079: 必要な嘘



 話があるんだ。
 そう言って、ぼくは彼を、屋上に呼び出した。
 冷たい二月の風が、頬をなぶる。
 ぼくは、小さく息を吸い込むと、思い切って、告げた。

「きみのことは、もう、キライになったんだ」
「嘘だね」

 必死になってぼくが告げた言葉を、彼は一言で否定した。
 そりゃもう、バッサリと。
 切り捨てるみたいに。

「う、ウソなんかじゃない、ぼくは、ホントに……っ!」
「嘘だね。お前、嘘つく時、瞬きの回数が増えるんだよ。気付いてないの?」
「えっ……!」

 ぼくは、顔を、ぱっと手で押さえた。
 さっき、瞬き、してたっけ?
 言葉を、口からひねり出すのに必死で、瞬きがどうかとか、全然、おぼえてない。

「それに……、」

 彼は、頬にあてていたぼくの手を、どかせると、むにっと頬をつまんだ。

「な、なにすりゅんだよっ! ひたいよっ!」

 頬を、うにゅ〜んとモチみたいに伸ばされたまま、ぼくが抗議すると、彼は手を離して、眉をしかめた。
 そして、ぼそっと呟いた。

「つまんねえ、嘘なんか、ついてんじゃねえよ」
「ウソなんかじゃ……」

 ぼくは、往生際悪く答えたけど、語尾は尻すぼみになった。
 元々、ぼくは、ウソをつくのが得意じゃない。
 だけど、これは、ぼくにとって、必要な嘘なんだ……。
 彼の目を見ないよう、ぼくは目を伏せて、一気に続けた。

「ぼくは、もう、きみがキライなんだ。だから、別れる。話しかけたりとかも、しないでほしいんだ」
「……ふうん?」

 相槌を打つ、彼の声は、明らかに、怒っていた。
 さっきはまだ、そこまでなくて、ただちょっと、呆れてる、ってくらいだったけど。
 ぼくは、ぎゅっと目をつぶって、こぶしを握って、体に力を入れた。
 別に、彼が、ぼくのことを殴ったり、蹴ったりする、って思ったわけじゃないけど。
 それに、もし、殴り合いになったりしたら、あっさりとぼくは負けるだろう。
 一応、標準体型ではあるけど、彼はぼくよりずっと大きいし、力もある。
 今だって、頭の上から、凍りつくような視線が降ってくるのが、わかりたくなくても、わかるし……。

「お前は、本当に、それで、いいのか?」
「………う、うん」

 即答できなかったことが、すでにぼくの迷いを、如実にあらわしていた。
 そうさ。
 ホントは、ぼくだって、こんなことは、言いたくなかった。
 でも……。

『お前、本当に、自分がアニキと釣り合うって、思ってるワケ?』

 彼の弟が、先週、ぼくに言ったセリフが、頭の中で、わんわんとこだました。
 自慢の兄が、男と付き合ってるってだけでも、不愉快なのだろう。
 しかも、その相手が、特にこれと言った長所も見当たらない、平平凡凡なぼくなのだ。
 イヤミのひとつくらい、言いたくなる気持ちもわからないではない。
 それに……。

『アニキには、親も、先生も期待してんだよ。それが、お前みたいなのが、足引っ張る事になるとか、ありえねーだろ!』

 そこまで言われたら、ぼくに言える事は、何もなかった。
 好きだって、言ってくれたのは、彼の方が先だったとか、ここで主張したって、何の意味もない。
 若気の至りとか、気の迷いとか、そんな事を言われるのが落ちだ。
 それに、ぼくも、なんで彼みたいなひとが、同性相手だとしても、ぼくを選んだのか、イマイチよくわかっていない。
 同じクラスで、同じ委員会で、席が隣で。
 ホントに、そのくらいしか、接点がなくて。
 そりゃ、ぼくは、彼に憧れてたけど、そんなの、クラスの半分以上の女子がそうなのだし。
 背も高くて、頭も結構よくて、部活には所属してないけど、球技大会とかでは、バスケ部のやつらよりバスケが上手かったりして。
 もちろん、顔も、いい。
 そんな彼と、親しく話せるだけでも、ぼくは満足だったのだ。
 それが、好きだと言われて、付き合うようになって……。
 夢みたいだって、思った。
 だから、彼の弟に言われた言葉で、頭から、冷たい水をかけられたような気持ちになった。
 目が覚めた、というか。
 きっとこれは、夢なんだ、って思ったんだ。
 それに気付いたのなら、傷が浅いうちに、ぼくの方から、離れた方がいい。
 そう、思ったんだ………。

「俺は、嫌だね」

 物思いにふけっていたぼくは、彼の不機嫌な言葉に、はっとして、顔をあげた。
 むすっとしてても、彼は、相変わらず、いい男で、それがちょっと悔しい。

「悪いけど、泣きそうなツラで嘘つくヤツの言葉を、真に受けるほど、俺、お人よしじゃないから」
「な、泣きそうになんか……っ!」

 言ってる傍から、彼の顔が、にじんだ。
 ぼくは、ぎゅっと強く目を閉じて、こみあげてくるものを、必死でこらえようとした。

「別に、無理しなくていいから。泣きたかったら、泣いていいから……本当の事、話せよ」
「………っ」

 腕を伸ばして、彼はぼくの頭を抱き寄せた。
 離れなきゃ、ととっさに思ったけど、ぼくはその腕を、振りほどく事が出来なかった。
 腕に、ぎゅっとしがみついて、ぼくが口にしたのは、思っていたのと、全然、違う言葉だった。

「……ねえ。なんで、ぼくのこと、好き、なの……?」
「なんでって……」

 彼は、ちょっと考えるように間をおいてから、口を開いた。

「可愛いから」
「か、可愛い……?」

 なんかそれ、ぼくを形容する言葉とは、一番程遠いような気がするんだけど……。
 そんなぼくの、不審そうな気配が伝わったのか、彼は更に言葉を重ねた。

「要領悪くてさ、一番不人気な委員を押しつけられちゃったのに、一生懸命でさ。俺なんか、うっかり委員決める日に休んじゃって、ツイてないなーって思ったけど、お前と一緒になれたから、むしろラッキーって思ってるよ、今は」
「要領悪いって。それって、短所なんじゃ……」
「違うって! 長所だよ。言っただろ。要領悪いけど、一生懸命だって。お前、なんでもマジメじゃん。他人の話も、一生懸命聞いてくれるし。そういうの、いいなって……。なんかさ、マジメなのがカッコ悪いとか、そんな事思ってるヤツいるけど、それって違うよな。最終的に頼りにされるのは、俺じゃなくて、お前みたいなヤツだって思うよ」
「……なんかそれ、ただの都合のいいヤツみたいじゃん……」

 彼がいいと言ってくれるところは、ぼくにはちっともいいところには思えなくて、ネガティブまっしぐらな発言をしてしまう。
 だから違うって、と彼はぼくの言葉を否定してから、続けた。

「じゃあさ、お前は、都合がいいヤツだから、俺が好きだって言った時、うん、って言ったのか?」
「それは……」

 いくらなんでも、そこまで都合よくなれるわけ、ない。
 顔をあげると、まっすぐぼくを見ている、彼と目が合って、慌てて目を伏せる。

「ちがう、よ……。ぼくは、ぼくは……」
「何……?」

 優しく、うながされて、ぼくは、それ以上、ウソをつく事ができなかった。

「嬉しかったんだ。ぼくも……、好き、だったから……」

 言ってから、ぼくは何をやっているんだろう、と思った。
 別れなきゃ、って思って。
 だから、彼を呼びだして、ウソをついて。
 自分が傷つきたくなくて、彼を傷つけた。
 それなのに、ぼくは最後まで、ウソをつきとおすことさえ、できないんだ……。

「やっと、言ったな」

 落ち込むぼくとは反対に、彼は晴れ晴れとした声を出した。
 ぼくをぎゅっと抱きしめてから、ぼくの顔をつかんで、上向かせる。

「嘘つくなんて、似合わない事、もうするなよ」
「………」
「ほら。そこは、うん、って言えばいいんだよ」
「でも……」
「それ以上言うと、ここで抱くぞ」
「えっ……!」

 冗談だろう、って思ったけど、気のせいか、顔がマジだ。
 慌てふためくぼくの顔を見て、彼はくすっと笑うと、ぼくの口に、ちゅ、っと軽い音を立ててキスをした。
 顔が、ゆでダコみたいに赤くなるのが、自分でもわかった。

「まあ、なんでお前が急に、んな下らない嘘ついたのか、理由はうすうすわかるけどな……。なんか、ろくでもない事言われたんだろ、弟に」
「え……っ、あ、あの……っ!」

 頷くべきなのか、否定するべきなのか。
 態度を決めかねて、もごもごするぼくに、彼は苦笑して、いいって、とゆるく首を振った。

「なんつうかアイツはなー。妙に俺をライバル視してるっていうか、年近いからか、つっかかってくるんだよなー。付き合ってんのが男で、クラスメイト、ってのがバレた時点で、なんか言ってくるとは思ってたけど……。アイツの言った事は、気にしなくていいから」
「あの、でも……」
「それ以上、でもって言うの、禁止!」
「は、はいっ!」

 つられて頷いて、ぼくはやっと、肩の力が抜けた。
 ふにゃ、っと気の抜けたような笑みを浮かべて、彼をみつめた。

「そうそう。お前はそうやって、笑ってればいいの。バレバレの嘘で、別れ話切り出したりとかしないで」
「ごめん……」
「うん。嘘ってわかってても、心臓に悪いから。だけど、まあ、結果オーライかな。お前から好きって、初めて言われたし」
「あれ……? 言って、なかったっけ……?」
「言ってない」

 じとっと、彼ににらまれる。
 なんか、好きって言われて舞いあがって、そういえば、好きってちゃんと、伝えてなかったかも、しれない……。

「ごめん。好きだよ……大好き」

 改めて、想いをこめて、伝えた。
 そしたら、彼は、急に、くるっと後ろを振り向いて、しゃがみこんだ。

「あの……、どうしたの?」
「ヤバイ……」
「え?」
「今の、スッゲー、キた」

 きたって、何が?
 そう、尋ねようとしたら、凄い勢いでふりむいた彼に、飛びつかれて、ぼくはしりもちをついた。
 口に、彼の口がぶつかったと思ったら、舌が入りこんでくる。

「ん……っ!」

 何がなんだかよくわからないうちに、キスが深まってゆく。
 ぼくは、夢中で彼の舌を追いかけた。
 終わった頃には、すっかり、息が上がっていた。

「ここで最後までしたい気分だけど、いくらなんでもここだと寒すぎだから……帰ろう」
「う、うん……」

 手を引かれて、ぼくは立ちあがった。
 そのまま手を繋いで、ぼくらは屋上を後にする。
 誰もいない階段に、二人の足音だけが響く。
 前を向いたまま、彼がぽつりとつぶやいた。

「次に、何か嘘をつかなきゃならなくなった時は、嘘をつくまえに、俺に相談しろ」
「……うん」 

 返事と一緒に、繋がれた手をぎゅっと握る。
 彼の手も、同じ強さで、握り返してくる。

「必要な嘘なんて、ないんだから。お前は、ホントのことだけ、話してればいいんだよ」
「うん……わかった。そうする」
「そうしろ」

 隣を見上げたら、彼は微笑ってぼくを見ていた。
 ああ、好きだなあ、とぼくは、改めて思った。
 なんでぼくは、ウソでも、彼のことがキライだなんて、言えたのだろう。
 今となっては、信じられない。

「ねえ……」
「ん?」

 だから、彼の目を見て、ぼくも、微笑んで、言った。
 たったひとつの、本当のこと。

「ずっと、ずっと、大好きだよ」
「……お前。そういうカワイイことを今言うなよ! 我慢できないだろ!」
「ホントのことだけ、話してればいいって言ったのに」
「時と場所を選べって言ってんだよ!」


Fin.


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