なるべく地味に、目立たずに。
個性がないと言われたって構わない。
というよりむしろ、そう思われたのなら目論見通りだ。
僕は社会を構成するいち歯車でいたいのだ。
取り換えはきくけれど、必要なもの、そんな感じの。
決して、突出した、オンリーワンなんかになりたくはない。
もちろん、ナンバーワンにだってなりたくはない。
篠川? ああいたね、そんなヤツ。そう言われるような。
それなのに………。
「しっのかわーっ! おっはよーう!!」
ぶんぶんと勢いよく、手を振ると言うより回しながらクラスメイトが僕の名を呼んでいる。
無駄にスタッカートまできかせながら。
登校中の生徒がそろってこっちを見ているのになんか、ヤツは気にも留めない。
留めてくれ、頼むから………。
僕は返事をせずに、歩く速度を速めた。
ホントは走りたいところだけど、走った方が目立つからな、我慢だ。
「おおーい、篠川! しのちゃん!!」
だけど悲しいかな、足のコンパスが、僕とヤツとではだいぶ違う。
向こうも別に走っているわけではないのに、あっという間に追いつかれてしまった。
「おはようっ!!」
「………オハヨウ」
さすがに隣に立たれては、無視するわけにもいかない。
僕は渋々、あいさつを返した。
「もう、篠川ってば、朝からテンション低いな〜!」
お前のテンションが高すぎるんだよ!
心の中だけで、突っ込みを入れる。
うっかり口に出して言うと、無駄に会話が広がって疲れるのはすでに学習済みだ。
「おはよ、みなみちゃん!」
「おはよう、美浪君」
「美浪、はよー」
「美浪、朝から元気だな〜」
その間にも、多くの生徒が男女問わず朗らかにヤツに挨拶していく。
ちなみに女の子の名前みたいだけど、『美浪』は名字だ。
フルネームだと、美浪海斗(みなみ かいと)と言う。
まあどうでもいいことだが。
「おはよ、さくらちゃん」
「おはよう、杉下さん」
「タカシ、っはよー」
「おう、俺は今日も元気いっぱいだぜ!」
そしてヤツはかけられる声すべてに、元気いっぱいに挨拶を返している。
朝にふさわしい、爽やかな笑顔付きで。
何故か、僕の隣を歩きながら。
だからなのかついでのように、彼らも僕に挨拶していく。
それに僕は、小さく会釈しながら、もごもごと口の中で挨拶を返す。
ハッキリ言って、苦行だ……。
僕には、きらびやかな兄がいる。
この表現が適切なのかどうかはイマイチわからないが、とにかく派手で、目立ちたがり屋のナルシーで、タチの悪い事に顔もスタイルも弟の僕から見ても結構いけてる上に、各種さまざまな実力も伴っている。
2コ上、と言う中途半端な年の差のせいで、小学校も中学校も重なる時期が出てしまい、僕は常に「ああ、あの篠川の弟」と呼ばれてきた。
そして当然その後には「あんまり似てないんだね」とか「大人しいんだね」などと続く。
当たり前だ!
僕はあの自己愛が強く自己主張の激しい兄のように、いつもスポットライトが自分に当たっていないと気がすまないなんてことはないし、文化祭でも運動会でも喝さいを浴びたいなんて、これっぽっちも思っていない。
地味、上等じゃないか!
それなのにあのバカ兄は好き勝手な事を僕にまで言う。
「お前は俺の弟なんだから、もっと輝けるはずだ!」
「よく見ればカワイイんだし!」
「そんなダサい格好やめて、ほら、こうすればもっと目立ってカワイイぞ!!」
大きなお世話だって言うの!
自分が目だってれば満足なくせに、何故に僕にまでそれを強要するんだよ!?
わけがわからない!
……僕は、そんな兄の呪い(呪いと言う字が、兄に口と書くのを見るにつけ、口数の多いうるさい兄は存在そのものが呪いだと強く思う)から解き放たれるべく、高校は、兄と違うところ、そして地元から通うものが誰もいないような、遠く離れた学校を選んだ。
おかげで通学時間はだいぶかかるが、誰もあの兄のことを――地元では最早ちょっとしたアイドルと化している――知らない。
僕の平穏無事かつ地味で素敵な、初めての学生生活が始まる……!
そう、信じていたのに。
それなのに、あの兄ほどまではいかなくても、明るく目立って賑やかな美浪に、僕は何故かまとわりつかれている。
おかげで必然的に、「篠川……? ああ、美浪といつも一緒にいるヤツ?」と言われるようになってしまった。
不本意過ぎて、泣けてくる。
個性的なヤツは、自分の引き立て役として、無個性なヤツを傍に置きたがるとか?
それともあの派手派手しく鬱陶しい兄のように、僕があまりにも没個性だから、どうにかしてやろうという有難迷惑なことでも考えてるのか……?
「しっのかわー! 弁当、外で食べるんだろ。俺も一緒していい?」
「…………」
一度も、一緒にしていいよ、などと言ったことはないのだが、どんなに撒いてもついてくるので僕は無言で教室を出た。
一体、何が楽しくてこいつとふたりっきりで飯を食わなきゃいけないんだろう?
ヤツは、ほっとけばたくさん人が寄ってくる吸引体質なのだ。
僕がいなくても、昼を一緒に取る相手にはことかかないだろうに……。
あまり大勢の人間と一緒にいるのを好まない僕は、こいつと一緒でもあまり人が来ないところ、来ないところと移動していくうちに、気がつけば、裏庭の目立たない影で弁当を食べる羽目になっていた。
一年中葉を茂らせている木の下の草地に座ると、当たり前のように隣にヤツが座る。
今はまだいいが、段々秋も深まって、風が冷たくなってきた。
そろそろ、新しい場所を探さなきゃいけないだろう。
なんで僕は、昼飯を取るのに校内をさすらわなきゃいけないんだ……?
「俺、今日、弁当じゃなくてパンなんだ。近所のパン屋で買った、コロッケパン! と、アンパン。あ、篠川、アンパン好きだよな? 2つあるから、1個食う?」
ニコニコと話しかけてくるヤツを見ていると、ふつふつと怒りがわき上がってきた。
「いらねえよ! ってか、お前、いい加減にしろ!!」
口調も、思わず乱暴になる。
ずっと黙っていたかと思うといきなり叫び出した僕に、美浪はきょとんとしている。
そんな顔でさえ整っているのだから腹立たしいことこの上ない。
「僕に、付きまとうな!!」
この学校に入学して、ヤツと同じクラスになってから半年以上。
ずっと我慢してきた言葉を、ついに僕は口にした。
美浪はあの兄ほどには規格外じゃないし、はたから見れば仲の良い友人のように見えるのだろう。
それがわかってたから、僕もそうふるまおうとしてきた。ずっと。だけど。
「僕は、お前のオマケみたいに扱われるのはたくさんなんだよ……!!」
いつも僕はあの兄の、オマケで。
それがいやだったから、兄の影響のない場所まで来たのに、結局は、人が代わっただけで同じだなんて。
一体これは、どう言う星の巡りなんだよ!
前世の業か何かか!?
僕はあまり出さない大声を出したせいで、ゼイゼイと息をつきながら美浪を睨んだ。
一方的に僕に言われるがままだったヤツは、僕の言葉が途切れると、口を開いた。
「オマケって……。そんな風に思ってたのか、篠川………」
「そんなも何も、実際そうだろ」
背が高くて顔が良くて、頭も良くて運動神経もいいのに、人当たりもいい。
そんな人気者になれる要素を兼ね備えたヤツの傍に、平々凡々を絵に描いたような僕がいれば、誰だって僕はそいつのオマケだと思うだろう。
なのに美浪は、不可解な事を口にした。
「違うよ、逆だよ。それを言うなら、俺が篠川のオマケだよ」
「はあ……!?」
何言ってんのコイツ。
何をどうしたら、そうなるんだよ!?
僕がますます据わった目つきになったら、美浪はそんな僕を見て苦笑した。
「だって、そうだろ? しつこく食い下がらなきゃ、篠川は俺のことを歯牙にもかけてくれないじゃないか」
「それは……。でも、別に僕なんかに構われなくったって、美浪には他に大勢、構いたがるヤツらがいるだろ」
男女問わず。先輩や先生も含めて。
僕はそう言う、人の中心にいる人物――兄の存在はすでにトラウマと呼んでいいくらいだ――とはお近づきになりたくない。
「他の大勢なんて関係ないだろ。俺は篠川に構われたいんだから」
なのに美浪は、変な事を言う。
地味で平凡で取り柄もない僕に構われたところで、メリットなんて何もないだろうに。
「……なんで?」
だから僕は、ストレートに聞いた。
よく考えてみたら、こう言う事はもっと早く聞いておくべきだった。
良くも悪くも兄の存在である程度の耐性と諦観が身についてしまったため、無駄に長くこの状況のままイタズラに時間を過ごしてしまった。
「ははっ……、キッツイなあ、篠川は」
え、責められてるのか、僕。
それこそ、なんで?
僕が内心、思いっきり首をかしげていると、美浪はまた苦笑をこぼした。
そして情けなさそうに、眉を下げる。
「本当に、わかってないんだもんなあ……。わかってないだろうなー、とは思ってたけど」
「さっきから、何の話してるんだよ。僕にもわかるように話せよ」
「なら、言うけど。その他大勢はどうでもよくて、俺は篠川に、だけ、構われたいって言ってるんだよ」
「だから、なんで、」
「篠川が好きだから」
だから、なんでなんだよ、と言い切る前に、美浪は答えを口にした。
した、が……。
「は……?」
ますます意味が分からない。
えーと、美浪は僕に構われたくて、その理由は、僕が好きだから……?
「しっのかわー? ちゃんと、聞いてた?」
「聞いてた。けど、意味わからん」
「それこそ、なんで? こんなにわかりやすい告白もないだろうに」
「告白……?」
え、それはもしかして、愛の告白的な……?
「いやいやいや! ないだろ、それは! 僕が同性とかそれ以前に、なにゆえ僕! って感じだし。この特に個性もない、ドングリの中にまぎれたらどのドングリかわかんなくなっちゃうくらいの、地味で平凡な僕をあえて選ぶとか……!」
気がついたら僕は全力で否定していた。
仮に美浪が同性オンリーの人だったとしても、もっとこう、いくらでも選びようがあるだろ! って思う。
それに対して返ってきた言葉は、またしても予想の斜め上を行くものだった。
「篠川って、自分が無個性だって思ってる? 平凡だって」
「そうだろ! どう見たって!!」
「そうは見えないけど。目ぇくりくりしてて可愛いし、耳の形もいいし」
耳の形って……マニアックだな、美浪。
「絵も上手いじゃん。俺、篠川の絵、好きだよ。あったかくて」
「それは……、あ、ありがとう……」
絵は、唯一、兄よりも僕の方が優れていると思えるものだ。
絵を描くのは、自分でも好きだし、褒められれば正直、悪い気はしない。
「それに、優しいし。入試の時、消しゴム忘れて俺がパニクってたら、消しゴム半分に割って、くれただろう」
「ああ……あれ、美浪だったのか」
消しゴム忘れたー! って騒いでうるさいヤツがいたんだよな。
気が散って覚えたことが頭から飛びそうだったので、勢いで消しゴム割ったんだよ。
「あれは別に、優しさじゃない。自分のためだ。集中力が切れそうだったから」
「それでも、俺は嬉しかったんだ。皆、しかたないけど自分のことばっかの時に、気にかけてもらって」
ちょっと遠い目をして、美浪は語った。
そんないい話みたいに言われると、うるさいさっさと静かにしろ! とか思ってた僕としては、気まずい……。
「でも俺、あの時、篠川の名前聞きそびれてて。お礼もちゃんと言えなかったのに。だから、同じクラスになった時は、すっげー嬉しくて……」
そう言えば、4月にクラスで初めて美浪と一緒になった時、なんかすっげーテンション高かったな、コイツ。
なんか、ありがとう! とかいきなり言われて、なんだコイツとか思ったの、消しゴムの礼だったのか。
思い出してみれば、消しゴムがどうのこうの言ってた気がする。
「なのに、篠川は俺のこと全然、覚えてないし。話しかけても反応鈍いし……」
当たり前だ!
僕は目立つヤツの呪縛から解き放たれるためにこの学校に来たのに、見るからに目立ってるお前と和気あいあいと出来るか。
本末転倒だろ。
僕の素晴らしき地味ライフが……。
「嫌われてんのかなーとも思ったけど、その割には俺が傍に寄っても避けないし、返事もしてくれるし」
僕はかつて、兄を徹底スルーしようと思った時期があった。
だがそうしたら、「兄ちゃんがキライなのか?」「キライなのか!?」「ヤだヤだ、キライだなんて言わないでくれー!!」と、更に鬱陶しいことになったので、適当に相手をするようにしたのだ。
……もしかして、避けて良かったのか!?
そうだよ、いくら同じ目立つタイプだからって、あの兄そのものではないんだから、兄と同じ対処法を取る必要はなかったんだ!
僕のバカバカ……!!
「………何か今、だったら無視しとけばよかった、とか思ってない? 篠川……」
「い、いや、そんなことないよ!?」
見透かされたようなタイミングで言われたので、焦って言葉が詰まってしまった。
美浪は、小さくため息をついた。
やっぱ、バレバレでしたか……?
「……とにかく、対外的に、一番の友人、ってポジションを取っておこうと思ったんだ。他に狙われる前に」
「狙われるって。そんなもの狙わなくったって、別に僕の友人ポジションなんて空いてるだろ。そもそも、埋まった事もないよ」
「ホント、わかってないのな。あのな、これは言いたくなかったんだけど、篠川って、実は密かに人気あるんだぜ」
「え……っ!?」
地味で目立たない僕が何故……!?
「っていうかさ、その、平凡とか地味とか。誰と比べてるの? そりゃ、篠川は一見、目立つタイプではないかもしれないけど、決して、地味でも、平凡でもないよ。どっちかっつうと個性派だよ。可愛い顔してけっこー手厳しいこと言うし。でもその後ちゃんとフォローも入れてくれたりして。篠川の飴鞭くらいたいってヤツ、俺の周りにも割といるよ。蹴散らしてっけど」
え、僕ってそんな認識されてたのか……?
地味で目立たず大人しい、人畜無害な無個性な人間だと思っていたのに!
実際、兄に比べたら、その通りなはずなんだけど。
いや……、兄には、結構キッツイ事も言うけど。
言わなきゃあの兄はどこまでも調子に乗ってホントうざいから……でもほっとくと拗ねてまたメンドイから、フォローも忘れたらいけないし。
ってこれ、兄の影響かあ……!
どこまで行っても結局、兄の呪縛から逃れられて無いじゃん、僕!!
「どうしたの、篠川。なんか、疲れたような顔して」
「いや……。何と言うか、うん……。って、蹴散らすって………」
「だから。さっきから、言ってるだろ。俺、篠川が好きなんだよ。そういう意味で」
ため息とともに繰り返されて、僕はカーッと頭に血が上った。
なんか、やっと意味が脳に浸透したって言うか。
「あ、そっか。うん、そうだったね……!」
つまり、こうだ。
美浪が僕につきまとっていたのは、いやがらせでもなければ、引き立て役でもなく、僕に好意を寄せていたから、とそういう。
恋愛的な意味で。
「返事」
「え?」
「告白の返事。まだ聞いてない。教えてよ」
「え、ええと………」
そんないきなり!
長年の認識の誤りにようやく気付いて驚いてる所なのに、更に告白の返事とか!
「すっぱり答えられないって事は、脈があるって、思ってもいい?」
答えられないでいると、美浪がやけに都合のいいことを言ってきた。
ふざけんなよ、と言ってやってもよかったんだけど……。
「う、うん……」
何故か僕は、頷いていた。
これには、言ってしまってから、自分でびっくりした。
「そうか。じゃあ、早く篠川に、うんって言ってもらえるように頑張るな! ちょっと長く話し過ぎたな。飯、食おう。昼休み終わっちまう」
「ああ、うん。そうだな……、あ、あの」
美浪の言うように、昼休みも半分近く過ぎてしまっていた。
早く食べないと、昼抜きになってしまう。
「何?」
コロッケパンを袋から取り出しながら、美浪が問い返した。
「アンパン。やっぱ、ちょうだい」
「いいよ」
はい、と言って、手のひらサイズの丸いパンが渡された。
弁当を食べる前に、一口かじった。
「美味い」
「そっか。よかった」
美浪が、にっこり笑う。
さっきはそれがしゃくに思えたのに、どうしてだろう。
弱い日差しの中でもはっきりと、眩しく見える。
急に心臓がドキドキ鳴りだすのを止めることができなくって、僕は誤魔化すみたいに、もう一口パンをかじったのだった。
Fin.
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