「いいから、うん、って言えよ」

 そう言ったくせに、先輩は僕の返事も聞かないで、酒臭いキスをした。


Fin.  


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