065: 兄弟



 青旗党に入ったのに、深い意味なんてねぇ。
 ただ腹いっぱい飯が食えるって聞いたから。
 あの頃の俺はいっつも腹が空いてたし、それは俺だけじゃなかった。
 誰が正しい皇帝かなんて、そんなこと俺にはどうでもいい。
 とりあえず、飯。それだけだった。
 俺は喧嘩っぱやくはねえけど、腕っ節はそこそこ強かったし、逃げ足も結構速い。
 負け戦の時、幹部を担いで逃げたことがあって、その功績だかなんだかで、肩書きなんかも付くようになった。
 俺は別に、飯さえ腹いっぱい食えれば、下っ端の兵で全然構わねえんだけど。
 って、兄貴に言ったら、お前らしいなって笑われた。
 兄貴ってえのは、本当の兄貴じゃない。
 青旗党で出来た、義兄弟だ。
 担いで逃げたのがきっかけで、親しく話すようになって、それで頼み込んで弟にしてもらったんだ。
 兄貴は反乱軍なんてモンにいるのがちょっと信じられないくらい穏やかな、落ち着いた人で、こんな戦に参加してるよりも、琴を奏でたり詩を詠んだりする方が百倍も似合う人だった。
 そんな兄貴みたいな人でさえ、巻き込まれざるを得ないのが、戦ってヤツなんだろうな。
 ガサツなお前がなんで利口な兄貴に懐いてんだよって、故郷が一緒のヤツに笑われたけど、大きなお世話だ。
 俺は兄貴が笛を吹いたり、俺にはよくわかんねえ詩を詠んでたりするのを見るのが好きだった。
 男ばっかりの野営地でも、兄貴の周りにはいつも涼しい風が吹いてるみたいだった。
 それをお高くとまってるとか、近づきがたいとか言うヤツもいたけど、俺は兄貴の静かな横顔を眺めてるだけで、なんだか幸せな気持ちになれたんだ。
 お前は変な奴だなって、兄貴にも笑われたけどな。
 とにかく俺は、兄貴と一緒にいられたら、それだけでよかったんだ。
 今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。
 それでも飯はちゃんと食えてるし、兄貴はそこにいる。
 俺は、それだけで、よかったんだ。
 なのに―――――。


「嘘だろ、兄貴。なあ、嘘だって言ってくれよ」

 敵兵ではなく、兄貴に向かって刀を突き付けていることが、信じられなかった。
 これが悪い夢ですむんだったら、俺は十年、空っき腹を抱えて過ごしたっていい。
 だって、そうだろ。
 兄貴は俺がこの青旗党に来る前から、幹部で、党を引っ張ってく立場で、それで……。

「すまない」
「なっ……!どうして謝るんだよ、兄貴!?おかしいだろ、こんなの!!」
「………騙していたんだよ、私は。お前を。お前たちを」
「嘘だ!そんなの、嘘だ!」

 嘘だ、信じない、と叫びながら、頭の片隅で、兄貴は本当のことを言っているんだと、わかっていた。
 兄貴は、俺から目を反らさない。
 その目は、俺に詫びていた。

「なんで……」

 叫び疲れた俺は、途方に暮れてつぶやいた。
 作戦を立てていたのは兄貴で、それはもちろん、失敗することもあったが、成功することの方が多かった。
 個人的な好悪はともかく、兄貴は党の誰もに一目置かれていた。
 そんな兄貴が、どうして、なんで前皇帝側の人間なんだよ……っ!?

「……私の一族は、代々皇帝の傍近くで仕えていてね。父も、祖父も、並々ならぬ恩を受けている。それはたとえ、世の流れが変わろうとも、変えてはいけないんだ」

 淡々と、兄貴は語った。
 こうするより他に、道はないのだと言うように。

「兄貴は……っ、兄貴は、それでよかったのかよ……っ!?」
「ああ、そうだ」

 迷いなく即座に返って来た言葉は、兄貴の嘘を隠せなかった。
 わずかにかすれた語尾から、兄貴の逡巡が垣間見えた。
 それは兄貴の真実ではなく、兄貴の一族の真実だ。
 だけど、それをここで指摘することに、一体何の意味があるのだろう……。

「なあ、今からでも、遅くないんじゃないか?今から、本当に、青旗党の一員になれば、それで……」

 兄貴が前皇帝側の者だと言う事は、党内でも今はごくわずかな人間しか知らない。
 敵側と文をやり取りしていたことが幹部連中の一人にバレて、それが俺に知らされたのは、つい先ほどの事だ。
 その時の、お前も仲間なのか、という問いかけは、すぐに違うな、と苦笑とともに否定された。
 俺がみっともないくらい、動揺していたからだろう。
 知ってたら、こんなに驚くわけがない。
 お前も知らなかったのか、という言葉が、鋭い刃のように胸に突き刺さった。

「……無理だよ。わかってるんだろう?だから、お前は、ここにいるんだ」
「違うっ!」

 違わなかった。
 せめて、弟分であるお前が始末をつけろ。
 他の誰かに、兄と慕った者を殺されるのは嫌だろう。
 そう、言われて、俺は、兄貴の元へと走った。
 そうしないと、すぐさま、兄貴が殺されてしまうんじゃないかと、怖くて。

「一瞬で、終わらせてくれよ。……痛いのは、苦手なんだ」

 いつもと変わりないような、穏やかな笑顔で、そんな残酷な事を俺に言わないでくれよ。
 刀を握りしめる手が、汗ですべりそうになって、ぎゅっと握りしめた。
 この刀で、俺が、斬るのか?兄貴を?
 冗談だろう……。

「さあ、早く。あんまり遅いと、お前に迷惑がかかる」

 刀を突き付けられたまま、兄貴は俺を促す。
 しょうがないヤツだな、とでも言いたげな様子で。

「そ……んなこと……っ!出来るわけ、ねえだろっ!?」

 刀を、地面に放り投げた。
 ごつごつした石だらけの地面にあたって、刀がカツンと音を立てた。
 この刀は、敵を斬るためのものだ。
 だから味方を斬ったりは、しない。
 まして、俺の兄貴を斬ったりなんて、絶対、しない……!!
 
「刀を乱暴に扱うな。刃こぼれするぞ」

 兄貴は、落ちた刀を拾って、仔細を眺めた。
 刀はどこも、損ねてはいなかった。
 柄の方を向けて、俺に差し出す。

「ほら、受け取れよ」
「嫌だ……っ!」

 俺は、手を後ろに回して、拒否した。
 何を望まれているのか分かっていて、それを受け取ることなんて、できるわけねえだろ!?

「兄貴を殺さなきゃいけないくらいだったら、俺が死んだ方がましだ!」

 そうだよ。
 それなら、兄貴が俺を斬ればいいんだ。
 俺を斬って、兄貴が逃げればいいんだ。
 そうまくしたてると、兄貴は困ったように笑って、首をかしげた。

「私はお前ほど足も速くないし、馬の扱いにも長けていない。遅かれ早かれ、いずれ捕まるだろうよ」
「そんなこと、やってみなきゃ、わかんねえだろ!」

 むきになって主張しても、兄貴はただ笑うばかりだ。
 自分が無茶な事を言ってるのはわかっていたが、兄貴が目の前で死なないですむんなら、なんでも試したかった。

「仕方ないヤツだ、お前は。……そういうところ、好きだけどね」
「だったら……!」
「でも、無理なものは無理だ。だが、そうだね。お前に私を殺させるのも、あまりに慈悲がないというものなのだろう……」

 兄貴は、刀を持ちかえた。
 そして、自分の腕を、斬った。

「兄貴、何を……っ!?」

 驚いて、動くことさえ忘れた俺の前で、兄貴は続けて髻を切った。
 バラバラと、乱れた髪が兄貴の頬を隠した。

「何もない、では、向こうも信用しないだろう。これを持って行きなさい。死体は……そうだな、川に流したことにでもしてしまえばいい」
「兄貴……」
「私は、行くよ。お前には、私を殺すことはできないし、私も、お前を殺して逃げるなんて、出来ないからね」

 このあたりが妥協点だろう、と兄貴は普段通り、何でもないような口調で告げた。
 それで俺は、ようやく我に返って、髪と、まだ赤い血が滴る刀を受け取った。

「……では、な」

 兄貴は、あっさりと、歩きだした。
 陣営がある場所とは、反対の方向へ。

「あ、兄貴、俺……っ!」

 少しずつ、遠ざかって行く背中に、俺は叫んだ。
 兄貴は俺の声に振り返り、立ち止ると、ちょっとだけ笑ってうなずいて、また歩き出した。
 俺は何かを言わなくちゃいけないと焦って、でも結局、何も言う事が出来なかった。
 俺も付いていく、と言っても、兄貴はきっと許してはくれなかっただろう。
 ねだって、ねだって、ようやく、義兄弟の契りを交わした。
 あれが、兄貴が折れた、唯一のことだったんだ。

「兄貴……っ!!」

 手のひらに残った、兄貴の髪を握りしめた。
 ほんのわずかに、兄貴の匂いがするそれを、俺はいつまでも、握りしめていた。


 それから、数年。
 戦はまだ、終わらない。
 だが、前皇帝は死に、王朝は完全に滅んだ。
 誰が新たな玉座に座るのか、それはまだ誰にもわからない。
 あの時、血に濡れた刀と髪を渡された幹部の一人は、何も言わなかった。
 兄貴を逃がしたのかとも、聞かれなかった。
 真意はわからねえけど、そんなこと、それこそ俺にはどうでもいいことだ。
 俺の、目の前から、兄貴がいなくなった。
 それはどうやっても変えられない、真実なのだから。

「兄貴………」

 あの時の髪は、守り袋に入れて、いつも肌身離さず持っている。
 袋の上から、そっと手を置いて、少しずつ薄れていく兄貴の面影に話しかける。
 どんな想いで、この髪を俺に渡したのか。
 本当にただ、殺した証拠としてだけのものだったのか。
 俺は、そうじゃないんだと、思いたい。
 この、戦が、終わったら。
 そうしたら、兄貴を探しに行こう。
 戦がなくなっちまえば、恩だなんだのなんて、もう、関係ねぇだろ?
 そうしたら、きっと、また、兄弟に戻れる。
 いや、違う。
 俺たちは今も、今だって、ずっと、兄弟だ。
 
「俺の兄貴は………だけ、なんだ」

 腹いっぱい飯が食えて、俺の隣に、兄貴がいる。
 俺は、それだけでよかったんだ。
 それだけで、いいんだ――――。



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