「……って!」
クラブハウスに向かう最短距離である裏庭を突っ切っていたら、何か障害物にこつんと軽くつまづいた。
木の根もとに隠れるように潜んでいた、黒くて、まるいカタマリ。
それは俺に蹴られて、もぞもぞと動いた。
「いたい………」
蹴られた場所をさすりながら、それはむくりと起き上がった。
俺はとりあえず謝った。
「悪い」
「わるいって……それびみょーに、謝罪とチガウから。事実を述べただけだよね?」
芝生にぺたんと座って、うらみがましそうなジト目を向けられる。
俺は膝をちょっとかがめて、その真っ黒な髪をわしゃわしゃとかきまわした。
見た目に反して、ふわふわした猫っ毛を。
っていうか。
「んなとこに寝てるお前が悪い。猫か」
「だってここ、ひとこないし、静かだし、あったかいし」
「猫だな」
確かにここは『裏庭』だけど意外と日当たりが良い。
桜の花が咲くのにはまだ少し早いが、そんな春の気配が近づいてくるこんな日には、外で寝てもさほど寒くはないだろう。
だからって、本当にこんなところで寝こけてるのは、こいつくらいしかいないが。
「にゃあ」
ふざけて手の形まで猫のように曲げて鳴いてみせた男に、ばーか、と言ってデコピンをかます。
「……ったあ。なにするんだ、にゃー」
「だから、それ、やめろ」
似合ってない。
キモイ。
……ってんならまだしも、お前がやると違和感ないんだよ。
可愛いんだよ、馬鹿。
「なんだよ。そっちが、オレのこと、猫みたいって言ったくせに」
拗ねたように言う姿はとてもじゃないが俺と同じ男子高生だとは、到底思えない。
着てるのだって、俺と同じありふれた黒の学ランだっていうのに。
「そういう意味じゃねえんだよ。つか、ニャー、ってなんだよ。ニャーって」
「えー。可愛くない?」
「…………」
その質問には、コタエタクアリマセン。
「とにかく、そんなとこで寝てんなよ。ほんっと、お前は、どこでもここでも寝るよな。むしろお前が起きてる時のがめずらしいよ」
授業中に、あそこまで豪快に爆睡してるヤツはめったにいない。
あまりの眠りっぷりに、すでにどの教師も注意しなくなったほどだ。
まあ、それも、何故かテストの点だけは上位に食い込んでるっていうのも大きいのかもしれないが。
つーかほんと、あんなに寝まくってるクセ、なんでテストの点俺よりいいんだよ。
理不尽だ。
文句言ったら、『えー、だって、教科書読めば、だいたいわかるよねえ』と言われてしまった。
どんなアタマしてるんだよお前は。
本当に、理不尽だ。
「だって、眠いんだもん……」
「16歳男子が、もん、とか言うな」
だからお前が言うとキモイんじゃなくて以下同文。
「文句多いなあ。ニャーがダメなんだから、もんくらい許してよ」
「いーや、駄目だ」
俺の心の平安のために、却下だ。
「もー……わがままだなあ」
そう言いながらも、ふにゃっと笑う。
そのふやけきった顔にドキッとしてしまう俺は、何かもう色々、相当きている気がする。
人間として終わってきたというか……。
「きっと、春だから眠いんだよ。ほら、春眠暁を覚えず、って言うじゃない」
人差し指をぴんと立てて、もっともらしく言う。
そうだな。
春はポカポカして眠いよな。
だがしかし。
「お前の場合、1年中だろ。お前が眠くならない季節はあるのか」
4月に同じクラスになってから、この1年。
春も、夏も、秋も、冬も。
1周回ってもう1回春が訪れようとしている、今も。
お前、いっつも寝てるじゃねーかよ。
「ああ、そっか」
俺はにやりと笑って、続けた。
「頭の中が、1年中、春なんだな。お前の場合」
「うわ、ひどい……」
もちろん冗談だったんだけど、思いの他落ち込んだ声を出されて、俺は慌てた。
「わる……ごめん、言いすぎた」
「んー、や、べつに、あやまらなくてもいいけど……俺、さ」
小さく折り畳むように膝を抱えて、ヤツはぽつりとつぶやいた。
俺に向かって、と言うよりも、芝生に向かって話すように。
「俺、ウチだと、よく眠れないんだよね。ウチ、今、オレしかいなくて……」
「お前、ひとり暮らしなのか?」
「ハハオヤは俺が小さい時死んじゃって。ばーちゃんは一昨年死んで。チチオヤはオレが高校入った時から単身赴任。せっかく受かったんだから、ウチから1人で通えって。持ち家だし」
「そっか……」
と言う事は、この1年間、こいつは家でずっと1人だったのか。
「べつにさあ、1人がイヤとか、そういうことはないんだよ。オレ、家事とかこう見えて、苦になんない方だし。ばーちゃん死んでからはオレがやってたし。……でもさ、夜にふっと目が覚めた時なんか、あーオレひとりなんだよなーとか思っちゃうとさ……」
上手く、眠れなくて。
ヤツは、消え入りそうな声で、そう続けた。
普段、昼日中には何とも思わなくても。
夜になると、なんとなく寂しい。
たぶん、そういうことなんだろう。
「このヘタレ! とか、思う?」
「……思わないよ」
思うワケ、ないだろ。
ばーか。
「そっか。ありがと」
うつむいていた顔をあげて、何故か礼を言われた。
礼を言うような事じゃねえだろって思ったけど、口にはしなかった。
代わりに、手を伸ばしてもう一度、髪をなでた。
ほんとの猫にするみたいに。
ヤツは大人しく、撫でられていた。
「……あのさ。ちょっとオネガイがあるんだけど」
撫でられながら、ヤツは俺の腕越しに見上げて、言った。
なんだか、イヤな予感がするのは気のせいか……?
「オレんちにさ、泊りに来ない?」
「は?」
唐突なお願いに、俺の手はぴたりと止まった。
「で、さ。オレと一緒に寝てくんない?」
続けられた言葉に、手だけじゃなく開けたままの口も固まった。
キミハイッタイ、ナニヲイッテイルンデスカ?
思わず内心の呟きさえも、片言になる。
「オマエと一緒ならさ、夜もぐっすり眠れそうな気がするんだ」
逆に俺が眠れなくなるわ!
っていうか……。
「その根拠は、一体どこから」
ようやく動いた口で、突っ込む。と。
「ん〜。カン、かな?」
なんだよそれは!
野生の勘か!?
ほんとにお前は、猫か!!
「だってさー……」
頭の上に置いたままだった俺の手に、俺より少しだけ小さくて、体温の高い手が重なる。
「あんしんするんだもん、オマエ。それに、」
だから、16歳男子がもんとか言うな、と突っ込む前にヤツは続けた。
「オレがここにいるって、そう思って、わざわざ裏庭通ったんだろ? そんなことしてくれんの、オマエしかいねえもん」
うぬぼれてんじゃねーよ。
この馬鹿猫め……!
と、言いたいところだったが。
「………とにかく、寝る場所くらい選べよ。もう部活始まっから、俺は行く。あー、近道した意味、なくなったじゃねえかよ」
そうだ俺はこれから部活なんだよ。
いつまでもこんなとこで不毛な会話をしている場合ではないのだ。
ヤツの頭から手を離そうとすると、ぎゅっと手を握られた。
「部活終わんの、図書館で待ってる。一緒にかえろ。で、オレんちでお泊まり会しよう」
「お前な……」
手を振りほどこうとしたら、意外なくらいの力でつかまれて、離れない。
「オレ、けっこう料理、ウマイんだよ。何食べたい?」
「筑前煮」
「渋いとこつくね。でも大丈夫、ちゃんと作れるから!」
そう宣言すると、ヤツはようやく手を離した。
「いってらっしゃい。部活、頑張ってね!」
「お、おう……」
ヤベ。
走ってかないと、遅刻かも。
ここからすぐだから、まあ急げば平気だろうが……。
走り出す前に振りかえると、こっちに向かってヤツが手を振っていた。
思わず振り返してから、まっすぐクラブハウスへと走った。
あいつ、図書館行くとか言っときながら、そのままあそこでまた寝るんじゃないだろうな。
イヤ別に、心配しているわけでも気にかけてるわけでもないぞ。
ただあいつは、猫みたいなやつだからな。
それだけ、それだけだ。
Fin.
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