058: 僕を見てよ―クリスマス修正ver.―
教室よりも一回り狭く、向かい合わせの机が2つしかない国語準備室で、しかめっ面をした国語教師とふたりっきりで、向き合っていた。
ポイントは、もちろん、ココね。ふたりっきり。
俺は、押さえていてもついこぼれそうになる笑いを、奥歯を噛みしめることでこらえて、なんとか神妙な顔を保った。
「佐々川……。お前、どうやったら、俺のテストで赤点なんて取れるんだよ。信じられない、いや信じたくないぞ、先生は……」
はあ、と特大のため息をひとつ。
まあ、確かにね。
高見沢先生の現国のテストで、赤点を取るのは、俺にとっても至難の技だった。
妙な言い方をするなって?
そりゃ、そうだよ。
だって、フツーに受けてれば、現国で赤点なんて、ありえないでしょ。
わざとらしくないように、間違えるのって、満点取るよりもむしろ難しいんだよ?
それと言うのも、みんな、今日この日、というか、今日これからの、時間のためだ。
「ったく……。お前は理系なだけあって、理数系の点はいいし、だからといって、別に文系がダメってわけでもないだろ。英語は平均点軽くクリアしてるし、それになんだ! 古典はそこそこの点取っておきながら、現国が赤点ってどういうことだ! 俺に対する挑戦か!」
「そんな……たまたま、調子がよくなかったっていうか。俺、現国、苦手なんですよ」
ある意味、挑戦ではあるよな、うん。
そして、現国が苦手ってのも、ホント。
同じ国語でも、古典の方が点は取りやすいんだよな、何故か。
でもまあ、赤点取るほどには現国が悲惨ってわけじゃないけど。
「ったく、何が悲しくて、冬休み始まったばっかり、クリスマス・イブの日に、生徒と赤点補習なんぞせにゃならんのだ……」
椅子をくるりと回して、頬杖をついて、もう一度ため息。
そういう子供っぽいことをすると、どっちかといえば童顔なのが、ますます若返って見える。
まだ25だから、実際若いんだけど。
俺が17だから、ほら、8歳しか離れてないわけだし?
「すみません。先生、イブの予定、ありましたか?」
「ねーよ。悪かったなあ……!」
ぷん、と拗ねる姿が、ますます可愛い。
ハムスターみたいなほっぺたを、今すぐつつきたい。
「それに、お前だって嫌だろう。イブに、教師と二人っきりで補習とか。まだ英語とか数学なら、もうちょっとお仲間がいて寂しくないんだろうが……」
「いえいえ。俺、マン・ツー・マンで、ラッキーって思ってますから。それに先生とイブを過ごせるなんて、本望です」
「フン。どうだか……」
「やだなあ、ホントですよ?」
にっこり。
心からの笑顔を見せても、先生の顔はどこか胡散臭そうだ。
それもそうかな。
クリスマスイブに教師と二人っきり。
おまけに、その教師に監視されるように補習を受けるのがラッキー!
そんなモノ好きは、その教師の事がものすっごく好きな、俺くらいなものだろう。
俺にとってはこの状況は、作るべくして作った、はっきりいって、故意のものなんだけど。
だって、そうだろ?
担任でもない、部活の顧問もやってない、接点は現国の授業だけ。
そいう現国教師と、ちょっとでもお近づきになろうって思ったら、このくらいの反則技使わないと。
理系の俺が、現国の教師に頻繁にわからないところを質問に行く、とかいうのも、なんか不自然だし。
「……無駄話が過ぎたな。ホラ、プリント。用意したから、やってみろ。わかんないとこがあったら、俺に聞け」
「はーい」
「返事は短く!」
「はいっ!」
手渡されたプリントを受け取って、シャーペンを握った。
問題は、こないだの期末の範囲のようだ。
見覚えのある文章が問題分として挙がっている。
「大体だなあ、現国なんてもんはな、本でも読んどきゃ、何もしなくてもある程度は解けるもんだろ」
「先生、いいんですか? それって、自分の存在意義の、全否定ですよ?」
「ああ? 別に全否定はしてないだろ。本を読んだだけじゃわからない部分もある。だが、本を読んでいたら、本を読まないでいるよりも、文脈はつかめるようになるだろう。そうしたら、いくらかは、点に繋がるはずだ。語彙だって、多少は増えるし、そうしたら読み書きできる漢字だって増えるだろう」
先生は、指を折って、読書の利点をあげていく。
「まあ、読書ってのは、そんな勉強してやる! なんて堅苦しく考えなくて、好きな本を、楽しく読むだけでいいんだけどな」
そういう先生の顔は、どことなく楽しそうだ。
そんなところは、子供っぽく見えてもやっぱり国語教師なんだなあ、と思う。
と、密かに見惚れていたら、こっちを向いた先生と、目があった。
「どこか、わからないとこ、あるか?」
尋ねる先生の目が、優しくて、ドキッとした。
それが単なる教師としてのものだってわかっていても、もっと、こういう顔がみたいって、思う。
今だけは、というか、今日から三日間は、この顔は、俺だけのものなんだ……!
「おい、佐々川?」
「……あ、はい、ここなんですけど」
ヤバイヤバイ。
ついつい、喜びをかみしめてしまった。
俺は慌てて、プリントと向き直った……。
「今日は、ここまでにしておくか」
「はい」
楽しい時間はあっという間、とはよく言ったもので、90分間の補習授業は、もう終わりを告げていた。
窓の外を見ると、まだ昼なのに、薄暗い。
朝から曇っていたけど、今日は一日、このままみたいだな。
「おっ。佐々川、雪だぞ」
窓の近くに立っていた先生が、手招きをした。
傍によって、並んで空を見ると、灰色の雲から、白い雪があとからあとから降ってきていた。
「どうりで冷えると思ったよ」
窓のさんに手をついて、空を見上げながら、先生がちょっと嫌そうにつぶやく。
「高見沢先生は、寒いの、苦手なんですか」
「寒いのはいいんだが、雪が積もったら、車がな……。チェーン巻くのが面倒だ」
「ははっ、そっちですか」
「お前だって、電車が混むぞ〜」
「俺は平気です。若いから」
「なんだと! 俺だって、まだまだ……!」
そこまで言って俺と顔を見合わせた先生は、どこか照れくさそうにく頭をかいて笑った。
つられるように、俺も笑う。
こういうの、ちょっといいよな。
どうでもいいこと話してて、笑いあったりするの。
なんか、すごく、親密な感じ……。
「そうだ、これ。貸してやるから、読んでこい。で、感想文、書いてこい。冬休みの宿題だ」
先生は、カバンから1冊の本を取り出すと、俺に手渡した。
分厚いハードカバーの本。
タイトルに、見おぼえがある。
これ、結構話題になってたヤツだ。
「えー。俺、感想文、苦手なんですけどお……」
「ばか。だから、いいんだろ。佐々川の国語力向上のためだ。お前はもう少し本を読んで、国語力を身につけろ」
「はーい……」
「よし。エライエライ」
先生は伸びあがるようにして、俺の頭を撫でた。
ちぇっ。まるっきり、子供扱いかよ。
仕方ないか。生徒だからな。今は。
「頑張るいい子には、先生からご褒美……クリスマスプレゼントをやろう」
「え? 何ですか?」
「口、開けろ」
「口……っ!?」
って、まさか、キス、とか……!?
一瞬、そんなあるわけない期待をしてしまった俺だけど、先生は、机の引き出しから小さな包みを取り出した。
包装紙を解いて、四角い小さな茶色の塊を、俺の口に、ひょいと放り込んだ。
「美味いか?」
「はあ……」
それは、キャラメル、だった。
ってか、先生。
机の引き出しにキャラメルなんてしまってるんだ。
ううん、可愛い……。
ハムスターみたくキャラメルをほおばっている先生を想像して、思わず頬が緩んだ。
「そうか、美味いか。頭使った時は、甘いものが欲しくなるよな」
「常備してるんですか、先生」
「まあな。クッキー、チョコレート、それにキャンディーもあるぞ」
何故か、得意そうに語る先生。
単に、甘党ってだけなんじゃあ……。
「てか、先生。クリスマスプレゼントって言うなら、ケーキ下さいよ、クリスマスケーキ」
「贅沢言うな。あるわけないだろう、そんなもん」
先生は笑いながら、俺の頭を軽く、コツン、と叩いた。
俺はそれを、大げさに痛がってみせた。
すると先生は、慌てたように、今度は俺の頭を撫でた。
「悪い……! 痛かったか?」
「……えっと、あ、の」
思わぬ反応に、嘘です、なんて今さら言えなくて、口ごもった。
「ああもう、しょうがねえな! 明日な。補習が終わったら食わせてやる。それで我慢しろ」
「え……」
まさか本当にクリスマスケーキがもらえる流れになるなんて思わなくて、びっくりして俺は先生をぽかんと見つめた。
そんな俺を、先生はニヤリと笑って見て、言った。
「25日に、ホールケーキを予約したんだ。ひとりじゃ食いきれそうにないからな。お前も手伝え」
「ああ、なるほど、そういう……。っていうか、クリスマスケーキって24日に食べるもんじゃないんですか?」
「何を言う。本番は明日だろうが」
「そうだけど……って、先生、確か、ひとり暮らしだったよね? なのに、ホール?」
先生がマンションにひとり暮らしなのはすでにリサーチ済みだ。
海外転勤した親戚から留守を預かる形で借りてるとかで、結構広い家族向けマンションらしい。
実は、マンションの建物だけなら、見に行ったことがある。(断じて、俺はストーカーではない! ……と、思う)
「こういうイベントごとのケーキはホールって決まってるんだよ」
「ひとりでも?」
「ひとりでもだ! 余ったら、冷蔵庫に入れて次の日にも食うからいいんだよ」
それでも、ひとりで1日で半分、2分の1ホールは食べるってことだよな。
どんだけ甘党なんだよ、先生。
……まあ、そういうとこも可愛いと思うけど。
「学校の近くのケーキ屋で予約したんだ。補習が終わったら取りに行くから、お前は家から水筒にホットコーヒーでもいれて持ってこい。皿とかは俺が用意するから」
「わかりました。ふたりだけのクリスマスパーティーですね」
押さえきれぬ喜びが顔に現れて、ついはずんだ声を出すと、先生は呆れたように、
「教師ふたりのクリスマスが、楽しいのか?」
……と、言った。
「もちろんです」
満面の笑顔で答えると、先生はちょっと目を見張って、それからどこか困ったような、戸惑ったような顔で笑った。
「……それじゃ、そろそろ、帰るか」
「はい」
明日の予定も決まったので、お互いカバンを持って国語準備室を出る。
先生が鍵をかける、白い指先をじっとみつめた。
「先生も、今日はこれで終わりですか?」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、途中まで、一緒に帰りましょうよ」
「俺とか? 別にいいが……まったく、変わったヤツだな。教師と一緒に帰りたいなんて」
「そうですか? 普通ですよ」
少なくとも、俺にとっては。
「その前に、職員室に鍵を返しに行くぞ」
「はい」
並んで、人気の少ない廊下を一緒に歩く。
他の教科の補習も行われていたはずだが、もうみんな、終わって、帰ってしまったのだろう。
窓の外を見ると、雪が、さっきよりも強く降っていた。
「こりゃあ、ホワイトクリスマスになりそうだな」
「そうですね。明日は、ホワイトクリスマス補習ですね」
「なんだそりゃ」
「楽しみです」
「ったく、お前ってヤツは……」
俺が真顔で言うのに、先生は呆れたような顔で、笑っている。
俺より5、6センチ低いところにある、先生の顔をこっそり眺めながら、あと2日ある、ふたりっきりの補習について、考えた。
今はまだ、先生を見ているのは、俺の方、だけだけど。
「ねえ、先生。借りてる本、読み終わったら、また何か、お薦めの本、教えてください」
「なんだ? さすがに赤点がこたえて、国語力向上に取り組む気になったのか?」
「それもありますけど、先生が、どんな本が好きなのか、知りたいんです」
「へ?」
「先生が好きなもの、知りたいんです。甘いもの、以外で」
「そ、そうか……」
高見沢先生の顔をまっすぐに見て、ストレートに行ったら、先生はびっくりしたように目を見開いて、ちょっと顔を赤くした。
今の、ちょっとくらいは、伝わった? 脈あり?
先生の反応をもっと探ってみたかったんだけど、残念ながら先生はすぐに普段通りの顔つきになると、重々しく、うなずいてみせた。
「読書に興味を持つのは、お前にとってもいいことだからな。うん、いいぞ。俺の好きな本の中から、佐々川にも面白そうな本を見繕ってやろう」
「ありがとうございます」
職員室に来たので、先生だけが入って行って、鍵を仕舞いに行った。
カバンを持っていない手をポケットに突っ込んで、手を温めながら、俺は今後の事に思いをはせた。
これは、チャンスだ。
だから、最大限、活かさなくては。
必ず、先生の方からも、俺を見てもらう。
そのためには、教師と生徒、っていう枠を、なんとかして、とっぱらわなきゃいけないわけで。
先は、長い。
「ほら、行くぞ。今日は特別だ。駅まで、車に乗せてってやるよ」
「やった! その言葉を待ってました!」
「っていうか、そもそも電車と車じゃ、途中まで一緒に帰るっていっても、校門までだろうが」
「はい。だから、先生がそう言ってくれるの待ってたんです」
「まったく、ちゃっかりしたヤツだな、お前は」
苦笑して、先生は俺の肩を軽く小突いた。
その手を、そのまま掴みたい。
そんな衝動が一瞬わき上がったけど、なんとか堪えて、歩き出した先生の隣に並んで、一緒に歩く。
俺は、聞きわけのいい生徒の顔をして言った。
「明日も、よろしくお願いします、先生」
「ああ。雪に埋もれても、補習はするからな。サボるなよ」
「もちろん。俺、先生との補習、楽しみにしてるんですから。それに、クリスマスケーキも」
「ほんと、変わったヤツだなあ……」
そう言いながら先生は、どこか嬉しそうに、くすぐったそうに俺を見て、笑った。
すっかりくつろいで、安心しきった、優しい教師の顔で。
次に一緒に歩くときは、手を繋いでみよう。
先生は、何て言うかな? また変わったヤツだって、言う?
隣を見ると、先生の形のいい可愛い耳が、すぐ傍にある。
かじったら、なんだか甘い味がしそうだと思った。
大好きだよ、高見沢先生。
今はまだ、俺はただの生徒だけど。
いつかきっと、先生の大好きな本よりも、甘いケーキよりも。
先生を夢中にさせてみせるよ。
よそ見なんて、出来ないくらいに。
一瞬だって、目をそらさせない。
溶けるくらいに愛してあげる。
ねえ、先生。だから。
俺を、見て?
俺だけを、見てよ。
Fin.
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