いつもと同じ電車に乗ったのに、なんで今朝に限ってこんなに混んでんだよ!?
押しつぶされる死ぬあと身長10センチ欲しかった……!
カーブに差し掛かって、車体が大きく右に揺れた時、俺の身体も一緒にぐらりと揺れる。
辛うじてつり革につかまっていた手が、その勢いですっぽぬけた。
(ヤバ……っ! ぶつかる!!)
ついでに足も滑って、思いっきり後ろに倒れそうになった。
このままじゃ、後ろにいる人を巻き込んで転んでしまう。
せめて、踏みとどまらないと!
ポール! その辺にポールなかったっけ!?
最後のあがきとばかりに手を伸ばした俺がつかんだのは、ポールではなかった。
「だいじょうぶ?」
至近距離で問われて、俺は思わずポカンと口を開けた。
誰コレ。モデル……!?
後ろの人に激突する寸前で、俺の腕をつかんで引き止めてくれたのは、すらりと背の高い、やたらイケメンなお兄さんだった。
「もしかして、どっか、ぶつけた?」
心配そうに重ねて問われて、呆けていた俺はようやくハッとして口を開いた。
「え、や、あの、だいじょうぶです。ありがとうございます………」
「そう? 何でもないのなら、よかった」
ふわりと笑う、その笑顔がまた眩しい。
なんかこう、ご利益ありそうっていうか、寿命が延びそうな、そんな後光さす笑顔だった。
「今朝は凄く混んでるよね。オレ、この時間のに乗ったの初めてなんだけど。いつもこうなのかな」
「い、いえ、今朝は特別混んでるんだと思います。いつもは、ここまでじゃ……」
「ふうん。そうなんだ?」
「はい……」
って、何かフツーに会話しちゃってるけど、腕、腕っ!
ずっとつかまれっぱなしなんですけど!
「あの、腕………」
「ん? どうかした?」
「いえ、なんでもないです……」
あまりに綺麗に微笑まれて、腕を離してください、の一言が引っ込んでしまった。
だからその笑顔、神々しすぎるんだってば……!
それによく考えてみれば、俺の周囲のつり革はすでに全てうまっている。
つり革の上の部分(つり革が繋がれてる、さおだけみたいなポール)を握ればいいんだろうけど、俺にはちょっと高いんだよ……。
いや、手を伸ばせばちゃんと届くんだけどな!?
ちょっと安定感が悪いっつうか、腕が超つかれるっつうか……。
いや俺の成長期これからだしっ!!
とか思ってたら、また電車が揺れた。
「もっとちゃんと、つかまってていいよ」
「は、はあ……」
改めて腕をつかみ直され、あげく心持ち、引き寄せられた。
うわ、なんかこの人、いい匂いするよー!?
柑橘系っていうの?
爽やかなのに甘酸っぱいような匂いがして、混みまくった電車内での息苦しさを一瞬忘れた。
ヤバイ、俺が乙女なら今ここで恋に落ちるところだ。
「あ、俺、次で降りるんで」
「ああ、君、S高だったね」
え、なんで……って、制服見りゃわかるか。
って、この人、K大付設じゃん! 今気づいたけど。もっと年上かと思ったよ!
うわー、顔良くて親切なうえに、頭までいいんだ。
電車が次第に減速して、止まる。
「それじゃ、俺、ここで。ありがとうございました」
俺は改めて礼を言って、人並みに揉まれるようにしてドアへ向かった。
後ろから、親切な付設の人が、またね、と言うのが聞こえた。
またね……? いや、たぶん気のせいだろう。
「失礼しまーす」
軽くノックをしてから、生徒会室のドアを開けた。
椿ちゃんが、こっちを見て、手招きする。
「よう。遅かったな、樹」
「ごめん。HRが長引いちゃって……って、椿ちゃん俺、何度も言ってるけど生徒会役員じゃないからね?」
職員室によって取ってきた書類を、2年の生徒会長の椿ちゃんに渡す。
椿ちゃんは、俺のいっこ上の従姉だ。
俺の母さんと、椿ちゃんの叔母ちゃんが仲良し姉妹なこともあって、俺と椿ちゃんも小さい頃から仲がいい。
その代わりずいぶん体よく使われてる気がしなくもないけど、いっこの年の差はデカい。
俺は最早、椿ちゃんには逆らえない身体なのである。(いや、いかがわしい意味じゃないけどね!)
「固いこと言うな。私と樹の仲じゃないか」
椿ちゃんは鷹揚に、はっはっはと笑う。
こんな風にいつもカラッとしてるせいか、まあいいか、って思えちゃうのが椿ちゃんの人徳? だ。
「仲、いいんだね」
椿ちゃんの他には誰もいないと思っていたら、どっかで聞いたことのあるような声がした。
パーテーションの向こうから、顔を出したのは……。
「あっ……!」
今朝の電車で会った、親切な付設のお兄さんだ!
え、なんでここに?
「また、会ったね」
彼はまたしても思わずカメラを構えたくなるようないい笑顔を、惜しみなくこっちに向けた。
「なんだ? お前たち、知り合いなのか」
「いや、今朝、電車でちょっと、ね」
「おお? なんだなんだ。意味深だな」
「ふふ……」
はぐらかす様に答えるもんだから、椿ちゃんが面白そうな顔して俺を見た。
その顔には、これはいいからかいネタが増えた、と書いてある。
いやいや、そんなんじゃないから、全然!
愉快な誤解をされる前に、俺は椿ちゃんに訂正した。
「電車で転びそうになったとこを、助けてもらっただけだよ」
「なんだ、それだけか」
椿ちゃんはあからさまに、つまらなさそうな顔になった。
だから、そうそう面白いことはないから。
椿ちゃんの考えてることはうっすら予想つくけど、そんなんじゃないからね?
俺は椿ちゃんに苦笑すると、今朝の人に改めて、頭を下げた。
「今朝は、本当にありがとうございました」
「そんな大したことじゃないから、気にしないで。樹くん」
なんで俺の名前知ってるんだ? って一瞬思ったけど、さっき椿ちゃんが俺のこと呼んだの、聞いてたんだろう。
「でも、あのままだったら、絶対、後ろの人巻き込んで倒れてたし。助かりました。えっと……」
「相良京輔、だよ」
「相良さん。ありがとうご……」
「京輔。京輔って呼んでくれないかな」
「えっ」
名前を読んでもう一度礼を言おうとしたら、思っても見なかったことを言われて、俺は目を丸くした。
いきなり、下の名前!?
「ダメかな」
「……だ、ダメって言うか、えっと、先輩、ですよね? 相良さん」
「うん。高階さんと同じ、2年」
「じゃあ、やっぱり下の名前で呼ぶのは……」
「高階さんは下の名前で呼んでるのに?」
「そ、それは、椿ちゃんは従姉で、ちっちゃい頃からそう呼んでて……」
椿ちゃんのことだって、一応、学校では高階先輩って呼ぶようにしようとしたんだよ。
でも、椿ちゃんが他人行儀に呼ぶなって言うから……。
って、なんでこんな言い訳みたいなことを説明するはめになってるんだ?
「だったら僕も、樹くんからは、京輔って呼ばれたいなあ」
「呼び捨てはちょっと……」
「じゃあ、京ちゃんでもいいよ?」
「いえ、京輔さんでお願いします……」
「そっかあ……。じゃあ、仕方ないね。それでいこう」
どことなく残念そうに、相良さんもとい、京輔さんが了承した。
「決まったのか?」
俺たちのやり取りを興味深そうに見守っていた椿ちゃんが言うのに、俺は何だかよくわからないままうなずいた。
生徒会室のドアが開いて、副会長の皆川さんが顔をのぞかせる。
「あれ、もう来てたんだ、会長」
「お前が遅いんだ、皆川。ここのメンバーは全員集まりが悪くて困る」
「はは。スミマセン。他の奴らもたぶんもうちょっとしたら来ると思うんで。あ、相良さん、来てたんですね。こんにちはー」
「こんにちは、皆川くん」
「来てたんですねじゃないだろう、待たせてるんだぞ……ったく。ああ、樹。これ、鴨居先生に持っていってくれ」
顔をしかめて皆川さんを睨んで、椿ちゃんは机の上にあった別の書類を俺に渡す。
ほんと、俺って小間使いだよなー。
書類を持って出ようとすると、椿ちゃんがついでのように言った。
「こないだ言ってたゲーム、買ってプレイしたから、やりたかったらいつでも取りにきていいぞ」
「え! ホント!?」
「ああ」
「やった! ありがと、椿ちゃん!」
訂正。
俺と椿ちゃんは、ギブアンドテイクだ。
うきうきしながら生徒会室を出て、ドアを閉める間際に、京輔さんと目があった。
京輔さんはやっぱり笑顔で俺を見ていた。
デフォルトが笑顔の人なんだろうか、京輔さんって。
今日は週4日入ってるバイトの日だ。
母さんの知り合いがやってる喫茶店(カフェって言うより、昔ながらの喫茶店)で、ウェイターのバイト。
いつもみたく、裏口から入ったら君枝さんから呼びとめられた。
「樹ちゃん。今日から新しいバイトの子が入ったのよ。紹介するわね」
そういや、こないだ、俺以外にもう一人だけいた、夜担当のバイトが辞めたんだっけ?
大学生の三橋さん。就活で忙しくなるって言ってたからしょうがないけど、不慣れな俺にも親切にしてくれたいい人だったなあ。
新しく来るヤツとも仲良くなれればいいんだけ……ど!?
「やあ。今日からよろしくね。樹くん」
君江さんが手招きして現れたのは、さっき学校で別れたばかりの人だった。
「あら? 知り合いなの、相良くん」
「ええ」
「まあ、そうなの。それじゃ、色々教えてあげてね、樹ちゃん」
「は、はあ……」
なんか驚きすぎて、却って気の抜けたような返事をしてしまった。
いかんいかん、これから仕事なんだからしっかりしないと!
それにここでは俺の方が先輩なんだから、ちゃんと教えないと……教えられるだろうか、俺に。
いや、基本的なことは君江さんが教えるんだから、俺はサポートすればいいだけなんだよな、うん!
………あー、なんか緊張して来たよどうしよう………。
閉店時間になって店を出る頃には、俺はへとへとになっていた。
仕事がキツかったんじゃなく、気疲れだ。
京輔さんは今日がバイト初日だとは思えないくらいの見込みが早くて、俺が先輩として教えることなんか特になかったんだけど。
『樹ちゃん、あの美形、誰!?』『あのイケメンくんって、新人バイト?』
今日一体何度同じことを聞かれただろうか……。
いや、俺が常連客だったら、同じこと聞きたくなったとは思うけどさあ。
おまけに、さして広くもない店内で、すれ違うたびにあの後光が見える微笑を向けられて、慣れるどころか落ち着かなくて。
その笑顔はお客さんに向けて? 俺じゃなくて!
「今日はありがとう。樹くんのおかげで、初めてのバイトも楽しかったよ」
駅までの道を一緒に歩きながら、京輔さんは街灯要らずの笑顔を見せた。
「俺は別に、何も……」
ホント、教えるようなこと、何もなかったし。
つか、礼を言われるポイントが微妙におかしくないか……?
俺は内心首をかしげたが、深くは突っ込まずに、今日一日を振り返って言った。
「それにしても、すごい偶然ですよね。朝、電車で助けてもらって、学校でもあって。おまけにバイトも一緒とか」
昨日まで見たこともなく、名前さえ知らなかった人と、こうして一緒に帰ってるなんて。
なんか、不思議な感じ。
「そうだね、すごい偶然……」
京輔さんは楽しそうにうなずき返して、
「……じゃ、ないんだけどね、ホントは」
何故か、その先を否定した。
え? どういうこと??
「学校で会ったのまでは偶然で片付けられるかもしれないけど、流石に、バイトまで一緒になるのは、ヘンじゃない?」
「ってことは、偶然じゃ、ない………?」
「そう。必然。朝の電車も、オレが今日君の通うS高に行ったのも、君のバイト先でオレがバイトすることになったのも」
京輔さんは、くすりと笑って俺を見た。
今までと違って、なんかちょっと、人が悪そうな感じの笑みだ。
「あの、どうして、そんなことしたんですか?」
知らない内に京輔さんの恨みを買うような真似をしてたとか?
いや、学校も違うし、接点全然ない……よな? 俺たち。
「樹くんに、近づきたかったから」
え、やっぱ俺、なんかしてたんだろうか?
そういやこないだ、椿ちゃんに連れられて生徒会でもないのに生徒会の用で付設に行ったよな。
あの時、何かやったのだろうか。
「俺、先月、生徒会にくっついてK大付設に行ったんですけど、その時何かやらかしましたか? 俺……」
「うん。やったね」
「な、何をでしょうか……?」
ヤバイ、全然身に覚えがないんですけどー!!
京輔さんの言葉に一気にパニくる俺。
だが、返ってきた言葉は更に俺を戸惑わせた。
「オレに一目ぼれされたの」
「………………は?」
今の、聞き間違い?
一目ぼれって、誰に。
「椿ちゃんに、ですか?」
「ううん。樹くんに」
「あの……俺、男ですけど」
「そうだね。女の子には見えないね」
そうだよな。
別に俺、女の子っぽいとか女の子に間違われたりとか、したことないもんな……って。
「ええーーっ!? マジですか!?」
「うん。本気」
「か、変わった趣味してますね、京輔さんって。よりによって俺って。つか、付設って男子高なんだから、同じ男ならそっちの方が選び放題なんじゃないですか」
「でも、樹くん見た瞬間に、びびってきたんだよね。この子だ、って」
「そうですか……」
なんか特殊なチャンネルでも受信したんだろうか、京輔さん。
俺別に、人目を引くようなタイプじゃないんだけどなあ、全然。
「男に好かれたら、迷惑?」
「いや、それはないですけど」
「あれ……。そこは即答なんだ?」
「はい。俺、どっちかって言ったら、男の方が好きだし」
こんなこと、椿ちゃん以外の人に言ったの初めてだ。
今度は逆に、京輔さんがびっくりした顔で俺を見た。
「そうなんだ? なら、何でさっきあんなに驚いたの」
「驚きますよ。だって京輔さん、フツーに女の子にもてそう、ってかさっきのバイトの時間、何人のお客さんに京輔さんのこと聞かれたと思ってるんですか」
「それとオレが樹くんのこと好きなのは、関係ないだろう」
「そうですけど……今、自分が女の子にモテるのは否定しませんでしたね」
突っ込むと、京輔さんは爽やかに微笑んだ。
あ、なんか段々笑顔の種類が分かってきた気がする……。
京輔さんは、ねえ、と言って俺に身体を寄せて囁いた。
「どっちかと言うと男が好き……なら、オレはどう? 好き?」
「それは……まだ、わかんないです。会ったばっかりだし……」
「まさか、他に好きなヤツがいるとか、言わないよね?」
「それは、いませんけど」
「じゃあ、オレにしない? まずはお試しでいいから」
ね? と至近距離で微笑まれて、俺はつりこまれるように、うなずいていた。
うながされるままに、携帯のアドレスを交換する。
今なら勢いのままにハンコ(何の?)まで押してしまいそうだ。
この笑顔、後光だけじゃなくて、なんか魔力まである気がする……。
そうこうしている内に、いつの間にか駅についていた。
ホームには、俺が使うのとは違う路線の電車がきていた。
それを指して、
「オレ、この電車だから。また明日、樹くん」
「はい。また……」
京輔さんが乗ると、その電車はすぐに動き出した。
そこで俺は、はっと気付いた。
「ホントに、偶然じゃなかったんだ……」
あの路線のに乗って帰るってことは、行きに俺と同じ電車になるはずはない。
さっき言われなきゃ、これも気づかず見過ごしてしまっただろう。
わざわざ、俺と一緒になるために違う電車に乗ったんだ、京輔さん。
「……どうしよう。あのひと、ホントに俺が好きなんだ……」
今さらのように実感して、俺は自分の乗る電車が来るまで、赤くなった顔をうつむけていた。
Fin.
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