「先輩。寮の四階の開かずの間に、出るって……、知ってますか?」
もうすぐ夏休みも始まろうと言う中途半端な時期に、親の仕事の都合で寮に入らなきゃいけなくなった僕は、二年生と同室になった。
通常、寮の部屋割は同学年同士になるものだけど、空きがなかったんだから仕方ない。
先輩と一緒なんて、気づまりじゃねえ? なんて聞かれることもあるけど、特にそんなことはなかった。
笹見先輩は、同室の下級生に絡んでくるような人じゃない。
寡黙というか物静かというか(って、どっちも同じ意味か)、僕が先に部屋に戻ってきたときなんか、いつの間にか先輩が部屋の中に出現していて、びっくりすることがあるくらいだ。
かといって、とっつきにくいのかと言えば、そう言う事もなく、話しかければちゃんと返事がくる。
勉強を教えてくれたりはしないけど、頼めば、去年のノートを貸してくれたりもする。
今さら、他人と共同生活なんて……と思っていた僕にとって、笹見先輩はありがたい同室者だった。
「………ああ、四階の幽霊のことか」
夕食も風呂も終わって、就寝まではまだすこし時間がある頃。
明日の予習も終わって、ちょっと手持無沙汰になった僕は、笹見先輩に今日の昼休みに仕入れたばかりの噂をふってみた。
先輩は読んでいた本から顔をあげて、あっさりとうなずいた。
「なあんだ。知ってたんですね」
どっちかといえば、噂話には疎そうに見えたから、知らないかな、と思ったのに。
知ってるなら、無理かなあ……。
「それが、どうかしたのか?」
「いえ、ホントに出るのかどうか、見に行こうかと思って」
一緒に行きません?
って、言おうかと思ったんだけど……。
そりゃ、先輩はこういうことには興味なさそうだけど、言ってみなきゃわかんないよね?
万が一、ってこともあるし。
「………見に、行かない方が、いいと思う」
先輩は一緒に行くどころか、行くこと自体を止めてきた。
意外だ……。
確かに興味はなさそうだとは思ったけど、だからって、他人の行動を止めてみたりとかはしないタイプだと思ったんだけどなあ……。
「どうしてですか?」
首をかしげて僕が尋ねると、笹見先輩はちょっと困ったように眉をかすかにしかめてから、そうだな、と言った。
「相川が気になるのだったら、一度……確認してみるのも、いいかもしれない。寮生なら、ほとんどが知っていることだし」
そして、お薦めはしないけどな、と最後に付け加えた。
「え。寮生はほとんど知っている怪談噺なんですか!?」
驚いて問い返すと、先輩は苦笑して頷いた。
「怪談……とは、ちょっと違うかもしれないけど………」
口を濁す感じで、先輩は言った。
えー! そんな言い方されたら、無茶苦茶、気になるじゃないか!
僕は机の上に置いている電波時計をちらりと見た。
就寝には、まだもう少しだけ、時間がある。
……けど、こんな時間には幽霊は出ないだろうからなあ。
「じゃあ、就寝の点呼が終わった後、日付が変わってから、ちょっとだけ抜け出すんで、笹見先輩、目をつぶっててくれませんか?」
「ああ……、いいよ」
そんなわけで、僕は一人で、寮の幽霊とやらを確認することにしたのだった。
廊下をこっそり、音を立てないようにあるいて、僕は無事、寮の自分の部屋に戻ってきた。
二段ベッドの上で、笹見先輩が起き上がる気配がした。
僕は恨めしい思いで、先輩に言った。
「笹見先輩………。知ってましたね?」
「ああ。知ってた」
「それなら、なんで教えてくれなかったんですか〜〜!?」
結論から言うと、四階の開かずの間に、幽霊はいなかった。
幽霊はいなかったけど、別の物、いや……別の人々なら、いた。
「あの部屋がカップルの逢引部屋になってたなんて……!」
「逢引なんて、相川は古めかしい言い方をするんだな」
「変なところで感心しないでください! っていうか、ここ、男子寮ですよね!? 女子寮は、学校挟んで反対側ですよね! 簡単に行き来出来ないですよねッ!?」
「まあ、来ようと思えば来られなくはないが。寮監の先生の目をごまかすのは厳しいだろうな……」
ってことは、やっぱり。
あの部屋に居たのは、まぎれもなく、男同士というわけで……。
「一体どうして……!?」
僕のその叫び(夜中なんで、もちろん声は抑えていたけど)は、特に問いかけではなかった。
が、いつの間にかベッドから降りて僕の傍に来ていた笹見先輩は、それを自分に尋ねられたと思ったのか、律儀に答えてくれた。
「自然の摂理、ってヤツじゃないのか?」
「…………。どんな自然なんですか………?」
男子寮の空き部屋で、夜更けに、その……とてもじゃないけど言葉にできないような事を! する、どの辺が『自然の摂理』だと!?
「ひとつ。あの部屋は、鍵が壊れていて普段使われていないが、ちょっとしたコツがあれば、簡単に開く事。これは、寮生なら、誰もが知っている」
「僕は知りませんでした……」
「相川は、まだ寮に入ったばっかりだからな。たぶん、一年でも知らないヤツはいるんじゃないか?」
「そうですか……」
「ふたつ。だから、あの部屋は、昔から――いつからかは知らないが、まあ、相当前からだと思う。部屋の調度がそれなりに古びてるからな――寮生の秘密の部屋として使われてきた。それこそ、相川流に言うと、逢引だったり、こっそり寮生以外のヤツを泊めたりとかな。もちろん、他言無用ってことで」
「あのう……。あの部屋が、寮生の秘密の部屋だってことはわかりましたが、自然の摂理ってことにはどうやったらなるんですか?」
便利な部屋だってことは、わかったけどさ。
笹見先輩は僕を見て、ふっと笑った。
それが妙に色っぽく感じて、僕はドキッとした。
や、やだな……! もしかして、さっき四階で見てきた、というか聞いてきたたことを引きずってるんじゃないだろうな、僕。
「みっつ。手っ取り早くヤれる場所があるんだったら、使わない手はないってことさ。だから、自然の摂理」
「いや、それ全然、説明になってませんから……」
ここが男子寮であることとか!
そう心の中で突っ込んだ台詞が、先輩に届いたのだろうか。
先輩はいつもと変わらないさらりとした口調で、何でもないように僕に尋ねた。
「何? 相川は、どうしても、女じゃないとダメなわけ?」
「そ、それは……」
いや、大多数はそうだと思うんですけど!
と、思ったのに、何故か口にはできなかった。
普段、そんな事を考えて見たこともなかったし。
それに先輩の口から問われると、そんなことにこだわる方がどうかしている、という気になるっていうか……。
「どうでしょう……?」
僕はおそらく、困り果てたような顔で、先輩を見上げていたのだと思う。
笹見先輩は、くすりと笑うと、僕の頬に手を伸ばした。
「……なら、試してみる?」
「え……」
どういう意味ですか、と尋ねる間もなく、顔が近づいてきて。
とっさに、目をつぶった。
唇に一瞬、何かが触れて、すぐに離れていった。
「どうだった……?」
目を開けると、やけに至近距離に先輩の顔があって、囁くように尋ねられた。
僕は、ただ、ぼうっとして、馬鹿みたいに、笹見先輩を見つめ返していた。
「よく……、わかりません」
「だったら、もう一度。試してみようか」
そう言って、先輩は僕の返事を待たずに、唇を押しつけてきた。
ああ、さっき触れたのは、先輩の唇だったのか……。
って!
え、なんで僕、笹見先輩にキスされてんの!?
鈍っていた頭が、ようやく動き出したのはいいものの、すっかりパニック状態で、僕は先輩を突き飛ばす事も出来ずに、黙ってキスされていた。
短いような長いような時間が過ぎて、先輩の唇が離れて言った時は、呆然としていた。
そんな僕に先輩は、やっぱり、いつも通りの様子で言った。
「相川、イヤだった?」
静かに尋ねられて僕は回らない頭のまま、首を振っていた。
「……イヤ、では、ないです」
イヤかイヤじゃないかで聞かれたら、イヤではなかった。
それが女の子じゃなくても、ということなのか。
それとも笹見先輩だっかたら、ということなのかは……まだ、よくわからないけど。
「そう。よかった」
笹見先輩は、そう言うと、三度僕に唇を寄せてきた。
今度こそ、僕は先輩の胸を手で押し返しながら、言った。
「ええと……! あの、ここは秘密の部屋じゃないんですけど!?」
僕の言葉に先輩は目を丸くしてから、ふっと笑った。
「馬鹿だな。同室者同士が、そんなとこ、使う必要はないだろ。それに、今は使用中だ」
「あっ、そうですね……」
それで話は終わりとばかりに、僕は口をふさがれた。
小さく吸いこんだ息の合間から、先輩の舌が、入ってくる。
シャツの裾を割って、先輩の手が、僕の素肌に直接触れてきて……。
ますますぼうっとして何も考えられなくなっていく、頭の片隅で。
これも自然の摂理、ってヤツなんだろうかと、僕はぼんやり思っていた。
Fin.
Copyright(c) 2011 all rights reserved.