オレンジ色の夕やけにてらされて、ちいさなかげがブランコの前でじっと立っていた。
ここからぜったい、うごくなよ。ぜったい、ついてくるなよ!
オレの言いつけをまもって、どこにも行かずに。
ばか! なんでウチにかえらなかったんだよ……!
たまらなくなってかけよったら、弟はうつむいていたかおをあげて、オレをよんだ。
「さきちゃん」
「んあ……?」
「ごはん、できたよ」
弟に肩を揺さぶられて、オレは目を覚ました。
いつのまにか、ソファで眠っていたらしい。
目を開けた瞬間に忘れちゃったけど、なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。
たぶん弟がかけてくれたのだろう、毛布が起きた拍子に床に落ちた。
それを拾って、ソファに戻す。
「さきちゃん、大丈夫? 疲れてるんじゃないの。急にバイトなんか始めて……」
心配そうな弟の声に、オレは大丈夫だって、と軽く返す。
「まだ慣れてないだけだよ。知らんかったけど、結構コンビニのバイトってやること多いんだな」
「レジ打ちするだけ、とか思ってたんでしょう、さきちゃん」
「あれ? なんでわかったんだ」
「ほんとにそう思ってたんだ……」
呆れたような弟の言葉に、オレはへへっと笑って頭をかいた。
立ちあがって、リビングと続きになっているキッチンへ向かう。
いい匂い。
これは……。
「オムレツ?」
「うん。コンソメスープと、サラダもあるよ。デザートはリンゴ」
「やった! オレの好きなもんばっかだ」
「さきちゃん、元気ない時は好物しか食べないからね」
「さすがオレの弟。よくオレのこと、わかってる」
「ったく、調子いいんだから」
弟は苦笑しながら、オムレツの乗った皿をテーブルに並べた。
オレはいそいそと、冷蔵庫からケチャップを取りだす。
ウチは両親共働きで、今は母さんが単身赴任中だったりするもんだから、家事はオレと弟が分担してやっている。
料理も一応、弟と交代でやってるんだけど、オレが作るより弟が作るメシの方が断然美味いので、必然的に弟が作ることが多い。
その分、洗濯とか掃除は、オレが余計にやるようにはしてるんだけど……そっちも、弟の方が手際よかったりするんだよな。
別に、オレが不器用……って言うワケではない、と思う、たぶん。
弟が何につけても出来がいいってのは、兄としてどうよって思わなくもないけど事実なのだからしかたない。
箸やスプーン、コップを並べて、2人、席につく。
父さんは9時を過ぎないと帰ってこないことがほとんどだから、夕食は大抵、兄弟2人だけで取る。
それももう、オレが中学の頃からだから、5年になる。
「いただきまーす!」
「いただきます」
手を合わせてから、スプーンでオムレツをすくった。
このたまごの半熟具合、いつもながら最高……!
あったかいコンソメスープも、一口飲むとほっとする優しい味だ。
ほんと、ウチの弟は、いつでも婿に行けるなって思う。
「さきちゃん、なんでバイト始めたの?」
オレの向かいで同じようにオムレツを食べていた弟にそう問われて、オレは飯を喉につまらせそうになった。
慌てて、コンソメスープで流し込む。
「ちょ、さきちゃん、大丈夫? ちゃんと噛んで食べないと駄目だよ」
「あ、ああ、うん。大丈夫、大丈夫。えっと……それで、何の話だっけ……?」
「バイトだよ、バイト。なんで急にバイトしようだなんて思ったの」
「ああ、そのことね……」
2年に進級してしばらく経ってから、オレはバイトを始めた。
実は前から考えていた事だったのだが、弟には唐突に思えたのだろう。
「ほら、こないだまでお前、受験生だったじゃん? それでオレがバイトするわけにいかねえだろ。でもお前も無事、高校生になったことだし、バイト始めても問題ないかな〜と」
わざと質問からずれた答えを返すと、弟は案の定、眉をひそめた。
スプーンを置いて、更に問いただしてくる。
「……ってことは、さきちゃんは、ほんとは1年の頃からバイトしたかったてこと? だけど俺が中3で、受験生だから、遠慮してたってこと?」
「遠慮って言うか、まあ、兄として弟の受験はサポートしなきゃだよなと。母さんはこっちにいないし、父さんもあんまり家にいないしさ」
「それで? 俺が高校合格して、晴れて自由の身になったから、念願のバイト始めたってこと?」
「う……まあ、そんな感じ?」
オレはコンソメスープを一口すすって、答えた。
弟の顔は険しいままだ。
「何か、よっぽど欲しいものでもあるの? こづかいなら、結構もらってるよね」
家事を分担してやっているため、オレと弟は父さんからその分を上乗せされたこづかいをもらっている。
なので無駄遣いさえしなければ、お金が足りない、と言う事はないのだ。
「そりゃ、まあ……高校2年生ですから、兄ちゃんも。欲しいものだって、イロイロ、そう、イロイロあるんだよ、うん」
「だから、その色々って何」
「……ごちそうさま! オレ、課題あるから部屋に戻るな。あ、皿はそのままにしといていいから。オレが後で洗うし。じゃ!」
オレはそう言って、自分の食べ終えた皿を重ねて流しに運ぶと、2階にある自室へと向かった。
さきちゃん! と言う弟の声に聞こえなかったフリをして。
自分の部屋のドアを閉めると、ほっと息をついて、そのままドアにもたれた。
(ほんとのこと、言ってもいいんだけど)
バイトを始めた理由。
別に、後ろめたい理由なんかじゃない。
でも、それを言ったら、必然的に、その先の事も話さなければならなくなるわけで―――。
「それはなるべく、先送り、したいんだよなあ」
だってまだ、なんて説明するのが一番いいのか、よくわからないし……。
オレは小さく、ため息をついた。
オレンジ色の夕日に目を細めながら、オレは急ぎ足で歩いていた。
今日のバイトは、夕方の5時半からだ。
通ってる高校は家から歩いて行ける距離で、バイト先のコンビニも家に帰る方向とは逆だけど、歩いて行ける距離にある。
なのでバイトは同じ高校のヤツが結構いて――知り合いではないけど――、バイト初心者のオレとしては心強かった。
部活はやってないけど、委員会があってちょっとだけいつもより学校を出るのが遅くなった。
っても、十分時間には間に合うだろうけど。近いし。
でもそうだな、近道していくか。
そう思って途中にある小さな公園を突っ切ろうとしたら、夕焼けを背に見知った姿がランコの前にあった。
じっと動かずに、立ちつくしている。
あ、これ、前も見たことある。
いつだっけ……? ああ、そうだ。
オレが小学校に上がったばかりの頃だ。
新しくできた友達と遊ぶのに夢中で、追いかけてくる小さな手がうっとうしかった。
ついてくるなよって何回言ってもついてきて、だからここで、この公園で言ったんだよ、オレ。
ここから絶対動くなよ、絶対ついてくるなよ、って。
そしてに置いてきぼりにしたんだ。
今さらだけど、ひどい兄ちゃんだよなあ、オレ……。
まるであの時みたいに、オレンジ色の夕焼け空の下、微動だにしないで立っている。
それを見てたら、今日は置き去りにしたわけじゃないのに、やっぱり胸が痛くなった。
だからあの時みたいに駆け寄ったけど、あの時みたいにはオレの名前を呼んではくれなかった。
ただ、ぽつんとつぶやいた。
「バイトの理由、聞いた。さきちゃんのクラスの、橋岡さんから」
「そっか……」
しまった、口止めしとくんだった、と思っても後の祭りだ。
「ねえ、何で言ってくれなかったの!? 県外の大学行くつもりだって! そこの公開講座受けたくって、バイトして交通費ためてるって!」
うつむいていた顔をあげた、もう小さくはない弟は、一気にそう言って、オレをなじった。
オレはどう言えばいいんだろう、と一瞬迷って、でも結局正直に答えた。
「……言ったら、お前も行くって言うだろ? ついてくるって思ったから、言えなかったんだよ」
オレの言葉に、弟は殴られたかのように顔をゆがませた。
傷つけた。
そう思っても、オレは続きを言うのをやめなかった。
「高校、だってさ。ほんとはお前、もっとレベル高いとこ、行けただろ? オレと同じ学校じゃなくて」
「そ、れは……! 家から一番近いし、歩いて行けるし、それに別に今の高校だって、別にそんなレベル低いってわけじゃ……!」
「だけどお前なら、もっといいとこに行けたはずだ。電車通学っつったって、たかが20分かそこらだろ」
ばっさり言うと、弟は何か言おうとして開いた口を閉じて、唇を噛みしめた。
「血ィ出るぞ、そんなに噛んだら……」
手を伸ばして口に触れようとしたら、振り払われた。
そのまま手をつかまれて、腕をひっぱられる。
「なんで!? なんで、ついてきちゃ駄目なの!? なんで、さきちゃんは俺より1年も早く生まれたんだよ! なんで、さきちゃんはいつも俺を置いてくんだよ……っ!!」
腕を引き寄せられて、抱きすくめられる。
そうすると悔しいことに、オレはすっぽりと包みこまれてしまった。
1年も遅く生まれてきたくせに、身長はとっくにオレより高くなっていた。
なのに、弟はオレに溺れもがく人のようにかきついてくる。
「ちがうよ。オレは、お前を置いてったり、しない」
背中に腕をまわしてそう言ったら、抱き寄せる力をゆるめて弟はオレと目を合わせた。
「……ウソツキ」
「嘘じゃねえって」
「じゃあなんで、ついてきちゃ駄目って言うんだよ……」
「だから、それは……」
どう言えば、弟は納得するのだろうか。
弟はおそらく、オレに拒絶されたのだと思っている。
違うんだ。そうじゃないんだよ。
「オレはお前に、本当にやりたいって思う事をして欲しいんだよ。進路だって、オレが行くから、とかそういう理由じゃなくて」
「……俺がうっとうしいなら、言えばいいだろ。あの時みたいに。ここから絶対動くな、ついてくるなって」
「だからー! そうじゃないって! いつの話してるんだよお前、しつこいぞ!」
オレに置いて行かれたこと、トラウマにでもなってるのか!?
そりゃ、保育園児の弟を振り切って遊びに行ったのは悪かったって思ってるよ!
だけど、今話したいのはそういうことじゃなくてだな……。
ああもう、まだるっこしい!
オレは説明を放棄すると、至近距離、すぐ上にある、弟の頬に手を伸ばした。
少しだけ背伸びするようにして、その口をふさいだ。
顔を離すと、弟は驚いた顔でオレを見ていた。
「さ、さきちゃん……!?」
オレの名前を呼んだきり、言葉が続かない。
それを見て、オレはちょっとだけスッキリした。
ザマミロ。
「オレはお前を置いてったりしないよ。……前科があるから、お前は信じられないかもしれないけど」
顔を見るのはちょっと照れくさくて、オレは弟の胸に顔を寄せて、言った。
「ホントは、お前が高校受験する時に言いたかったんだけど、何て言えばいいのかよくわかんなくて。ごめんな」
「さきちゃん……」
顔をあげると、弟と目が合う。
オレは息をゆっくり吸い込むと、考え考え、しゃべった。
「学校が違ったって、住む場所が離れたって、それでオレがお前を置いてくってことにはならないよ。だって、離れて暮らしてたって、母さんは母さんだろ? 会えないわけじゃないし……会いたければ、いつだって会いに行けるだろ。それと、おんなじだよ。たとえこの先、お前と離れ離れになったとしても、オレはお前が好きだし、会いたいって、思うよ。お前が不安に思うことなんて、何もないんだ。だから、お前はオレについてくるんじゃなくて、本当にしたい事を……って、うわっ!」
全部言い終わる前に、さっきよりも力いっぱい、ぎゅっと抱きしめられた。
ギブギブ! く、苦しいって……!!
「ねえさきちゃん、それ、ホント!?」
「あ、ああ。だからお前は自分が本当にやりたい事をみつけてだな……」
言えなかった台詞を続けようとしたら、そうじゃなくて! と遮られた。
抱擁を解いて、夕焼けに染められたせいだけじゃなく、赤くなった顔でオレを見る。
「俺のこと、好きって。ホント……?」
「嘘じゃねえって、言っただろ」
オレンジ色の光が眩しくて、目を細める。
ばーか、と笑ってやったら、弟は俺の目をじっとのぞきこんだ。
そしてためらうように口を開いてから、おずおずと尋ねた。
「それって、俺が弟だから……?」
ほんっと、ばかだな、お前。
思わず苦笑がこぼれる。
制服のネクタイをつかんで、ぐいっと引き寄せた。
オレより頭良くて、料理上手いくせに――って、それは関係ないか?――今さら、何言ってんだよ。
オレンジ色が陰って、唇が触れそうに近くなる。
物分かりの悪い男に、オレは噛んで含めるように囁いてやった。
「ただの弟に、キスなんかするかよ」
Fin.
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