059: 水の中 番外編


湯の中


「すみません! 本っ当にごめんなさい、池口先輩!!」

 洗い場の入り口で、俺は先輩に向かって45度身体を折って、頭を下げていた。
 昨日とシチュエーションが若干被ってるけど、意味するところはだいぶ違う。

「やだな〜、いいってば! そんな気にされると、こっちが困っちゃうよ」
「でも……」

 気にしてないからと、重ねて言われて、俺はそっと顔をあげた。
 目に映ったのは、湯気で白い肌が上気して、剥きたての桃みたいにほんのりピンクに染まった、先輩の裸体。
 そこまでは、昨日この場所で見た光景と同じだ。
 しかし色々あって、一夜明けた今。
 先輩の見た目以上にすべすべな肌には、いたるところに、赤い痕が花びらのように散っていた。


 所属しているサークル『温泉愛好会』で、ちょっとした手違いから、俺は片思いしてる先輩と二人っきりで温泉宿に泊ることになった。
 フツーならラッキーと思うところなのかもしれない。
 サークルに誘ってくれたのは先輩だし、普段から後輩としては結構可愛がられてる方だと思う。
 この機会に一気に先輩後輩の関係から進むチャンスだと、ここはそう思う場面だろう。
 ―――だけど先輩は、どんなに小動物めいて可愛くったって、俺と同じ男なのだ。
 先輩のように愛くるしいんならともかく、俺みたいに後輩とはいえ『後ろから見下ろすな、デカい上に目付き鋭くてこえーんだよお前』なんて言われる男に下心込みで好かれてるなんて知られたら……絶対、嫌われる。
 大浴場で大勢と入ってる時だって、先輩の裸が目に入ろうものなら俺の一部分があらん反応をしそうになってヤバイっていうのに。
 二人っきりで温泉旅行なんて、ハッキリ言って拷問だ。ありえない。
 俺は何とかして、個室付きの家族風呂に一緒に入りたがる先輩をかわそうとしたのだが、再三の誘いを断り切れなかった。
 だって先輩、ひまわりの種を欲しがるジャンガリアンハムスターみたいな目して(飼ったことないけど)俺のこと見るんだよ。
 あれを断るのは、俺にはどうしても無理だったんだ……。
 そして危惧してた通り堪え性のない愚息が反応して、しかもそれを先輩に見られてしまい……俺はいたたまれずに敵前逃亡した。
 だけど先輩は俺を追いかけてきてくれて―――しかも先輩も、俺のことが好きなんだって、わかって。
 そこから先はもう、夢みたいな展開が待っていた。
 今までずっと、見ないようにしながらこっそり見て、後で脳内でフル再生して妄想していた先輩の身体。
 それがまさか、本当に触れる日が来るなんて思ってもみなくて、俺はもう夢中になった。
 乱暴に扱うと壊れてしまうんじゃないかと思っていた、薄く肉がついた先輩の華奢な身体は、思っていたよりもしっかりしていた。
 最初は恐る恐る触れていたんだけど、遠慮しなくていいよと本人から言われてしまうくらいには。
 なめらかな手触りは想像以上だった。舌でなぞってみたら、くすぐったそうに先輩が震えるのが可愛くて。
 何度も何度も手と口で、触れて、吸って、先輩の反応を確かめてしまった―――。
 

「すみません、調子に乗り過ぎました………」

 入りそびれた個室付きの家族風呂に、翌日改めて入ることにした俺たちだったのだが……。
 昨日とは全く違う意味で、先輩の身体を直視できなくなるなんて。
 叫びだしたいくらい嬉しいけど、叫びたいくらい恥ずかしい。
 どんだけガッついてんだよ、俺……。
 先輩の白い身体には、数え切れないくらい昨夜俺がつけたキスマークが残っていた。
 気にしてないなんて先輩は言うけど、絶対、呆れてるよな。
 明るい中で目にしたら、自分でもこれはどうなんだって思うしな……。

「だーかーらー、謝んなくていいって、昨日から何度も言ってるじゃん! 上野ってば気にし過ぎ! おれは嬉しかったのに」
「え……ほ、ホントですか?」
「ウソ言ってどうすんだよ。ってか、おれアレじゃん。見た目カワイーけど100パー男じゃん。いざヤろうってなったら、我に返って萎えるんじゃないかなって心配だったから。上野がおれにちゃんと最後まで欲情しててほっとした」
「………先輩、もう少しオブラートに包んでもらえませんか」
「ん? おれなんかマズイこと言った?」

 あっけらかんと言われて、俺はがっくりと肩を落とした。
 呆れられてなかったのはよかったけど、もうちょっとこう、言いようが……いや、ちょっと待て。

「先輩、俺ができないんじゃないかって……心配してたんですか?」
「そ、そうだよっ。悪いかよ……。どたんばで、やっぱ女の子がいい、とか言われたら悲しいじゃん」
「それこそ今さらでしょう。先輩の裸見て反応する男なんですよ、俺」
「そんなのわかんないじゃん。ちょう貧乳の女が好きなのかもしれないし。おれのイチモツなんてお前に比べたら大したもんじゃないから、風呂じゃ見なかったフリしてたのかもしれないし」
「何言ってんですか。それはありえないです。先輩の身体で見なかった場所なんてないです。上から下まで全部見てました……っ!」

 見ないように見ないようにしようと思いつつ、結局毎回、目に焼き付けるようにこっそりくまなく見てたって言うのに!
 つい力説すると、先輩がうろんなまなざしで俺を見ているのに気づいた。

「上野って、ムッツリだったんだ……」
「そ……それは、仕方ないじゃないですか! リアルに実行したらただのスケベ、いや犯罪になりますよっ」
「なるほど。こっそり、しっかり見て、頭の中で思い返してたんだ」

 からかうような口調で問われて、自分の墓穴っぷりにマジで埋まりたくなった。
 水垢離でもして煩悩を打ち払いたい。
 すでに昨日の段階である程度白状してしまったとはいえ、出来ればここまでは言わずに済ませておきたかった。
 これもう、オカズにしてましたと言ったも同然……。

「……そうですよ」

 観念して顔を逸らして頷くと、くすっと笑う気配がして、先輩が俺にがばっと抱きついてきた。

「かわいーなー上野! 思いっきり見てくれちゃって全然オッケーだったのに! ねえ、お前の頭の中のおれって、どんなだった?」
「そ……それは、ノーコメントでお願いします」

 いくらなんでも、そんなこと言えるわけないですよ先輩……!
 うろたえる俺をよそに、先輩はおれにぴったりくっついて、背中をなでまわしてくる。

「あー、腹筋だけじゃなくて、広背筋もいいなんてやっぱ最高……」
「ちょっ、せ、先輩っ。あの、そんなに抱きつかれるとヤバイんですけど俺……っ!」

 今俺たち、生まれたままの格好をしてるワケで。それで、身体を密着させるってことは……。

「……当たってる。元気だな、上野。でも悪い。おれ、ちょっと今は無理。腰ダルイし」

 先輩の視線が下を向く。居たたまれないどころじゃない。
 慌てて肩をつかんで引き離そうとするのに、先輩は背中を撫でながらがんとして離れない。
 俺がムッツリなら、先輩はオープンすぎるって思うんですけど……っ! 

「それに温泉愛好会の鉄の掟があるから、ここでは無理なんだよね」
「な、何の話ですか?」
「お湯を汚すべからず! って規則あるの。知らなかった?」
「今初めて聞きました。先輩、あの、そろそろ離れてくれないと、マジでヤバイ」
「でも、脱衣所でならいいよね」
「え……っ?」
 
 先輩は爪先立って、俺の耳もとに嬉しそうに囁いた。

「口で、してあげようか」


 ―――結局、先輩と俺が家族風呂の湯に浸かれたのは、宿を出るぎりぎり間際になってしまったのだった。


Fin.


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