063: 扉を開けて



「こんなとこに、ドアなんかあったっけ……?」

 祖父の古い屋敷は、増改築を繰り返してちょっとした迷路の体をなしている。
 サイラスは落ち着いたチョコレート色のドアを前に首をかしげた。
 すでにこの屋敷のすみずみまで探検しつくしたと思っていたが、見落としていたのだろうか。
 こんな突き当りの、わかりやすい場所を……?
 サイラスは不思議に思いながら、ドアノブにそっと手をかけた。
 鍵はかかっていなかったようで、あっさりと開く。
 さあっと、涼しい風が正面から吹いてきて、栗色の髪を揺らした。
 サイラスは思わず目をつぶって、開く。
 そこには、見知らぬ青年が立っていた。

(おじい様の知り合いだろうか。それにしちゃ、ずいぶん若いけど……)

 明るい金髪に、グレーの瞳。
 背はさほど高くない。と言っても、もちろんジュニア生のサイラスよりは高い。
 尖った所のまるでない、柔らかい優しい面立ちは、初めて会うはずなのに何故か懐かしくさえある。
 彼は突然の闖入者であるサイラスに対し、憤る様子もなく、にっこりと笑った。

「こんにちは」

 挨拶されて、サイラスはようやく自分が黙ったまま相手をじろじろ見ると言う無作法をしていることに気付いた。
 顔をちょっと赤くして、慌てて挨拶を返す。

「こ、こんにちは……」

 サイラスがそう言った途端、大きく開けられた窓から、また風が入ってきた。
 どっしりとしたマホガニーの机から、紙が数枚吹き飛ばされる。
 サイラスは慌ててドアを閉め、絨毯の上に落ちた何かの書類らしき紙を拾って、青年に渡す。

「ありがとう」

 青年は書類を机に戻すと、飛ばされないように重石を乗せた。

「あの……、窓、閉めなくていいんですか?」

 重石を乗せるより、窓を閉めた方が早い。
 そう思ってサイラスが言うと、青年は眩しげに窓の外を眺めながら答えた。

「こんないいお天気の日には、窓を開けておいた方が気持ちいいから」

 窓からは風だけじゃなく、明るい日差しも降り注ぎ、ぽかぽかと暖かい。
 丹精込めて手入れされている庭の眺めも素晴らしく、風も清々しい若葉の香りがする。
 確かに、こんな日に窓を閉め切ってしまうのはもったいない。

「そうですね。でも、こんな日は部屋の中にいるより、外の方がもっと気持ちいいです」

 言ってしまってから、サイラスは生意気なことを言っただろうか、とちょっと後悔した。
 そんなことは言われなくてもこの人にだって、わかっているだろう。
 大人はそう思っているからって、やりたいようにできるとは限らない。
 きっとこの人は、ここで何か仕事をしていたのだろう。
 机の上には、書類の束がいくつも重ねられている。
 祖父に頼まれて、帳簿か何か、つけているのかもしれない……。
 怒らせてしまっただろうか、と思って青年を見たが、彼は相変わらずにこにこと笑ったままで、逆に尋ねてきた。

「君は? どうして外に行かないの」

 予想外の問いに、サイラスは戸惑って答えるまでにちょっと間が空いた。
 青年は黙って、サイラスの返事を待っている。

「それは……ひとりで行っても、しょうがないから。ベンは外に出られないし」

 この屋敷には祖父の他に、内孫で、サイラスの従兄弟のベンジャミンも暮らしている。
 彼の両親は事故で、従兄弟が幼いころに他界してしまった。
 そしてベンジャミンは身体が丈夫ではなく、こんな気持ちのいい陽気の日でさえ、外に出ることを禁じられている。
 学校にも行っておらず、代わりに家庭教師が勉強を見ている。
 当然、年の近い、友達と呼べるような存在はサイラスしかいない。
 サイラスは学校が休みになると、よくベンジャミンに会いに祖父の屋敷を訪れていた。

「君がひとりで外に遊びに行ったら、その子は怒るの?」
「怒らないよ。ベンは優しいから。むしろ遊んできてって言うけど……」
「けど?」

 気がつけば、大人相手だと言うのに、サイラスはすっかりくだけた言葉遣いになっていた。
 こんなところを祖父に見つかれば、叱られてしまうだろう。
 だが、青年はやはり気にした様子もなく、優しく促す。

「ベンに会いに来てるのに、ベンと遊べないんじゃ、意味ないよ」

 言葉にして、ベンは思いだして少しイライラしてきた。
 僕と一緒にいてもつまんないでしょう、とか。
 無理してこっちにこなくてもいいんだよ、とか。
 たったひとりの従兄弟にさえ、ベンジャミンは遠慮がちだ。
 祖父に厳しく躾けられているからなのかもしれないけど、ベンジャミンはもっとわがままを言ってもいいとサイラスは思う。
 無理さえしなければ、学校にだって通えないこともないはずなのに。
 我慢して、いつもさびしそうな顔で笑って。

「俺がやりたくて、やってることなのに……」
 
 今日だって、外で遊んできてって笑うベンジャミンに、家の中でなら遊べるだろうと言って、かくれんぼを始めたのだ。
 この屋敷は広いから、外に出なくったって、隠れる場所はたくさんある。
 そのくらいだったら、祖父もいい顔はしないけど、見逃してくれるから……。

「君は、その子のことが、好きなんだね」

 物想いにふけっていたサイラスの胸に、青年の言葉がすとんと落ちてきた。
 グレイの瞳が、サイラスを柔らかく見つめている。

「そうだよ。俺はベンが好きだ。一番、大事だ。なのになんであいつ、それがわかんないんだろう……」

 いつも言ってるのに。
 ベンジャミンが好きで、だから会いに来てるんだって。

「……不安なんじゃないかな。君はどこでも行けるのに、その子はここから離れられないから。だから、君に外で遊んできてもいいよって言うんだ。そうして、君を試しているのかもしれないね」
「試す……って?」
「そう言っても、君がその子と一緒にいてくれるか。試してるんだよ」

 僕のことは気にしないで。
 僕はここで待ってるから。
 そう言って、いつもベンジャミンは笑う。
 なのに、サイラスがベンジャミンと一緒にいる、と言うと、泣きそうな顔になるのだ。

「ばかだな……。試すくらいなら、行かないでって言えばいいんだ。そしたら俺、絶対、どこにも行かないのに」
「うん、そうだね。僕もそう思うよ」

 青年は自嘲するように笑うと、再び窓の外に視線を移した。
 弱い風が、青年の陽射しに透ける明るい色の髪を揺らす。
 そのどこかさびしそうな横顔は、やはり懐かしく、知っている誰かに似ている気がした。

(誰だろう? 思い出せない……)

 サイラスが内心首をかしげていると、閉めたドアの向こうからかすかに声が聞こえてきた。
 あれは、ベンジャミンが自分を呼ぶ声だ。

「すみません、邪魔してしまって……俺、行きますね。ベンとかくれんぼしてる途中だから」

 ドアノブに手をかけて、そう言うと、青年はおかしそうに笑った。

「かくれんぼしてるのに、隠れなくていいの?」
「ここ、初めてきた部屋だから。もしかしたら、ベンも知らないかもしれない」
「その方が、かくれんぼとしては有利だよ」
「そうだけど、ベンが俺を見つけられなかったら、不安になるから。もう少し、わかりやすいとこに隠れなきゃ」

 それを聞いて、青年は目を丸くして、ますますおかしそうに笑って、言った。

「君、ずいぶん、甘いんだねえ、その子に」
「そうですか……?」
「自覚がないなんて、相当だ」

 声をあげて笑う青年に、サイラスはなんだか居たたまれなくなった。
 それじゃ……と言って、急いでドアを開けて廊下に戻る。
 そんなに笑うようなことを言っただろうか。

「別に……普通、だよなあ?」

 小さく呟くと、ベンジャミンの声が聞こえる方へ向かって、サイラスは歩きだした。
 どこに隠れようか、と考えながら。


 チョコレート色のドアが開いた時、まだ彼は笑っていた。
 ドアを開けて入ってきた栗色の髪の青年は、笑い続ける彼を不思議そうに眺めた。

「何、ひとりで笑ってるんだ」

 笑いすぎて涙の浮かんだ目で、彼は何も言わずに微笑んだ。
 窓から強い風が入って来て、子供の頃より色の濃くなった金色の髪をさらう。
 青年は慌てて窓辺に近寄ると、大きく開いていた窓を閉めた。

「いくらいい天気だからって、こんなに風が吹く日に、窓を開けすぎだ。風邪を引くぞ」
「大丈夫だよ。君は相変わらず、心配性だなあ」
「そう言ってお前、こないだ寝込んだだろうが」
「あれは……たまたまだよ。あったかい日が続いてたのに、急に寒くなったから」
「昔に比べて丈夫になったからって、無理するからだ」

 青年は苦笑して、彼の髪を子供のように撫でた。
 くすぐったそうに笑って、彼はグレイの瞳で青年を柔らかく見上げた。

「ほんとに……サイラスは昔から、僕に甘いよね」

 サイラスはきょとんとした顔でベンジャミンを見て、当たり前のように言った。

「そうか? 別に……普通だろ」


Fin. 


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