激しい痛みで、頭が朦朧としてきた。
もう、ダメかもしれない。
そう思った時、頭の中で紡がれた言葉は、一言。
―――会いたい。
このまま死んでしまうなら、せめて、ひと目だけでも。
焼けつくような願いが、胸を焦がす。
最後の気力を振り絞って、携帯を取り出して、操作した。
ここ何日もずっと、かけようと思って、かけられないでいた番号……。
『はい。……もしもし?』
ああ、彼だ。
もしかしたら、見知らぬ番号には出てくれないかと危惧したけれど、そんなことはなかった。
だったら、もっと早くかけておくんだった。
かすかな後悔が胸をよぎったけど、もうそんなことはどうでもいい。
最後に彼の声が聞けたんだから。
俺は、ほっと息をついて、そして――――。
「助けて。死にそう」
言おうと思っていたのとは違う、本能が命じる言葉を、口にしたのだった。
「お前さあ……バッカじゃねえの」
病室に、沢口の心底呆れた声が響き渡る。
ここは4人部屋だけど、俺を含めて3人しか入っていない。
その内の1人は今検査中でいなくて、もう1人は耳の遠いおじいさんだからか、その声には容赦がなかった。
「えっと、その……ごめん」
ベッドの上で俺はただ、謝ることしかできなかった。
俺は盲腸の手術で、緊急入院した。
この頃は手術しないで薬で散らすことが多いそうなんだけど、俺の場合はそうはいかなかったみたいで。
なんか最近、腹が痛いなあ……っては、思ってたんだけど。
まさか、盲腸がヤバかったなんて思っても見なかった。
って、これをまた後で言ったら、具合が悪いんならさっさと病院に行けよ!
と、彼だけじゃなく周囲の人間ほとんどに言われた。
だって、病院って苦手なんだよ……。
「ゴメンで済むならケーサツいらないんだよ!」
今時小学生でも言わないようなことを言って、沢口は俺をにらんだ。
俺はただひたすら、うなだれた。
そうっと、目だけで彼の顔をうかがうと、小さくしゃくりあげていた。
あれ? 気のせいか、なんかちょっと、目が赤いような……。
「いきなり電話口で、死にそうとか言いやがって。お前はおれの心臓を止める気か!!」
ベッドわきの椅子に座っている、沢口の手は、膝の上に置かれているんだけど、握りしめたその拳が小さく震えていた。
すっごく怒ってるけど、それ以上に、すっごく心配したんだってことが、言葉以上に伝わってきた。
俺は、ゴメン、ともう一度口にしそうになったのを、何とかこらえた。
もっと謝りたいのは山々だったけど、今ここで謝ったら、もっと怒らせそうな気がする。
たぶん、この予感は外れていないはずだ。
「大体お前はっ……! んな、いまわのきわみたいな時に電話してくんじゃなくて、もっと前に……っ!!」
はっきりと、涙声で責められて、俺は思わず顔をあげた。
「え……? それって、どういう……」
意味、なんだろう?
なんだか、それだと、沢口が俺からの電話を待ってた、みたいに聞こえるんだけど。
と、そこまでは口にしなかったんだけど、心の声が聞こえたように、彼が答えた。
「待ってたんだよ! お前が電話かけてくんのっ!!」
さっきより迫力2割増しくらいの顔で、睨まれた。
コワイ。
なまじ美人なだけに、呪い殺されそうな感じ?
……っていや、今はそんなことどうでもよくて!
待ってた?
俺から電話かかってくるのを!?
「なんで……?」
本来なら喜ぶところなのかもしれないけど、全然わかんなくて、俺は戸惑いながら尋ねた。
だって俺と沢口は、そりゃクラスは一緒だけど、挨拶とよくて世間話? くらいしかしない、友達と言うより知り合いレベルで。
携帯の番号もメールアドレスも知らなくて。
………一方的に、俺が、片思いしてるだけの相手で。
そんな俺からの電話を、沢口が、待ってた……?
「………連絡、回すからって言って、堀田から聞いたんだろ。おれのケー番」
「え、あ……うん」
うわーっ! バレてるし!
ってか、そうだよな、バレるよなそりゃ。
堀田は沢口の友達なんだから、言うよな、教えたって。
むしろ教えないとまずいよな。個人情報だし。
直接話しかけられなくって、だから携帯で連絡取りたいなって思って。
なんか無難なクラスの伝達事項を装って連絡ついでにお話を、とか。
一歩間違うと、俺、ストーカー!? みたいだな……。
イヤ違うぞ、沢口も堀田もクラスメイトだし!
クラスメイトがクラスメイトに用事があって携帯の番号教えてもらうのは、別に犯罪でも何でもないよなっ!?
って、だから俺は誰に言い訳してるんだ。
「回ってきてないんだけど、連絡」
「…………」
冷たく問われて、俺は沈黙した。
かけようと、かけようと思ったんだよ!!
堀田に聞いちゃった手前。
でも、いざかけようと思ったら、無難な伝達事項、っての思いつかなくて。
ウチの担任、連絡事項、各自にメールで回してくるんだもんな。
あえて親しくもないクラスメイトが回さなきゃいけない伝達事項なんて、特にないんだよな……。
手術痕がひきつれそうな思いになりながら黙っていると、沢口の視線がますます突き刺さってくる。
うう……。
「そんな回りくどいこと、しなくたってさ」
沢口は、呆れたように俺を見て、口元を緩めた。
椅子から立ちあがると、ひざまずいて、枕元に肘をつくと、俺の顔を覗き込んだ。
「知りたかったんなら、おれに直接、聞けばいいのに」
ケー番。
そう言って、沢口は俺の頬を指で突いた。
くすぐったい。
「……それが出来てたら、最初からそうしてる」
出てきたのは、我ながら本当に情けない言葉だった。
返ってきたのは、さらに情け容赦のないものだった。
「だろうね。お前って、いっつも、そう。何か物言いたそうにチラチラこっち見てんのに、何も言わないの。おれが近づいたら逆に逃げるし。なんなの、お前」
バレバレ……!!
あっさり指摘されたことが、すべて本当のことなのが、なんかもう俺、痛すぎる……!
穴があったら入りたいんだけど、ここはベッドの下にでも潜るべきなのか!?
しかたないので、とりあえずシーツを引き寄せてみる。
「いやいや。今さら隠れようとしても無駄だから。ってかお前、図体でかいんだから、そんくらいで隠れきれないから」
優しさを……!
ほんの少しでいいから、俺に優しさをください……!!
「いつ、電話かかってくんのかな、って思ってたのに。かかってきたと思ったら、SOSとか。ねえだろ、フツー……」
そこで話が、最初の方に戻った。
そうだった。
沢口は何故か、俺からの電話を待ってた? んだった。
「死にそうになんなきゃ、かけらんないって。どんだけへたれなんだよ、お前」
「ご、ゴメンナサイ……」
「だから、ゴメンで済んだら、」
「ケーサツはいらない、よね。ハイ……」
地の底の底くらいまで、俺は沈み込んだ。
消え入りたい思いだったけど、沢口がもう怒っていないようなのには、ホッとした。
呆れ過ぎて、怒る気も失せたのかもしれないけど。
「もうこれで最期かもしれないって、思ったら……」
こんなこと言ったら、沢口はまた怒るかもしれないけど。
俺はあの時の気持ちを、伝えておきたかった。
そしてそれを言えるのは――へたれな俺には――今しかないだろう、と思った。
「会いたいって、思ったんだ。いや、会えなくてもいい。せめて声だけでも聞きたいって」
「どうして……?」
問い返す、沢口の声が優しかったから、俺はぽろりと言葉を紡いでいた。
「好きだから。ずっと、好きだったから……」
「なんだ。ちゃんと、言えるじゃん」
沢口が、にやりと笑って、俺を見ていた。
「え? あっ……!!」
今俺もしかして、告白した?
告白しちゃったのか……!?
言葉もなくパニクる俺を、沢口はおかしそうに笑って、立ちあがった。
「じゃあな。明日、また来る」
「え、沢口……!?」
沢口は、あっさりと病室を出て行った。
思わず彼に向って手を伸ばした俺を、さっくりスルーして。
その後ろ姿は、気のせいか心持ち、機嫌が良さそうだった。
「今のは……一体………」
どう、とらえればいいんだろう?
病室のベッドで静かに俺が懊悩していると、てっきり寝ているとばかり思っていた、カーテンに区切られた向こうのベッドから声が聞こえてきた。
「若いっていいのう……」
じいさん……。
耳が遠いんじゃなかったのかよ……!
どうやら思いっきり、聞かれてしまったらしい。
もういっそ、このじいさんに相談するか……?
いや待て、早まるな、俺!
明日も来るって言ったんだ。
一晩じっくり、考えよう。
そうしたらきっと、明日はこの口も、もう少しまともな言葉を紡いでくれるだろう。
………たぶん。
Fin.
Copyright(c) 2011 all rights reserved.