064: 狐の嫁入り



 よく晴れた空の下で、ライスシャワーが雨のように降り注いでいる。
 その下を、幸せいっぱいの笑顔を浮かべた新婦と、どこか照れくさそうな新郎が歩いていく。
 さっきは、花嫁が投げたブーケを、きゃあきゃあ言いながら女の子たちが手を伸ばして、受け取ろうとしていた。
 ブーケをキャッチした、あれは誰だっけ?
 確か、営業3課の子だったと思うんだけど……。

「よお。来てたんだ、高見」

 少し離れた場所から、新郎新婦の様子を見ていた俺の背中を、ぽんと叩く手があった。
 振り向くと、学生時代からの腐れ縁の、沢木がいた。

「てっきり、欠席するのかと思ってたよ」
「アイツのはれの日だぞ。来ないわけないだろう」
「ふうん……」

 素直に答えたのに、なんだか疑っているような、胡散臭いうなずきが返ってくる。
 俺はそれを聞かなかったことにして、再び視線を戻した。
 参列者のお祝いの声が、ここにいても聞こえてきた。
 おめでとう、おめでとう。
 お幸せに。
 そんな、たくさんの声が。
 そのひとつひとつに、ありがとうと応える、幸福そのもののカップル。

「来るんなら、ぶちこわすのかと思った。ほら、ふる〜い映画にあるだろ。内容よく知らないけど。結婚式の日に、教会に乗り込んで花嫁強奪するヤツ」
「アホか。なんでそんなことしなきゃなんねーんだよ、俺が」
「だって、付き合ってたんだろう、お前ら」
「………」

 沢木は、俺が、真っ白なドレスを着た花嫁……の、隣に立っている男と、付き合っていた事実を知っている、数少ない人間の一人だ。
 だから、それが過去のものであることも、当然知っている。

「……もう、終わったことだから」

 そう、俺とアイツは、とっくに終わった仲だ。
 そのことに、あそこで可愛い笑顔を見せている今日の主役の一人である女性は、関係がない。
 それが、唯一の救いだと思った。

「でも、まだ好きなんじゃねえの?」

 ちくしょう。
 言いにくいことをズバリと斬りこんできやがって。
 これだから、腐れ縁はたちが悪い。
 なまじ付き合いが長くて、色んな事を知られているから、しらばっくれることも出来ない。

「好きじゃないよ」

 それは、多分に強がりを含んだ言葉だったが、まるっきりの嘘と言うわけでもなかった。
 一年間という、長いような短いような交際期間を経て、俺はアイツと別れた。
 お前の事は好きだけど、先の保証が見えない関係を、これからも続けていく自信がない、と言われた時、返す言葉が見つからなかった。
 保証、ってなんだ?
 結婚して、籍を入れて、法的に認められる関係になること?
 そんなの、日本の法律が変わりでもしない限り、不可能だ。
 それとも、周囲の誰にでも、自分たちの関係を隠さずオープンに出来ること?
 友人はわかってくれるかもしれないが、親兄弟親戚、会社の連中まで認めてくれるかと言うと、それは微妙だろう。
 即、クビになることはさすがにないだろうと思いたいが、会社にいづらくはなるかもしれない……。
 お互いを好きだ、という気持ちだけで、俺はこれからも付き合っていけると思っていたけど、それは俺だけだったらしい。
 はっきりとした、目に見える保証を求められたら、どうしようもできない。
 俺は、アイツを引きとめることは、できなかった……。
 そうだ、アイツとは嫌いになって別れたわけじゃない。
 だが、今でもあの頃と同じ気持ちかと言えば、それも違った。
 繰り返される日常の中で、気持ちも少しずつ、変化していったのだろう。
 
「ほんとに?」

 なおも、疑わしそうに沢木が問うのに、俺は苦笑して答えた。

「本当だよ。アイツが幸せそうで……ほっとした」

 正直、ここにくるまで、自分がどういう気持ちになるのか、わからなかった。
 悔しくなるのか、悲しくなるのか、辛くなるのか。
 実際は、そのどれでもなかった。
 不思議なくらい、穏やかな気持ちで、アイツの門出を見送っていた。

「アイツは、こんな風に、たくさんの人から祝福されるのが、似合ってるんだよ」

 照れくさそうに、でも隠しきれない喜びが、アイツの顔にはあらわれていた。
 アイツの言ってた、保証、っていうのは、きっとこういうことなんだろう。
 それは確かに、俺がアイツに与えられないものだった……。

「無理して、ない?」
「……してないよ」

 心配そうに聞かれて、俺は笑って否定した。
 昔、一時でも付き合っていた人が、幸せになるのを、素直に祝福することができて、良かったと思ってる。
 それは嘘じゃない。
 ほんの少し、胸がツキンと痛んだが、それも今だけだ……。

「雨だ……」

 雨のように降っていたライスシャワーが止んだと思ったら、本当の雨が降って来た。
 空は明るく晴れているのに、小雨がぱらついている。

「知ってるか、高見?こういう天気雨を、狐の嫁入り、って言うんだ」
「へえ……」

 見えないどこかで、狐の花嫁行列が進んでいる、と想像したらちょっと楽しくなった。
 お天気雨は、さしずめライスシャワーの代わりだろうか?

「俺は、涙雨にも思えるけどね。高見、お前の」
「俺は泣いてなんかないよ」
「泣けばいいのに」
「いやだね」
「可愛くねえの」
「沢木に可愛いなんて思ってもらわなくて結構だ」
「ますます、可愛くない」

 そんな他愛もないことを言い合ってるうちに、雨は止んだ。
 狐の花嫁行列は、もう通り過ぎてしまったのだろう。

「さて。近くに行って、幸せな新郎をからかってくるかな」
「……高見」
「なんだよ?」
「次は、俺が立候補してもいい?」
「は……?」
「今、フリーなんだろ。俺もたまたまフリーなんだよ。どう?」
「……ばーか」

 素っ気なく言って、参列者の方へ歩き出した。
 俺、結構本気だよ、と背中から声が追いかけてくる。
 見上げた青い空に、白い小さな雲がふたつ、仲良く並んで浮かんでいる。
 気ままな風に、少しずつ流されながらも、寄り添うようにつかず離れず、漂っている。
 明日の保証なんて、どこにもなくても、きっと幸せになる、上手くゆく、と何の根拠もなく思った。

「沢木も、早く来い。新郎新婦が旅立つぞ」

 立ち止り、振り返って、沢木を手招く。
 沢木がのんびりと近づいてきて、俺の隣に並ぶ。


 今日は、まことにめでたい、はれの日だ。


Fin. 


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