056: 白紙



 提出期限は明日に迫っていたのに、それは相変わらず真っ白なままだった。
 シャーペンを握りしめたまま、時間ばかりが過ぎていく。
 もういっそ、このままで、白紙で出してしまおうか。
 そんな風にぐるぐる考えていた時、後ろから急に声を掛けられて、心臓が止まるかってくらいビビった。

「それ、進路調査票?朝弥、まだ出してなかったんだ。オレと一緒のとこだろ」

 先に調理実習室に行っているとばかり思っていた幸之介が、紙を覗き込んでくる。
 俺は慌てて、進路調査票をカバンの中に仕舞って、席を立った。
 放課後の教室内は人もすっかりまばらで、掃除当番の誰かを待ってるとか、委員会や部活が始まるまでのちょっとした時間をつぶしをしているヤツが多少残ってる程度だ。
 隣のクラスの幸之介が紛れ込んでいても、さして目立ちはしない。
 今週は俺が教室掃除で、幸之介は掃除当番には当たっていないから、帰りのホームルームが終わった後まっすぐ部活に行ってるものだと思っていた。
 なので、不意打ちもいいところだ。

「あ、待てよ!」

 カバンを持って教室を後にすると、慌てて幸之介が追いかけてきた。
 俺は待たずにさっさと調理実習室へと向かった。
 悩みの根源が気楽に声かけてんじゃねえよ、ったく……。


 調理実習室は、特別教室が固まってある西棟にある。
 教室は東棟にかたまっていて、コの字型に、渡り廊下でつながっている。
 西棟の教室のいくつかは、文化系の部活に使われていて、調理実習室もそのひとつだ。
 家庭科クラブという名前で、料理を作っている。(ちなみに、裁縫をやってる部活は、手芸クラブだ)
 俺の家は、父親単身赴任、母親も働いていて夜が遅いため、趣味と実益を兼ねて家庭科クラブに所属している。
 どうせ自分で作るんなら、美味いものが作れた方がいいからな。
 今は自分のだけじゃなく母親の弁当も作っている、孝行息子だ。
 俺と幸之介は、ほぼ女子ばかりの家庭科クラブでたった二人の男子部員で、そのせいもあって割と……結構、仲が、いい。
 特に、最初は俺しか男子がいなくて、一ヶ月ほどたってから幸之介が入ってきて、そのままずっと、中三になった現在も男子二人状態なので、仲もよくなろうと言うものだ。
 だけど今は、ごく個人的な事情により、幸之介とは距離を置きたいと思っている。

「さっきの、まだ何も書いてなかったよね。なんで?T高行こうって言ってたじゃん」

 渡り廊下で追いついてきた幸之介が、無邪気に問いかけてくるのに、俺は素っ気なく答えた。

「色々、考え中なんだよ」

 それ以上聞くな、というオーラを幸之介が察したのかどうかはわからない。
 隣に並んだ幸之介は、ふうん、とわかったようなわからないような返事をしてから、続けた。

「じゃあさ、考え終わったら教えてよ。変更するなら、早い方がいいしさー」
「変更?」
「うん。朝弥が行くガッコに、オレも行くから」

 しごく当たり前のように答えられて、俺は思わず立ち止った。
 遅れて、幸之介も立ち止まる。

「ん?どしたの、朝弥」
「どしたの、じゃねえよ!なんだよ、それ!」

 俺は、幸之介にカバンを投げつけたいような気持ちで、怒鳴った。
 俺が行く学校に、幸之介も行くだって?
 それじゃ、俺が悩んでる意味がないだろうが!
 急に怒り出した俺に、幸之介はきょとんとしているけど、そんなの知ったこっちゃない。

「お前がT高行くって言うから、俺はなあ……っ!」

 幸之介が、T高が第一志望だと言うから、だから俺はT高受験を止めようと思ったのに。
 俺が行くところに、幸之介が行くんだったら、まったくの無意味な行動だ。

「えっ…。それってまさか、オレがT高志望だから、朝弥は志望校変更しようと思ってるってこと?」

 しまった。
 口を滑らせた。
 志望校変えるにしても、もうちょっと何かもっともらしい理由をつけるつもりだったのに、これじゃ、肯定したも同然だ。

「ち、ちがう。そうじゃなくて、俺は……」
「でも、今言ったよね。オレがT高行くって言うから、って」
「う……」

 とっさに上手い言いわけが思いつかなくて、口ごもった俺に、幸之介は近づくと、俺の腕をつかんだ。

「なんで?オレ、なんか怒らせるようなこと、した?」
「してねえよ」
「じゃあ、オレのこと、嫌いになったの?だからオレと一緒の学校受けたくないの?」
「違う!そうじゃねえよ!逆だよ……!」
「逆?」

 あっ。
 しまった。
 さっきの比じゃないくらい、口を滑らせた。
 何言ってんだよ、俺!!
 つかまれた腕をふりほどいて、走って逃げようとしたのに、幸之介のヤツ、がっちり腕をつかんでいて、逃げられなかった。

「ちょっと。ここで言い逃げとかナシ」
「うるさい、ほっとけ」
「ほっとけるわけないでしょ。逆ってことは、オレが好きだから、一緒の学校行きたくないってこと?」
「………」
「答えなかったら、この腕ずっと離さないよ」

 それは困る。
 だってここは渡り廊下で、今は他のヤツいないけど、いつ誰かが通りかかるともしれないわけで……。

「………そうだよ」

 極力、顔を見ないようにして、上履きに向かって、答えた。
 耳もふさぎたかったけど、片腕をつかまれたままだから出来なかった。
 答えが返ってくるまでの時間が、やたら長く感じた。

「なんだ。それならオレと一緒だ」
「……は?」

 キモチワルイとかそういう、否定的な言葉が返ってくると思って身構えていた俺は、驚いて顔をあげた。
 今、なんて言った?

「なんでそんな顔してんの」
「そんな顔って……」
「ハトが豆鉄砲食らったような顔?」

 幸之介は、腕をつかんだまま、歩きだした。
 つられて俺も、とまどいながら歩きだす。

「朝弥もさあ、たいがいだよねえ」
「な、何がだよ」

 わざとらしくため息をつかれても、何が何だかさっぱりわからない。
 調理実習室のドアを開いて中に入ると、ホワイトボートに「先生が急用のため、今日の家庭科クラブはお休みです」と走り書きされていた。

「なんだ……。帰りのHRの後に教えろよ部長」

 同じクラスの家庭科クラブの部長に突っ込む。
 調理実習室の鍵はいつも部長がかけているが、開いていたということは、これを見た人間が職員室まで行って鍵を取って戸締りしろと言うことなのだろう。

「最初から調理実習室の鍵かけて、ドアにメモでも貼っといてくれたらいいのにね」
「だよな。戸締り俺たちがやんなきゃいけないんだよな。めんどくせえ」

 ホワイトボートの文字を消して、壁の時計を見ると、いつもの部活の時間を10分ほど過ぎていた。
 他の部員はもう、これを見て帰ったのだろう。
 ってか、そいつらはなんで戸締りして行かなかったんだよ……。

「でも、かえって都合が良かったかな。これで邪魔が入らない」
「え……?」

 気がついたら、再び、腕をつかまれていた。
 しまった、さっさと逃げるんだった!

「さっきの話の続き。オレが好きだと、なんでオレと一緒の高校行きたくないの?」
「ど、どうでもいいだろ、そんなの!俺の勝手だ!」
「どうでもよくないね。なんでオレが好きで、あえて違う学校に行くとかひねくれたこと言い出すのか、わかるように説明してよ」

 真正面から問いかけられて、俺は顔がカーッと熱くなるのが、自分でもよくわかった。

「う、うるさい!いちいち連呼するな!俺は別に、お前が好きとか言ってねえ!」
「じゃあ、嫌いなんだ?」
「それは……」
「俺は好きだよ、朝弥が。だから一緒の学校に行きたいんだ。朝弥は?どうして違う学校に行きたいって、思ったの?」

 はっきり好きだと言われて、俺はもうこれ以上、言い逃れをすることができなかった。
 顔をそらして、一息で言った。

「好きだから、これ以上一緒にいないほうがいいって思ったんだ。だってそうだろ?いつまでも一緒、ってわけにはいかないんだ。たとえ高校が一緒でも、その先は?大学は違うとこかもしれないし、学校でたら、お互い、それぞれ違う場所を選ぶだろう。だったら今、別々の場所を選んだ方がいいんじゃないか?その方がきっと、辛くない……」

 ここしばらく、胸につかえていたことを吐きだし終わって、俺はゆっくり息を吐いた。
 女子ばっかりの部活で、二人きりの男子部員。
 一緒に話す機会も、当然多くて、仲良くなるのはあっという間だった。
 野菜じゃなくて指を切りそうなくらい、料理の腕は危なっかしかったけど、だから余計目が離せなくて、そして何故か料理の時以外も、目が離せなくなっていた。
 幸之介は、明るくて、まあちょっと調子がいいところもあるけど、どっちかというと引っ込み思案気味な俺にも、気さくに接してくれた。
 三年間同じクラスになったことは一度もないけど、クラス合同の授業とか、そういう時は真っ先に声を掛けてくれたので、どのクラスメイトよりも親しくなった。
 一緒にしゃべってると楽しくて、逆に会話が何もない時も気詰まりじゃない。
 移動教室のときなんかに廊下ですれ違うと、ふっとこっちを見て、何も言わずに、にこっと笑ってくれる、その顔に胸がきゅうっとなって。
 ああ、好きなんだな、って思うようになった。
 そうしたら、一緒の高校にはいけない、と思った。
 おそるおそる顔をあげると、ずっとこっちを見ていたらしい幸之介と目があって、慌ててまたうつむいた。

「ばっかだなあ。そんなこと考えてたんだ、朝弥……」

 頭の上に、ぽんと手が置かれて、そのまま頬まで滑り落ちてきた手に、顔をあげさせられた。

「悪かったな、ばかで……」
「いや、そういうとこも可愛いんだけどね?でも、はっきり言って、考えすぎ。そんな後ろ向きな理由で、せっかく一緒にいられるかもしれない期間をフイにするなんて、もったいないよ。志望校変更の理由がそれだったら、オレは認めません」
「幸之介の許可取る必要なんてないだろ」
「うわっ、そんなこと言う?そりゃそうかもしれないけどさ、オレが理由で志望校変えるんだったら、多少はオレが意見したっていいだろ?」
「最終判断は、俺がするけどな」
「いいよ、それはもちろん。朝弥の進学問題なんだから、それは当然。で、意見するんだけど。オレが朝弥を好きって知っても、志望校、変えたい?」
「それは………」

 幸之介が、俺を好きかもしれない、なんて全く考えていなかったので、そういうことは考えてなかった。
 あくまで俺の片思いで、だから、今の、この楽しい時間を綺麗な思い出のまま終わらせてしまいたくて、高校は違うところにしようって、思ってたから……。

「なんか思いっきり想定外、って顔してるね。じゃあ、もう一個質問。オレがなんで、このクラブ入ったか、わかる?」
「食べるのが好きだからだろ」

 二人っきりの男子部員。
 その質問は、他の女子部員からも聞かれるものだ。
 そういう時、俺は趣味と実用を兼ねて、幸之介は、食べるのが好きだから、と答えていた。
 
「そんなの、建前に決まってるだろ。なんで気付かないかなあ?聡美ちゃん部長とか、たぶんうすうす気づいてるよ」
「他にも理由があったのか?」

 実際、作ってるのよりも、試食する時の方が楽しそうで、てっきりそのままだと思ってたので、今になって知った事実に驚く。

「そうだよ。朝弥が入ってるクラブだからだよ。もし朝弥が家庭科クラブじゃなく手芸部に入ってたら、オレは手芸部に入ってました」
「え…っ、嘘!?」
「嘘じゃないよ。なんでそんなに驚くんだよ。傷つく……」
「だってお前、そんなこと、一言も言ってない!」
「そりゃそうだろうね。今はじめて言ったから。っていうかね、食べるのが好きで入ったんなら、最初っから入ってるでしょ。一か月遅れて入ったのは、朝弥を追っかけて入ったからなの……っ」

 顔から手を離すと、今度は、幸之介が、ぷいとそっぽを向いた。
 耳が、ほんのり赤く染まっている。
 どうやら、本当に、嘘じゃないらしい。

「中一の、五月の初めに球技大会あっただろ」
「あ、ああ……」
「あの時怪我してさ、保健委員だった朝弥がみてくれたよね」
「そうだっけ……?」
「そうだよ。で、抗議しなかったんだな、って言ってくれた。同じクラスのヤツらにはただ転んだだけ、って思われたのに。反則すれすれなフェイント避けて転んだの、見ててくれたんだなあ、って思って……。それだけなんだけど、もっとしゃべってみたくなったんだ。でも、違うクラスじゃん。委員も違うし。後で、家庭科クラブ入ってるって知って、じゃあ俺も、って」
「言われてみれば……うん、そんなこと、あったっけ」
「これだからなあ……」
「んなこと言われたって、わかんねえよ、そんなの」
「でも、クラブ入ってからは、結構ロコツだったと思うんだけど」
「それは……、クラブに男子が俺しかいなかったから……」
「オレ、別に女子だからって物おじするタイプじゃないよ」
「ああ、そうだろうな!」

 基本的に誰にでも愛想がいいタイプの幸之介は、先輩女子からも可愛がられ、後輩女子からも慕われるタイプだ。
 バレンタイン時期のチョコレートなんて、どの班からもまんべんなくもらっていた。
(俺ももらったけど、量が違う、量が)

「え?なになに?ひょっとして、妬いてる?」
「妬いてないっ!」

 調子にのるなよ、ちくしょう。
 幸之介を軽く睨むと、幸之介は真面目な顔をして、俺の手を取った。

「しゃべってみたら、想像以上に可愛くてさ。おまけにすっごい優しいし。せっかく作った出汁、うっかり捨てちゃった時もかばってくれたし」
「それは、早川がすっげー怒ってたから。わざとじゃないのはわかってるんだから。ってか、可愛いってなんだよ!」
「えー、可愛いよ、朝弥。気付いてないの?先輩たちにもちょー可愛がられてたじゃん」
「それはお前もだろ」
「いやいや。朝弥ほどじゃないから」

 その認識の差はさておき。
 クラブに入って来た時点で、俺のことが好きだったと言うのはホントらしくて、なんかまだ信じられない。

「オレは朝弥に近づきたくて、家庭科の授業以外では包丁握ったこともないのに、家庭科クラブ入ったんだよ。なのに、朝弥がオレと違う高校行くなんて、もう何その冗談、って感じ。もしかしれオレ、ストーカーみたいって思ってる?キモい?」
「そ、そんなわけないだろ!」

 家までついてくるとかそういうのだったら、ちょっとアレだけど。
 一緒の部活入るとか、一緒の学校行くとか、そういうのは友達同士でもフツーにアリだろうし。

「よかった。ここで、うん、って言われたら、オレ、立ち直れないところだった」
「大げさだな」
「オレ、本気だよ?だってオレ、高校入って、その後も、朝弥とずっと一緒にいるつもりだし」

 さらりと言われて、俺は意味が良くわからずに首をかしげた。

「それって、どういう……」
「そのままの意味だよ。学校卒業して、別々の道を進むことになっても、朝弥と一緒にいたいってこと」
「そんなの……、無理だろ」
「どうして無理なんだよ。違う道を進んでも、一緒にいる方法なんて、いくらだってあるはずだ」
「お前、そんな簡単に………」

 呆れる俺に、幸之介はにっこり笑うと、両手でぎゅっと、俺の手を握った。

「出来るよ」

 先の保証なんて、何にもないのに。

「俺を信じて」

 どこまでも真剣に、茶化した様子は全くなく、俺の目をまっすぐを見つめて。
 唯一絶対の真実のように、幸之介は告げた。
 だから俺も、ごまかしたり、逃げたりしないで、幸之介の目を見つめ返して、こくりとうなずいた。


 いったん職員室に行って、調理実習室に鍵を掛けた俺たちは、校門を出て学校を後にした。
 小学校は別々だった俺と幸之介は、住んでる場所も結構違うから、並んで歩くのは向こうの角までだ。
 中途半端な時間なので、帰宅途中の生徒の姿は他にはなかった。

「そういや、大事なこと、確認し忘れてたけど、オレたち、今日から付き合い始めたんだよね」
「え……そうなのか?」
「そうなのかって!さっきまでの話は一体!?」

 本気でショックを受けた顔をしている幸之介を見て、俺は慌てて首を振った。

「あ、いや、なんか一気に色々あって、まだちょっと実感わかないって言うか。そ、そうだよな。俺たち、つきあってるんだな」
「そうだよ。ふつつかものですが、末長く、よろしくお願いします」

 深々と頭をさげられて、ますます慌てる。
 俺も、頭を下げて、返事をした。

「こ、こちらこそ……」

 よろしくお願いします、と続けようとしたのに、最後まで言えなかった。
 急に腕を引っ張られたからだ。
 そして素早く、かすめるように、唇に何かが触れた。

「………っ!?」

 気付いた時には、幸之介は、角の向こうの、反対側の通りまで渡っていた。
 俺が口に手を当てて固まっていると、振り返ってこっちを見て、大きく手を振った。

「まずはT高!絶対一緒に行こうな!」

 やり逃げしてくな……!
 そう言ってやりたかったけど、そんな不穏な言葉を往来で口に出せるわけもなく、俺は火照った顔をもてあましたまま、叫んだ。

「当たり前だろ……っ!」


 勢いで、カバンに突っ込んだ、教科書やノートが音を立てて揺れた。
 一緒に挟まっている進路調査票にも、しわが寄ってしまったかもしれない。
 白紙のままのそれも、明日にはちゃんと、記入された状態で提出できそうだった。


Fin.


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