080: 窓越しの風景は



 どこまでも、どこまでも、自由に羽ばたける鳥と、籠の中でさえずることしかできない鳥。
 そのどちらが、より、幸せなのでしょうか。
 好きな場所へと、飛んでいける鳥?
 それとも―――。


 低く生える草ばかりが続く、荒涼とした寂しい地に、その塔はひっそりと立っていました。
 ぐるりと回って見ても、どこにも入口は見えません。
 翼あるものしかたどり着けないような場所に、四角く切り取られた窓があるだけです。
 あんまり高いので、鳥さえもたまにしか姿を見せません。
 窓越しに見えるのは、青い空と、白い雲ばかり。
 よく晴れた日には、遠くに霞む山が姿を現す事もありました。
 その塔には、金の髪が床に渦を巻くほどに長い、少年がひとり、住んでいました。
 彼の名は、ラプンツェル、と言いました。
 塔の下で、魔法使いがラプンツェルに呼びかけます。

「ラプンツェル、ラプンツェル。お前の髪をたらしておくれ」

 そうすると、塔の窓から、するするとラプンツェルの髪がおりてきます。
 一本の、太いみつあみにされたラプンツェルの髪は、金色にキラキラ光るロープのようで、魔法使いは、その髪をつかんで、塔を上ってくるのでした。

「ラプンツェル。まだ、ここにいたのか?」

 塔に入った魔法使いは、ラプンツェルを見てつぶやきました。
 入口がなく、窓しかない塔に少年を閉じ込めたのは、魔法使いその人だと言うのに。

「ぼくの居場所は、ここしかありませんから。どうして、そんなことを聞くのですか?」

 ラプンツェルは、不思議そうに首をかしげました。
 みつあみを解かれて、床の上に波打つラプンツェルの金の髪をひと房手にして、魔法使いは言いました。

「ここに、男が来ただろう」
「ええ、あなたが」

 即答したラプンツェルに、魔法使いは髪を引っ張って叫びました。

「そうじゃない! 私ではなく、他の男だ! ……王子が、ここに来ただろう」

 髪を引っ張られたラプンツェルは、痛そうに顔をしかめました。
 それを見た魔法使いは、顔をゆがめて、手を離し、顔をそむけます。
 ラプンツェルは、しばらく考え込むように黙った後、答えました。

「王子……。そう、名乗る方なら。はい、来られました」
「それで、何故、お前は、まだ、ここにいるのだ?」
「何故? ぼくの居場所は、ここしかありませんから」

 最初の問いかけへの答えと全く同じことを言ったラプンツェルに、魔法使いはいらいらして、その場を何度も歩きました。
 狭い部屋なので、すぐに壁に突き当たって、くるりと身を翻します。
 そうしてまた歩き、反対側の壁に突き当たると、また身を翻して歩き……。
 ラプンツェルは、そんな魔法使いの様子を、戸惑うように見つめています。
 
「あ、あの……」

 胸の前で手を組んだラプンツェルは、心細そうです。
 消え入りそうな声で、魔法使いに尋ねました。

「ぼくは、ここにいては、いけなかったのでしょうか」

 魔法使いは立ち止ると、ラプンツェルよりはるかに短い髪をかきあげました。
 そうして、ラプンツェルを見つめて、低い声で言いました。

「王子は、言わなかったのか? ………一緒に、行こうと」
「おっしゃいました」
「それで……、ああ、お前の居場所がここしかない、という答えは、もう聞きたくない」

 先にそうけん制すると、ラプンツェルは小さく首をかしげました。

「何故、王子と一緒に行かねばならないのですか?」

 ラプンツェルは、心底、わからない、という顔で問い返しました。
 魔法使いは皮肉気に口元をゆがめて、笑いました。

「自由にしてやると、言われただろう? こんな狭い塔から出て。お前はそれを望まなかったのか?」

 たったひとつしかない窓の外を、魔法使いは眺めました。
 今日はあいにくの空模様で、青い空は灰色の厚い雲に覆われています。
 もうしばらくしたら、雨が降るのかもしれません。
 けれども、窓の外の空は、どこまでも、どこまでも続いています。
 少し歩くと、すぐに壁に足が遮られてしまう、この狭い塔の中の部屋と違って。
 その下を、一羽の鳥が、力強く羽ばたいていくのが見えます。
 魔法使いは窓の外から目を離すと、ラプンツェルの答えを待ちました。
 ラプンツェルは、穏やかに微笑むと、はい、と答えました。

「嘘をつくな……」

 魔法使いの肩は、怒りに小さく震えていました。
 ラプンツェルは、その姿におびえる様子もなく、自分の髪をひと房つかんで言いました。

「王子は、おっしゃいました。ここから連れ出して、自由にしてやると。ぼくは答えました。ぼくは、ぼくの意思でここにいるのです、と。だって、そうでしょう? あなたも、王子も、ぼくのこの髪をつたって、塔に上ってこられます。それならば、ぼくだって、この髪を使えば、塔を下りることができると、思いませんか? この髪を切って、綱のように窓にたらせばいいだけなのですから」
「お前は、ここに囚われているのではない、と?」
「はい」

 ラプンツェルは曇りのない笑顔で、まっすぐに魔法使いの顔を見て、微笑みました。
 魔法使いは髪をつかんだままのラプンツェルの手に、自分の手を重ねて、そっと握りました。

「馬鹿だな、お前は」
「そう、なのですか?」
「ああ、馬鹿だ……」

 ラプンツェルの手に額を押し当てうつむくと、魔法使いは囁くように繰り返しました。
 それはまるで、ひそやかに祈りをささげているようにも、見えました。


 低く生える草ばかりが続く、荒涼とした寂しい地に、その塔はひっそりと立っていました。
 ぐるりと回って見ても、どこにも入口は見えません。
 翼あるものしかたどり着けないような場所に、四角く切り取られた窓があるだけです。
 窓の向こう、今にも泣き出しそうに重くたれこめた雲の下を、一羽の鳥が羽ばたいていました。
 雨に濡れる前に、心地よい乾いた巣に戻ろうと、急いでいるのでしょうか。
 それとも、群れからはぐれた、渡り鳥なのかもしれません。
 遮るものもない空を飛ぶ鳥は、何者にも縛られず囚われない、自由な存在に見えます。
 おそらく、自由に羽ばたくあの鳥は、幸せなのでしょう。
 ですが―――。
 

「ぼくは、望んで、ここにいます。たとえ、この塔が、地に届くほど低いものだとしても。ぼくはここから出て行ったりしません」

 ラプンツェルは、魔法使いの額に自分のそれを近寄せました。
 魔法使いは、そっと、顔をあげました。

「だって、ここは、あなたが用意してくれた場所なのですから」

 触れ合いそうな距離で、ラプンツェルと目が合いました。
 ラプンツェルの瞳に、魔法使いの顔が映っています。
 
「あなたが訪れる、ここだけが、ぼくの………、」

 ラプンツェルは、告げたい言葉のすべてを魔法使いに伝えることはできませんでした。
 残りの言葉は、魔法使いの口の中に溶けて、消えていきました。


 どこまでも、どこまでも、自由に羽ばたける鳥と、籠の中でさえずることしかできない鳥。
 そのどちらが、より、幸せなのでしょうか。
 好きな場所へと、飛んでいける鳥?
 空を渡る鳥よりも、籠の中の鳥が幸せじゃないなんて、誰に決められるのでしょう。
 そんなことは、ないのです。
 空をはばたく自由より、籠の中でさえずることこそを望む鳥だって、いるのですから―――。


Fin.


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