076: 封印



「叔父上っ!『コレ』はどういうことですかっ!?」

 砂色の髪にはしばみ色の瞳を持つ、少年と言っても差し支えないくらいの若い男が、旅装のマントを翻す勢いで、森の奥深くにひっそりと建つその家に入ってきたのは、朝早くのことだった。

「リィン、叔父上、ではなく、兄上、または師匠と呼びなさい、といつも言っているだろう」
「……わかりました、師匠。では、尋ねます。『コレ』は、一体、どういう事態なのでしょうか」

 兄上の方が良いのに、と「師匠」と呼ばれた、少年よりも10ほど年かさで、明らかに血縁であるとわかるくらいに似通った男の顔には書いてあったが、リィンは当然、見なかったことにする。
 それより何より、今はこの事態の説明を聞かなくてはならない。
 たった今、リィンは、叔父でもあり師匠でもある、フォルネリの元に、初仕事を終えて、帰ってきた。
 が、1人ではなかった。
 出かけたときは1人だったが、今は後ろ、いや正確には背中にはりつく形で、もう1人、いた。

「何を怒ってるんだ?メリーウィル」

 おんぶおばけのように、リィンにくっついている、一見ただの(と言うには、ずいぶんな美形だったが)黒髪の青年。
 それは………、

「おや。もしかして、とは思ってたけど。本当に、解けちゃったんだね、封印」
「もしかしてって、何ですか師匠!『コレ』をわかってて、僕を行かせたんですか!?何考えてんですか!魔物ですよ、『コレ』はっ!!」

 そうなのだ。
 リィンが連れ帰ってきた青年、それは今の世ではもう、存在しないと思われている、魔物、それも人の姿を取ることができるほどの『高等魔物』だった。


封印―――800年目のメリーウィル―――



 リィンは、暗い洞窟の中を、小さな手燭を頼りに奥に向かって進んでいた。
 洞窟の中は、外よりもひんやりとしているが、リィンの手は緊張のために汗ばんでいた。
 これが、初仕事なのだ。
 洞窟の奥に納められている、壺の封印を確認すること、それがリィンの仕事だ。
 封印された魔物が万一にも外に出てこないように、かけられた『封呪』がゆるんでいないか、もしゆるんでいたら改めて『封呪』して封印し直さなければならない。
 フォルネリは、簡単な仕事だと言った。
 お前の初仕事にはぴったりだよ、と。
 かけられた『封呪』は強力で、まずゆるむことはない。
 ただ、そこにちゃんと、封印された壺があるのを、見てくれば良いだけなんだ。
 簡単だろう、と。


 魔物、と呼ばれる、人に害をなすモノが溢れていた時代は、すでに遠い。
 だが、かつてはそこら中に魔物が蔓延り、弱き人々を襲っていた。
 人間が、魔物に対抗するすべはなく、ただ隠れ暮らすのみだった。
 しかし800年ほど昔、『メリーウィル』と言う男が現れてから、状況は一変した。
 メリーウィルは、魔物を封印する事が出来たのだ。
 それは、彼と、彼の一族にしか行えない『術』だった。
 そのことで、メリーウィル自身が魔物と通じているのではないかという噂もあったが、魔物に怯えずに済むようになったことを、ほとんどの人々は歓喜した。
 魔物の脅威から解放された人々は、森を切り開き、住む場所をしだいに増やしていった。
 それに対し、魔物の数は少しずつ、減っていき、やがては人々の目には映らなくなった。
 魔物たちは、闇の奥に帰ってしまったのだと言う者も、メリーウィルの一族が封印しつくしてしまったのだと言う者もいたが、実際のところはわからない。
 ただ、多くの人々にとって『魔物』が、遠い昔の、おとぎ話に過ぎなくなったことだけは、確かだ。
 メリーウィルの一族は、その功績をもって貴族に叙せられ、今の世にも続く名家となった。
 だが、彼らが、かつてのように『魔物』を封印することは最早ない。


 ………と、この国に住む、ほぼすべての人々は思っている。
 それもそのはずだ。
 封印するべき、『魔物』自体が居ないのだから。
 だが、メリーウィルの持つ『術』は、魔物を倒すものではなく、封印を施すものだった。
 ということは、人間に害をなさないというだけで『封印された魔物』は存在することになる。
 封印された魔物のほとんどは、長く封印されることで弱体化し、いずれは無に帰り、消えてしまう。
 魔物は人間よりもはるかに長い命と強大な力を持っていたが、それでも不死の存在ではない。
 『封呪』さえしっかりかかっていて、きっちり封印されていれば、問題はない。
 それでも中には、『封呪』が甘く、封印が解けないまでも、魔物の影響が外へとにじみ出してしまうものがあった。その影響は、日照り、または長雨などを起こす場合がある。
 よって封印すべ存在がなくなってしまっても、メリーウィルの一族は、『封印された魔物』を確認して回る必要があった。
 それはごく一部、魔物の存在と共にすっかり薄くなってしまった、メリーウィルの『術』の力を、強く持って生まれた子孫らによって、人知れず、ひっそりと行われていた。


「あった……」

 思っていたよりも小振りな、片手に乗ってしまいそうなくらいの壺が、洞窟の奥に、ぽつんとあった。
 暗い洞窟の中にあって、それはほんのりと、青白い光を放っていた。
『封呪』の光だった。
 こんなにはっきりと光が確認できるのだから、フォルネリの言っていた通り、強力な封印なのだろう。
 これなら『封呪』し直すこともない。
 リィンは、ほっと、息を吐いた。
 張りつめていた気持ちが、ゆるんでいく。
 すっかり気楽になったリィンは、かがみこんで改めて壺を見た。
 古そうな壺だけど、綺麗な壺だった。
 壺の表面には、細かい文様が見える。

「すごい……。これ全部、『封呪』だよな」

 文様のように見えるのはすべて、『封呪』だった。
『封呪』とは、唱えることで魔物を封印することが出来る、呪文のようなものだ。
 メリーウィルがそれをどうやって見つけたのかは、伝わっていない。
 そして、メリーウィルの一族の者以外が唱えても、効力を発揮しない。
 強力な『封呪』で魔物を封印すると、封印に使った入れ物、壺や箱などには、職人が刻んだような、凝った文様が浮かぶのだ。
 この文様の浮かび方から見て、ここに封印された魔物は、かなり力の強い魔物だったのだろう……。
 リィンは、そっと手を伸ばして、『封呪』の文様に触れてみた。

「えっ……!?」

 さらさら、と。
 まるで、砂が崩れ落ちるように、文様がほどけた。
 解けることなど、万が一にもあり得ない、と思われた封印が、リィンの目の前で、あっさりと、悪夢のように解けていく。
 壺の蓋が、カタン、と落ちた。
 霧のような、靄のようなものが、壺から出てくるのが、手燭のわずかな明かりでかろうじて、判明できた。
 リィンは、ごくりとつばを飲み込む。

(どうしよう……)

 かつて、祖先たちは恐ろしい魔物と相対し、『封呪』の術を使い、封印してきたのだという。
 だけど、魔物の居ない、今を生きるメリーウィルの末裔である自分は、魔物を封印したことなどない。
 そもそも、リィンはこれが初仕事なのだ。

(簡単な仕事だって言ってたのに。叔父上の嘘つき……!)

 ちょっとさわっただけで解ける封印なんて、聞いたこともない。
 霞の向こうに、影が見えた。
 と思うと、それはみるみる、人の形を取っていく。

(人の姿の魔物って……高等魔物じゃないか!最悪っ。僕、ここで死ぬ運命なのか!?)

 己の不運をリィンは嘆いた。
 いや、自分だけで済むのならまだいい。
 この魔物が、村や町へ出てしまったら、どうなることだろう。
 たとえ出来なくても、なんとかして、封印しなければならない。
 リィンだって、メリーウィルの末裔だ。
 きっとやればれきるはず。
 いや、やるのだ。
 そんな風に、リィンが悲壮な決意を固めていた中で、魔物はすっかり、『封呪』から解放されていた。
 それはすらりと背の高い、青年だった。
 男としてはやや長めの髪の色は黒く、瞳は月のような金色で、美しく整った顔をしている。
 今では書物でしか見ないような、古めかしい、袖や裾の長い青い服を着ていた。
 リィンは、『封呪』の言葉を唱えるのも忘れて、思わずその魔物に見とれていた。

(なんて、美しい魔物だろう……)

 そう、暢気にリィンが思っていられたのも、そこまでだった。

「メリーウィル!!やっと帰ってきたんだな!?」

 目の前の美しい魔物は、そう叫ぶと、いきなり抱きついてきたのだ。


 それからは、何を言っても無駄だった。
 自分はお前の言う『メリーウィル』ではない。
 『メリーウィル』とは、そもそも『封呪』を施すことが出来る者を指す言葉でもあるのだ。
 初代にちなんで、そう呼ばれている。そういう意味では、リィンも『メリーウィル』だし、叔父のフォルネリも『メリーウィル』である。
 だがどうやらこの魔物は、そんな大分類でリィンを『メリーウィル』と呼んでいるのではなさそうだ。
 恐ろしいことに、個人名として呼んでいる。
 それの指す者は一つしかない。
 そう、今では貴族として栄えている、リィンたち『封呪』の術を持つ一族の祖、伝説のメリーウィル、その人だ。
 術の力を受け継いだ、数少ない子孫の1人として、祖先の縁のものを目出来る事は、ちょっと、いやかなり感激する事だろう。
 ただしそれは、害のないものに限るし、まして祖先その人に間違われるなんて問題外だ。
 お前の言うメリーウィルはもう居ないんだよ、いいや、お前はそこに居るじゃないか、という問答をイヤになるくらいその場で繰り返し、到底埒があかないと判断したリィンは、仕方なくフォルネリの元へ戻ることにしたのだ。
 不本意きわまりないことに、美形魔物を、背中に貼り付けたままで。


「解けることのない封印だったのは、本当だよ」

 フォルネリは、リィンと魔物を、同じようにテーブルにつかせると、温かい香草茶を淹れた。
 黒髪の青年は、くんくんとお茶の匂いを嗅いでから、普通の人間のような仕草で、カップを傾けお茶を飲んだ。
 それを横目でちらりと見てから、リィンもお茶を飲む。
 少し癖のある味だが、リィンの一番好きなお茶だった。

「でも、現に解けたじゃないですか。僕はちょっとさわっただけですよ。あれだけのことで解けるなんて、そうとう、『封呪』がゆるんでたってことじゃないですか」
「いいや、それは違うね」

 フォルネリは、自分用には違うお茶をついで、テーブルを挟んで、リィンの向かいに座った。

「私がさわっても、『封呪』がほどけることはなかっただろう。あれは、お前だから、ほどけたんだよ」
「……どういう、ことですか?」
「なに、簡単な話だ。一定以上の『魔力』を持つ者が触れると、封印が解けるようになっていたんだ」
「魔力……!?」
「おや、リィンは知らなかったのかな。私たち一族のみが何故、魔物を封印する『術』を持つのか。それも、他の人間には真似することが決して出来ない、力を。それは魔物の持つ『魔力』と同じモノだからなんだよ」
「〜〜〜っ!!知りません、ってか、聞いてません!」
「あれ、言ってなかった?いやね、私も独学で調べたから、確実にそうだ、とは言えないんだけど。限りなく黒に近い灰色って感じかな?メリーウィルの祖父は、高等魔物だった、という言い伝えがある。魔物は残酷だけど、同時に気まぐれだとも言うからね。そんな事はない、とは言い切れないだろう?」
「……それが、今回の事態に、どう繋がるんですか」
「うん、それなんだよ。リィンに行ってもらった場所には、私も以前、封印されたものを確認しに行ったことがあるんだ。そこで、あの壺に浮かんだ見事な文様に驚いて、帰ってから詳しく調べたんだ」

 フォルネリは『封呪』を扱う者としてはまだ若いが、誰よりも勉強熱心である。
 叔父の、そういう一面は、リィンも師匠として尊敬していた。
 フォルネリの年齢で、すでに弟子が居るということも、彼の優秀さを現していた。

「あの文様を読み解くのは時間がかかったよ!もう複雑で複雑で!この間、お前に教えた数式。あれをね、応用させて……」
「師匠。過程は良いですから、早く結論を言ってください」
「もう、リィンってばせっかちだな。わかったよ。結果を言うと、あの『封呪』は、中の魔物を封印すると同時に、ある一定条件の元に、解除されるようになっていたんだ。その条件が、『魔力』」
「…………」
「私がさわっても、封印は解けなかった。ということは、私には魔力がない、もしくは封印をとくほどの魔力を持っていない、ということになる。そもそも、私たちの持つ力が『魔力』によるものかどうかという、確信はないのだから、確かめようもない。そこで、だ……」
「弟子の僕で試したんですかっ!?」

 バン、とテーブルに両手をついて、リィンは怒鳴った。
 当然だろう、彼には何も知らされないままだったのだから。
 リィンの剣幕にも、正面に座る師匠、フォルネリはのほほんとしている。
 隣に座る青年は、カップを片手におとなしく、香草茶を飲んでいた。 どうやら、この魔物は猫舌らしい。
 ふーふーとお茶を冷ます様子は、魔物には見えない。

「はははっ。だから、確信はない、と言っただろう。私の見当違いだとしたら、全く問題のない事だったんだ。それが、この結果になって、私の方が、驚いてるんだよ」
「何て無責任な……。すぐに人間を襲うような魔物だったら、どうするんですか」
「んー。たぶん、それはないだろうなって」
「何故ですか」
「だって、そうだろう。あんな複雑な『封呪』をかけることが出来る人物なんだ。危険な魔物を、わざわざ解き放つ事が出来るような『仕掛け』を施すわけがない。ということは、答えは一つだ。封印された魔物は、危険ではない、という事だ」
「それは……そうかもしれませんが、あくまで師匠の推測でしょう、それは」
「でも、当たってただろう?」

 ふふっ、と笑うフォルネリに、これ以上何か言っても無駄だ。
 叔父、師匠は優秀ではあるが、どこかが、確実にズレている。
 リィンは諦めて、残っていたお茶をすすった。

「人間に害をなすどころか、思いっきり好かれてるじゃないか、リィン」
「そうだ!これも言わなきゃいけなかったんですよ!」
「何だい、大声を出して」
「この魔物、僕のことを、『メリーウィル』って呼ぶんです!」
「それが何か?私たちは『メリーウィル』だろう」
「いや、だからそういう、職業名としての『メリーウィル』じゃなくて!どうも個人名として呼んでるみたいなんです」
「それって、もしかして……」
「そうです、もしかして……」

 リィンとフォルネリは、そこでそろって、ようやくお茶を飲み終えたらしい、猫舌の魔物を見た。
 どう見ても人間そのもの――いや彼の美しさは、人間離れしているので、そういう意味では魔物らしいと言うべきなのか――である青年は、カップを置くと、リィンをひたと見つめて、言った。

「何だかよくわからないが、話はもう終わったのか、メリーウィル」

 明らかに、リィン1人に向けて、その名前を呼んだ。
 近くにいる、フォルネリは見向きもせずに。

「すごい……!!」

 一瞬降りた沈黙を破ったのは、フォルネリだった。

「とすると、この魔物は、我らが偉大なる祖先『メリーウィル』に縁のある魔物なんだね!ちょっと君、サインもらっても良いかな?」
「叔父上!」

 マイペースにも程がある。
 思わず、師匠と呼ぶことも忘れて、リィンはまたしても叫んだ。

「はは、すまない。ちょっと興奮して。いやだって、これは興奮するだろう。『メリーウィル』の一族としては!」
「そうですけど。でも、あり得ないでしょう、僕がこの魔物の呼ぶ、『メリーウィル』だなんてことは」
「さっきから、何を言ってるんだ、メリーウィル。お前はメリーウィルじゃないか。匂いだって、同じだ」

 そう言って、魔物の青年はリィンに鼻を寄せて、くんくんと匂いを嗅ぐと、満足そうにひとつ、息を吐き出した。

「匂いって……。何か匂いますか、僕」

 旅では野宿をすることもあったので、家にいるときよりも汚れている。
 だが、極力、水浴びなどをして、清潔にしてきたつもりだったのだが。

「ああ、彼の言っているのは、体臭の事ではないと思うよ。おそらく、魔力のことだ」
「魔力って……匂うんですか!?」
「さあ、どうだろう。私は、『術』がとりあえず使える程度の魔力しか持ってないからね。ほとんど人と同じだ。それは、リィンの方がわかるんじゃないのか?」
「わかりませんよ、そんなこと!」
「メリーウィルは、とても良い匂いがする。でも、自分ではわからない、と言っていた」
「だ、そうだよ。魔物である彼にしかわからない匂いなんだろうね」

 感心したようにうなずくフォルネリだが、リィンはそう感心してばかりも居られない。

「とにかく!どうするんですか、これ」
「うーん。どうしよう。とにかく、彼の話を聞いてみたらどうだい?」
「なんで僕が」
「だって、彼が見てるのは、さっきからリィンだけじゃないか。はっきり言って、私なんて空気みたいなものだよ」
「………わかりました」

 リィンはうなずくと、まだくんくん匂いを嗅いでいる青年と、向かい合った。

「ええと……」

 何から聞けば良いのか迷って、とりあえず、一番気になっていたことから聞くことにした。

「君は、封印が解けたとき、『やっと帰ってきたんだな』と言った。あれは、どういう意味だ?」
「意味も何も、メリーウィルが言った事だろ。俺に、付いてくるなと言った。帰ってくるまで、待ってろって」

 だから、自分はその『メリーウィル』じゃないのだ、と言おうとしてやめた。
 もう百万回は言った言葉だ。

「その、『メリーウィル』は、どこに行ったんだ?」
「俺が何度聞いても、教えてくれなかった。知ってるのは、メリーウィルの方だ」
「………」

 どういう事なのだろうか。
 リィンにはさっぱりわからなかったが、フォルネリは何か思い当たることがあったらしく、青年に問いかけた。

「つかぬ事を聞くが、君と別れたとき、『メリーウィル』は、どんな状態だったのかな?年は?見た目は、ここにいるリィン……『メリーウィル』と同じだったのかな?」

 そう問われて、初めて、魔物の青年は、リィンをまじまじと眺めた。

「いや……違う。俺に、壺の中で待ってるようにと言って、1人で旅立ったメリーウィルは、腰もだいぶ曲がっていて、歩くときは杖を使うようになっていた。そんな状態なのに、俺を連れて行かずに、1人で旅立つなんて言ったんだ。必ず帰ってくるから、おとなしく待っていろと、俺を壺に封印して……。帰ってきたメリーウィルは、出会ったばかりの頃の姿だ。旅に出て、若返ったのか?」

 とまどうように、青年はリィンを見ている。
 目の前に居るのは、確かに『メリーウィル』なのに、と。
 その姿は、魔物というよりも、たよりない子供のように見えた。

「……よく聞け。お前の『メリーウィル』が出かけた旅は、死出の旅なんだ。魔物と人間では、生きる長さが違うんだよ」

 ゆっくりと、噛んで含めるように、リィンは言った。
 なるべく、冷たく聞こえないように、気をつけて。

「嘘だ。そりゃ、人間は簡単に、ぽろぽろ死ぬけど。メリーウィルは違う。身体は弱っていたかもしれないけど、出会ったばかりの頃と変わらない、良い匂いがずっと、してた。それに、メリーウィルは言ったんだ。『必ず帰ってくるから、待ってろ』って!」

 嘘だ、と言葉では言いながらも、ようやく、目の前の『メリーウィル』が、彼の知る『メリーウィル』とは違うことが、わかったのだろう。
 やがてうなだれると、ぽたりぽたり、とささやかな音がして、床に水滴が落ちた。
 泣いている……。
 魔物も、人間と同じように、涙を流すのか。
 リィンは、言葉もなく、青年を見つめた。
 小さな子どものようにふるえる、とても強大な力を秘める魔物とは思えない、青年の肩に、手を触れた。
 見つからない、言葉の代わりに。

「でも、メリーウィルは、帰ってきた!」

 だが、リィンの手が触れた瞬間、青年は勢いよく顔を上げた。

「は……!?」

 魔物の青年は、もう泣いては居なかった。
 どころか、まっすぐにリィンを見ている。
 呆気に取られるリィンに構わず、彼は言葉を続けた。

「お前は、俺の知っていたメリーウィルとは違うのかもしれない。でもやっぱり、お前はメリーウィルだ。俺の元に帰ってきた、メリーウィルだ。メリーウィルは、俺との約束を、破らない」
「いや、だからそれは……」

 それは『メリーウィル』の吐いた、優しい嘘だったのだろう。
 自分の亡き後、1人で長い生を過ごさなければならない、彼を一途に慕う、魔物に対しての。

「きっとそうだ。だって、匂いも、姿も同じなのだから!」

 いやだからちょっと待て。
 人の話を聞くのは一瞬か!とリィンが突っ込もうとしたその時、魔物の青年は、思わぬ行動を取った。

「………っ!!………ん、んっ!?」

 いきなり、口をふさがれた。
 息が出来ない。
 自分のモノじゃない、舌が、口の中を這っている。
 これは、もしかしなくても……!?

「……ぷ、はっ!何するんだ、いきなり!?」
「やっぱり、メリーウィルだった!」

 唐突にされたキスは、唐突に終わった。
 鼻で息をすれば良いんだ、と言うことに気づいたのは、終わってからだった。

「匂いも、姿も、味も同じだ……」

 怒鳴りつけようとしたのに、あまりにも、うっとりとした顔で言われて、怒りがしぼんでしまった。
 リィンは、口をぬぐって、フォルネリに淡々と尋ねた。

「師匠。これはどういう意味なのでしょうか」
「うーん。そうだねえ。とりあえず、リィン。大丈夫?」
「精神的打撃はそれなりに大きかったですが、それ以外は大丈夫です」
「そっか。なるほど。じゃあ、やっぱり、リィンは『メリーウィル』なんだね」
「だから、どういう意味なんですか」
「食事、なんだと思う」
「食事……?」
「おそらく、その魔物は、人の『生気』っていうのかなそういう力を吸い取って自分の魔力にして居るんだろう。そんな魔物がかつて居たと、本で読んだことがあるよ。きっと、昔はたくさん居たのかもしれないね。でも、人は弱いから、彼ら魔物に『生気』を吸い取られると、衰弱し、場合によっては死んでしまうんじゃないかな。高い魔力を持つリィンは、何ともないみたいだけど」
「ちょっと待ってください。僕が平気なのは『魔力』があるからなんですよね?魔物が、『魔力』を吸うんですか!?」

 それって、共食い?なんじゃないの!?と突っ込むリィンに、フォルネリは首をかしげた。

「うーん。その辺はなんとも。たとえ『魔力』があっても、リィンは人間だからね。魔物の持つ『魔力』とは違うんじゃないかな」
「そんな、適当な……」

 がっくりするリィンに、だって全部推測の域を出ないんだからしょうがないだろう、とフォルネリが開き直る。
 それは、そうかもしれないが……。

「でも、これで1つ謎が解けたね。一定以上の魔力が『封呪』をほどく鍵になっていたのは、彼に『食事』を与えることの出来る者、ってことだったんだね!」
「えっ……!ってことは、何ですか。僕は、これからもこの魔物に『食事』を与え続けなきゃいけないということに……!?」
「なるね。でなきゃ、空腹で他の人間を襲うかもしれない。こんなほとんど人と見分けのつかない魔物の取る『食事』なら、たぶん生きて与えることの出来る存在は、リィンしかいないと思うよ」
「師匠は?理屈では、師匠だって、『魔力』を持ってるんですよね!?」
「でも、彼にかかっていた『封呪』が解けない程度の『魔力』だからねえ……。死なないまでも、寝込むことにはなるね、きっと。リィンは、まさか師匠である私をそんな目には遭わせないだろう」
「うっ………」

 涼しい顔で言われ、リィンは言葉に詰まる。
 そもそもの、諸悪の根元はフォルネリなのに、この扱いはどうだろう……。
 自分の学術的興味が満たされたら、それが引き起こした結果は弟子任せなのか。
 そんな師匠って……。

「まあまあ、そんなに悲嘆しないで。『メリーウィル』が彼を『封呪』で封印できたと言うことは、少なくとも同じ能力を持つリィンなら、同じように彼を封印することができるはずだ」
「だったら……」

 封印します、今すぐ!
 勢い込んで、そう言おうとした出鼻を、あっさりとフォルネリがくじいた。

「大丈夫。方法はちゃんと探してあげるから」
「師匠!?『封呪』の仕方、わからないんですか!?」
「やだなあ、リィン。君もあの文様を見ただろう。何を意味するのか読み解くだけでも、私じゃなきゃ出来ないくらい複雑なモノだったんだよ。『封呪』そのもののやり方をみつけるのは、これからだよ!」

 これは、腕の鳴る難問だな〜!
 フォルネリは、楽しそうに言うと、奥の研究室へと去っていった。
 カップ、洗っておいてね、と弟子に言い残して。

「…………」

 旅の疲れが、いっぺんに出たような思いで、リィンはテーブルに突っ伏した。
 そんなリィンを、心配する声が、頭上から聞こえてきた。

「メリーウィル?どうしたんだ、具合でも悪いのか?」

 顔をずらすと、眉根を寄せても端正な顔の、魔物の青年がこちらをのぞき込んでいた。

「リィンだ」
「……?」
「僕の名前は、リィンだ。リィン・メリーウィル・ソーンフォール。さっきもう1人いた人間は、フォルネリ・メリーウィル・ソーンフォール。僕の叔父上で、師匠だ。まぎらわしいから、メリーウィルとは呼ぶな」

 それは、偉大な祖先でお前の大事な人の名でもあるが、『鍛冶屋』とか『パン屋』みたいな職業名でもあるんだ……。
 ぼそぼそと付け足した言葉が、聞こえたのかどうかはわからないが、青年は、大きくうなずいた。

「わかった。メリーウィルは、今度からリィンと呼べば良いんだな」
「そうだ。それで、お前の名前は……」

 今になって、まだ彼の名を聞いていなかった事に気づく。

「まだ言ってなかったか。俺の名前は、クラムだ」
「クラム……」
「そう、クラムだ」

 名を呼ばれたクラムは、嬉しそうに、リィンの髪を撫でた。
 くすぐったいから止めろ、と言いたかったけど、とても愛おしいものにするように、何度も、何度も撫でるので、リィンは黙って、されるがままにしていた。


 ―――そうしてリィンは、初仕事にして、初代の『メリーウィル』以外、誰も持っていなかった使い魔を持つ当代唯一の『メリーウィル』になったのだった。


Fin.

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