057: モラルの崩壊



「おはよう、佐久良」
「………オハヨウ、ゴザイマス」

 朝、目が覚めたら、隣に知らない女の子が……。
 なんてのは、いかにも青年誌のラブコメ漫画あたりにありそうなシチュエーションだ。
 が、その時、佐久良和伊の隣にいたのは、残念ながら見知らぬ美少女ではなかった。
 見覚えはよーくあるけど、親しい、とまでは言えない。
 だけど、毎日顔を合わせてはいる……そんな間柄。

(あー、眼鏡ないカオ、久々に見る……。プールの授業以来だあ……)

 クラスメートで、そしてクラス委員長、シルバーのチタンフレームの眼鏡が大変良く似合う、長谷川修斗だった。
 ぼんやりとした頭で、ようやくそれを認識してから、はっとして、くしゃくしゃになったシーツを、たぐりよせた。
 だって、佐久良は今、何も着ていない。
 恐ろしいことに、委員長も何も着ていなかったが、そんなこと歯牙にもかけていません、とばかりに爽やかな笑顔を見せている。
 釣られて微笑み返しそうになった佐久良は、シーツの隙間から見える、自分の貧相な身体を見て、ぎょっとした。
 
(何この赤いの……! 今頃、虫さされ……!?)

 と、一瞬思って、何もかもを思い出す。
 それは、虫さされ、なんかじゃなかった。
 佐久良の視線の先に気付いたのか、委員長が手を伸ばして、佐久良の素肌の、赤くなった部分を触った。

「ああ……ごめん。結構、アト、つけちゃったね」

 知らない間の虫さされ(たとえ、今が10月で、虫に刺されるような時期ではないとわかっていても)だと、信じていたかった佐久良の希望は、その言葉で打ち砕かれた。
 シーツを握りしめている手に、ぎゅっと力がこもった。

「ええと……その、イインチョー、昨夜は、あの………」
「もしかして、覚えてない?」

 にっこり。
 そんな擬音が聞こえてきそうなくらい、満面の笑みで問われて、佐久良は力なく答えた。

「覚えてる………」

 出来れば、キレイさっぱり、忘れていたかった。
 だけど、二日酔いの痛みとは違う、鈍い痛みが、あらぬところから主張してくる自分の身体が、それを忘れさせてはくれなかった……。
 
 
 遡ること、12時間前―――――。
 文化祭の打ち上げと称して、すっかり片付けが済んだ教室では、2年3組のクラスメイトたちが、それぞれ小さなグループを作って、持ち寄ったものを、飲み食いしていた。
 教室の使用は、クラス委員の長谷川が午後8時までということで、きちんと学校に許可を取ってある。
 2年3組では、火を使わないで済むような飲食物のみを扱った、喫茶店をやって、そこそこ盛況した。
 メイドカフェやろうぜ、ということになって、気がつけば女子ではなく男子がメイドの格好をすることになっていたが、それも終わってみれば学生時代の貴重な青春の1ページになっただろう。
 ……一部の人間には、忘れられない傷跡を残したかもしれないが、それはまた、別の話だ。
 電気ポットで沸かしたお茶で、あまったクッキーをつまみながら、ケータイやメールでは話足りないおしゃべりに花を咲かす……そんな、たわいもない、打ち上げ……の、はずだった。

「おれはぁ、すかーと、なんて! はきたく、なかったー!!」

 あるグループのひとりが、いきなり立ち上がると、叫んだ。
 その声に、なんだなんだ、といった感じで、周囲の視線が集まる。

「それらのに、おまえらは、かってに、おれに、めいどさせやがって……! おれはぁ、うらかたが、よかったのにー!」

 顔を真っ赤にして叫んでいるのは、普段はどちらかというと大人しい部類に入る男子だ。
 一緒に居る数人の男子も、クラス内では、とりたてて目立つ存在ではない。

「わ、わかったから、落ちつけよ、佐久良」

 そのグループ内の1人が、慌てて、叫び出した男子を、何とか押さえようとしたが……。

「おれは、おちついてるし!!」

 と、全く落ち着いてない様子でのたまう。
 その騒ぎを聞きつけて、離れた場所で何かの書類をチェックしていた委員長の長谷川が、グループに近づいた。

「どうしたの、斉藤」
「あっ、イインチョー。いや、ちょっと、その、ね……」

 なんとか誤魔化そうとしたものの、委員長のきらりと光る眼鏡の輝きは、彼が素早く隠そうとしたものを、あっさりと見抜いた。

「これは……。酒、だな」

 長谷川が、さっと取り上げた、手の中にあったもの。
 それは、果実のジュース缶によく似た、しかし決して、ジュースではない缶があった。

「はい……。チューハイです。ごめんなさい……」
「でも、1本だけなんだよ! まさか、佐久良がこんなに酒に弱いなんて、思わなくてさ!」
「ジュースって言って渡したら、ごくごく飲んじゃって。その時はフツーだったんだよ!」

 慌てて言い訳をする彼らの周囲には、ジュースやコーヒーの空き缶に混じって、チューハイの空き缶が3本。
 どうやら、4人グループの全員分を用意していたようだ。
 長谷川は、はあ、と大きなため息をついて、再び代表して、斉藤に尋ねた。

「もしかして、知らないで飲んだの? 佐久良は」
「うん。っていうか、俺も知らなかった。持って来たの、渡瀬だし」
「渡瀬……」
「や、でもホラ、ほとんどジュースみたいなもんじゃん! 梅酒がオレンジになっただけ、みたいな? 1本だけだし! ちょっとしたシャレのつもりだったんだよ〜!」
「……でも、ここに、立派な酔っ払いが1人、出来あがってるよね。これが急性アルコール中毒にでもなったら、どうするつもりだったのかな、渡瀬は?」
「うう〜。ご、ごめん、イインチョー! 反省してますっ」

 そんなやりとりが交わされている中で、缶チューハイ1本ですっかりトラと化した佐久良は、いつのまにかしゃがみこんで、今度はめそめそと泣きだしている。

「おれ、イヤだっていったのにぃ〜。もうおれ、おムコにいけないい〜〜!」
「いや、似合ってたよ、佐久良」
「そうそう、超可愛かった! ムコのもらい手引く手数多だから、心配ないって!」

 そんな佐久良を、明後日な方向で他のメンバーがなだめている。
 再び、大きなため息をついてから、長谷川はくるりと振り返って、周囲を眺めた。
 集まっている他のクラスメートたちの視線を、一通り見渡してから、口を開く。

「……言うまでもないと思うけど、今日のこのことは、他言無用で。ちょっとした事故ってことで、いいかな? 佐久良の可愛いメイド姿の思い出と共に、皆の心の中に仕舞っておいてください」

 その言葉に、あちこちから、はーい、とか、わかりましたイインチョー、などの言葉が返ってきて、それぞれが視線を戻して、飲み食いを再開させた。
 言いふらしていいことなどひとつもない、というのは共通認識で、このことは学校側に言わなければ! と息まく正義漢も、このクラスにはありがたいことに、存在していなかったようだ。

「イインチョー、おれはあ、かわいくなんか、ない、ん、だからなあ!?」

 赤くなった顔で、佐久良は、長谷川の制服の裾を引っ張って、訴えている。
 長谷川は、ハイハイ、とあしらいながら、裾から手を離させると、そのまま腕をつかんだ。

「とりあえず、この酔っ払いは、僕があずかるよ。幸い、今夜はウチ、誰もいないから、連れて帰る」
「えっ……。いいのか?」
「まさか、この状態の佐久良を、彼の家まで送ってけるわけないだろう。即、学校に通報されかねない」
「ああ……確かに」
「佐久良んちのとーちゃんコエーからなあ。息子に酒飲ませるなんて何事だー! ってなるよね」
「わかってて、何で飲ませたかな……」
「だから、それはマジ、ゴメンって!」

 ……というやり取りがかわされてしばらく経ってから、時間が近づき、少し早めに、打ち上げはお開きとなった。
 飲み食いした後は、各々が片付けて、持ち帰る。
 長谷川は、それプラス、佐久良和伊という大荷物を抱えて、自宅へと帰ることとなった。
 その前に、佐久良の家へ電話して、適当な事を言って、佐久良が自分の家へ泊って行くことを連絡して。
 こう言う時、クラス委員、という肩書きは絶大なる威力を発揮する。

「イインチョー、今日はホント、ごめん! 佐久良をよろしくー!」
「佐久良に、メイド、マジ似合ってたから気にすんなって言っといて!」

 ……と、気楽な事を言って、佐久良の友人たちも、帰って行った。
 くだをまいていた佐久良は、今は半分眠りこけていて、長谷川の肩にもたれかかるようにして、ようやく立っているありさまだ。

「……ホント、いい友人を持ってるよね、佐久良は」

 長谷川は、苦笑してそう言うと、佐久良の腕を自分の肩に回して、抱え込むようにして帰宅したのだった。
 
 
 電車と、バスを乗り継いで、長谷川が佐久良と共に家についたのは、午後9時を少し回ったあたり。
 誰もいない家は、しんと静まり返っている。
 もうほとんど、眠っている佐久良の靴をなんとか脱がせて、とりあえず、自分の部屋へと運んだ。
 なるべく、そっとベッドにおろしたところで、眠っていた佐久良が、ぱちりと目を開けた。

「あれ……? ここ……どこ?」
「気がついた? 僕の家だよ」
「えっ……? イインチョー? なんで……」
「酔っぱらいを、家に帰させるわけには、いかなかったから。今夜は、大人しく泊って行って。佐久良の家には連絡したから」
「でも……」

 多少酔いがさめたのか、佐久良は、心配そうな顔で辺りを見回している。

「めーわく、だろ。おうちの、ひととか……」
「ああ。ウチ、今、僕しかいないから、気にしないでいいよ。父は単身赴任、母は出張中、兄弟はナシ」
「そう、なんだ……」

 少し、ほっとした様子を見せた佐久良を確認してから、長谷川は、じゃあ、と言って、部屋を出ようとした。

「え、行っちゃうの……?」

 途端、背中に、心細そうな声が降ってきた。
 長谷川が振り返ると、ベッドから、捨てられた子犬のような目で、佐久良が自分を見ていた。

「………ベッド、1つしかないから」

 だから、普段は使われていない、父親のベッドで眠るつもりだった。
 佐久良を自分の部屋のベッドに寝かせたのは、その方が気兼ねしないでいいだろう、と思ったからだ。

「だったら、いっしょに、ねれば、いいだろ? ヤだよ、おれ……、知らないとこに、ひとりで、ねるの………」

 訴えかけるような眼差しと共に、そんな事を言われて、ぐらり、と決意がゆらいだ。
 いつのまにか、また、佐久良の手が、長谷川のまだ着替えてない制服の裾を、つかんでいた。
 長谷川は、観念したようにベッドに腰かけると、小さくため息をついた。

「ホント……タチ悪い、酔っ払いだよね、佐久良は………」
「おれ、よってなんか、ない……」

 目にかかっていた、佐久良の前髪を、さらりと手でかきわけてやりながら、長谷川はくすりと笑った。

「それ、よっぱらいは、みんな、そう言うんだよ……。わかったよ。ここで寝るから、手、離して。制服のままで寝たら、皺になるから」
「あ……。そっか、おれも、ぬがなきゃ……」

 佐久良は、ぼんやりとした声でそう言うと、制服のジャケットに手をかけた。
 そして、勢いよく、脱ぎ出す。

「ちょ、ちょっと待って! 佐久良!? 全部、脱がなくてもいいんだよ!? ジャケットとズボンだけで!!」

 長谷川の慌てた声などものともせずに、佐久良は、ジャケット、ネクタイ、シャツ、その下のアンダーシャツ、ズボン、靴下……と豪快に脱いで言って、最後には、パンツまで脱いでしまった。

「えー……。だって、なんか、あっつい……」

 そう言う佐久良の裸体は、うっすらとピンク色に染まっていた。
 顔も赤いし、酔いが色となって現れやすい体質なのだろう。
 それはいい……けど、流石に、目のやり場に困る……っ、と長谷川が静かに混乱していたのも、束の間。
 今度は、佐久良は、長谷川の制服に手を伸ばしてきた。

「えっ、ちょっと、佐久良……!?」
「イインチョーも、はやく、ぬげよ……。そんな、きこんでたら、あっちーだろ……?」
「いや、僕は暑くないし、というか1人で脱げるからっ!」

 そんな攻防の末、長谷川は何とか、制服を1人で脱いだ。
 もちろん、佐久良と違って、Tシャツとトランクスは穿いている。
 長谷川は、すでにぐったりしていた。
 酔っ払いの相手が、こんなに疲れるものだとは思わなかった、というのが、その時の偽らざる心境だろう。
 さあ、これで寝れる……と、長谷川が思った時。
 酔っ払いは、またしてもとんでもないことを、口にした。

「イインチョー……、たってる?」
「…………!!」

 佐久良の視線の先では、明らかに形を変えたものが、薄い布地越しに、はっきりと見てとれた。
 さっきの着替えの攻防で収まった、と思っていたのに、そうではなかったらしい。

(この愚息は………っ!!)

 長谷川は、口には出さすに、叫んだ。
 だってそれはもう、不可抗力と言うものだ。
 好きな相手が、自分のベッドで裸で横たわっているとか、そんなあり得ないシチュエーションを前にした、健全な17歳男子としては!

「これは……ほっといたら収まるから、気にしないで」

 息を吸って心を落ち着けてから、努めて何でもないように口にした、のに。

「でも、それじゃ、つらい……だろ? ………する?」

 何もかもを台無しにするような台詞が、さらっと佐久良の口からこぼれた。
 長谷川は、一瞬、言葉を忘れた。

「……………」

 うるんだような目で、佐久良が、自分を見ている。
 ガラガラ……と、何かが崩壊した音が、確かに長谷川の耳には聞こえた。

「………僕は、あくまで、クラス委員として君を介抱して、何事もなく、君を帰すつもりだったんだ。さっきまでは」

 長谷川は、片手で眼鏡をはずすと、ベッドサイドのテーブルに、静かに置いた。
 そして、佐久良の頬に、手を伸ばす。
「イインチョー………?」

 無防備に、自分を見つめる佐久良と、目が合った。
 長谷川は、飲んでもいないのに、くらりと、酔ったような心地に陥った。

「……いいかい? あおったのは、佐久良、君だよ。他の、何を忘れてもいいけど、これだけは覚えておいて。いいね?」
「えー? うん。わかったぁ……」

 とろんとした顔で、佐久良は長谷川を見て、ふわっと笑った。
 それを見て、キョーアク……と一言、呟いてから、長谷川は顔を近づけた。
 唇が重なっても、舌が入りこんできても、佐久良はその時はまだ、ふわふわとしたいい気持ちだった………。
 
 
 ――――そして、翌朝。
 清々しい微笑で自分を見ているクラス委員長、こと長谷川修斗に、酔いがすっかり冷めた佐久良和伊は、どんな顔をしていいのかわからなかった。
 いっそ、酔いと共に、記憶もすっぱり失くしてしまいたかったのだが、そこまで都合よくいかなかったようだ。
 シーツを極限まで引っ張り上げて、顔を隠す。
 酔いとは違う、熱が、顔をじわじわと赤く染めてゆく。

(俺は一体、なんてことを……! なんかもう、死にたいっ……!)

 しかし人は、恥ずかしさでは死ねない。
 シーツに食い込んでいる指に、長谷川の手が触れてきて、そっと外される。

「そんなに力いっぱい引っ張ったら、爪が、折れちゃうよ? 佐久良」

 まるでいつもと変わりない、委員長の口調に、もしかして、夢を見ていたんだろうか、と思う。
 だけどその顔には、見なれた眼鏡がかかってなくて……。

「……佐久良?」

 怪訝そうに、自分の名前を呼ぶ、その唇を見て、その唇が、自分の身体を、どんな風になぞっていったのかを思い出した佐久良は、顔だけじゃなく、耳まで真っ赤になった。
 途中までは、酔いもあってどこか夢心地のまま、あちこちを触られたり舐められたりしたのだが、流石に『あの瞬間』は、そうはいかなかった。

(すげぇ、痛かったし……)

 だが、酔っていたせいで、身体に余分な力が入っていなかったからだろうか。
 痛みは、やがて、違う感覚を連れてきた。
 最後は、何が何だかよくわからないまま、しがみついて、叫んだりとか、したような気がする……。

「イインチョー、あの、俺……ええと……わ、忘れるから! だから、イインチョーも、忘れて!!」
「佐久良が、メイドの格好したこと?」
「や、それも忘れて欲しいけど、そっちじゃなくて! あの、その……っ」

 そうだ、それもあったんだ、と昨日のことなのにずいぶん昔のことのように、屈辱のメイドコスプレを、佐久良は思い出した。
 イヤだって言ったのに、俺たちのグループのメイドはお前だ! と多数決でメイド担当を回されてしまったことを。
 無駄にミニなスカートに、黒ストッキングとか!
 男がそんな格好してもキモチワルイだけだってのに、あのクラスは一体何を考えているんだろう、と文化祭が終わった今でも、佐久良は強く思う……。
 そんな屈辱を味合わされつつも、決まったことだからと涙をのんで給仕を担当したが、何故かやたら写真を撮られるし……。
 1枚100円でイケるんじゃね? とか言い出した斉藤は、とりあえず殴っておいた。

「ああ。そうだ。佐久良のメイド写真。僕もケータイに転送してもらったよ。見る?」
「見ない! なんでそんな写真転送してもらってんだよ、イインチョー!?」
「それはもちろん、可愛かったから」
「可愛くなんか……って、だから、そうじゃなくて……あの………」

 はぐらかされてるんだろうか、と思いつつも、はっきりと自分の口から言うのは、ためらわれた。
 すごく、ものすごく、恥ずかしいし、気まずい。

「……忘れないよ、僕は。忘れられる、わけ、ない。順番が、逆になっちゃったけど……」

 そこで、長谷川は、一旦、言葉を切った。
 何の順番だろう、と佐久良は、内心首をかしげる。

「僕は、佐久良が、好きだから」
「えっ……!?」

 聞き間違いか!?
 と思って、長谷川の顔を凝視するが、にっこりと微笑まれて。

「まあ、いずれ、チャンスを見て、何がしかの行動は起こす気でいたんだけどね」
「……じょーだん、だろ? イインチョー」
「まさか。本気も、本気。それに、君だって、僕が好きだろう?」
「えっ、嘘、なんで知って……あっ!」

 語るに落ちる、という反応を取ってしまい、佐久良はシーツに深く沈みこんだ。
 顔を伏せてもだえている佐久良を、くすくす笑いながら、長谷川は続けた。
 
「わかるよ。だって、佐久良、いっつも、何か言いたそうに、僕を見てるし。そのくせ、近づいたら逃げるし」
「それは、その……」

 シーツから、ちょっとだけ顔をあげて、佐久良はもごもごと言った。

「俺、バカだし……。イインチョーと、何、話せばいいのか、わかんなかったし……」
「そんなの……」

 長谷川の手が、佐久良の頬に伸びてきて、すくいあげるように触れてきた。

「なんだって、構わないよ。たとえ、何も話さなくたって……やれることは、ある。だろ?」

 暗に、昨夜のことをにおわされて、もうこれ以上は赤くなりようがなかった頬が、さらに熱を持った。

「イインチョーって、性格、悪ィ……」
「昨夜の、酔っ払いほどじゃないと思うけど?」
「うっ……。そ、それは……っ」
「ははっ。嘘、ごめん。冗談だよ。怒った?」
「……怒ってない」
「嫌いに、なった?」
「……なって、ない」
「じゃあ……、キス、しても、いい?」
「…………」

 うん、と答える前に、唇が柔らかく降ってきた。
 そっと、目を閉じる。
 もうぜったい、酒は飲まない……。
 とろけそうになる思考の片隅で、佐久良は、誓った。
 ハタチを過ぎても、飲まない。
 おそらく、いや間違いなく、自分は酒で大失態をおかすタイプだ。
 次に酔っぱらった時、何を失うのか考えるのさえ、恐ろしい……。

(だけど………)

 閉じた目を薄く開いて、至近距離から、ずっと好きだった人の顔を見つめる。
 レンズ越しじゃない、長谷川の顔を。

(今回だけは……、よかった、のかも)

 きっと、こんなことでも起きない限り、佐久良は自分の方から長谷川に近づいたりなんて、出来なかったに違いないから。
 オレンジジュースみたいに甘いお酒より、もっと甘く、口づけを重ねながら。
 この唇が、次に離れた時は、ちゃんと言おう、と思った。

「俺も、好き、だよ、イインチョー……」


Fin.


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