話があるんだ。
そう言って、ぼくは彼を、屋上に呼び出した。
冷たい二月の風が、頬をなぶる。
ぼくは、小さく息を吸い込むと、思い切って、告げた。
「きみのことは、もう、キライになったんだ」
「嘘だね」
必死になってぼくが告げた言葉を、彼は一言で否定した。
そりゃもう、バッサリと。
切り捨てるみたいに。
「う、ウソなんかじゃない、ぼくは、ホントに……っ!」
「嘘だね。お前、嘘つく時、瞬きの回数が増えるんだよ。気付いてないの?」
「えっ……!」
ぼくは、顔を、ぱっと手で押さえた。
さっき、瞬き、してたっけ?
言葉を、口からひねり出すのに必死で、瞬きがどうかとか、全然、おぼえてない。
「それに……、」
彼は、頬にあてていたぼくの手を、どかせると、むにっと頬をつまんだ。
「な、なにすりゅんだよっ! ひたいよっ!」
頬を、うにゅ〜んとモチみたいに伸ばされたまま、ぼくが抗議すると、彼は手を離して、眉をしかめた。
そして、ぼそっと呟いた。
「つまんねえ、嘘なんか、ついてんじゃねえよ」
「ウソなんかじゃ……」
ぼくは、往生際悪く答えたけど、語尾は尻すぼみになった。
元々、ぼくは、ウソをつくのが得意じゃない。
だけど、これは、ぼくにとって、必要な嘘なんだ……。
彼の目を見ないよう、ぼくは目を伏せて、一気に続けた。
「ぼくは、もう、きみがキライなんだ。だから、別れる。話しかけたりとかも、しないでほしいんだ」
「……ふうん?」
相槌を打つ、彼の声は、明らかに、怒っていた。
さっきはまだ、そこまでなくて、ただちょっと、呆れてる、ってくらいだったけど。
ぼくは、ぎゅっと目をつぶって、こぶしを握って、体に力を入れた。
別に、彼が、ぼくのことを殴ったり、蹴ったりする、って思ったわけじゃないけど。
それに、もし、殴り合いになったりしたら、あっさりとぼくは負けるだろう。
一応、標準体型ではあるけど、彼はぼくよりずっと大きいし、力もある。
今だって、頭の上から、凍りつくような視線が降ってくるのが、わかりたくなくても、わかるし……。
「お前は、本当に、それで、いいのか?」
「………う、うん」
即答できなかったことが、すでにぼくの迷いを、如実にあらわしていた。
そうさ。
ホントは、ぼくだって、こんなことは、言いたくなかった。
でも……。
『お前、本当に、自分がアニキと釣り合うって、思ってるワケ?』
彼の弟が、先週、ぼくに言ったセリフが、頭の中で、わんわんとこだました。
自慢の兄が、男と付き合ってるってだけでも、不愉快なのだろう。
しかも、その相手が、特にこれと言った長所も見当たらない、平平凡凡なぼくなのだ。
イヤミのひとつくらい、言いたくなる気持ちもわからないではない。
それに……。
『アニキには、親も、先生も期待してんだよ。それが、お前みたいなのが、足引っ張る事になるとか、ありえねーだろ!』
そこまで言われたら、ぼくに言える事は、何もなかった。
好きだって、言ってくれたのは、彼の方が先だったとか、ここで主張したって、何の意味もない。
若気の至りとか、気の迷いとか、そんな事を言われるのが落ちだ。
それに、ぼくも、なんで彼みたいなひとが、同性相手だとしても、ぼくを選んだのか、イマイチよくわかっていない。
同じクラスで、同じ委員会で、席が隣で。
ホントに、そのくらいしか、接点がなくて。
そりゃ、ぼくは、彼に憧れてたけど、そんなの、クラスの半分以上の女子がそうなのだし。
背も高くて、頭も結構よくて、部活には所属してないけど、球技大会とかでは、バスケ部のやつらよりバスケが上手かったりして。
もちろん、顔も、いい。
そんな彼と、親しく話せるだけでも、ぼくは満足だったのだ。
それが、好きだと言われて、付き合うようになって……。
夢みたいだって、思った。
だから、彼の弟に言われた言葉で、頭から、冷たい水をかけられたような気持ちになった。
目が覚めた、というか。
きっとこれは、夢なんだ、って思ったんだ。
それに気付いたのなら、傷が浅いうちに、ぼくの方から、離れた方がいい。
そう、思ったんだ………。
「俺は、嫌だね」
物思いにふけっていたぼくは、彼の不機嫌な言葉に、はっとして、顔をあげた。
むすっとしてても、彼は、相変わらず、いい男で、それがちょっと悔しい。
「悪いけど、泣きそうなツラで嘘つくヤツの言葉を、真に受けるほど、俺、お人よしじゃないから」
「な、泣きそうになんか……っ!」
言ってる傍から、彼の顔が、にじんだ。
ぼくは、ぎゅっと強く目を閉じて、こみあげてくるものを、必死でこらえようとした。
「別に、無理しなくていいから。泣きたかったら、泣いていいから……本当の事、話せよ」
「………っ」
腕を伸ばして、彼はぼくの頭を抱き寄せた。
離れなきゃ、ととっさに思ったけど、ぼくはその腕を、振りほどく事が出来なかった。
腕に、ぎゅっとしがみついて、ぼくが口にしたのは、思っていたのと、全然、違う言葉だった。
「……ねえ。なんで、ぼくのこと、好き、なの……?」
「なんでって……」
彼は、ちょっと考えるように間をおいてから、口を開いた。
「可愛いから」
「か、可愛い……?」
なんかそれ、ぼくを形容する言葉とは、一番程遠いような気がするんだけど……。
そんなぼくの、不審そうな気配が伝わったのか、彼は更に言葉を重ねた。
「要領悪くてさ、一番不人気な委員を押しつけられちゃったのに、一生懸命でさ。俺なんか、うっかり委員決める日に休んじゃって、ツイてないなーって思ったけど、お前と一緒になれたから、むしろラッキーって思ってるよ、今は」
「要領悪いって。それって、短所なんじゃ……」
「違うって! 長所だよ。言っただろ。要領悪いけど、一生懸命だって。お前、なんでもマジメじゃん。他人の話も、一生懸命聞いてくれるし。そういうの、いいなって……。なんかさ、マジメなのがカッコ悪いとか、そんな事思ってるヤツいるけど、それって違うよな。最終的に頼りにされるのは、俺じゃなくて、お前みたいなヤツだって思うよ」
「……なんかそれ、ただの都合のいいヤツみたいじゃん……」
彼がいいと言ってくれるところは、ぼくにはちっともいいところには思えなくて、ネガティブまっしぐらな発言をしてしまう。
だから違うって、と彼はぼくの言葉を否定してから、続けた。
「じゃあさ、お前は、都合がいいヤツだから、俺が好きだって言った時、うん、って言ったのか?」
「それは……」
いくらなんでも、そこまで都合よくなれるわけ、ない。
顔をあげると、まっすぐぼくを見ている、彼と目が合って、慌てて目を伏せる。
「ちがう、よ……。ぼくは、ぼくは……」
「何……?」
優しく、うながされて、ぼくは、それ以上、ウソをつく事ができなかった。
「嬉しかったんだ。ぼくも……、好き、だったから……」
言ってから、ぼくは何をやっているんだろう、と思った。
別れなきゃ、って思って。
だから、彼を呼びだして、ウソをついて。
自分が傷つきたくなくて、彼を傷つけた。
それなのに、ぼくは最後まで、ウソをつきとおすことさえ、できないんだ……。
「やっと、言ったな」
落ち込むぼくとは反対に、彼は晴れ晴れとした声を出した。
ぼくをぎゅっと抱きしめてから、ぼくの顔をつかんで、上向かせる。
「嘘つくなんて、似合わない事、もうするなよ」
「………」
「ほら。そこは、うん、って言えばいいんだよ」
「でも……」
「それ以上言うと、ここで抱くぞ」
「えっ……!」
冗談だろう、って思ったけど、気のせいか、顔がマジだ。
慌てふためくぼくの顔を見て、彼はくすっと笑うと、ぼくの口に、ちゅ、っと軽い音を立ててキスをした。
顔が、ゆでダコみたいに赤くなるのが、自分でもわかった。
「まあ、なんでお前が急に、んな下らない嘘ついたのか、理由はうすうすわかるけどな……。なんか、ろくでもない事言われたんだろ、弟に」
「え……っ、あ、あの……っ!」
頷くべきなのか、否定するべきなのか。
態度を決めかねて、もごもごするぼくに、彼は苦笑して、いいって、とゆるく首を振った。
「なんつうかアイツはなー。妙に俺をライバル視してるっていうか、年近いからか、つっかかってくるんだよなー。付き合ってんのが男で、クラスメイト、ってのがバレた時点で、なんか言ってくるとは思ってたけど……。アイツの言った事は、気にしなくていいから」
「あの、でも……」
「それ以上、でもって言うの、禁止!」
「は、はいっ!」
つられて頷いて、ぼくはやっと、肩の力が抜けた。
ふにゃ、っと気の抜けたような笑みを浮かべて、彼をみつめた。
「そうそう。お前はそうやって、笑ってればいいの。バレバレの嘘で、別れ話切り出したりとかしないで」
「ごめん……」
「うん。嘘ってわかってても、心臓に悪いから。だけど、まあ、結果オーライかな。お前から好きって、初めて言われたし」
「あれ……? 言って、なかったっけ……?」
「言ってない」
じとっと、彼ににらまれる。
なんか、好きって言われて舞いあがって、そういえば、好きってちゃんと、伝えてなかったかも、しれない……。
「ごめん。好きだよ……大好き」
改めて、想いをこめて、伝えた。
そしたら、彼は、急に、くるっと後ろを振り向いて、しゃがみこんだ。
「あの……、どうしたの?」
「ヤバイ……」
「え?」
「今の、スッゲー、キた」
きたって、何が?
そう、尋ねようとしたら、凄い勢いでふりむいた彼に、飛びつかれて、ぼくはしりもちをついた。
口に、彼の口がぶつかったと思ったら、舌が入りこんでくる。
「ん……っ!」
何がなんだかよくわからないうちに、キスが深まってゆく。
ぼくは、夢中で彼の舌を追いかけた。
終わった頃には、すっかり、息が上がっていた。
「ここで最後までしたい気分だけど、いくらなんでもここだと寒すぎだから……帰ろう」
「う、うん……」
手を引かれて、ぼくは立ちあがった。
そのまま手を繋いで、ぼくらは屋上を後にする。
誰もいない階段に、二人の足音だけが響く。
前を向いたまま、彼がぽつりとつぶやいた。
「次に、何か嘘をつかなきゃならなくなった時は、嘘をつくまえに、俺に相談しろ」
「……うん」
返事と一緒に、繋がれた手をぎゅっと握る。
彼の手も、同じ強さで、握り返してくる。
「必要な嘘なんて、ないんだから。お前は、ホントのことだけ、話してればいいんだよ」
「うん……わかった。そうする」
「そうしろ」
隣を見上げたら、彼は微笑ってぼくを見ていた。
ああ、好きだなあ、とぼくは、改めて思った。
なんでぼくは、ウソでも、彼のことがキライだなんて、言えたのだろう。
今となっては、信じられない。
「ねえ……」
「ん?」
だから、彼の目を見て、ぼくも、微笑んで、言った。
たったひとつの、本当のこと。
「ずっと、ずっと、大好きだよ」
「……お前。そういうカワイイことを今言うなよ! 我慢できないだろ!」
「ホントのことだけ、話してればいいって言ったのに」
「時と場所を選べって言ってんだよ!」
Fin.
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